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千冊読書日記
55
:
ぺろぺろくん
:2016/07/17(日) 03:15:49
ポケモンGOてのはなんだありゃ、やってるやつは頭がゾンビで、姿がキョンシーじゃねえか。
あんなもの国内に入れるな、鎖国しろ!
◇デヴィッド・ポラッシュ 『サイバネティック・フィクション』
通読に4日ほどかかったが、まあしんどかった。
情報工学の分野では、エントロピーは無秩序に向かう動向の単位を表すということで、電話遊び
の空間というのは、とてつもなくエントロピーの高い空間であった。
言語通信の実験はその時にやり尽くしてしまい、それ以後は確認再生産していただけだし、今後も
その焼き直しをするだけだろう。
だから電話にハマっていた期間には、海外の前衛文学はほとんど読まなかった。
それを離れると、無性に海外の前衛文学に飢餓感を感じたものだ。
56
:
ぺろぺろくん
:2016/07/17(日) 23:37:00
◇沼田まほかる 『猫鳴り』
最高から最低まで見事なまでに評価が分かれるのは、力のある人なんでしょう。
著者は第三部を書きたかったのだろうが、水増しされた章に興を覚えるというのは、
他作品に期待ということでしょう。
57
:
ぺろぺろくん
:2016/07/20(水) 10:07:03
◇後藤明生 『小説は何処から来たか』
『罪と罰』には「突然」が「五百六十回」出てくると勘定した研究者がいたという。
「偶然性」と「感傷性」は「通俗小説の二大要素」ではあるが、ドストエフスキーに
おける「偶然」と「突然」は通俗小説ではなく、「都市小説」の要素である。
と、いう説には納得。
とはいってもそれは19世紀のペテルスブルクにおいてのことで、現代の都市を舞台に
「突然」が「五百六十回」出てくるストーリーをものしたら、AVになってしまう。
そこで、作中に「五百六十回」登場しても俗化しない形容動詞というものを考えてみる
のだが、ちょっと思い浮かばない。
もっともそれがつかめれば、現代の「都市小説」がいくらでも書けてしまうんだから。
58
:
ぺろぺろくん
:2016/07/22(金) 17:11:26
◇荒川洋治 『文学の門』
>寺山修司の歌がひびいていた時代は、目に見える世界とは別のところに何かがある、
>大きなものが、だいじなものがある、そのために生きようと、生きてみようと多くの
>人が思っていた。だから寺山修司の歌も理解できた。そこに夢想ではなく、現実を見
>た。親しみを感じた。いまはゆたかな「想像力」をもつ人の「アート」である、とい
>う視点でしか歌を見られなくなってしまった。不幸なことだと思われる。
「寺山修司の歌がひびいていた」最後の尻尾の時代しか知らないが、やはり不幸なこと
だと思う。
ポケモンGOで電車に轢かれるバカが5,6人出ればいいのにと思わずにはいられない、
精神の貧困を招いた不幸ともいえるか。
59
:
ぺろぺろくん
:2016/07/22(金) 17:29:34
◇荒川洋治 『文学のことば』
荒川洋治氏にも脈拍の近さを感じるのだが、たとえばこんなとこ
芥川の『羅生門』に感動して、ネタ元の『今昔』と比較してみようと文庫本を買い込ん
できたものの、とうとう五〇年、読まずに着てしまった。
私も『ユダヤジョーク集』を三十数年、買ったまま読んでいない。
田村隆一が、なんとも懐かしかった、というか気がついたら絶滅していた。
>おれは垂直の人間
>おれは水平的人間にとどまるわけにはいかない
>「水平的人間」は、世間や社会の通念とつながって生きる人。それに対して「垂直的人間」
>は、まわりにあるもの、見えるものと安易に妥協しない人。周囲から「垂直」に飛び出す
>気持ちで生きていく人のこと。
周りとうまくやってどうすんの?ただ幸せなだけだろ!
飛び出してどうするんだ?飛んでから考えりゃいいだろ!
その頭のよさに意味はなくて、気持ちの悪さしかない人がなんでこんなに増えてしまったのか
はよく考えないといけないね。
60
:
ぺろぺろくん
:2016/07/23(土) 19:56:35
◇中田耕治(編) 『推理小説をどう読むか』
ブロッホの「探偵小説の哲学的考察」
ナルスジャックの「メグレ警部論」
など、手に取った20年ほど前には魅力的なものだったはずだ。
とはいっても、元々が71年の本なので、さすがに賞味期限切れ。
61
:
ぺろぺろくん
:2016/07/23(土) 20:17:00
◇原 広司 『集落の教え100』
建築の本なのだが、大江健三郎が小説の設計図としても応用できると紹介していたため、
本屋によっては文学書のコーナーに置かれていたりもする。
わかりやすい例を挙げると
>祭りが集落の様相を変えるように、いろいろの出来事が集落や建築を変える。
>場面を待つように、それらをつくらねばならない。
悲惨な事件の起こった場所を訪ねてみると、なんともいやな気分に襲われることがある。
それは、やはり事件が起こることを待つようにつくられていたからである。
こういうことは、誰かが文章にしていないとなかなか認識しづらかったりする。
62
:
ぺろぺろくん
:2016/07/25(月) 08:43:11
◇内田隆三 『探偵小説と社会学』
>動機が空虚な形式ないし口実としてしか理解されなくなるのに応じて、世界は
>この種の不毛な深さを拡大していく。
現代の話ではなくて、100年近く前の第一次大戦後のことです。
この「不毛な深さ」というのを「社会の闇」とか「心の闇」といったものです。
そしてみんな深みを捨てて、ヒラメになった。
殺人の動機を持った顔は反社会勢力に限定され、理由なき殺人者の顔になった。
バブルの前後からだろうと思う、高橋たか子さんもこう書いていた。
>一〇年ぶりに帰国したら日本人の顔が変わっていた。「その人の中に苦しみが
>あって微光となって滲み出ている」顔がぱたりと消えた。いまは「自己満足」の
>顔ばかり。
63
:
ぺろぺろくん
:2016/07/25(月) 08:57:15
痛みが和らぐと、案の定、連日酔って沈没の日々。
そんなわけで、朝に、書いてます。
◇北村 薫 『詩歌の待ち伏せ(上)』
これは上巻を入手してから、下巻に出くわすまで5年以上かかった。
あらためて寺山と塚本の凄さに感服。
どちらも内容はないのに、シュールで絢爛な歌に仕立ててしまう。
「お隣さんが、お雛さまを飾ってる」だけのことが、こうなってしまう。
>不運つづく隣家がこよひ窓あけて真緋なまなまと輝る雛の段 塚本邦雄
「旅先で、町の名前を見た」が、
>大工町寺町米町仏町老母買う町あらずやつばめよ 寺山修司
64
:
ぺろぺろくん
:2016/07/26(火) 08:49:07
◇北村 薫 『詩歌の待ち伏せ(下)』
高知の詩人「大川宣純」を知ったのが収穫。
大川が深夜に友人宅を訪れる。
妻子持ちの素堅気の友人は、縁先に顔を出したものの、長い時間をかけてなだめ、
大川に帰ってもらう。
しかし、遠くなって行く友の後ろ姿を見ては、激しい羞恥に似たものと、表現の
しようのない寂しさに襲われた。
>生るてだて他にあらずして窮死せり君の版畫を壁に掲げおく 谷中安規
>茶の中にひとつまみの塩をかきおとし君は語りきお化けの哭く話 〃
寺山修司はこの歌を好み、よく口ずさんだそうです。
安規によれば、お化けというやつは、ひゅぅぅ、ひょおお……と、とても悲しそう
な声で哭くのだそうです。
65
:
ぺろぺろくん
:2016/07/29(金) 09:36:47
◇エンリーケ・ビラ=マタス 『バートルビーと仲間たち』
ネガティブな人たちの聖典とも言えるのが、「バートルビー」と「ウェイクフィールド」。
伝言でいえば、自分も含めて、ベテラン先生やデジキョセなどが、そうか。
しかしこういった性向の人たちは、決して仲間にはならない。
>話すということは生きることの無意味さと手を結ぶことだ
と、諦観しているからだろう。
66
:
ぺろぺろくん
:2016/07/31(日) 13:48:42
◇柳家つばめ 『角さんどーする』
『佐藤栄作の正体』が放送禁止になったというのが気になって、ワゴンからサルベージ
しておいたのだが、まあたいしたことがなくて、ずいぶん永いこと放置してあったもの。
先代の円楽が追悼番組で、
>なんとも煮え切らない一生を送られた方でした。
>知性が邪魔をしちゃって、思い切って先陣を切ればいいものを、モタモタしちゃって
>いつも後からついていく風になっちゃって、もったいなかった。
というのが、よくわかる。
どうしても狂気の側に走るのを躊躇しちゃう分、「毛沢東」や「岡田嘉子」といった真性の
魔性の尻馬に乗るのがうまい。
もう40年も前に亡くなってる落語家の創作集を読む、自分ももどうかな……。
67
:
ぺろぺろくん
:2016/07/31(日) 14:39:08
◇坂本忠雄、他 『文学の器』
サブタイトルに「現代作家と語る昭和文学の光芒」と、ある通りの内容。
ただし、現代作家といったところで、最年少が四十代というのもなあ。
>戦争だけではなく平和も人を殺す
山口瞳が三島事件のときに言ったことらしいが、噛み締めるべき言葉。
その六年後、「児玉誉士夫邸セスナ機特攻事件」があったころ、自分はオーバーを剥ぎ
取って焼却炉に放り込むことを繰り返していた。
平和がうるさすぎたから、なんてことはなくて、ただそれが楽しかったからとしか言い
ようがない。
ゴーゴリの「外套」はまだ知らなかった。
80年代中頃のバブルのころにも、やっぱりよくオーバーを燃やしていた。
そのころの池袋はよく燃えていたんだよ、としか言いようがない。
こういう話こそ、「小説」のところでやるべきか。
68
:
ぺろぺろくん
:2016/08/02(火) 22:55:51
◇週刊朝日編 『私の文章修業』
週刊朝日の書評欄が特別の意味を保持していた時代だけあって、五十二名のそうそう
たるメンバーによる文章論。
あまりにも濃いメンツが揃っているため、一日に二,三人ずつ読むのががちょうどいい
感じ。だからずいぶん時間はかかった。
自分自身は文章修行というものをしたことはなく、媒体によってそのカラーをレクチャー
してもらったりアドバイスを受ける程度のものだった。すでに軽い時代だった。
大野晋氏は、恩師の遺影に向けて自身の論文を音読したそうだ。
こうでないと言霊は宿らない。
69
:
ぺろぺろくん
:2016/08/04(木) 18:56:39
◇アンナ・カヴァン 『ジュリアとバズーカ』
本というのは、あるときに買っておかないと手に入らなくなってしまうというのを痛感させ
られた本。
81年だから、新刊書店で何度も目にしていたのにも関わらず、いつか、そのうち、気が向
いたら、と思っているうちに姿を消してしまい、ちょっと前まで中古の文庫本が七,八千円
していた。
つくづく思うのは、読もうと思ったときに少々無理をしてでも読まないとだめだ。
その本に何を求めていたのかを忘れてしまうからだ。
>あれは永久になくなってしまった。二度と見つかることはないだろう。常に当たり前のこと
>と考えられていた基本的な、本質的なものが押し流され、ばらばらになり、見失われ、まっ
>たく違うものに変わってしまう。
時機を逃してしまうと、わからなくなってしまうことというのがある。
70
:
ぺろぺろくん
:2016/08/04(木) 20:47:17
◇日和聡子 『螺法四千年記』
この作者を知ったのは荒川洋治の書評で、詳細はそちらを。
http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20120627/p2
室生犀星に「明日」という詩があって、
>楽しそうには見えないところだ。
>むしろ寒い風が吹いてゐるくらいだ。
>それだのにも彼らは明日もまた遊ぼう!
