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賎のおだまき・武家の時代の男色

125名無しさん:2011/07/29(金) 20:53:33
・かつて鹿児島には、『郷中教育』という薩摩藩の独特の教育システムがあった。鹿児島城下をいくつか
の地区に分け、各地域を郷中と呼んだ。郷中教育は、同一地域内に住む武家の青少年たちが、異年
齢集団の中でお互いに切磋琢磨して共に育つことを目的とした自治の教育制度であり、各郷中は
「長老(おせんし・24、5 歳以上)」「二才(にせ・14、5 歳以上)」「稚児(ちご・それ以下の少年)」によって
構成され、主として先輩が後輩を指導するという形で教育がなされた。早朝から学習や心身の鍛錬、
二才以上には夜の学習討論などの日課が課され、鹿児島の年中行事にも郷中ごとに参加した。郷中
においては長幼の序は極めて厳格であるが、郷中の構成員の間柄は兄弟のように非常に親密なもの
であった。郷中制度は明治維新によって崩壊したが、その伝統は「学舎」として明治以降に継承され
た。


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