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賎のおだまき・武家の時代の男色

105名無しさん:2011/06/21(火) 06:48:55
「郷中教育」とは、薩摩藩独特の教育であった。4〜5町(約440〜550メ−トル)四方の「方眼」(ほうぎり)と呼ばれるエリアを基盤とする。概ね40〜80戸中で居住する青少年を教育する仕組みであった。青少年を4つのグル−プに分ける。「小稚児」(こちご 6〜10歳)、「長稚児」(おせちご 11〜15歳)、「二才」(にせ 15〜25歳)、「長老」(おせんし 妻帯した先輩)。そのグル−プごとに「頭」(かしら)を選び、その者が郷中の生活の一切と監督の責任を負った。それは子どもたちの自治区であった。
「小稚児」の子どもたちは、早朝、毎日先輩の家へ行き本読みを習い、午前中はその復習をしたのち広場や神社の境内などに集まり、相撲、旗とりなどの山坂達者(今で言えば体育・スポ−ツ)によって身体を鍛えた。午後は、読み書きの復習をした後、先輩や先生の家にいって夕方まで、剣、弓、馬術など、武芸の稽古をした。 「長稚児」たちは、夕刻に「二才」たちが集まっている家に行って、「郷中の掟」を復唱し、先輩たちに教えを受けた。薩摩藩の子どもたちは、一日のほとんどを同年代・年上の人たちと一緒に過ごしながら、心身を鍛え、武芸を身につけ、勉学に励んだ。

これは現在の説明、だが根幹をなす「男色」の部分がが抜け落ちているのだ。


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