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千冊読書日記

1ぺろぺろくん:2016/05/01(日) 19:47:50
千冊読むのにどれくらいかかるだろうか?
2年ぐらいかなと楽観しつつも、5年かかるかもしれない。
このスレッドは便宜上、書き込み不可でいきます。

◇『SUDDEN FICTION―超短編小説70』 文春文庫

アメリカの作家による、ショートショートが70作。
誰にでも、夢にしか登場しない学校や、駅前のロータリー、病院の待合室があると思う。
私の場合には、夢にしか登場しないパチンコ屋というのが何軒かあって、必死にメモを取っているところで眼が覚める。
ショートショートのツボというのは、その夢にしか登場しない幻のスポットを現出させることだと認識した。
夢にしか現れない母親は、いつも戸口に立っている。
夢にしか現れない父親は、どこに行っても鼻つまみ者で、
>そのろくでもない役立たずの10セント新聞をいっちょう売っていただけますでしょうかね?
と、スタンドの売り子に無視されたのが最後の姿となってしまう。
夢にしか現れない犬は、ぼくは以前は犬だったのだよ、と語りはじめる。
夢にしか現れないエロ本は、父親の口から語られる。

258ぺろぺろくん:2017/05/06(土) 21:31:26
◇滝井孝作 『無限抱擁』

関内に出たついでに、ブックオフに足をのばしてみたところが、愕然。
10年ほど前は、これがブックオフかと目を見張るばかりの品揃えだったものが、
これぞまさしくブックオフの荒廃ぶり。
まあ教養の衰微を映す鏡であるかもしれないが。

約100年前の重たい恋愛小説。
まったく話の本筋とは関係のないところで感心してしまった。
長い刑期を終えた囚人が、監獄の近くの旅館を訪ねて言う。
「物干しへはいつも赤い衣赤いゆもじを干すことをお忘れにならぬよう。
それを仰ぎ見る自分らの瞳がどれほど焼きつけられたことか……」
師弟関係シリーズの一環で、著者は河東碧梧桐の弟子なのだが、たしかに俳人の
色彩感覚だ。

259ぺろぺろくん:2017/05/08(月) 21:28:11
◇井家上隆幸 『ここから始まる量書狂読』

一年に600冊読むという著者の1983〜88年の書評エッセイ。
本来ならいちばん多く本を読んでいるはずのこの時期が、自分はいちばん読まない
時期だった。
量書狂読家の著者にあやかって、読書欠乏時代を振り返ってみたところ、これを読み
損なって10年損したなんていう本はもちろんないが、10冊ほどはアマゾンでポチ
ってしまった。

260ぺろぺろくん:2017/05/08(月) 21:38:10
◇パーシヴァル・ワイルド 『検死審問ふたたび』

半世紀以上も絶版だった幻のミステリ。
長く生きてると、こういうおこぼれに預かれる。

261ぺろぺろくん:2017/05/09(火) 20:08:31
◇岩佐東一郎 『書痴半代記』

昭和31年〜35年の間に、古書愛好家向けの雑誌に掲載された書物エッセイ。
おもしろい直訳の話を見つけた。

>ジョン・ドス・パソス『U・S・A』の新訳本の中で、「犬と狼の間」と訳し
た部分があった

たそがれ、夕暮れの意味で、犬か狼かよく見分けがつかない時間帯のことを言う
らしい。個人的には、赤江瀑にならって「雀色時」だが、これもなかなかいい。

>犬と狼の間、竹早町の駄菓子屋の前で待つ
とか、言ってみたいね

262ぺろぺろくん:2017/05/09(火) 21:32:00
◇瀧井孝作 『俳人仲間』

本が本を呼ぶということがあって、河東碧梧桐に傾倒すると瀧井孝作がその
弟子であることを知り、近所の古本屋の均一棚に「師碧梧桐」の回想を綴った
書物に出会うことになる。
相当に出回ったものらしくアマゾンにもずいぶん最低価格で出ているが、誰も
買う人はいないだろう。
そこに宿命を見ないと決して手に取ることのない本で、大概は期待はずれに終わ
るのだが、宿命を積み重ねることで磨かれるものもあるんじゃないかと。

263ぺろぺろくん:2017/05/10(水) 21:02:45
◇朱川湊人 『わくらば日記』

この著者の単行本が5冊ほどあって場所ふさぎなので、文庫に買い換えるか
処分するか、まあもう一度読んでみることにした。
『都市伝説セピア』の冒頭の一作「アイスマン」にやられて、見かけるたび
に手に取ってきたが、それ以上の作品には巡り会えない。
本筋からは脱線するけれども、伝言がいかに素晴らしいシステムだったかを
あらためて思い知らされました。

>人と人との出会いは、あの流星のまたたきに似ています。光ったと思った
>時にはすでに消え去り、何の痕跡も残しません。
>けれど、そのはかなさを嘆くことだけは、しますまい。
>この世の誰もが、同じさだめを背負った、一つの流星なのですから。

消えちゃうっていうのがよかったんだよね。

264ぺろぺろくん:2017/05/10(水) 21:15:05
◇朱川湊人 『かたみ歌』

「ひかり猫」の取捨で、ちょっと迷った。
昭和45年の冬。
その町に越してきてはじめてできた友だちは、白トラの若猫だった。
窓外の鳴き声が気になってのぞいてみると、いきなり茶色いかたまりが部屋に飛び
込んできて、庭では薄汚れた白いデブネコが8の字に歩いていた。
咄嗟に、手近にあった紙を丸めて白猫にむかって投げつけていた。
ある夜更け、部屋にピンポン球大の青白い光が現れるようになる。
じっと観察していると、チャタローと名づけた白トラの動きにそっくりだった。
ところが、チャタローは申し訳なさそうに窓の下に現れた。
意を決して、青白い光のあとを追ってみると、寺の墓所へ入って行き、そこには白猫
の亡骸があった。
>この猫はきっと寂しかったのでしょう。誰かに甘えてみたかったのでしょう。
>だから魂だけの姿になって町をさ迷い、私の部屋にたどり着いたに違いありません。
>あの時チャタローと同じように、自分も部屋に入れてほしかったのでしょうか。
>(世の中には――寂しい思いをしているものが、たくさんいる)
>その猫の死骸を見ていると、なぜだか、そんな思いが胸に押し寄せてきました。

その甘えは、もしかしたら生まれてはじめて見せる甘えなのかもしれない、と捉えた
方がいい、この歳になると。
まあ、自分の正義のためなら他人の正義は踏みにじってもかまわないというのが大流行
だが、(世の中には――寂しい思いをしているものが、たくさんいる)というのは、胸
に刻み込んでおきたいね。