>此処へあつまるのだと誓って別れて行った。
子供のころに「明日」があったのは歴史がなかったからで、老人に「明日」がなくて
「歴史」しか与えられていないのと同じ理屈だ。
この「明日」の場を与えてくれるのは「文学」というところにしかないと思う。
71
:
ぺろぺろくん
:2016/08/06(土) 11:29:34
◇筒井 功 『サンカの真実 三角寛の虚構』
>それは秘密結社のような集団である。その成員は、内部の様子を口外することを、
>きびしく禁じられている。彼らは独特の文字と掟をもち、また部内には厳密な階級
?と秩序が存在する。上位者の権威と命令は絶対的であり、下位にある者は、それに
>服従しなければならない。部内の秘密をばらしたり、掟を破ったりしたら、私的な
>裁判にかけられ、しばしば死を宣告される。神代の伝承を保持し、普通社会とは全
>く異質の慣習、信仰、結婚法、葬制などを伝え、彼らにだけ理解できる隠語を使う
という、三角の山窩像がフィクションであることは容易に理解できるはず。
自分がパーティーラインでやっていた「東京ジャマーズ五百人説」とまったく同じやり
口はないか。
三角の博士論文がハッタリだからといって、三角山窩小説の魅力を減じるものではない。
学術的に正論であることは、かえって真実を汚すこともある。
真実汚すのはいつだって、利口なやつだ。
72
:
ぺろぺろくん
:2016/08/07(日) 16:24:25
◇塩見鮮一郎 『異形にされた人たち』
「相模原の障害者施設19人殺し」のようなとんでもない事件が起こると、あらためて
近代思想というものは恐ろしいものなのだということを再認識させられる。
>近代の市民社会は、「自由」と「民主」を真理だといいはる一神教であった。民主主義
>はさまざまな意見を認めるといいながらも、「民主主義」を疑うことは緩さなかった。
>つまり、同化以外の方法を許さなかった。サンカのように、自分たちの生活と思想を他
>の集団に対して強制しようとはしなかった者にとっては、近代市民社会のおせっかいさ
>は理解の埒外であった。
「おせっかい」は最大のエンターテイメントであるし、「いなくなればいいのに」ボラン
ティアを製造しつづける。
73
:
ぺろぺろくん
:2016/08/07(日) 16:52:23
◇三角 寛 『山窩奇談』
三角は今でこそペテン師あつかいだが、30年ぐらい前は「サンカ研究=三角」だった。
五木寛之が三角本を種本にベストセラーを連発していたこともあって、「おれだって『サンカ
社会の研究』があればあれくらい……」と息巻いているのがいっぱいいた。
が、はたしてそうはならなかったのは、詐欺師としての腕前が違いすぎていた。
内容的には、できのわるい通俗小説だが、昭和の後半から平成の初期のパチプロ人種との近似
を再確認するところがあった。
74
:
ぺろぺろくん
:2016/08/10(水) 14:43:08
◇塩見鮮一郎 『江戸の非人頭 車善七』
著者自身が語るように、ヒーローであるはずの「車善七」がちっとも出て来ない。
まあ、それだけ記録が残っていないらしい。
一般的な「乞食の将軍」といった理解で遠くはない。
宮部みゆきだったかな、誰かの小説の中に、
>今どき風呂なしのアパートに住んでる人っていうのは立派な人だよ。
>言われたとおりにしていれば、それなりに快適な生活がおくれるものを、そうはしない
>っていうのは、お前その人は立派な人だよ。
なんていうような件を目にして感心したことがある。
こういう理解を示す日本人がまだいたのかと……。
仏門の者に「生産と商い」が禁じられていたのと同様、非人にも職業は禁じられていた。
仏教のイデオロギーが強かったということだ。
75
:
ぺろぺろくん
:2016/08/10(水) 14:54:29
◇三角 寛 『サンカ外伝』
これはおもしろかった。
江戸川乱歩→横溝正史→三角寛→赤江瀑
という系譜を引けそうな秀作群。
とは、言い過ぎかもしれないが、『山窩奇談』よりは断然いい。
76
:
ぺろぺろくん
:2016/08/12(金) 23:38:26
◇水上準也 『山窩秘帖』
60年以上も前の、忘れられていた長篇時代小説。
「山窩」と「吉田藩」に関心がないと、まず手に取ることはないだろう。
それも山窩に関する記述は薄く、張り子の域を出るものではない。
傑作とは言いがたいものでも、ふとある種の神髄に気づかされることがある。
>あたしは山に、セブリ(仲間の集まり)に戻らねばなりません、あたくしは父と同じ
>ポン(山窩)の娘でございますから
小説は集落を描くものであると。
どんな人物であれ生まれ育った集落の記憶を持っていて、その虚実は問うまでもない。
リアルのものであれ、幻想のものであれ、集落の記憶こそが主体であって、個人の言説は
借り物・道具・スピーカーにすぎない。
「風の又三郎」に代表される漂泊のヒーローの魅力は、その背後に見える集落の幻影である。
77
:
ぺろぺろくん
:2016/08/15(月) 20:10:56
◇『田辺聖子の小倉百人一首〈下〉』
上巻を読んでからずいぶん時間がかかってるが、気が向いたときに2,3首ずつ読んでいたため。
>歌の評価は世々に変わるが、技術はいくら上達しても、技術にすぎない。しかし歌にこもる心
>ばせ(真実)は宝だ。宝こそ変わらぬものだ、永久に
鴨長明の引用だが、少しずつでも宝に触れていこう。
78
:
ぺろぺろくん
:2016/08/15(月) 20:17:04
◇都筑道夫 『推理作家の出来るまで (上巻) 』
なにせ上巻だけで580ページもあるので、空いた時間にポツポツと読んできた。
昭和30年前後と思われる時期に、新宿にテレフォン喫茶があったというのには驚いた。
>テーブルのひとつひとつに、電話機がおいてあって、客同士が話ができる。
>テーブルには目立つように、番号がついているから、ちょっと話しかけてみたような
>女性がいると、そのテーブル・ナンバーを、交換手にいって、呼んでもらうのである。
>同種の店がふえなかったところを見ると、当時はまだ、そういう会話を楽しめる男女が
>少なかったのだろう。
30年はやすぎたのだろう。
愚連隊の万年東一が事務所代わりに使っていたり、そういう利用法がメインだったようだ。
79
:
ぺろぺろくん
:2016/08/19(金) 23:31:53
◇ジョン・フランクリン・バーディン 『悪魔に食われろ青尾蠅』
70年前に書かれたサイコ・ミステリーというと、ちょっと読む気がしない。
ところが書かれた当時には出版を請け負うところが見つからず、ようやく刊行され
たのがその20年後。
さらにその10年後に、ジュリアン・シモンズの推挙によって一般に認知された。
>この軌道を離れてしまうと、感覚の塊、歩く不安定感、欲があるだけの無秩序な
>生物にすぎない。
ヒステリーから身を守ろうと思ったら、眠たい・退屈・つまらないの誹りを免れな
いが、それでも「あんたの面白さよりはマシ」と言える言葉の準備をしよう。
80
:
ぺろぺろくん
:2016/08/21(日) 17:58:20
◇『松本清張短編全集 01』
いつのまにか11冊のうち9冊が揃っていたので、読んじゃおう。
歴史・時代ものより近現代のもののほうが圧倒的にいい。
>このことから母子の愛情はいよいよお互いによりそい、二人だけの体温であたため
>あうというようになった。
生活保護を拒絶して餓死を目指すアナーキーな抵抗を示す平成の母子があったが、これは
昭和28年の芥川賞作品『或る「小倉日記」伝』である。
あらためて周囲には容れられないことを認識してしまった者は、ときにアナーキーを志向
するところがあって、それは人間は抵抗する姿こそが美しいのだともいえる。
こういう泥臭さが松本清張が何度も復活してくる所以なんだろう。
81
:
ぺろぺろくん
:2016/08/21(日) 18:11:23
デブトラがいつの間にか帰ってきてて、あまりにも当たり前のようにしているから気がつか
なかったのか、大家さんの話では4日ほど前に帰ってきたそうな。
◇『松本清張短編全集 02』
「青のある断層」が秀逸。
ある舞踊家が高弟を指導しているときに、
>それはうまい人が行く線だから、あなたにそこには行ってほしくない
と、言ったそうだ。
取材記者もこれはたいへんなことを言っているのだろうけど、よくはわからないと記していた。
私も折に触れ、このことを思い起こすようになって20年になるが、やはりよくわからない。
技術を身につけるというのは、コスプレと同様に、容易にそれらしく見せてしまう。
しかし、それらしく見えるところは決して、自身の軌跡を描くところではない。
82
:
ぺろぺろくん
:2016/08/22(月) 20:28:14
◇『松本清張短編全集 03』
パーティー・ラインをやっていた頃だから90年あたりか、超絶につまらない男がいて、
話を聞いてみたら私生活がまた空前絶後のつまらなさだった。
パチンコ屋でバイトしながら、簿記の学校に通って、ダッチワイフを抱いて、電話でナ
ンパをして、カイロプラティックに行って、クロレラを飲んでいる。
このつまらなさの波状攻撃はどうだ!
