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賎のおだまき・武家の時代の男色

47名無しさん:2009/10/28(水) 20:20:07
薩摩武士の集団では、男色の道を知らない者は一人前扱いされなかった。武士として鍛えられ、教育されることは男同士の契りを結ぶことでもあった。」

と語っています。

西日本には、昔から若者宿あるいは若衆宿と呼ばれる結婚前の若者だけで構成される組織があり、地域の少年は一定の年齢に達すると若衆宿のメンバーとなり、先輩の若者たちから一人前の男になるための訓練を受ける風習がありました。

薩摩士族の若衆宿は郷中と呼ばれ、年少のメンバーを稚児、年長のメンバーを二才(にせ)と呼び、稚児と二才は男色関係で結ばれていたといいます。

薩摩の甲突川の貧乏士族が作っていた郷中の長は西郷隆盛で、大久保利通、西郷従道、大山巌、東郷平八郎たち日露戦争を戦った男たちは、その郷中で西郷の薫陶を受け、人格的な影響を受けたといわれています。

大久保利通は明治の元勲で、西郷隆盛の弟の西郷従道は海軍大臣、大山巌は陸軍大臣を務め、東郷平八郎は日本海海戦でロシアのバルティック艦隊を破った日露戦争の英雄、東郷元帥です。

この人達は全員、男色の経験者だったのです!
 ttp://mblog.excite.co.jp/user/jack4afric/entry/detail/?id=9082213


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