265ぺろぺろくん:2017/05/13(土) 19:37:53
◇朱川湊人 『花まんま』

直木賞受賞作の昭和ノスタルジーものの短篇集。
昭和ノスタルジーとはなにか?と考えてみると、生活のかたまりとそこから一歩
はみだしてしまう人間ということじゃないかな。
どぶ川に石を投げていると、どこからともなくもうひとつのあぶくを生じさせる
投石手が現れるという形の連帯のあった時代。
「凍蝶」では、友だちのいない少年が暇に飽かしてちょっと遠出を試みると、霊園
の無縁仏の前に立つことになる。すると、
「それは無縁仏って言って、死んでも、どこの誰かわからない人たちのお墓なんよ」
と、ちょっと年上の少女から声をかけられる。
ひとり荒野に立っていると、何かが起こると信じられたが何も起こらなかった時代。
著者のラストのメッセージは、荒野にひとり取り残された者たちへの鎮魂とも思える。

>人の目の届かぬ世間の片隅――たとえば鉄橋の裏側などに潜んでいるのは、きっと
>孤独で哀れな妖怪ではない。
>きっとそこには何百何千何万の蝶たちが、そっと眠っているはずだ。輝きに満ちた、
>新しい季節を待つために

266ぺろぺろくん:2017/05/13(土) 20:31:57
◇朱川湊人 『赤々煉恋』

一転、こちらはグロテスク・ホラー。
アブノーマルではない人が、勉強して書いているのが痛い。
小市民的な悪徳への猫なで声と、悪徳の栄はまったくの別物である。

267ぺろぺろくん:2017/05/13(土) 20:42:01
◇朱川湊人 『水銀虫』

この人の作品では、荒野にひとり少年が立っていると、誰かが声をかけてくるという導入
のものが圧倒的に良い。
ここでも唯一の秀作の兄妹相姦もの「しぐれの日」では
雨やどりをしている少年に、
「お兄ちゃん、雨やどり?」
と、聞き覚えのない若い女が声をかけてくる。
かぐや姫の「妹よ」だったか、あんな歌が大ヒットするぐらいだから、兄妹夫婦というのは
別段驚きを持ったものではなかった。
さすがに驚いたのは、子供が独立すると妹夫婦の元に入りびたりになって帰ってこなくなる
夫というのがいるということ。
もっと驚いたのが、タクシーの運転手から、こう言われた。
>もともといっしょだったのが、好きでいっしょになっちまいましてね
どうも兄妹相姦と間違えられたらしい、しかも姉弟と思われた。

268ぺろぺろくん:2017/05/16(火) 11:49:40
◇L.A.モース 『オールド・ディック』

ハード・ボイルド史上最高齢の探偵として知られる作品だが、83年の翻訳。
高齢化社会はまだ先のことで、メンバーが全員70を越えてもローリング・ストーンズは
新譜を出し続け、高齢ドライバーが殺人マシーンと化すとは夢にも思っていなかった時代
だけに、かなり牧歌的。
うちの近くの競輪場も、競馬場も日中の入場者は平均年齢が60代を突破していると思わ
れるだけに、もはやオールド・ディックは絵空事ではない。

269ぺろぺろくん:2017/05/16(火) 15:27:09
◇ジェラルディン・ブルックス 『古書の来歴 (上巻)』

>私はひとりで仕事をするのが好きだ。
で始まり、研究室を舞台にした静謐な物語かと思いきや、やけに騒々しい。
それもそのはず、ユダヤ教の式次第を扱った書物の来歴をめぐる物語だった。
自分はキリスト教はもちろん、その従兄弟みたいなイスラム教、ユダヤ教も含めて
強いアレルギーがある。
それはなぜかというと、自分が現実の人間が嫌いだということで、それ以上は説明
がつかない。
中途でいったん投げだした本だが、ラブロマンスのうっとうしいところを読み飛ばす
とけっこうおもしろいじゃないか、後半にも期待。

270ぺろぺろくん:2017/05/16(火) 20:08:48
◇高橋和巳 『孤立無援の思想』

高校のころに古本屋で買った本で、初版が昭和41年で、56年のこの本が36版だから
べらぼうに売れた本だ。
40ページほど進んだところの「北一輝論」で挫折した形跡があった。
一週間ほどかけてポツリポツリと読み進めたのだが、いやはや疲れた。
その硬直した野暮ったい文体というより、奥方の高橋たか子の指摘する「女の微温的肉体
そのものの拡がり」をバリケードにしたインテリ性というやつ。それは自分にも大いに当て
はまるものだけに、頭が痛かった。
高橋和巳の小説は『邪宗門』以外の作品はほとんど読むに耐えなかった覚えがあるが、今回
読み返してみて新たな発見だったのが、保坂和志と同様の示唆を示している所があって、保坂
の師でもある田中小実昌の「ポロポロ」と、高橋のインテリ性の下部を燻している天理教やら
の土俗宗教のぼそぼそ漏らす嘆きは同種のものではないかと。
読むのがどんどん遅くなってきているのに、読むものが増えて困っちゃうな。

271ぺろぺろくん:2017/05/17(水) 20:58:38
◇ジェラルディン・ブルックス 『古書の来歴 (下巻)』

小説の技法としてはやけに稚拙なのが気になっていたのだが、ノンフィクションの
世界で高名な人だということで納得。
戦前の有名な話で、どこぞの大学教授は洋書店で3冊だけ入荷された洋書を買い占め、
そのうち一冊は講義用に、一冊は自宅書斎に、そしてもう一冊は焼き捨ててしまった
という。
実に哀しい話で、書物が人を隔てるものとして存在する時には哀しいのであって、人
をつなげるものとして存在する時にのみ有意である、とそれだけを言っている。

272ぺろぺろくん:2017/05/19(金) 21:16:09
◇リチャード・ヒューズ 『ジャマイカの烈風』

『バトルロワイヤル』とか『蠅の王』とか、子供の残虐性が俎上に載せられると、いわゆる
「通」の人が振りかざしてくる、いやったらしいヤツか、という読まず嫌いだったのだが、
丸谷氏が手放しに絶賛していたのをみて、ついに読んだ。
いやったらしい人というのは、自信の幼年期を振り返ったときに、暴力性のかけらすら見つけ
られずに、生きる希望を見失った人たちであろう。
カエルに爆竹を突っこんだり、神社の社務所に向けてロケット花火を打ち込んだり、電車に
10円玉を踏ませてみたり、女教師に向かってトルコ嬢と言ってみたり、幼少期の残虐性は
宝の山だ。
アナーキーな暴力衝動の奥底にこそ、真があると思うのだが。

