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賎のおだまき・武家の時代の男色

114名無しさん:2011/07/12(火) 20:30:06
薩摩藩は四人に一人が武士という藩でした。青年にはきちんとした組織があり、「郷」というチームによって編成されておりました。

6歳から14歳までの元服前の少年を「稚児(ちご)」と呼び、中でも10歳までの少年を「小稚児(こちご)」、11歳以上を「長稚児(おせちご)」と分けていました。

そして元服後の15歳〜25歳くらいまでの青年達を「二才(にせ)」と言いました。

この「稚児」(長稚児)と「二才」の関係はものすごく強く、「二才」は「稚児」に理想的な人間形成をするために色々と教育をします。
この時に、男色(美童愛)が尊ばれた時代だったので、「男色」へと発展するのが必然的であります。

このように、少年時代から培ってきた薩摩風男色ですが、江戸幕府崩壊により薩摩藩の若者の多くが東京へ集まってきました
そのため、明治初期は男色がとても流行したのです


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