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賎のおだまき・武家の時代の男色

179名無しさん:2019/07/14(日) 20:38:44
・薩摩には鎌倉,室町から続く 武士道的男色が残っていた。
藩士となる若者達は 地域毎に「二才(にせ)」と「稚児」に分けられる。二才とは元服から妻帯までの14〜20代半ばの青年、稚児は元服以前の少年を指した。
二才は稚児を指導する立場で 稚児は他の地域の二才と接する事は禁じられた。
女性との接触は以ての外で 「道の向こうに女が見えたら、穢れが移るから避けろ」という教えが普及していた。
二才と稚児が男色の関係になったのは ごく当然の成り行きと云える。
幕末の英雄である西郷隆盛も ある僧と関係を持っていたと云う。「九州男児」と云えば男らしいことの代名詞だが 確かに当時の薩摩は男らしかった。


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