273ぺろぺろくん:2017/05/20(土) 21:26:02
◇リング・ラードナー 『ラードナー傑作短篇集』 (福武文庫)

ヴァージニア・ウルフがラードナーを評価していたというのには、正直おどろいた。
英文学にコンプレックスを抱かないアメリカ作家であること。
雑多な人種を結びつける野球という社交場を描くことによって、アメリカ的なものを文学化
したということ、を評価してのものだった。
それだけにいま読むとちょっとつらいものがある。
江川や落合のいたころにはあれだけ魅力的だったラードナーが、どうしようもなく古めかしく
思えてしまう。

274ぺろぺろくん:2017/05/21(日) 20:28:25
◇源氏鶏太 『青空娘』

古本屋にいると店の人間と間違えられることがよくあるのだが、一度だけ「源氏鶏太
ってありますか?」と訊かれたことがあった。
代表的な昭和の流行作家だ。自分は中学のころにいわゆるサラリーマンものを数冊読んだ
だけで見切ったのだが、つい最近「たばこ娘」を知って見直したところ。
現代文学に馴れちゃっていると、どこの街に行っても因縁のある人物が声を掛けてくる
ご都合主義には辟易させられるかもしれないが、都市の胎動期は確かにそうだったらしい。
ドストエフスキーの小説には「突然」が600回出てくるらしいが、若い都市には、上り
坂と下り坂とまさかがある。
もし、それがないとしたらその都市が老成したということで、若い感性はそんなところか
らは出て行った方がいい。

275ぺろぺろくん:2017/05/22(月) 21:25:28
◇西村寿行 『鷲の巣』

昨日から高橋たか子の未読の小説を読んでいるのだが、高橋たか子を読んでいると
骨休めに西村寿行を読みたくなる。
両者対極的な存在のはずだが、いつもそうなってしまう。
文学少女とつきあいながら、AV女優をつまみ食いするようなものか。
この両者、敢えて共通項というと、「滅び」を内包しているということか。

276ぺろぺろくん:2017/05/23(火) 19:28:23
◇高橋たか子 『装いせよ、わが魂よ』

高校のころに高橋たか子の読者である女の子を二人、友人にもてたことは奇跡的だった。
その後、インターネットの時代になるまで高橋たか子が話題に上がる経験はなかったから。
気になって、高橋たか子のbotがありはしないかとツイッターを検索したけどさすがに、
それは無かった。その代わりに「森万紀子」のbotを見つけてびっくり。
カトリックの人になる直前の作品だけに、やはりそっちに行くかと、残念な面もあるが

>なぜ望まない?
>それがどこにも導かないことを知っているから。そのことを知りすぎているから。
>どこにも導かないどころではない。よろこびに導く。
>よろこび自体が、荒地に出てしまう、と言っているんです。
>そんなことはない、ぼくが相手なら。
>まかせておけば、よろこびそのものになる。女ってみんなそうだ。
>いいえ、その先のことを言っているんです。自分が大火事になるんです。
>それはいいことだ。あとでぐっすり眠れる。
>ほんとにレアリストですね。
>自分もたのしい、女もたのしい。二人がたのしむ。
>むなしい。

こんな楽しいやりとりがあったりもする。

277ぺろぺろくん:2017/05/23(火) 21:27:44
◇西村寿行 『母なる鷲』

今日もまた、毒消しに「寿行」?
毒をもって毒を制すというか、そもそもどっちが毒だ。
血縁、虚飾、野心とかいった夾雑物を一切取り除いたとあとに残るものは何か?
それが寿行の場合には死闘で、高橋の場合は信仰というだけの違いで、意外とこの
二人は近い。

278ぺろぺろくん:2017/05/24(水) 20:13:22
◇ヘンリー・ミラー全集〈第11〉『わが読書』

寺山修司と青野聰を介して、二十歳のころにヘンリー・ミラーの『北回帰線』と出会わな
ければ、えらくフヌケなことになっていたはずだ。
あまりの衝撃に、それ以来読み返してはいないのだが封印を解くことにした。
まったく別のルートから辿り着いたフランスのジャン・ジオノにミラーが心酔してるのは
意外だった。
死期の近づいた父親がその子に言う
>わしが誤りを冒したのは、わしが親切な、人のためになる人間になりたいと思うたとき
>であった。お前も、わしのように誤りを冒すじゃろう
ジオノのこの記述を目にしたときに、ミラーは泣いたという。

279ぺろぺろくん:2017/05/24(水) 21:25:22
◇向井 敏 『書斎の旅人』

この人の書評集は、見つけ次第すべて買っていた時期があって、まだ二冊残ってた。
昭和50年代の書評集で、『篠沢スランス文学講義』はいつか読みたいと思いながら
30年も経つのかと……。
山崎正和なんてのも、読んでない。
この時期は、女流の幻想小説作家の豊作の時期だったとも思うのだが、わずかに倉橋
由美子の名前を見るだけにとどまっている。
高橋たか子、皆川博子、三枝和子、山尾悠子、河野多惠子、津島祐子、森万紀子、
と、この辺がメジャーどこで
殿谷みな子、なんて数少ない母校の先輩もいたりしたのだが、氏の趣味ではないようだ

280ぺろぺろくん:2017/05/26(金) 21:25:23
◇中原昌也 『ニートピア2010』

デジキョセさんが、好きだったのか、よく連呼してた「暴力温泉芸者」の人。
ゴミとしか言いようのないストーリーに念仏。
それのどこがいいのかわからないだろうが、それがいい。
念仏というのは、こういうやつ。

>一般教養レベルだとかいうのは根底からまったく彼の眼中にはない。古典文学などの
>書籍を間違っても手にしたとしても、そこに描かれた観念とか社会的背景だとかいう
>ものを考える術もないのだから呆れる。急に殴る手を休めて「現代社会で働く多くの
>人が感じるもの、見るもの、味わうものなどが盛り込まれていなければ表現として何
>の意味もない」などと誇らしげに語ろうとでもいうのか。

>そこは電気も通信回線も一切通らぬ、人里離れた大自然の中の丸太小屋。のべつまく
>なし雄叫びを上げるしか能のない野蛮な動物ばかりが辺りを支配し、およそ人間らしい
>道理など間違ってもまかり通るという希望を一パーセントでさえも持つことができない
>世界であり、そのような調子であるから、当然のように交通が至って不便で或ることは
>いうまでもない。

