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賎のおだまき・武家の時代の男色

118名無しさん:2011/07/17(日) 09:21:36
「賤のおだまき」というのは「容色無双」と呼ばれた美少年の平田三五郎宗次と
文武両道に秀でた吉田大蔵清家の男同士の愛の契りの物語だ。
時代は関ケ原合戦の前年の慶長4年、島津家の筆頭老中だった伊集院幸侃が
島津忠恒/後の家久に伏見で上意討ちにされたために幸侃の嫡男忠真は
都城を中心とする庄内12城に籠って反旗をひるがえした。いわゆる庄内の乱だ。

三五郎と清家は共に12城のひとつである大隅財部城を攻める軍勢に加わった。
出陣した2人は帖佐の辺りで辻堂の傍を通りかかった時、
「共に庄内一戦旅に赴く」と筆で書いて、共に千に1つも生きて帰らじと誓った。
財部で2人は一緒に戦っていたがある日、乱戦の中で離れ離れになってしまい、
その後、三五郎は2人をよく知る者から清家の討ち死にを知らされた。

清家の遺骸をかき抱いて号泣した三五郎は「今は力なし、合戦に隙なくして
後れしこと無念なれ、今生の対面これ迄なり」と告げると、
馬にひらりと打ち乗って敵陣に駆け入って古井原で討ち死にした。
まさに、三五郎は清家との愛に殉じたのだった。

この物語はほぼ史実に基づいており、三五郎も清家も実在の人物である。
『本藩人物誌』」には三五郎を「時に15歳にて卯花威の鎧を着せると云々」
清家についても「慶長4年、庄内乱ノ時の財部戦死28歳」とそれぞれ記している。
また「殉国名薮抄」という庄内合戦の戦死者名簿には11月28日条に清家と三五郎の
名前が並んで出ていることから、2人は同じ日に亡くなったことが判る。


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