今とは違って、つまらないのは犯罪的と見なされた時代にこれだ。
>この女は数時間の生命を燃やしたにすぎなかった。今晩から、また、猫背の吝嗇(けち)
>な夫と三人の継子との生活の中に戻らなければならない。そして明日からは、そんな情熱
>がひそんでいようとは思われない平凡な顔で、織物器械をいじっているに違いない。
名作にふさわしいラストで、昭和30年、この頃「つまらなさ」というのを発見してしまった
のかもしれない。
83
:
ぺろぺろくん
:2016/08/22(月) 20:42:54
このつまらなさは日本人にはちょっとムリだろう、という言葉が引っ掛かっている。
震災のあとにパチンコ屋が大盛況で、
>パチンコでもやらんかったら、つまんなくて、つまんなくて、やってられへんわ
といういった類いの表層的な面白中毒。
◇『松本清張短編全集 04』
>ほとんどの秀才がそうであるように、彼も利口げに輝く明るい目と、いかにも知性ありげな
>ゆたかな額をもっていた。
今でもそうだろうが、この時代はこういうやつが、ぶちのめしてやりたい野郎だったのだろう。
自分らの世代だと、こういうやつかな
>白い歯がまぶしいさわやかなスポーツマン
84
:
ぺろぺろくん
:2016/08/25(木) 18:44:20
◇白石一文 『不自由な心』
十数年前にロッキンオンの山崎洋一郎が絶賛していたので、気になっていて、そこから
読むまでに異様に時間がかかるのはいつものことだ。
全五編すべてが会社村を舞台にした「恋愛」と「命」の話なので、命がけでそういうもの
から逃げまくっている自分のような者には、「惨劇の城」のように見えてしま。
ペナルティとして女、罰ゲームとしての女、猟奇殺人のステップボードとしての女としか
思えないような、いやな女が多数登場する。
例えば、浮気をされて傷ついた女は、大学を辞めて郷里に帰ってしまう。
男は女を迎えに行くと、素封家のブタ娘は
>やっぱり来ると思ってた
皆殺しだろう!そんなもん!!大量殺人というのはこうやって起こるのだと思う。
しかし、そんな殺人事件は起こらない。
もっと恐ろしいことにその女と結婚してしまう。
表題作のキモとなる部分が、川端の『再婚者』を理屈っぽくまとめただけというのはどうなん
だろう。
まあ、まだまだこれから傑作群が続くはずだ、そっちに期待しよう。
85
:
ぺろぺろくん
:2016/08/26(金) 20:28:24
◇『松本清張短編全集 05』
表題作の『声』は、数百人の声を聞き分けられるベテランの電話交換手が偶然に強盗
殺人犯の声を聞いてしまう、というあらすじで期待したのだが、拍子抜けしちゃうぐ
らい普通のサスペンス。
詩人の吉増剛造さんが、
>耳のスクリーンをつくって読む
ということを語っていたのを思い浮かべたのだが、それはまた別の能力でしょう。
耳のスクリーンというテーマは後発の者に課せられた大きなテーマの一つでしょう。
86
:
ぺろぺろくん
:2016/08/26(金) 20:36:16
◇佐藤正午 『小説の読み書き』
著名な日本文学を扱っているだけに、武者小路の『友情』以外はすべて読んだことがあった。
小説家らしいなあと思うのは、
>いまは切ない私である
という、「〜な私話法」とでもいうのか、これが気になってしょうがないという。
この話法が林芙美子の『放浪記』に頻出するのだという。
それは気がつかなかったが、「ちびまる子ちゃん」のナレーションで耳にした覚えがあるし、
文学を意識した人がついやってしまうやつだ。
まあ男がやると気持ちのいいものではないし、自分もこの話法は使用したことがない。
もちろん文学的な話法ではないし、コマーシャル的な話法といったものだろう。
こういった気持ちの悪い話法というのは、おそらく数限りなくあって、おそろしいほどに蔓延
しているものだと思う。
最近では、86%の人が共感したと答えています、のような数字+動詞話法。
過去50年に経験したことのないような大雨、なんてのも全く意味不明。
87
:
ぺろぺろくん
:2016/08/28(日) 19:53:26
◇コッパード 『天来の美酒/消えちゃった』
「今日はつまらない話しを聞かせて悪かったな」といった相手が、その数日後に自殺してしまう。
そうすると、ああ、あのとき、あの「つまらない話」にもっと熱心に耳を傾けていたら……。
おもしろい話や耳寄りな情報も持ち込む人間は自殺をしない。
だから「つまらない話」をしてくる人というのは、もしかしたら命がけでその「つまらなさ」を
運んできているのかもしれない。
ある意味、本当に切実なことは平凡で陳腐な形でしか語れない。
というのは重要な物事は、ありきたりでくだらないものの影に隠れているからだ。
英国の短篇の名手でありながら、けっこうつまらない記述も多い。
いわゆる名手の手つきとはかけ離れた部分が目について、なんだろうと思ったのだが、「つまらな
さ」から目をそらさないことも小説を読むことでもあろう。
88
:
ぺろぺろくん
:2016/08/28(日) 19:56:46
◇川勝正幸 『ポップ中毒者の手記(約10年分) 』
電話遊びの人たちともそのフィールドでより、直電で接することの多くなっていた頃に、
ちょくちょく耳にした名前。
あとがきの小泉今日子に報されるまで、もう4年も前に亡くなっていたことすら知らなか
った。
自分は熱心な読者ではなかったわけだか、彼の支持者はみないい人だった。
こんな感じの文章を書いた人
>写真家の小暮徹氏が午前三時にポツリと呟いた「結局僕等はジャン・コクトーを知っている
>女の子としか付き合えない」。あるいは小西康陽君がコイズミに書いた『CDJ』――恋愛
>のきっかけをレコードの貸し借りから始める男女の世界。バーに行って、リンチのファンの
>女の子としか話ができず、ママの弟から「水商売の醍醐味を知らない」と烙印を押された著者
89
:
ぺろぺろくん
:2016/08/31(水) 17:36:20
◇高橋睦郎 『百人一句 俳句とは何か』
連歌→俳諧→俳句と、王朝から現代までの俳人列伝という濃い内容で、軽い気持ちで
読み始めたところが、読み通すのに都合5時間以上かかってしまった。
>たんぽヽと小声で言ひてみて一人 星野立子
たんぽぽ娘は、ロバート・F・ヤングだけじゃなかった。
虚子の次女だが、明るく屈託のない外見とはうらははらの実像。
>百代の過客しんがりに猫の子も 加藤楸邨
ファンタジーだ。
>夢の世に葱を作りて寂しさよ 永田耕衣
これにて、百年の葱の名句ベストスリーが決定した。
>葬式に遅れて来て葱を見て帰る 寺山修司
>葱を洗ひ上げて夕日のお前ら 碧梧桐
90
:
ぺろぺろくん
:2016/08/31(水) 17:54:40
◇白石 一文 『一瞬の光』
エリート男とメンヘル女を中心に通俗的な出来事が立て続けに起こる。
章末ごとに「一般論に悶絶してください」と合いの手を入れたくなるぐらい。
しかし、感動が湧き起こるのだ。
女が部屋をあとにすると、ソファの足もとに白いビニール袋を見つける。
中身はため息が出るような、コンビニ弁当。
冷蔵庫のボトルラックにはビールのロング缶がびっしりとつまっていて、しかも
その一本一本が全部違う銘柄。
もう、これで参っちゃう。
昭和でいえば、吉行のいう「ついでに生きている女」。
ひとり暮らしを初めて、電話を引いてくると、深夜に電話をかけてきて
「起きてたんだ、いま何してた?」で、始まって
「ひとりで淋しくてどうしようもない時ってない?」と、続いて
「つまらない話をして悪かったね」で、終わる電話がかかってきてびっくりする。
そういう人は片っぱしから電話をかけまくるようで、
>ひとりで淋しいってどういうことなんだろうな?
友人に聞かれて、またまたびっくりする。
そのわからなさそのものの女が、リアルに表れると男はもう手も足も出ない。
だからメンヘル女はある程度はモテルのだ。
どういう男からモテルのかというと、出家願望を持った男だ。
91
:
ぺろぺろくん
:2016/09/02(金) 19:13:59
◇吉田禎吾 『日本の憑きもの』
キツネ憑き、イヌガミ憑きの正体に迫ったもの。
本書出版当時の71年当時、村落共同体ではいきすぎたキツネ払いが死にいたる事件が、
毎年のように起こっていた。
村が本当に怖かった時から、その10年後の「藤沢悪魔祓い殺人」が露見させる、村より
怖いバカの時代に先駆けて発表された。
ふたことめには「血筋」とか口にする人というのがいて、そういう人には特徴がああって
熱いだ、寒いだ、疲れただの、ため息だけは三倍口で、傍迷惑なことこの上ない。
おまけに口に出すと楽になるじゃん。とくる。
それは気のせいだろう。
もしかして頭が悪いのか?
バカは隣の火事より恐い。
92
:
ぺろぺろくん
:2016/09/02(金) 19:45:45
◇大西巨人 編 『日本掌編小説秀作選〈上 雪・月篇〉』
日本文学のビッグ・ネームのショートショート集。
中学の国語教科書でおなじみの『サアカスの馬』を40年ぶりに読んだ。
「まあ、いいや、どうだって」と、とにかく甘い話だったという印象しか残っていないのだが、
靖国神社が舞台になっていたのは、まったく見落としていた。
男をストーカーするのが趣味だという若い女の子がいて、当時22,3かな。
それがラドンセンターに通い詰めて、マジシャンの追っかけをやっているというので見に行った
ことがあった。
そしたら『サアカスの馬』のラストなの。
>われにかえって一生懸命手を叩いている自分に気がついた
その彼女に対してね。
川端康成の『夏の靴』が良かった。
>「冬でも白い靴を履くのか。」
>「だってあたし、夏にここへ来たんだもの。」
>少女は靴を履くと、後をも見ず白鷺のように小山の上の感化院へ飛んで帰った。
現世ていうのはそんなもんだと思う。
感化院を抜け出して、また靴を履いて感化院へ帰る束の間。
93
:
ぺろぺろくん
:2016/09/05(月) 23:22:19
◇小栗清吾 『はじめての江戸川柳』
北村薫の円紫シリーズの主人公の女子大生の友人が「柳多留」を専攻している
というのを目にしたときに、そういう女子大生と出くわしていたら、その後の
人生はずいぶん変わったものになっていたような気がする。
それからもうほとんど四半世紀が経って、ようやっと川柳に親しむようになっ
たが、まあ、ものには順序というものがあるさ。
◇仲条(堕胎医)でほったんからのことをいひ
これを具現化してみせたのがスネークマンショーだったなあ。
94
:
ぺろぺろくん
:2016/09/05(月) 23:31:45
◇堀江敏幸 『燃焼のための習作』
「血湧き肉躍る」といった内容の小説ではない。
それだけに、というか、それだからこそというか、今後何度か再読を強いられる
ことになるだろう。
というのは、小説の中にしかない小説の時間というのがここにあって、それは小説
を読んでいる中でしか味わえない時間だからだ。
それはどういう言葉の時間かというと、
>殺してやるとか、死んでやるとかとか、いままでありがとうとか、あとから分類
>しやすい台詞じゃなくて、相手のことをよく知っていなければ言えないことが胸
>に突き刺さるんだ
最初の三秒だけ怖い言葉や、瞬間的に感動が溶解する言葉を100個並べれば五分
間の情動が発動するという原理と逆の発想だ。
95
:
ぺろぺろくん
:2016/09/06(火) 23:24:43
◇清原康正 『山本周五郎のことば』
新潮文庫の山本周五郎は約40冊が本棚の一列を占拠したうえ、それでもまだ未読の山が
五〇センチ以上もある。
この前の山周マイブームは三十過ぎ辺りのころだったかな、宮部みゆきの『返事はいらない』
の中のこんな一文に当たって、無性に山周が読みたくなった。
>男はだいたい十字砲火でやられちゃうもんなのよ。酒と博打。酒と女。借金と博打。たまに、