281ぺろぺろくん:2017/05/26(金) 21:34:29
◇向井 敏 『晴ときどき嵐』

中原昌也に言わせると、
>いまの文学自体が、どれも深夜の墓場の幽霊の戯れ言みたいなものなんだろうけど……
>ついでに言えば世に出て、本屋さんなどで売られている小説なんて、どれも何かの間違い
>で写っちゃった心霊写真みたいなものだよね。あんな迷惑なもの、まだありがたがる奴が
>いるのは驚きだよ。
それは昔でも変わらないらしく、
丸谷才一:昭和初期の文学は、ひとことで言えば幼稚だったんですね。要するに大学を出ても
相変わらず下宿にいる貧書生の文学だったわけでしょう。
開高健:下宿のおばはんのつまらない娘に手をつけて、青森辺りへ駆け落ちするしかないか、
子供ができるかできないかと言って大騒ぎになっちゃった
丸谷:それが人生の深淵だと思い込んでいる。そういう人たちの書いたものだったんですよ。

人生の深淵を覗くのだったら、誰かさんの着ているオーバーに火をつけた方が早いわな。

282ぺろぺろくん:2017/05/27(土) 20:48:34
◇佐藤 健 『ゆかいなゆかいな英雄たち』

>>259 で、見かけてアマゾンでポチッたやつ。
いわゆる時の奇人傳だが、そのときは86年。
「サンデー毎日」の連載だったため、市井の人ではなく著名人がほとんどで、親近感
のわく登場人物は少ない。
伊奈かっぺいや金ピカ先生といった、どこ行った感の強い人から稲川淳二、アラーキー、
景山民夫などのメジャーな人といった面々も登場する。
「吉川 良」なんていたなあ、これがいちばんの収穫かな。
本書でいう奇人の定義は適確だ。

①常識とは異なる奇異な行動をする人
②金に頓着しない人
③あふれるようなサービス精神のある人
④ユーモアがある人
⑤世間の常識とは異なる論理をもちながらその論理を立派に通用させている人
⑥多少迷惑がられているが嫌われてはいない人
⑦そして何より本人は決して奇人変人だと思っていない人。

283ぺろぺろくん:2017/05/28(日) 21:02:54
◇ロルフ・ヴィルヘルム・ブレードニヒ 『悪魔のほくろ―ヨーロッパの現代伝説』

ヨーロッパの都市伝説を集めた本。92年。
口承文芸には国境はなく、国内でも馴染みの話ばかり。
例えば、
ベビーシッターに若い夫婦を雇ったところが、どうも挙動に納得がいかなかった。
念のために出先から電話をかけてみると、
「焼き肉の用意ができたので、オーブンに入れるところです」
あわてて駆けつけると、赤ん坊にケチャップをふりかけ、オーブンに入れる直前だった。
そのカップルは完全にLSDにやられていた。
1988にドイツで流行った都市伝説らしいが、日本でも数年前に殺人ベビー・シッター
が騒動を起こしたが、焼き肉にはしなかっただろう。
やはり、この時代だといちばんリアリティーがあるのは「駒込病院ネタ」。
エイズ・クラブへようこそ!

284ぺろぺろくん:2017/05/29(月) 20:47:03
◇横尾忠則 『捨てるvs拾う―私の肯定的条件と否定的条件』

明智小五郎vs刑事コロンボ、尻取りvs関取、鬼瓦vs金のしゃちほこ、などと二項対立
を列挙していくとそのまま言葉のコンセプチュアルアート化していくという、思いつ
きをそのまま書籍化したものだが、これが意外とつまらない。
03年の出版時には立ち読みだけで、均一棚からのサルベージなのだが、アフォリズム
集としてけっこう楽しめる。

☆昔神隠し、今行方不明。超自然現象がなくなったわけではあるまい。いまだって
神隠しに遭った人間がいるんだから、信じない心が神隠しを追放したにすぎない。

☆犯人のモンタージュ写真の凄みは、芸術表現がなされていない強みだ。

☆21世紀の芸術はエンターテイメント化するだろう。ただし哲学を持ったエンターテ
イメントでなければならない。そこが21世紀の経済主流のエンターテイメントとの違
いである。

285ぺろぺろくん:2017/05/30(火) 21:05:21
◇内田 樹 『街場のメディア論』

往復で二時間ほどのバスの乗車時間にちょうどいいかと、出がけに手に取ったのだが、
大当たりだった。
その人物に自分がどれほどの信頼を寄せているか?確認するのにいい自答法がある。
そいつといっしょに革命をやろうと思うかどうか、だ。
それは高橋和巳の『邪宗門』から教わったことだが、実際に桑原武夫氏が当時売り出し
中だった学者の評価を訊かれてこう言ったのだという。

>頭のいい男やね。でも、ぼく、あの男といっしょに革命やろうとは思わん

まさか残りの人生の中で革命に参加することはあり得ないが、いっしょに革命をやりた
いかどうかで、判断を誤ることはない。

286ぺろぺろくん:2017/06/01(木) 19:43:29
◇デヴィッド・W. モラー 『詐欺師入門』

100年前の、アメリカで行われていた大がかりな詐欺の研究書で、学術書に近い
要素もある。
詐欺師とカモの間には、金銭の授受が行われたあとには「また今度」はない。
結婚詐欺師とカモの再会には、警察官のおみやげつきだ。
ゆえに一流の詐欺師は跡形もなく消え去るのだが、超一流の詐欺師となるとこれ
がまた違う。カモが死に物狂いで詐欺師を見つけだし、

>あれから必死に働いてこれだけのゼニをつくったから、今度こそがっぽり儲け
>ましょう、とネギしょってやってくる

いっしょに革命をやりたくなる、器量の持ち主なんでしょう。
パチプロ時代に義理のある人から頼まれて、サギ師の面倒を頼まれたことがあった
けど、「そんなちっとも儲かんないことやっててもしょうがないだろう、あんた
そういう器じゃないから、おとなしくパチンコやってな」というのばかりだった。
人種的にはパチプロと近くて、人のためになるのがとことん嫌いな人たちで、うわー
やめてくれっていう人はいなかった。

287ぺろぺろくん:2017/06/01(木) 19:50:05
◇『長谷川龍生詩集』 (思潮社現代詩文庫)

寝起きのポイントサイト周りをやめたので、その一時間を現代詩を読むのに当てようと
思っていてやっとそれが実現した。
怪談の語り手としても有名らしく
長谷川龍生の怪談
https://www.youtube.com/watch?v=tNr8CzoKV-w
ご本人の風貌が一番恐かったりするのだが、生い立ち自体が輪を掛けて怪談。
一族郎党ことごとく浮浪者の群で、八十二歳の父親の行き倒れを知るや快哉を叫んだ。
>やったぞ!やったぞ!大きなゴキブリが倒れた!
母親は昭和11年のものの豊かな時代に栄養失調死したという。

>きみも、他人も、恐山!

