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賎のおだまき・武家の時代の男色

126名無しさん:2011/07/30(土) 11:21:09
賤のおだまきは、13歳の藩一の美童・稚児である平田三五郎と、10歳年上、23歳の「二才」(にせ)吉田大蔵との
男色関係の話です。13歳といえば、今では6年生から中1くらいでしょうか。

念者・三五郎と念友・大蔵の「義兄弟の契」を結ぶのは、春の宵、三五郎の部屋の寝所(小座)で、「花に潤う春雨や、軒の玉 水音繁く。色こそ見えね春の雨、裏打ちのみ音ぞして人の寝静まる宵ならば大三今は堪えかね、闇はあやなし梅の花、袖に匂いの薫りきて、風に柳のようなる風情に似たる三五郎を、、、静まり返る小座の内、花のようなる三五郎をば、深くい抱きしめ思いもかけぬ 恋の名を、かけてぞ解くる雪の肌、触れて契を結びける。」

美童・三五郎の危難を救った大蔵は、三五郎を「稚児」にすることができたのだ。大蔵は寝所で美童の薫りする三五郎を硬く抱きしめ、三五郎が刀に手をかけてまで守ろうとした、
帯に手をかけるのです。三五郎もすべてを委ねます。そして下帯も解かれ、愛撫に身を委ね一つになるのです。
これを義兄弟の契りといいます。

そして恋い焦がれた吉田大蔵が平田三五郎宅を訪ねたとき、三五郎は天吹という笛を吹いていた。
そして喜んで吉田大蔵を家に迎える。

天吹は「テンプク」又は「テンプッ」と呼ばれ,ホテイチク(コサン竹)を利用して作る三節で表4孔,裏1孔,長さ30cmほどの縦笛です。形は尺八に似ていますが,音は尺八より高く,小鳥がさえずるような可憐な音色です。天吹の起源は不明ですが,島津忠良(1492〜1568年)の時代に存在していたことが史書の記述にあり,現在では鹿児島にだけ伝承されています。
 江戸時代には,郷中教育の一環として,薩摩琵琶とともに武士の間で伝承され吹奏されていました。明治時代になっても鹿児島市内の学舎で伝授され,学舎に通う生徒の間で伝承されていました。
 しかし明治30年代に楽器は勉学の妨げになるとして,琵琶・天吹が禁止されると,当時楽譜のない口述による伝承であった天吹は急速に衰退していきました。


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