>女房と二号なんて組み合わせもあるけどさ。
山周と三橋一夫夫妻の間に親交があって、『雨あがる』のモデルであったというのはいい話だ。
96
:
ぺろぺろくん
:2016/09/08(木) 21:13:47
◇加藤 耕一 『「幽霊屋敷」の文化史』
ディズニーランドのホーンテッド・マンションの源流をめぐる旅。
ゴシック小説から、イリュージョニスト、マダム・タッソーと、恐怖が娯楽に
変わる過程を追う。
もちろん元からこの内容を求めていたわけじゃなくて、「呪いの家」のような
ものを期待していたんだろうと思うが、まあこれはこれでいいか。
97
:
ぺろぺろくん
:2016/09/08(木) 23:43:57
◇荒川洋平 『日本語という外国語』
荒川洋治と間違えて手に取ったのだが、興味を惹かれる部分があって買っておいた。
日本語ブームの余勢を駆って出たものらしいが、あれは嫌なブームだった。
日本人には、「日本大好き」と言った途端にお里が知れるところがあって、「葉巻を
くわえたら貧乏丸出し」というのによく似ている。
正しい日本語の笠を着て、無知を叩くという、弱きを挫いて強きをヨイショの貧乏人
根性丸出し。
言語の本質は差別化にあるゆえ、こういう輩を言語に負けているという。
とくに日本語、明治以前の日本語は有情の言語としてしか存在しなかったため、エント
ロピーが低い。無秩序を目指すパワーが低いというか。
>北京五輪は二〇〇八年に開催された。
こういう非情の文章は、明治以前にはほとんど見られなかったという指摘を得て、納得。
98
:
ぺろぺろくん
:2016/09/13(火) 20:39:20
秋の訪れですね。
◇清水良典 『あらゆる小説は模倣である。』
本筋とからはちょっと外れた「ケータイ小説」の分析がおもしろかった。
「郊外、ファストフード、浜崎あゆみ、地元つながり意識」という、世にも怖ろしい
共通項をもって綴られるのだという。
パーティー・ラインのころに蹴散らして回ったものだ。
もっとも読んだことはないが、だいたいそういうものだろうとは思ったが、いわゆる
“ぬるい地獄”というのかチロリン村の共感地獄のことらしい。
ランディ田口や小池昌代とかの、なんちゃっておばさんもケータイ小説的といったほう
がいいだろう。
99
:
ぺろぺろくん
:2016/09/13(火) 21:14:27
◇石原千秋 『漱石と三人の読者』
これも、本筋とはちょっとズレたところにおもしろい記述があった。
>人は本当に辛いことは言葉にはできないものだ。あるいは、本当に辛いときには言葉にでき
>ないものだ。それは言葉にできるような一般的な出来事ではなく、自分にとってあまりに個
>別的な出来事だからである。それを言葉にするには、長い時間を必要とする。
>だから、そういう出来事を言葉にできたときには、閉ざされた心はもう言葉によって社会に
>開かれている。「悲しい」という言葉を口にしたときには、もうその「悲しみ」からは個別性
>がそぎ落とされて、誰でもが使える「悲しい」という言葉になっているということだ。それは、
>個別的な「悲しい」出来事が社会性を持つことである。これが言葉によって癒やされるという
>ことであり、すぐれたカウンセラーはその手助けをするのだ。
大人のぬるい地獄といったら、マージャン・パチンコ・カラオケ・フーゾクの十字砲火だろうが、
キーワードは「狂ったように愛する」ということである。
それはポコチン的でバカみたいだからやめようよ、という人たちにとっての癒やしのテクストと
して重用されてきたというのあるだろう。
100
:
ぺろぺろくん
:2016/09/19(月) 21:14:26
◇早川義夫 『たましいの場所』
早川義夫を知ったのは、渋谷陽一のラジオ番組だった。
自分と同世代には一番ありがちなパターンだろう。
さり気なくすごいことを言っている。
>言葉は、喋べれる人のためにあるのではなく、もしかしたら、喋れない人のためにあるの
>ではないだろうか。自分の都合のいいように、「自分の意見」を言うためにあるのではな
>く、「正しいこと」「本当のこと」を探すためにあるのではないだろうか。
詩人の吉増剛造さんが新潮カセットブックの「小林秀雄講演集」を20年聞いているという
話を目にして、なんだか感動したが、なんと早川さんもこれを聞いているらしい。
こういうのを感性がいいというのだろう。
101
:
ぺろぺろくん
:2016/09/20(火) 20:31:33
◇角田光代、 岡崎武志 『古本道場』
古本ビギナーズガイドのような内容だが、こういったガイドブックと早くに親しんでいたら回り
道をしないですんだことだろう。
私の神保町デビューは不純にして、小っ恥ずかしいことこの上ないものであった。
中二の冬だったか、中学生5,6人で芳賀書店に押しかけたのだった。
時は『家出のすすめ』の版元ではなくて、ビニ本の聖地としての芳賀書店だった。
店内の暖房のせいか、むせかえる男の熱気のためか、やはり何百万枚を超える女の裸の写真の
ためであろうが、顔を真っ赤にして鼻血をブッこいてしまったのだ。
>だいじょうぶですか?奥でちょっと休んでいってください
と、店の人に介抱されて、本屋というのはなんてやさしいひとなんだろうと思ったが、そのやさ
しさというのは本屋のものではなくて、フーゾク店のものだということに気がつくのはもうちょっ
とあとのことであった。
102
:
ぺろぺろくん
:2016/09/20(火) 20:59:36
やっと、100冊突破かあ。
5月にはじめてこれだから、月に20冊ペース、積ん読ばかりが増えるわけだ。
◇中山康樹 『ビーチ・ボーイズのすべて』
文字通りビーチ・ボーイズの全353曲の解説。
ブライアン・ウィルソンの天才性を簡潔に語っているところがすばらしい。
>ある日ブライアンはテレビの人気司会者ジョニー・カーソンについて考えていた。「どうして
>誰もあんなに有名な人物のことを歌にしないのだろう?」「どうして誰もジョニー・カーソンの
>ことについて一日中、ずーっと考えないのだろう」
こういうことは巷のプチ天才や路傍の偏屈者に共通する資質で、本当に「みのもんた」のことを朝
から晩までずーっと考えていられる人のみが天才なのだ。
私ですら、エルビス・コステロを聴かないで根岸吉太郎の「狂った果実」を観ない人とは口をきか
ないことにしたら、パチンコ台しか話し相手がいなくなってしまったことがあった。
103
:
ぺろぺろくん
:2016/09/21(水) 20:47:19
◇大西巨人 編 『日本掌編小説秀作選〈下 花・暦篇〉』
横光利一の『幸福の散布』というのは不思議な作品だった。
電車に乗りこむと、比較的空いてはいるものの、妙な張りつめた空気が漂っていた。
車内を見回してみると、とんでもない大男がいたのである。
幅は常人の三倍はあろうが、目までもがそうであった。
あまりにも現実離れをしたその男の厖大さに誰かが吹き出しでもしようものなら、男
の怒りを爆発させることは必至で、皆一様に厳粛な顔つきを装っていたのであった。
その男が下りてゆくと、車内に微笑と囁きがゆらめいた。
見ず知らずにの一座の人びとは、大男について春のように語り出した。
あの大男は、この不思議な幸福を撒き散らしながら歩いて行くのにちがいない。
こういう形の小さな幸せというのはたしかにある。
104
:
ぺろぺろくん
:2016/09/21(水) 21:17:09
◇白田秀彰 『インターネットの法と慣習 かなり奇妙な法学入門』
もう十年も前の新書だから、ほとんど苦行であった。
来客が置いていった本で、五年以上放置してあったんだから読むこともないのにね。
英米法(判例主義)と大陸法(法律主義)の違いを知ったり、得るものはある。
しかし、このつまらなさは、それこそ今の日本人には無理だろう。
終章に江戸時代のイギリスの「コーヒー・ハウス」や「クラブ」を引き合いに出して
きたところで、ようやく理解できた。
トンデモ本であると。
なんにでも「道」を作りたがる人はいるが、「インターネット道」を求める人以外には
トンデモ本であろう。
良書として紹介されることが多いらしいが、そんなトンデモな時代でもなかろう。
105
:
ぺろぺろくん
:2016/09/24(土) 18:34:27
降って湧いたような秋休みになってくれて、読書三昧だ。
◇宮沢章夫 『時間のかかる読書』
昭和五年に書かれた横光利一の『機械』は、一時間もあれば読み通せる短篇小説だが、それを十一年か
けて読み解くという文学エッセイ。
>周囲が一町四方全く草木の枯れている塩化鉄の工場へ行って見て来るよう万事がそれからだという。
言われた語り手でもある「私」は、自分を「馬鹿にして」いるとひどく感情的になる。
そこで感情的になるということは、「私」が対面しているのは「言葉」ではなく「からだ」だからである。
そういうシチュエーションというのはけっこうあって、デブ専レズビデオを見せられて
>あたしだって、ロバのタマキンを口移しにするものでも見ないとやってられない時があるのさ
それを「言葉」として捉えればそれなりに含蓄はあるのかもしれない、しかし即物的に「からだ」として
受け止めると、暴力的なセックスへのとば口となる。
セックス勃発カンバセイションというのにマジレスすることが多かったのだが、それは文学の「言葉」とし
て解釈した方がおもしろいという歳になってしまったなあ。
106
:
ぺろぺろくん
:2016/09/24(土) 18:46:22
◇堤 玲子 『わが妹・娼婦鳥子』
生まれも育ちも上等で、容姿端麗にして、性をあからさまに語りたがる人というのは
非情に情けない。
昔からいけ好かないとは思っていたが、今ではその理由もはっきりわかる。
最初期に味わったセックスの衝撃を今でも乗り越えられずにいて、後続の弱輩者にも
その衝撃を分け与えることで、トラウマを軽減化できると考えているのだ。
それにしてもこの人はすごい。
ライフのふたを開けたとたん、あらゆる醜いものと人生の悲惨と秘密が飛び出してきた
という感じ。
それだけに、横光利一とはまた違った、非情に読みにくくて疲れる文章。
>死、それは隣の家へ柿泥棒に行くような気安さだった
ビンボーとセックスという組み合わせは強力で、マイナスとマイナスを掛け合わせると
大ホームランになったりするものだが、こいつらだけは赤貧が混ぜ合わさって頑固で意
固地なマイナスを増大させるだけという、まぶしいまでの一徹さ。
ひそかにセックスとビンボーに注目していて、
>いまどきの若者は、コンドームを二箱(10個)買うお金で、牛丼が二杯食えるとなった
>ら牛丼にしてしまう
どっかのポータルサイトのニュースで目にしたのだが、AV女優の突然死の記事の関連だっ
たかな、さすがにそれはないだろうけど、それはベツ腹だろう。
コンちゃんとウシちゃんがテンビンにかかってる頭は怖いぞ。
107
:
ぺろぺろくん
:2016/09/25(日) 20:38:31
◇渡辺憲司 『江戸遊里盛衰記』
よくあるコントに、女子高生売春というからふしだらな感じがするんで、年端もいかない
売春婦が眠い目をこすりこすり高校に通ってきていると思えば、感心な話じゃないかとい
うのがある。
実に現実は奇なもので、少女売春より古く、遊郭の中に女子校があったのだ。
108
:
ぺろぺろくん
:2016/09/25(日) 20:44:16
◇村田沙耶香 『星が吸う水』
現芥川賞作家の初期作品で、長めの短編が二編。
裏本が一冊二万円ぐらいしていたころ、高一ぐらいだったか、
ひとりの馬鹿者がそいつを買ってきて、車座になって拝ませていただいていたところ、
ひとりの賢者がそこにいて、一冊二万円の裏本に対してまったく敬意を表さずにいた。
>お前これ裏本だぞ!いくらすると思ってんだ!!