一読するや鷲掴みにされる詩句だ。
これは紛れもない本物だが、このシリーズの続編しか入手しやすいものがないのは残念。

288ぺろぺろくん:2017/06/03(土) 20:43:09
◇『鮎川信夫詩集』 思潮社現代詩文庫

寺山修司を手引きに、現代詩に手を伸ばしたとっつきの詩人が鮎川信夫だった。

>六月は水色の瞳
>七月は空を泳ぎまわる魚
>八月は海辺にのこる白い墓
>この明るい窓枠のなかから
>彼は永遠の沖へ去っていった
>忘れがたい夏を連れて!

こんな感じで、なんともかっこよかった。また、エッセーが良くて

>友人と二人でS駅前の広場をとおると、「諸君はソ連を選ぶか、日本を選ぶか」という
>怪しげなスローガンの白旗をなびかせて、まぎれもない壮士が三,四十人の聴衆を相手
>に、愚劣な愛国運動的反共演説をやっていた。「よくも厭な国を二つ選んでならべたも
>んだな」と口の悪い友人が言った。
>人情派、正義派、始末のわるい善人の多い我が国では、愛国心は至るところに姿を現す。
>高級にも利用されるが、低級に作用した時に、それは猛威を発揮する。

祖国を語るにはまだ早すぎる人ほど、愛国心を口にしたがるのは今も変わらない。

289ぺろぺろくん:2017/06/03(土) 21:32:07
◇『続・鮎川信夫詩集』 思潮社現代詩文庫

鮎川の人柄は「荒地の恋」のワンシーンに凝縮されている。
同業者同士の三角関係の仲裁を頼まれ、報告の電話をかける。

>「どんな話しをしたんだね」
>「いろいろさ。何しろ玉川高島屋の開店から閉店までいたんだからな。ウェイトレス
>の顔が見ものだった」

思い当たるところのない人にとっては、なんだそりゃ!だろうが、自分はけっこう身に
つまされるものがあって、デニーズ8時間とかね……。
吉本隆明にとっては、鮎川の詩は創作意欲を掻き立てられる作品群だったそうだ。
それがドのような旅立ちを促すのかというと、

>どこまでも 迷って迷って
>家のない場所へ行ってみたい

>どこへも帰りたくない
>憧れにも恐怖にも 母にも恋人にも

>暮れのこる灰色の道が
>夕焼け空にふと途切れている

自分はまったくの偶然の導きで、高校時代に赤江瀑を知ったときにすんなり引き込まれたのも、
両者に通底するものがあったというか、赤江瀑が鮎川の強烈な影響下にあったということなの
だろうが、当時は気がつかなかった。

290ぺろぺろくん:2017/06/05(月) 21:03:18
◇藤本 泉 『東京ゲリラ戦線』

あさま山荘、東アジア反日武装戦線以前に書かれた先見性以上に、時代のレジスタンス・
プレッシャーを精確に描いていることに感心した。
学生運動なんかに参加したら負けだろう、暗いだろう、女にモテないだろうが、プログレ
聴いてる以上に悲惨が常識の空気だったが、この頃はちがった。
その反動から、後の世代は政治参加を忌避して消費・プレッシャーというのかファッショナ
ブル・プレッシャーという地獄巡りを課せられることになる。
ユーミンとか甘糟りり子とかのあれだ。
今では、ムッシュ・ニコルやメンズ・ビギって、架空請求に振り込むのと変わらないだろう
と思われるかもしれないが、嬉々として丸井の赤いカードに振り込んでいた。
そして今、若者の〜離れと揶揄される、カネ使ったら負けだろう!の○無主義というのか、
ネオ・ガンジー主義というのか。
文庫解説が半村良で、「体験する本」だと語っているが、まさにその通り。
いま藤本泉を読む人はまずいないだろうが、昭和文学の貴重な存在だ。

291ぺろぺろくん:2017/06/05(月) 21:32:55
◇『寺山修司ワンダーランド』 沖積舎

唐十郎の『佐川君からの手紙』の映画脚本を寺山が引き受けた当時、唐に言われたという。
>寺山さん、僕は、いろいろと突っかかったりしたけど、本当は、ずーっと、寺山さんの
>ことを慕っていたんですよ

お互い四十過ぎてたんじゃないかな?
でも、これこそが寺山の青春性というやつだ。
一度くらいこういうことを言ってみたかったな。

菱川善夫という歌人・評論家の詩歌に対する造詣の深さには驚愕させられる。
コンピューターのない時代に、同人誌に一度だけ載った無名の作者の句まで、すらすら引用
してみせるのだが、まさしく教養人。

292ぺろぺろくん:2017/06/06(火) 21:29:20
◇高田 保 『ぶらりひょうたん〈上〉』

コラムの教科書として知られる著作だが、意外と読まれていないのではないか。
自分自身、聞き及んで以来三十年目の初読だし、その内容に踏み込んだ話を直接に
は聞いたことがない。

>大たはけこれが雨具かヤイ女

古川柳だそうだ。
今でもこういう大臣がずいぶんいる。
教養と学習は別物だということか。
道灌の「七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞ悲しき」という歌を踏まえ
てのものだが、今でこそ爆笑ものだが、三十年前だとわからなかっただろう。
和物の教養が身に染み込むのには、それだけ時間がかかるようになってしまったのだろう。

293ぺろぺろくん:2017/06/07(水) 21:25:13
◇殿谷みな子 『求婚者の夜』

文庫解説が林富士馬と三枝和子と、なんとも豪華。
ある図書館では、2年2か月の間に利用された図書の分析が公開されていて、
「一冊も読まれなかった分類」というのが興味深い。
小説では「貸出回数0の図書の著者名一覧」のなかに、意外なビッグネームも
含まれていて、
石上玄一郎、夫馬基彦、東峰夫、長谷川修、結城信一
加えて、殿谷みな子の名前もあった。
再評価の見込みは少ないのだろうが、カフカ的不条理で片づけるにはもったいな
いものがある。
育ちが良すぎたせいか、文体がないのが残念。

294ぺろぺろくん:2017/06/07(水) 21:36:34
◇『寺山修司―はじめての読者のために』 (KAWADE夢ムック)

