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賎のおだまき・武家の時代の男色

122名無しさん:2011/07/29(金) 20:07:46
ドラマ「篤姫」の中に登場する下級武士の集まりは、この「郷中」の集団だったと言えます。

郷中(ごじゅう)は、薩摩藩の武士階級子弟の教育法です。似たものに会津藩の「什」があります。
教育の内容は
•武士道の義を実践せよ
•心身を鍛錬せよ
•嘘を言うな
•負けるな
•弱いものいじめをするな
•質実剛健たれ
•たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切許さない
•金銭利欲にかんする観念をもっとも卑しむこと
などからなる。
4-5町四方を単位とする「方限(ほうぎり)」を基盤として、そこに含まれる区画や集落に居住する青少年を
•小稚児(こちご、6-10歳)
•長稚児(おせちご、11-14歳)
•二才(にせ、15-25歳)
•長老(おせんし、妻帯した先輩)
の4つのグループに編成したもの。

それぞれのグループで「頭(かしら)」(稚児頭、二才頭など)が選ばれ、頭は郷中での生活の一切を監督し、その責任を負った。
郷中のメンバーは「舎」(健児の舎)に集まり武術や学問に励んだようです。
郷中の起源は島津義弘によるとされています。

また、郷中が教育組織としての機能を発揮するようになるのは江戸時代中期以後の事であり、現存する藩の法令でも島津吉貴が方限・郷中の綱紀粛正と文武奨励を命じる文章が出されるなど、その運営に苦心した事が明らかにされている。 薬丸自顕流が体育・思想教育として用いられたのは有名です。
明治維新で武士階級は消滅したが、舎は存続した。
現在の鹿児島県では、青少年の社会教育の場として機能している舎は少なくなっています。
なお、イギリスで郷中が研究され、ボーイスカウト制度のもとになったという俗説もあるが、そのような事実はない(会津藩の什や白虎隊がボーイスカウトの起源とする同様の俗説もあるが、これも誤りである)。


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