>そういうものは価値がないから十円。
共同幻想としてのセックス・イメージは価値がないという貴重な理論を教わった。
「そういうものは価値がないから十円。」という人たちに向けられた作品。
109
:
ぺろぺろくん
:2016/09/25(日) 20:47:15
◇村田沙耶香 『マウス』
『ハツカネズミと人間』のパスティーシュだが、断然こっちの方が素直でいい作品。
これが地だろうね。
>クローゼットを眺めた。中には無難さの中で楽しもうと必死に選んだ洋服ばかりが並んでいる。
これは、なかなか凄いよ。
その昔、ジミクラ牧場計画というのを立案したやつがいて、
地味な暮らしをしている女の子を三人捕まえて、地味に食わせてもらうという計画だという。
そんなことをしたら火傷どころか、火炎放射器で焼かれちまうぞ!と忠告した。
地味な人は実は必死なんだというのを本能的に察知してたんだな。
どっか投げやりなところのない人は怖い。
110
:
ぺろぺろくん
:2016/09/28(水) 19:58:24
◇塩山芳明 『出版業界最底辺日記―エロ漫画編集者「嫌われ者の記」』
振り返って見ると、エロ漫画を買ったことは一度もなかった。
エロ漫画を読み耽っていた中学時代は、大規模団地の特殊集積所に行けばエロ漫画が
拾い放題で、団地のはしごをしては月に百種類以上のエロ漫画を読んでいたと思う。
高校に上がれば、エロは自己責任だから漫画を見ることはなくなった。
著者に関してはエロ漫画の出版人として知るところはなく、0年代初頭の書評メルマガ
で知ったのだが、神保町廃墟ビル観察日誌がなんとも楽しかった。
99年から03年のころは「南条あや」をはじめ、メンヘル系の死亡事故がやたらと
多くて、「菜摘ひかる」もそうだった。
本書の記述によると、
>彼女は死ぬ前、香山リカに種々の面で仕切られていた
当時から現在までネット上で健在なのは、嫌な人とエセ病人ばかりだ。
111
:
ぺろぺろくん
:2016/09/28(水) 20:07:50
◇野内良三 『日本語作文術』
いわわゆる「芸文」、「美文」ではなく「達意」の文章指南本。
初出当時はずいぶん賛否の分かれた話題の新書を、100円落ちしてからさらに三年の
積ん読を経てようやく読むというありがちなパターン。
要は受験英作文によくある、借分のすすめ。
巻末に借分用の、ミニ諺集が付されていて、これに目を通していると変な気分になる。
分裂病の人はコンパクトなものが好きで、大のつくことわざ好きだという。
その断トツのトップは「出る杭は打たれる」で、二位が「ミイラ取りがミイラになる」
だからその変な気分というのは、「達意」、「伝達」を目指すことは、ある種の人にとって
は分裂の道を行くことにもなりかねないと。
ちなみに、私が知らなくて気に入った名言はこれ
>偶然は準備のできていない人を助けない――パスツール
112
:
ぺろぺろくん
:2016/09/30(金) 23:34:07
◇木下是雄 『理科系の作文技術』
いわゆる名著である。
アマゾンでは113ものレビューが並んでいる。
大学の講義が始まる前に読んでおくべき本とかで目にして以来、何度この名著の
書名に出くわしたことか。
ついに根負けしてというより、たまたま文章指南本新書の山にぶち当たって、つ
いでに読んだのだが、縁のないのが一番の縁といったものだった。
113
:
ぺろぺろくん
:2016/09/30(金) 23:44:18
◇宮崎 学 『ヤクザと日本』
パチンコ屋の閉店後に事務所番をするアルバイトをやっていたことがあって、時給でいえば
一万円を超えていた。
それもそのはずで、夜中の2,3時にチンピラが押しかけてくる。
なんでも店長クラスの幹部社員を育てるまでには2000万ほどかかるのに、いざ店をま
かせてみるとチンピラにびびって退職してしまうのが多いのだという。
そのチンピラの来襲が3日ばかり続いたあとにアニキ様のご登場となると、見事なまでに
知った顔ばかり。
>ここ守ってンなら言ってくれればいいじゃないですか……
て、ヤクザのお前なんかにどうやって連絡するんだ?と思うのだが、
>先輩だって、こっちの人間じゃないですか!
それは違うんだが、そっちとこっちがどう違うんだか、確認してみたくなった。
114
:
ぺろぺろくん
:2016/10/01(土) 21:30:19
◇宮崎 学 『ヤクザに弁当売ったら犯罪か? 』
ちょっと前にグロテスクな現象があった。
NHKのニュース番組で取り上げられた貧困家庭の女子高生が、アニメのグッズを購入したり、
コンサートのチケットを入手しているのを猛烈にバッシングされたという。
「ぜいたくは敵だ!」とか、過剰労働自慢やら一億玉砕が大好きで、人の贅沢をあげつらうのが
三度の飯より欠かせないという人間はなくならない。
贅沢にはセンスを問われるものがあって、人の足を引っぱる人にはセンスが致命的に欠けている。
堅牢な官僚制と暴力団排除を推し進めたのは、人の足を引っぱることと人の頭に足をのっけるこ
としか知らない圧倒的なセンスの欠如である。
西部邁の言葉がそれをよく表している。
>世間で暴力団員と呼ばれた男と親友だったが、僕は東大教授や東大の学生から何も得たものは
>なかったけど、彼から得るものは非常に大きかった
アカデミック・アニマルと奴隷根性は実は相性が良い。
ある時代まで、人の足を引っぱることと人の頭に足をのっけることを拒絶していたヤクザは、哀
しみの共同体であったのだろう。
115
:
ぺろぺろくん
:2016/10/03(月) 23:28:38
◇高橋たか子 『失われた絵』
人の着ているオーバーを剥ぎ取って燃やしてしまったことについては以前にも書いた
ことがあったが、そんな事をするのは自分だけかと思っていたら女性でそれを書いて
いる人がいて驚いた。
修道女をつけ回して、修道院にいられなくしたあげく
>これもう私にはいらなくなったので、あなたに差しあげます。とてもいいものですよ
と、修道服を手渡されると、それに火をつけて実家を燃やしてしまう、という話だった。
もちろん自分も含めてそれは異常な人間だが、なぜそんなことをするのか?
>用途から解き放たれたので、物自体の孕んでいる官能性をひっそり吐きだしているか
>らだろう。
オーバーは人が着ているときだけ本物めいて見えるだけで、それを剥ぎ取ってみるとまっ
たく別種の暴力を誘発するものがあるということだ。
さすがにもう私が人の着ているオーバーを燃やすことはない。
自身の異常さから目をそらさず、固有の異常さなどというものはありえないということを
問いかけ続けて生きた人がいた、ということを知ってしまうと異常は解放ではなくなって
しまうのだ。
116
:
ぺろぺろくん
:2016/10/03(月) 23:47:53
◇高橋たか子 『ロンリー・ウーマン』
その人がいなければ今の自分ではあり得ない、と言い切れる人のうちのひとりだ。
>一人の男が同じ都市にいると知るか知らないかで、眺めがなんと違ったふうになってしま
>うことだろう。
というのは、ドストエフスキーの『罪と罰』には「突然」が560回も出てくるというように、
都市には「突然」と「偶然」が満ちあふれているからだ。
>井川俊明の本当らしさと格闘することに苦しみ果てて、本当というものを備えているとみえた
>英造と、結婚したのではあった。だが、英造の本当とは、そもそもどういう性質のものなのか?