萩原朔美の、寺山の「のぞき」癖への言及が興味深かった。
萩原は、事が表沙汰になる以前に何度も寺山のガラ受けに行っていて、
>あれだけのぞきという行為を繰り返す人はなんだったのかな?
と、懐旧する。
京浜工業地帯で幼少期を過ごした自分には、のぞきは「子どものおもちゃ」だった。
おもちゃにして遊ぶものなんて買い与えられないから、大人の生活がおもちゃだった。
かっぱらい、公衆電話の横からガチャ切り、民家へのロケット花火攻撃、犬小屋破壊
民家の窓をそーっと開けてプライバシーの鑑賞会なんて、かわいいものだった。
小池さんがラーメン食ってるところを見たぐらいの罪の意識しかなかった。
ところが激怒するおばさんにぶち当たったときに、何かのタガが外れた。
もちろん反省するのではなくて、逆襲として野良猫を窓からぶち込んだ。
そのとき恐らく気がついたんだな、見ることは暴力なんだって。
そこで編み出された画期的なヴァイオレンスが、アパートの共同便所へのねずみ花火投下
遊びだった。
それは幼稚園の年長から小学校入学のあたりまでの話で、黄金時代はあまり続くものではない。
ボイスでもやったネタだが、他人のセクッスにシャイニング・ウィザードをってやつで、あり
がたく拝ませていただくというより、暴力衝動を誘発させられる。
見ちゃったら手が出るだろう!
それじゃあ、犬や猫と同じじゃないの!とも言われるが、やはり手が出るの人情というものだ。
寺山は、その個的な暴力衝動を対社会への創作意欲へと昇華していたのかもしれない。

295ぺろぺろくん:2017/06/08(木) 21:39:14
◇ロルフ・ヴィルヘルム・ブレードニヒ 『ジャンボジェットのネズミ』

>>283 の、ヨーロッパ都市伝説の第2弾。
日本でもよく知られた、電話の復讐。
ヤリチンくんが女に復讐されて、長期の留守中に長距離電話をつなぎっぱなしに
されて、とんでもない料金請求がくるというやつ。
これはドイツにも広く流布しているらしい。
しかも笑えるのが、その接続先が日本の天気予報だということ。

296ぺろぺろくん:2017/06/09(金) 19:49:26
◇『三好豊一郎詩集』 思潮社現代詩文庫

今週は、これに掛かりっきりになってしまった。
鮎川信夫繋がりで気軽に手に取ったのが運の尽き。
そうだった、この戦後現代詩のはじまりと言われる「囚人」という詩。これの良さ
がさっぱりわからない。毎日数回ずつくり返し読んだがダメだった。
若い頃にはピンとこなかったものでも、最近は扉が開くことも多くなってきたのだが、
これは歯が立たなかった。今回も軽く門前払いを食ってしまった。
と、いっても難解な詩ではなくて

>恐怖と悲惨の王国
>催淫剤を与え 春画春本のたぐいをあたえ 女の腰の豊
> 満軟熟せる水蜜桃の香ばしい両半球が なだらかな脂
> 肪質の双曲線を描いて相接する淫靡な襞に 微妙な持
> 続的挑発的発情の舌をもって接吻させ そのとき興奮
> 勃起する陰茎に 飢えた犬をけしかけ噛みつかせる
>卑猥と接吻の王国…
>だがおれらは叫ばずにはいられない

こんな感じの辛辣なユーモアを含んだ詩だ。

297ぺろぺろくん:2017/06/10(土) 20:54:12
◇埴谷雄高&北 杜夫 『さびしい文学者の時代―「妄想病」対「躁鬱病」対談』

タイトルどおりの妄想狂と鬱の対談。
埴谷雄高の暴走が凄まじい。

>埴谷:ぼく流にいえば、妄想している。アンドロメダ星雲の「思索的双生児」のぼく、
>   みたいにね。
>北 :いやあ、あのね、ぼくは埴谷さんを知っているし、その文学のある部分を知って
    いますけれど、全然埴谷さんを知らない精神科医が診察したら、ひょっとしたら
    病院に入れられるかもしれませんね。

このとき埴谷、73歳ぐらいかな。
そろそろ自分も、狂う準備をはじめるかな。

298ぺろぺろくん:2017/06/10(土) 21:06:51
◇坪内祐三編 『明治文学遊学案内』

高田保経由で幸田露伴の『雪紛々』という小説を知り、こいつを読む前にちょっと寄り道。
明治文学は、大メジャーなところのほかでは広津柳浪が大当たりで、饗庭篁村がかなりい
けるらしい、といった辺りの知識で、ここ20年来停滞している。
冒頭の嵐山光三郎の明治文学概観の手際の良さにただただ感嘆。
こんなに素晴らしい書き手だったのか。

299ぺろぺろくん:2017/06/11(日) 21:27:25
◇エンツェンスベルガー 『政治と犯罪』

これももちろん寺山経由です。
エンツェンスベルガー、エーリッヒ・フロム、オスワルト・シュペングラー
こういった名前を嬉々として引用していた。
エンツェンスベルガーて、なんとも名前がカッコいい。
>犯罪者は国家の競争相手であり、国家の暴力独占権をおびやかす存在である
この、寺山が特引用していた部分しか知らなかった。
刮目すべきはやはり、「無邪気な脱走兵」
>第二次世界大戦中、アメリカ軍では程度の差こそあれ脱走や逃亡を行った兵士
>が2万1千人を超えた。そのうち49人が銃殺刑の判決を受けていたが、実際に執
>行されたのは、スロヴィクの銃殺刑のみであった。
この空前の貧乏クジを引き当ててしまったのは、
>戦争についてかれは無知だったが、それは彼が平和に無知だったからだ。敵に
>ついて無知だったのは、かれが友に無縁だったからだ。
という、ある種のアメリカの典型的な若者だった。

300ぺろぺろくん:2017/06/11(日) 21:33:42
◇エンツェンスベルガー 『意識産業』

>意識産業は、現存する支配体制をセメントでぬりかためようとする

というのがたまたま目について、買って置いたのだが……。
どこぞの御用新聞にかこつけてというのではなくて、20年ぐらい前に。
70年初版で79年九刷、というのが信じられない。
自分と同様に、やはり冒頭のこの一行に騙されちゃう人がこんなにいたのか?
なわきゃないだろうが、やはり原著は50年以上前になるので、ネタが古すぎ
て読んでいられないが、この一行で十分だろう。

301ぺろぺろくん:2017/06/13(火) 19:32:57
埴谷雄高が七十を過ぎてから白内障が進んで、小説が読めなくなっしまったというのを
眼にして、自分もあと20年ばかかと……。
極力仕事量を減らして、ネット乞食をやって、文学と格闘してやろう。

◇スコット・イーリィ 『スターライト』

ベトナム戦争物に『キャッチ22』以外の傑作なし、とずいぶん長いこと言われていた。
細部の描写を積み上げていくドキュメンタリーの方法ではとらえられないということで、
マン毛を百万本書きこめばリアルなオマンコになるかと思ったら、ポコチンになってし
まったという作品ばかりだったということだ。
ラテンアメリカ文学を読み慣れていないと、ちょっと辛いものがあるだろうが傑作。
そのうち『カツィアトを追跡して』にも、手を伸ばしてみるか。

