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賎のおだまき・武家の時代の男色

61名無しさん:2009/11/04(水) 21:45:10
薩摩武士の青少年教育は郷中(学舎)で行われた。 徳育・知育・体育を大事にした。 その中の一つ、体育は主に武道(剣術)である。 秘武道”影之流”の師範家の川上四郎兵衛家は四方学舎に所属した。 四方学舎での剣術鍛錬は薬丸家の自顕流と川上家の影之流に分かれて厳しく鍛えられた。 薬丸家もまた四方学舎の舎生である。


-5町四方を単位とする「方限(ほうぎり)」を基盤として、そこに含まれる区画や集落に居住する青少年を

小稚児(こちご、6-10歳)
長稚児(おせちご、11-14歳)
二才(にせ、15-25歳)
長老(おせんし、妻帯した先輩)

の4つのグループに編成したもの。

それぞれのグループで「頭(かしら)」(稚児頭、二才頭など)が選ばれ、頭は郷中での生活の一切を監督し、その責任を負った。
郷中のメンバーは「舎」(健児の舎)に集まり武術や学問に励んだ。

郷中の起源は島津義弘によるとされている。また、郷中が教育組織としての機能を発揮するようになるのは江戸時代中期以後の事であり、現存する藩の法令でも島津吉貴が方限・郷中の綱紀粛正と文武奨励を命じる文章が出されるなど、その運営に苦心した事が明らかにされている。

明治維新で武士階級は消滅したが、舎は存続した。現在の鹿児島県では、青少年の社会教育の場として機能している舎は少なくなっている。
ttp://blog.tos-kagoshima.com/?day=20080513


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