名前を身近なものに入れ替えてみると、身につまされる人は多いはずだ。
さらに残酷なことを著者は言をうとしている。
>やはりカツラのせいか生身の彼女にはない妖しさを発散している。いや、生身の彼女の内部に
>潜んでいたものがカツラに誘い出されて出てくるのか、みすぼらしい身なりまで金粉がかかった
>ふうにみえる。
金粉だと見切らなければなにも語れない、語る価値はない。
117
:
ぺろぺろくん
:2016/10/04(火) 20:33:10
◇斎藤正二 『「やまとだましい」の文化史』
王朝期に出現した「やまとだましい」は、明るく笑い上戸で世事に通じて如才ない、といった
意味だったものが明治期に命を賭して不可能を可能にする意に転じた謎を追う。
時代背景の記述が詳細に過ぎて疲れる。
そもそもが漱石の猫に出てくる「大和魂」が念頭にあって手を伸ばしたのだが、それで充分かな。
>「大和魂!と叫んで日本人が肺病やみのような咳をした。
>「起こし得て突兀ですね」と寒月君がほめる。
>「大和魂!と新聞屋が云う。大和魂!と掏摸が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大
>和魂の演説をする。独逸で大和魂の芝居をする」
>「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
>「東郷大将が大和魂を有っている。肴屋の銀さんも大和魂を有っている。詐欺師、山師、人殺
>しも大和魂を有っている」
(中略)
>「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いたことはあるが、誰も遇った者がな
>い。大和魂はそれ天狗の類か」
118
:
ぺろぺろくん
:2016/10/05(水) 23:01:54
◇池内紀 『ぼくのドイツ文学講義』
リンゲルナッツという詩人を知ったのが大きな収穫。
店員、新聞売り、観光案内人、セールスマン、書記、保険代理人……、どの職業も長続き
しない。
第一次大戦に招集を受けたのち、36歳にして園芸学校に入学して、植木屋を目指す。
それが40を過ぎてキャバレーの芸人としてデビューする。
>めざとい小劇場の経営者が、地上に往き迷った小天使の異才に気がついた。
すべての生きづらそうにしている人を、地上に往き迷った小天使として見たい。
119
:
ぺろぺろくん
:2016/10/06(木) 20:24:10
◇唐 十郎 『風に毒舌』
テレビからは毎日、巨人のナイターと刑事物のドラマ流れ出て、街はインベーダーゲーム
と口裂け女でにぎやかだったころのエッセイ集。
最終章の座談会を読んでいたら、27歳の村上龍が
福生にいたころ、豚小屋があってそこにうまそうな子豚がいたので、仲間のフーテンをそそ
のかして、かっぱらって来ようとしたところを百姓に見つかった。
>オレは二七年生きてきて、いろいろ悪いこともやったけど、殺されると思ったのは、あの
>時だけだよ。クワを振り上げたもんなあ、本気で。
その10数年後になると、ある大学教授はこんなことを言っていた。
>デパートの地下食料品売場でブタの切り身を買っているところを目撃されたら、わたし自身
>の性格とか生活のなにがしかはわかるかもしれませんが、そのことがわたしの真実を語る証拠
>として用いられることはまずないでしょう。しかし、もしわたしがデパートの裏で、男を買っ
>たならば、その事実はわたしについての真実の証拠として提出されることはまちがいありませ
>ん。性的なものは、その本人の真実なのです。
しかし唯一の例外というのがあって、マツコデラックスという人は男を買ったとしてもそこには
いささかのニュース・ヴァリューもなく、ブタを一頭買いしてはじめてニュースになる。
120
:
ぺろぺろくん
:2016/10/06(木) 20:42:07
◇干刈あがた 『ウホッホ探険隊』
映画にもなった表題作以上に、『雲とブラウス』が秀逸。
>虹に謝す妻よりほかに女知らず
高校二年の授業で、これを解釈しろという
>妻よりほかに女を知らないのは自然の摂理に反するから、虹に詫びる、謝る
と、答えると教師が笑い出す。
>私は妻一人を愛しています。そのような愛に恵まれたことを、虹に感謝します
教師が正しい解釈を示すと今度は、教室中が爆笑する。
作者は中村草田男で、あまり女性にもてるタイプではなかったという。
まあ、ここでいう女が「鬼畜、鬼、悪魔、外道、般若、狐、沼夫人」に限定されるのだ
としたら、一人しか知らずに済んだことは虹に感謝しなければならないだろう。
だから、笑いめかして
>雲みたいによ、軽く生きてみてえよな
121
:
ぺろぺろくん
:2016/10/07(金) 23:41:37
◇島田雅彦 『漱石を書く』
>共感し合えることが前提の日本語には表現のバリエーションは限定されてしまうのに対し、
>あらかじめ共感し合えないという前提の日本語はバリエーションの宝庫たり得るのだ。
評価の定まった研究書からの引用が多くて眠くなるのだが、このことを確認できただけでも
貴重だ。
ネットが一般化してから増殖した共感奴隷や、テレビ時代の口パク野郎、もっと古くは長屋
の金棒引きやら、自由大キライ人間の方が主流なのだが、なにが楽しいんだろう。
>「ほんとうにありがたいわね。ようやくのこと春になって」
>「うん、しかしまたじきに冬になるよ」
『門』の有名なエンディングだが、かみ合わない会話の方が普遍性がある。
122
:
ぺろぺろくん
:2016/10/08(土) 20:47:43
◇赤瀬川源平 『超芸術トマソン』
「超芸術トマソン」伝言でたとえれば、なすびがそれに一番近いか。
トマソン・リンクはかなり充実しているみたいで、
「無用の長物」超芸術トマソン まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2142228326633031001
伊藤つかさは、トマソンの熱狂的ファンだったらしい。
123
:
ぺろぺろくん
:2016/10/08(土) 20:54:18
◇稲垣吉彦 『平成・新語×流行語小辞典』
新語とはいっても、20世紀末の出版のため死語辞典と化している。
平成元年(1989)〜平成十年(1998)なので、そのまま電話遊びの十年のあいだに、
どこかの誰かが流行らせようとして、いっこうに流行らなかった言葉の死屍累々。
やはりこの時代の風潮は、Kが嫌いでラクが好き。
まあ当然のことだが、自然が嫌いで文化が好きということで、それを今現在ヴィジュアル化し
て見せてくれているのが、この病院じゃないかと。
狂気じみていると話題の「江戸川病院」
http://news.livedoor.com/article/detail/10468492/
124
:
ぺろぺろくん
:2016/10/08(土) 21:36:12
◇高橋たか子 『天の湖』
たまり場を提供していた主が急に人嫌いになってしまうということは、高二と三十代
のはじめごろに多かったように思う。
それはなぜかというと、人が誰かに会いにいくのは多かれ少なかれ不幸せを抱えてやって
くるもので、角を曲がってこっちに向かってくるのがわかって怖くなるのだそうだ。
高校卒業以来疎遠になっていた級友のもとを訪ねると、彼は鳩を八〇羽も九〇羽も飼って
いた。そもそもがたいして親しい間柄ではなかったのだ。
ほんとうに話したい相手は別にいて、中学二年の時に十一ヶ月だけ同級だった初老のよう
な悟りきった男とその妹だった。
彼はこう語ったことがあった。
>ぼくたちは通り越してしまったんだ
兄妹のことを思いだすのにたいへんな苦痛を伴うのは、もしかしたらあの妹は狂っていたの
ではないかという疑念に起因しているのではないか?
小説というもののかでしか見ることのできない世界。
125
:
ぺろぺろくん
:2016/10/09(日) 20:51:17
◇養老孟司 『無思想の発見』
日本に生まれて、日本で生きてゆくのに思想は要らない。
それは、なにやら哲学を語りはじめたらそいつは明日の前科者と思えという教訓が立証している。
映画作家の須藤久は述懐している。
>一九七一年四月二八日、沖縄問題をテーマとした全国反戦・全国全共闘決起集会で、少年が
>店番していた花屋の建物を学生たちが破壊するのを防ごうとしたヤクザの兄貴に対して、「暴
>力団帰れ!」「お前らヤクザじゃねえか」「花屋の一軒二軒と沖縄とどっちが重要だと思って
>いるのか」「もっと勉強して来い」などと嘲笑した。そして、こうした左翼学生の態度に対して
>「身を奮わせるような恥ずかしさ」を覚え、……新左翼ですらヤクザに相対するときは権力の側
>に立ち続けました
何かにひれ伏すものは、誰かを足蹴にするのを厭わないものだ。
かなり混乱が見られるし、内容のあるものではないが、これがサイコーだった。
>教科書に書いてありました、間違いありません
>先生、この死体、間違ってます
と、なると幸福な日本の無思想もそう永くはないのかもしれない。
126
:
ぺろぺろくん
:2016/10/10(月) 23:35:58
◇ロバート・F・ヤング 『たんぽぽ娘』
ぬるい話で、読み返せば、当時の自身の感傷性にさむイボが立つのがわかっていな
がら読んでみた。
ばんばひろふみの歌が本気でヒットしちゃうぐらい、一見華やかにみえても一皮む
けば元ビンボー人ばかりだった。
ビンボーがすぐ隣にあったからヒステリックで感傷的だった。
ヒステリックでセンチメンタルなのをやめたらどんどんビンボーになった。
>あなたはどういう荒涼とした世界へ帰っていったのか――私たちとの暮らしが
>こんなにも貴重な思い出になるなんて。
127
:
ぺろぺろくん
:2016/10/12(水) 18:48:21
◇佐伯一麦 『芥川賞を取らなかった名作たち』
小沼丹、山川方夫、森内俊雄といったメジャーなシブ系が目を引く。
といってもどこまでメジャーなのかはわからないが、少なくとも「森内俊雄」の読者に
生活圏で出くわしたことはない。
たとえば色情狂を語ったこんなくだりなんか、世界がひっくり返る。
>なんというのだろう、あれは。特別だな。物狂いのなかでもちょっと違う。かかわり
>あうものをみんな気違いにしてしまう。それで分かるのだ。われわれみんな本当は気
>違いなんだってことが。
>それでいて、その気違いが愛に似ている。わたしは夢を見た、女の体の皮がくるっと
>剥けて、風呂敷のようになってわたしの腰を包み、それが陽に当たってやがて乾きは
>じめ、万力のように締めつけてくるのだ。
ここで、♪みーんなビョーキだ 狂ったれ〜、とかやればそれはもっとメジャーなもの
にはなったかもしれないけども、そうはしないで必要とする者だけが探し出せるポジショ
ンにひっそりと鎮座しているのは、やっぱりシブい。
128
:
ぺろぺろくん
:2016/10/12(水) 18:53:52
◇下川耿史 『昭和性相史〈戦前・戦中篇〉昭和元年〜昭和20年』
人間そのものがかわいそうな事件が多かった。
昭和2年 芝・高輪で男物のゲタ、ゾウリ六十足を盗んでいた女(22)が捕まる。丙午
生まれで縁談のなかった彼女は、男の物に接したい一心だったと自供
昭和2年 山口県下関で、愛する二匹のヘビが死んで後追い心中を図った女性がいた。ヘビ
商の家業を手伝ううちに、ヘビを使ってオナニーすることを覚えた。ヘビが冬を
越せずに死んだので自分も死ぬつもりになり、ヘビの墓の前で一昼夜雨にうたれ
ているところを保護された。
昭和3年 神奈川県平塚の海岸で、老婆が入水自殺。その遺書に「私は81の今まで男を知
らない。といって、この歳じゃ誰も振り向いてくれない」とあった。
昭和10年 一年間の恋愛の末、3月に結婚したばかりの若妻が、「幸福の絶頂にいる時死にま
す」との遺書を残して自殺。東京・麹町の出来事。
129
:
ぺろぺろくん
:2016/10/12(水) 18:59:54
◇下川耿史 『昭和性相史〈戦後篇 上〉昭和20年〜昭和34年』
昭和30年 京都・伏見の人妻(39)が、18日午前零時過ぎ、東京・浅草署に保護された。
15日の夕方、京都の自宅近くにある銭湯に出かけたが、聞きなれぬ周囲の言葉に
ふと気がついたら、浅草の銭湯に入っていたと。その間の足取りは全く不明。
個々の人間は、神や狐や天狗と共にある存在ではなく、アリバイを持たされる存在となった。
昭和32年 神戸で、15歳の少年が5歳の少女を絞殺。気弱を治したいと思っていたところ、
小説に“度胸をつけるには人殺しが一番”とあったので、さっそく実行したと。
「もはや戦後ではない」と共に、バカにも夜明けがやってきた。
130
:
ぺろぺろくん
:2016/10/13(木) 20:17:28
◇中島 梓 『文学の輪郭』
ずいぶん古い本で、もう40年くらい前か、栗本薫=中島梓のデビュー作。
つかこうへいのサンプリング技術に言及しているところとか、たしかに眼がいい。