302ぺろぺろくん:2017/06/13(火) 19:54:11
◇寺山修司 『戦後詩』

自分が詩を書いていたのは十代の後半の時期で、失われた大爆笑を取り戻すためだった。
中学に入学したばかりの頃、友人がガクランの下をエロ本で膨らませて部屋に上がろう
としたところを、ちんけなオカンと国立大学教育学部のお姉にとっつかまった。
>なに持って帰って来てんの!おまえは!!
床に散らばったのは、学校教育をせせら笑っているような
「愛欲」、「少女の悶え」、「More Buttter」、「堕天使地獄」、「濡れ濡れ」の文字群。
不埒な文字群を拾い集めようとしゃがんだ友人と、呆然と立ちつくす女性陣を目の前に、
必死で笑いをこらえていた。
なぜ笑いをこらえなければならないのか!大爆笑するべきだったのに!!
そんな悔恨を詩にしていたので、「日活ロマンポルノ」や「傷だらけの天使」のタイトル
にあるような構文を援用していた。
残してあったら、ぜひ見てみたい。
寺山修司の戦後詩の評価基準は、「話しかける詩」、「考えさせる詩」であった。
ここの詩人の人物評が適確で、これしかない寸評に感服する。
西東三鬼……しょんぼりしていた目を思い出す。金を借りることの上手な男だったそうだ。
長谷川龍生……彼はときどき、気がふれるらしい。

303ぺろぺろくん:2017/06/13(火) 20:06:07
◇『黒田喜夫詩集』 思潮社現代詩文庫

寺山修司選の戦後詩人ベストテンにも入っている。
なんの予備知識もなく、この人の詩を眼にしたら、唖然とするだろう。

>夕暮れをかすめる市街電車の跛行と
>家への反抗をくちずさんだインテリ女への失愛をこえて
>石油コンビナートの奥に隠された廃家の村に到るというのは幻だが

なんのことだか、さっぱりわからない。
たちどころにその意味を理解できたという人が居たとしたら、その人は気がふれている
のではないか?
舞台はは昭和三十年代の川崎だが、もうどこにも存在しない「石油コンビナートの奥に
隠された廃家の村」に拉致されたような気分になる。

>日本の一番底辺の抑圧された層の無意識を夢を手がかりにして、オブジェの世界とし
>て提出したかった。

たしかに普遍性のある世界である。

304ぺろぺろくん:2017/06/14(水) 21:16:19
◇大川渉・平岡海人・宮前栄 『下町酒場巡礼』

元版は98年なので、今となってはその半数以上は幻の酒場となってしまった。
昔は良かったというのは、2000年あたりまではまだまともだったという
ことだろうが、98年、たしかにまともだった。
どういうのをまともなのかというと、

>飲みはじめれば、原子の混沌か、それとも、未来の大破局のなかへ踏み込んで、
>記憶も消え入りそうな暗黒の奈落の底で、自分が自分でなくなった確認をいち
>どしてみなければ気が済まないのである。

こういう埴谷雄高さんのような方がいた時代をいう。
97年になくなったのか……。

305ぺろぺろくん:2017/06/16(金) 21:30:40
◇『中桐雅夫詩集』 思潮社現代詩文庫

若い時分に何度も読み返してきた詩人ばかりだし、100ページちょっとのものだから
朝の2時間ばかりで読了できるだろうと思ったら、大間違いで8時間ぐらいかかるな。
『荒地』派のなかではいちばん垢抜けてて、普遍性があるのはこの人じゃないかな。

>利根川と真鶴の間の海の
>あのすばらしい色を見ると、いつも僕は
>生きていたのを嬉しいと思う、

>人はなぜ人を悲しますものになるのか。
>ぼくは、庭のクローカスが、けさ
>始めて花をつけたことを考えようとした。

>牛乳の瓶が冷たく光っている
>夏の朝には耳掻き一杯の自由がある。

人前で朗々と読み上げる言葉ではなくて、ひとりに返ったときに響いてくる言葉だ。

306ぺろぺろくん:2017/06/18(日) 21:18:48
◇ル・クレジオ 『調書』

66年の初版で、79年で15刷。
その数年後に古本屋で五〇〇円で入手したものだが、この時代あたりまでは
みんなずいぶん無理して読書していたもんだというのがわかる。
高校の頃はあまりにもつまらなくて40ページ辺りで投げ捨てて、著者と同
い年の23の時にもう一度挑戦してみたが、歯が立たなかった。
さすがにこの歳になると、読める。

>電話をおもちゃにしはじめたら、断じて躊躇してはならない。数秒間とい
えども、流れを止めて反省してはならない。

>兄弟たちよ、私はテレビであり、あなたはテレビであり、そのテレビはわれ
われの中にあるのだ!

とか、自分が言っていてもおかしくなかったようなことが書いてあった。
自分の言葉ではなく、メディアで流通している肥溜めのような言葉に自分を溶
かし込んでしまうことは危険なことだ。

307ぺろぺろくん:2017/06/18(日) 21:35:23
◇ル・クレジオ 『悪魔祓い』

幼児的な言葉づかいで、快刀乱麻を断つがご如くのもの言いで撫で斬りにする一方、自
分の誤りは絶対認めない人間を、世界が欲したことはない。
そんな産業廃棄物のような人間も最初からそういう人間だったのではなく、資本主義経
済のウィーナーとして選ばれた段階から、そのような人間性を付与された。
そういった図式が続く限り、未開部落への憧憬は棄てられない。
横尾忠則も言っているように、未開部落の哲学エンターテイメントが待たれているので
はないか?と、模索しているところ。

>歌うとは、音楽を奏することではない。それは理解不能なある言葉の助けを借りて、
>目に見えない世界と連絡することである。

ル・クレジオは30年以上もインディオの研究に没頭した後、インディオの生活とは
一体化できないことを表明していた。

308ぺろぺろくん:2017/06/21(水) 08:02:36
◇風間賢二 『ダンスする文学―いま読める小説ガイドの最先端』

「小説ガイドの最先端」といっても、25年前の最前線なのはいつものこと。
20年前にザッと目を通したときには、電話帳のごとき人名の羅列にしか見えなった
ものが、色と形を持って模様を描いて見えるのは年の功か。
それにしても、あれだ、ポール・ボウルズやリョサ、コルタサルといった読むべきも
のほど、後回しにしたままだ。