ラッパーズ・ディライトのヒットがこのちょっとあとだから、慧眼といってもいいだろう。
西村寿行のグルーブ感にもしっかり目配せが利いてるし、ファンクの方向にいけば良かっ
たのに、と悔やまれる。
栗本薫=中島梓て、まだこれで3冊目。
131
:
ぺろぺろくん
:2016/10/13(木) 20:25:50
◇駒田信二 『私の小説教室』
これもやっぱり古い本で、昭和54年ごろ。
奇しくも、ここでもサンプリングにふれている一節があった。
富永有隣という幕末から明治の儒学者に関して、司馬遼太郎の小説からの抜粋で、
>富永が天性のうそつきであることは、漢詩が巧みであることもその証拠のひとつだった。
漢詩文というのはうまいことを言ってやろうと、下心さえあればそれなりのものができてし
まうジャンルらしい。
このころの言い方をすればシンセイサイザー文学とでもいうのか。
サンプリングてニヤケ混じりじゃなしに、マジマジと口にできる人はやっぱり漢詩文の才が
あるだろう。
だからエセ文学の流れって、こういうことか
シンセサイザー → カラオケ → サンプリング
132
:
ぺろぺろくん
:2016/10/14(金) 21:10:33
◇宮沢章夫 「『資本論』も読む」
香山リカのツイッターを見ていたら笑った。
>ああ、彼がネトウヨでさえなければ好きになってたのに……
>と思えた人はこれまでひとりもいなかった。
ああ、彼女が本番女優でさえなかったら好きになっていたのに、
というのであれば、それは言った本人がただのフヌケのカリビアン野郎だろう。
ところが彼がネトウヨとなると、彼の頭の中はオムライスだから、やはり頭の
中がトマトケチャップ女とか、マヨネーズ女じゃないと釣り合わないだろう。
ネトウヨの頭の中がどうなっているのかはよくわからない。
実は「きつねうどん」なのかもしれないし、シャリの上に焼き肉がのっている
にぎりなのかもしれないし、たんに「もろきゅう」だったりするのかもしれない。
ネトウヨの頭の中を考えるとメシがうまくなるというわけではなくて、文章を味
わうことをはじめると話は尽きないという好例を示してくれる書。
私も大方の人と同様『資本論』は読破していない、文庫2巻の初めで挫折組です。
133
:
ぺろぺろくん
:2016/10/15(土) 20:06:08
◇春日武彦 『私たちはなぜ狂わずにいるのか』
昨年の夏の「寝屋川少年少女殺害事件」で被害にあった女の子が、玄関の前にテント
を張って暮らしていたというのにはシンプルに驚かされた。
トイレを流さない美人さんの話を聞いたような気分になった。
ここには、さらなる強者が記されていた。
>玄関に布団を敷いてそのまま十年間何もせずに寝て過ごしてきたという女性がいる。
>19歳から29歳まで、布団をすっぽり頭からかぶって、幻聴のみを聴きつつ現実
>との接触を絶った生活を送ってきたのである。
さらに感動するのは、
>玄関が占拠されているので、人が訪ねてきても、家人は「いま玄関が散らかっており
>まして」とか何とか言い訳をしながら、縁側に回ってもらったり勝手口に回ってもらう。
玄関を開けると、そこには布団が敷いてあって人が寝ている。
訪問者はしばし絶句すること請け合いだし、家人もさぞや気まずい思いをすることだろう。
布団が敷いてあってそこに人が寝ていると、そこから気まずい地平がはじまることを発見
した。
134
:
ぺろぺろくん
:2016/10/16(日) 20:36:43
◇春日武彦 『ロマンティックな狂気は存在するか』
南条あやの著書が文庫化されたときに、香山リカの解説がアマアマで読んでられなくて、
春日さんみたいな「心ない人」にやってもらいたかった、と感想を書き込んでいる人が
いて感心したことがある。
電話遊びをやってるとガイキチさんには当たり前に遭遇することになるから、狂気に対
する幻想を抱かないというのは数少ない恩恵のひとつでしょう。
電話の中には狂った人もいればまともな人もいて、たいがいはまともな人だ。
>狂気はただの代謝物である。狂気とは精神における新陳代謝の一過程を示す代謝物である。
>したがって、状況に応じて量が増減したり若干の変質を示すことはあっても、存在して
>当然なのが狂気なのである。狂気だけを抽出すれば有害なものかもしれなくても、それ
>が代謝過程に組み込まれているぶんには構わないのである。
135
:
ぺろぺろくん
:2016/10/18(火) 21:36:21
◇春日武彦 『屈折愛―あなたの隣りのストーカー』
これも古い本で97年。
一時期、春日武彦の本は均一棚で見かけたらすべて買うことにしていて、その収穫の
一つだがずいぶん長いこと積ん読にしたままだった。
ストーカーが一般的に認知されたのは96年だそうで、この年をストーカー元年だと
するとストーカー20年か、今年も相も変わらずストーカー事件がありましたね。
ストーカーの多くは、ボーダーライン・パーソナリティ(境界例)と呼ばれる人格障害
であるらしい。
私自身パチンコ屋のストーカーをやっていたとき、新台を購入したまま2か月も新装
開店をやらない店を毎日偵察しに行っていたときには日に日に凶暴さを増していくのが
自覚できたから、人格障害でもなきゃとてもじゃないけどそんなことやってられない。
いくつものストーカー資質チェックリストが転載されていて、これが笑える。
当時としては、携帯電話を手放せないのは立派なストーカー予備軍だった。
136
:
ぺろぺろくん
:2016/10/22(土) 00:04:13
◇下川耿史 『昭和性相史〈戦後篇 下〉昭和35年〜昭和50年』
昭和36年 6.12 東京・北区で結婚一ヶ月の若妻(26)が自殺した。この女性は北海道の
出身で、夫からベーコンを食べたいといわれたが、ベーコンを知らないことを恥じたもの。
昭和40年 サラリーマンに聞いた夏のイヤなもの。第4位 前の人の長電話で、べっとりの
ぬれた受話器。
昭和43年 7.26 東京・神田明神のガマン会で、寿司職人(24)が優賞。いでたちは丹前、
オーバー、セーターなど冬着57枚に、カイロ二つとアンカ一つ。熱い甘酒を24杯飲んで、
炭俵半分をくべた火バチにかじりついていた。
昭和49年 6・18 この日午前八時に大地震が起きると予言した大阪の新興宗教の教祖が、
予言が外れた責任をとって割腹(重体)。
昭和だったんだなあ。
137
:
ぺろぺろくん
:2016/10/24(月) 19:49:20
◇大佛次郎 『赤穂浪士(上)』
『忠臣蔵』に思い入れがあるわけではないのでなかなか読む気になれず、購入から読み始め
るまでが四半世紀という、ありがちなパターン。
「松の廊下」も「勘平」も「南部坂」も「城明け」も、舞台にあげる度に机の上までは持って
くるんだけど読まなかった。
だけど買っておけばいつかは読むから、とりあえず買っておくといういい教訓。
昭和三年の作品にもかかわらず、その読みやすさにまず驚いた。
でもまあ、やりたい役がないことには変わりはない。
138
:
ぺろぺろくん
:2016/10/24(月) 20:20:38
◇菅野覚明 『神道の逆襲』
神道の入門書かと軽い気持ちで読み始めたら、なかなかハードな国学の解説書だった。
国文学や日本思想の体系というものにはまったく無知なのだが、というかつまらない頭の
シワを増やすよりも、無手勝流の八方破れで充分だと思っていたからだ。
途中からは、この機に自分が日本思想のどういう位置にあるものかと、探索しはじめたら
「賀茂真淵」という人の強烈な影響下にあることがわかった。
〈一般論に悶絶してください〉のの元祖はこの人だろう。
>真淵は、人間の本性を、儒学者がいう「性の善」のような人々に共通な一般概念の水準
>には求めない。彼はむしろ、人それぞれに特殊で共約不可能な「私」性に、人間の性の
>本質的な領域を見ている。
今風の言い方をすれば、「共感乞食」か「チラ裏」かということか。
139
:
ぺろぺろくん
:2016/10/26(水) 02:55:59
◇橋本 治 『あなたの苦手な彼女について』
実に久々の橋本治、単著では10年ぶりぐらいかな。
オウム事件のあたりまでは、新刊を見かけるたびに読んでいたのに。
「自同律の不快」という用語があって、自分が自分であることの不快感とでもいうのか、
そこから派生して「自同律の愉快」ということを口走っていたことがあって、自分が自分
であることが愉快でしょうがない個的人間を表す。
その個的存在の代表が橋本治だった。
この歳になって驚くのは、七十や八十、場合によっては九十になっても、誰と誰ができてる、
ひっついた離れたと、人が対になっている状況への羨望から離れられない人がいるというこ
とだ。
ただ対になっているだけのことだと思うのだが、それもやはり「自同律の不快」なのか。
自分が自分であることが不快であるから異性と対になる、気持ちの悪い話だが有史以来変わ
らない男社会というのはそういうもので、それは「豊かさ」の実現された社会においては、
バカのすることとしか思えない。
140
:
ぺろぺろくん
:2016/10/27(木) 20:33:57
◇多岐川 恭 『消せない女』
50年も前のユーモア・ミステリーだから、多岐川恭が好きっていうのがなければ読んで
いられないだろう。
状況としては、ただ男と女が対になっているだけのことが、なぜか血が騒いで黙っていら
れない人というのは多いようだ。
「家」とか「領土」というテーマになると凶暴化する下等動物と同種の血が流れているの
だろう。
人がいっぱいいるところで、こういうことをいうと炎上とかって猿の惑星が落ちてくるから、
ここなら安心。
デキてるのはだれだ!で、どこまで引っ張れるかという実験だったんだろう。
141
:
ぺろぺろくん
:2016/10/30(日) 10:24:25
◇若一 光司 『自殺者―現代日本の118人』
著名人や社会的な背景を伴った自殺者列伝で、「夫からベーコンを食べたいといわれたが、
ベーコンを知らないことを恥じ」て、というような純自殺者はいない。
○自殺のプロ……野村秋介
これが自殺デビューをは思えない、映画のワンシーンのように演じ切られた自決。
○自殺大スター……田宮次郎
東京の某有名大学の法医学講座において、「猟奇自殺の見本例」として視聴覚教材に
登場した田宮は、もはやスターではなく、ただの中年男にすぎなかった、
○自殺スター……沖雅也
沖野唯一の趣味は、盆栽いじりだった。
○自殺特攻隊……前野光保(児玉誉士夫邸に突撃)
彼の唯一の成果は、新宿のポルノ映画館が『前野記念三本立て上映』
○自殺二軍……三島由紀夫
「散るをいとう世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」
という辞世の句は、信じ難いほどの凡作であった。
142
:
ぺろぺろくん
:2016/10/30(日) 10:48:12
今月はカレンダーの余白が多くて久々に百冊いけるかなとも思ったのだが、逆に40冊
五十センチの文庫積ん読列が三列増える始末となってしまった。
◇多岐川 恭 『氷柱』(創元推理文庫)
>青春の大波に乗って陽気に遊びたらむれる仲間に私は属さなかったし、教師や生徒の人望
>を集めた模範生のグループにも親しまなかった。「感激」「意気」といった言葉学生たち
>の青春を端的に表す言葉として盛んに用いられていたが、私にはそんな感情がまったく欠
>けていたようである。「氷柱――つらら――」私は陰でそう呼ばれていた。「感じの冷た
>い、つまらない奴」という意味であった。
まさに自分のことであるが、多岐川作品に親近感を覚える所以かもしれない。
いまでも目に入らないだけで、スポマンやら青春ヤロー吐いて捨てるほどいるんだろうが、
まったく気分の悪いもので早く殺人が合法化されればいいと思っていた。
私の友人は、サーファーの頭を五〇〇個金属バットで叩きつぶす映画を撮りたいと語ってい
たが、日の目を見る様子は今のところない。
143
:
ぺろぺろくん
:2016/10/30(日) 20:55:36
◇鴨下信一 『忘れられた名文たち』
現代の口語標準語が整備されたのは昭和三十年頃らしい。
だから反体制やドロップアウトの人たちが、難しい漢字を使いたがったわけだ。
そのありさまを、下着泥棒がブラジャーやらパンティーを集めてきて、あれこれ組み合わ
せているようだと評した昭和の作家がいた。
読み捨て雑誌の中で見かけて不思議と忘れられない、ああ、あれは名文だったなあという
感慨に、その口語標準語のルーツを求めた、なかなかの名著。
おかげで、小出栖重、辻まこと、細川忠雄、阿部真之助、片山廣子(松村みね子)、富田
英三、と探しものが増えてしまった。
その前に、この2もあるらしいのでそいつも探さないと。
144
:
ぺろぺろくん
:2016/10/31(月) 20:40:56
◇晴山陽一 『すごい言葉―実践的名句323選』
ついでに名言集をもう一冊。
>こんなに長生きするとわかっていたら、もっと体を大事にしとくんだった!
あんまりうるさいので、30年ぶりに健康診断を受けに行ったあとでこう言ってやった。
「あなたの寿命は208歳なので、100年経ったら来てくださいって言われたよ」
さすがに呆れかえったらしく、うるさいことは言わなくなったのだが、この病気だよ。
いまも月一通院です。
145
:
ぺろぺろくん
:2016/10/31(月) 20:47:03
◇竹内政明 『名文どろぼう』
名文集をさらにもう一冊。ここからはずいぶんネタを拾った。とくに感心したのが、『ふぞろいの
林檎たち』のシナリオで、中井貴一と中島唱子のやりとり。
>父も母も兄も姉も、みんな普通なのに、私ばっかり、どんどん肥って、これでも随分努力したの
>――
>でも、努力しない姉は肥らないで、減食したり、体操したりしている私ばっかり、どんどん肥るの
>よそうよ
>私、世の中には、どうしようもないこともあるんだなあって、すごく思って
>そんな話よそうよ
メンヘル女とイイヤツの間に似たような現象が起こる。
あめ玉をしゃぶりながら喋るクチャクチャ声が漏れ聞こえてきて、
男は「そう」、「わかるよ」、「よそうよ、そんなの」、「また明日」で、電話が終わる。
五分もしないうちに電話が鳴って、クチャ女のイヤな声。
それが4回目にもなると、ちょっと代わってくれよ!おれがガツンと言ってやるから
「うっせーんだバーカ」
とだけ言って電話を切ると、
>やめろよー 彼女また手首切っちゃうからあ
と、言い終わらないうちにまた着電。
>いまのヤツなに!ちょっと代わりなさいよ!!
と、ものすごい剣幕で、代わって出ると、威勢のいいこと、元気なこと。
「てめえこのヤロー、気持ちの悪い電話ばっかりかけてきやがって、電話切って手首切れ」
「誰でもてめえを甘やかすと思うな、電話切ったら手首切れ、切ったら負けだぞ、おれみたいな男が
いると思うだけで、悔しくて手首切りたくなるだろう、くやしさ噛み締めて手首切れ!電話切れ!」
と、やってやると
>あのさあ、なんでもかんでも「うっせーんだバカヤロー」じゃすまないこともあるんだから……
そのメンヘル女の写真を見せられて納得。
順序が逆になると、「うっせーんだバカヤロー」じゃすまなくなりそう。
もっとも、その後すぐ疎遠になってしまい、ご対面はかなわなかったが。
146
:
ぺろぺろくん
:2016/11/02(水) 09:19:40
◇小林信彦 『現代〈死語〉ノート 』
一九五六年から二十年にわたるキイワードを紹介する、同時代観察エッセーで、すなわち
「これは、体の均斉は取れていて、顔は救い難い痴呆状態を表した、この頃よく街で見掛け
る一群の青年の言行を胸が悪くなるまで克明に写した作品である……」
石原慎太郎の『太陽の季節』に対する吉田健一選評
1974年
前年の十二月十三日、〈CM界の鬼才〉杉山登志が縊死した。
残されていた言葉。
〈リッチでないのに リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません〉
バカの誕生から、ポエマー自殺に至る20年である。
しかし、ポエマー自殺の原点はどのあたりにあるのだろう?
147
:
ぺろぺろくん
:2016/11/02(水) 09:27:17
◇都筑道夫 『推理作家の出来るまで(下)』
いわゆる「清張以後」の担い手で、都筑道夫、結城昌治、多岐川恭にひかれるのだが、どういう
共通項があるのか、あまり突き詰めて考えたこともなかったけども、よくわからなかった。
たぶんこれじゃないかなと思うのは、
都築の師匠である大坪砂男のことば引用していて、
>いい主題ってものは、けっきょく言葉では、いいあらわせない。だから無数の言葉で包囲して、
>主題が逃げないようにして、読者にさしだすんだよ
148
:
ぺろぺろくん
:2016/11/03(木) 21:19:27
◇矢作 弘 『大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本』
10年も前の名著だ。
>虎視眈々と他人から富を奪取するチャンスをねらっている人間を尊敬する社会よりは、
>相互に分配し合うことに重きを置く社会のほうが心豊かになる。
あたりまえの話で、一般論に悶絶してくださいというものだが、現実には低賃金・低福利・
低価格販売の「貧乏の待続政策」が蔓延しているという話。
昭和の終わりパチプロで全国をどさ回りしていたころには、どの町にいってもパチンコ・
ポーカー・雀荘・スナックで日がな一日食い物にされているのに、ちゃんと食っているオヤ
ジがいて不思議だった。
彼らはいったい何をやって食っているのか?
町の商店主たちだったのだ。
149
:
ぺろぺろくん
:2016/11/04(金) 20:41:06
◇高田里惠子 『グロテスクな教養』
いやったらしい腐れエリートをあげつらっているうちは軽快なんだけどなあって、
電話や初期のインターネットに多くいたタイプだ。
ロックも映画も詳しくて、海外前衛文学まで知っていて、競馬も麻雀もこなして、
スマートな着こなしで、落語もクラシックもいけるとなったら……
もう、殴るしかない。
殴りかかっていこうかなとしたところで、
>どうしたんだい君は、ずいぶん荒んだことをしていると聞いたが、少なくて悪いけ
>どこれでなんか栄養つけてこいよ
と、500円玉を四枚くれた。
周りから聞いた話では、そいつはいつも500円玉を大量にポッケに入れていて、
施してまわっているらしい。
ちょうど母親が入院した後輩に出くわしたので、そいつのマネをしてみた。
「少なくて悪いけどな、これでおふくろさんに花でも買ってってやってくれ」
周りの見る目がイタくて、ガラに合わないことはするもんじゃないと思い報された。
教養というのは確かに、一代で身につくものじゃない。
三代、四代貯め込まないと身につかない。
もっとかかるかもしれないが、貯めこんだ教養をいつか発散形の子孫が現れて一挙に
花開かせる。
菊地寛とか色川武大もだいたい同じようなことを言っていた。
そう考えないと、自分の努力が報いられない一生を送った人の辻褄が合わない気がする。
150
:
ぺろぺろくん
:2016/11/04(金) 20:58:08
◇斎藤 環 『文学の徴候』
ひきこもりの先生で有名な人だけど、その昔ベッコでやってたときにベテラン先生
が妨害に行ってたらしいね。
斎藤さんの著書で読了までいったのは、『文脈病』以来だから15年ぶりか。
実は10年ほど前に、最初の2,3章を読んだところで投げちゃってたんだ。
さすが、ひきこもりの権威だけあって、
>本当にひきこもることができるのは、おそらく女性だけなのだ。
ここの
>>133
で読んだ春日さんの
>玄関に布団を敷いてそのまま十年間何もせずに寝て過ごしてきた、という女性
は分裂病だからまた別だろうけど、男はポコチンで社会とつながってしまう、という
かAVを語ることで、知らず知らずに社会参加してしまう。
151
:
ぺろぺろくん
:2016/11/06(日) 21:25:31
◇四方田犬彦 『日本の書物への感謝』
>>149
著者はでも取り上げられている、教養人。
古事記から上田秋成にいたる王道古典文学エッセイ。
能の『蝉丸』を語っているところで、電話遊びのエピソードを思い出してしまった。
天皇の四子でありながら、蝉丸は畸形ゆえに宮廷を追われ琵琶法師として諸国を放浪している。
蝉丸には逆髪という姉がいて、これもまた畸形ゆえに放浪し、狂女と化している。
あるとき逆髪は廃屋から洩れ聞こえてくる琵琶の音に誘われ、蝉丸と再会する。
ふたりは畸形ゆえの零落を嘆きあい、名残を惜しみながらまた別れてゆく。
パーティーラインのころ、互いに意気投合した、岐阜のオタク男と千葉のオタク女が名古屋で落
ち合うことになった。
当然のなりゆきとして、互いのだらしのない肉体と失格した容姿にげんなりとして帰ってくこと
になったわけだが、その夜にはパーティーラインで罵り合っていたという。
そのとき私は、『蝉丸』の例を引きながら、「お前らには神々しさというものはないのか!」と、
この不届き者どもに説教してやった。
また、ボードレールからの引用で、
>絶対的グロテスクとは、笑っている自分をみずから笑うことだ
自分の用語では、自同律のゆかいということにもなるが、電話遊びの妨害の人にはこの手のタイプ
が多かったし、ネットの初期もやはりそうだった。
自分にしてもベテラン先生にしても、冷静に聞けば、この人は自分で言ってることを自分でおもし
ろがっているだけだ、というのがわかったでしょう。
152
:
ぺろぺろくん
:2016/11/08(火) 15:52:02
◇宮部みゆき 『理由』
宮部作品の中では取りたててできのいいものではないが、ここ2,3年なんか気に
なって再読しようと思っていたのが、やっと叶った。
>あのウェストタワー見上てげるとき、なんですかね、あたし急にムラムラ腹が立っ
>てきてね。なんか、あの内側に住み着く現実の卑しい人間のこととか何も考えない
>で、すうっと格好よく立ってるでしょう。あんなとこに住んだら、人間ダメになる。
>建物の格好よさに調子を合わせようとして、人間がおかしくなっちゃうって、そう
>思いました。
たぶんこういうところが引っ掛かっていたんだろう。
スマホの性能に頭がついていかなくて、イカレちゃってるやつは多い。
知識や情報っていうのは木材やレンガだからね、家を建てる技術が伴わなければなん
の意味もない。
153
:
ぺろぺろくん
:2016/11/09(水) 18:57:04
◇浅井了意 『現代語訳 江戸怪異草子』
江戸時代の怪談の元祖に当たるもの。
これが怖いかといえば、怖くない。
やはり怖くなるのは、上田秋成なんかの語りの洗練が利いてきてからのことのようだ。
154
:
ぺろぺろくん
:2016/11/09(水) 19:11:55
◇志村有弘 『戦前のこわい話』
怪談ではなくて、明治から昭和の初めにかけての猟奇実話。
「闇の人形師」が秀逸で、
副乳というらしいが、乳首が三つある人はけっこういるらしくて、調べてみたら
それを売りにしているAV女優までいた。
今はおしゃれに「エクストラ乳首」と言うようだ。
乳房が三つある女、男でありながら乳房が発達してしまった見習い人形師、薄倖
の人形師、不遇の元華族が一堂に会してしまう。
偶然は偶然だから意味があるという実話の恐ろしさ。
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