309ぺろぺろくん:2017/06/21(水) 08:08:26
◇高田 保 『ブラリひょうたん(中)』

>いかがわしい読物ばかりのせている雑誌から「近頃の美談はないか」というハガキ問合せ
>が来た。「あなたの雑誌が廃刊したら美談になる」と返事をした
もちろん、掲載されなかったそうだ。

このなかでで印象的だったのは、小泉八雲のこんな逸話。
結婚後まもないころ、八雲がある所へ旅行した。夫人がその旅行先へ訪ねてきて、旅宿の階段
の途中で夫人が八雲に、「アナタ」と呼びかけた。八雲にとっては全く思いがけないことなので、
この「アナタ」という日本語が天外の言葉のように聞こえたそうである。
後日八雲は、この時の「アナタ」という日本語を、強いて夫人に発音させたそうだが、夫人が
苦心して同発音しても、違うといって手を振ったそうである。
これぞ小説的というものだろう。
日常から一触遊離した次元への誘い、天外の言葉を捏造すること。

310ぺろぺろくん:2017/06/24(土) 18:29:45
◇小谷野 敦 『恋愛の昭和史』

土屋昌巳と一風堂の「すみれ September Love」に出てくる♪恋に人生かけてみようか♪
を口ずさんで、鶴見辰吾と伊藤麻衣子の『高校聖夫婦』になってしまうというのが、自分
の世代の不幸の見取り図だった。
それから彼らがどんな不幸のどん底に突き落とされたか!については、多くは知らない。
まあ、何のことはない、北村透谷の恋愛至上主義、『青い山脈』あたりから一般化して、
ろくなことはなかった、醜男あがりのインテリが成り上がると、ろくな恋愛をしないという話。
終章の谷沢永一の嘆息が印象的。
だれが見てもお似合いの異性がそこにいるのに、恋愛感情が盛り上がらないからといって、
みすみす良縁を逃していく例がいかに多いことかと……。
良縁への慈しみか、恋愛の悶絶か、なかなか重要なことをいっているような気がする。

ここでは俎上に上がらなかったが、恋愛空間とはいっても、自己の拡張と弁証法的な個の対立
とでは、まったくの別物だ。
無条件に賞めそやしてくれる微温的な同質空間と、どこまでも個人であり続けようとする
個の鎮座する空間では、消費エネルギーが違う。

311ぺろぺろくん:2017/06/25(日) 20:52:14
◇高田 保 『ブラリひょうたん(下)』

最終回が、昭和二十六年の三月という毎日新聞の名物コラム。
アンドレ・ジイドの名は当時全国津々浦々に響きわたっていたようで、瀬戸内の小島で
開かれた座談会に招かれたときのこと、

>先生は、アンドレ・ジイドとキャソリシズムについて、どうお考えですか?
>伺いますが、ジイドはこの島の出身なのでしょうか?
>もしも都会地だったらどっと無遠慮な笑い声も起こったに違いない。それが島の青年
>たちだから、ただ黙って私の顔を見ていたきりだった。

それから約70年、みんな足並みそろえてバカになったというわけだ。
高田保は、上巻ではソフォクレスのこんな文句も引用してたっけ

>一生を馬鹿で過ごせたらこんな幸福はない

312ぺろぺろくん:2017/06/26(月) 21:27:11
◇ル・クレジオ 『歌の祭り』

アメリカ先住民の民族誌だが、小説家というよりも詩人的資質のかった著者だけに、
ときおり電波が入って判読不明なところがある。
詩人とは、世界への希望を見出すことを宿命とする人間だからである。

>世界をおびやかす大洪水に抗して、ひとりの作家に何ができるだろう。
>ただ踊り、音楽を奏でること。すると他の者たちが彼の音楽、声、祈りを聞き、彼と
>力を合わせてくれるかもしれない。
>書こう、踊ろう、新たな大洪水に抗して

全く接点の見当たらない赤江瀑もほとんど同じことを『元清五衰』という短篇で書いていた。

>あの人は、いつか言いました。「人間、みんな、誰だって、一人一人その人なりの砧を一つ、
>手にしてるんだ。いろんな砧を」と。あなたも打つ。あの人も、打ったんだ。その音が、誰
>かの耳に届くかもしれない。誰かが、聴いてくれるかもしれない。聴いてくれなくても、打
>つ。届かなくても、打つ。人間、そういう生きものなんだ。

313ぺろぺろくん:2017/06/29(木) 21:17:37
◇内田 樹 『「おじさん」的思考』

なぜ、この人の文章が好きなのかよくわかった。
いわゆる「姉ちゃん屋」というのがある。
スナックやらキャバクラと呼ばれるあれだ。
それもずいぶんとあるから、それなりに男性諸氏のお眼鏡にかなっているのだろう。
「あんなに楽しいところにどうしていかないの?」
と、言われたとしたら「一般論に悶絶してください」としか言いようがない。
内田氏も「姉ちゃん屋」が大嫌いで、つきあいでその手の店に拉致されると

>じっと下を見て苦痛に耐えている。酒席がしらじらと邪悪になる。

対立のない生温かい空間が、苦行になるというのは少数派なんだろうな。
その昔、「つみきみほ」に似たホモを騙して「姉ちゃん屋」に連れ込んだら、救急車
ものになっちゃったときはびっくりしたな。

314ぺろぺろくん:2017/06/29(木) 21:41:02
◇タマ・ジャノウィッツ 『ニューヨークの奴隷たち』

30年前のニューヨークの最前線は、そのまま1メートル50センチの積ん読の最下段を
担いつづけてきた。
50ページほど読んだところで、投げ出してあったのだ。
もうちょっと我慢して「症例フレッド」まで読んでいたら、通読していたかもしれない。
翻訳の出た88年頃、大流行した

>「本当にニューヨークにはいい男はいないの?」
>「女ならいるわ。女なら山ほどいる。男はみんなゲイ。さもなきゃ奴隷階級の男ばっかり」

いやというほど、したり顔で引用されていた。
でも、それだけなんだなあ。

315ぺろぺろくん:2017/07/03(月) 18:17:25
◇開高 健 『白昼の白想―・エッセイ 1967-78』

日野啓三までは振り返っても、開髙までは目が届かないことが多かった。
やはり、いい作家だ。

開髙は伊藤整から奇妙なエピソードを聞かされた。
作品のなかで伊藤は性描写を試み、男が指を使ったということを書いた。
すると、伊藤と同年輩の高名な批評家(明治後年生まれ)から電話がかかってきて、
「あれはなんのことだね?」と聞かれたということだった。

つと、考え込んでしまった。
その批評家は、指を使わないでどうしていたのだろう……。
ぺろぺろくんオンリーだったのだろか……。
もしや、生涯……。

316ぺろぺろくん:2017/07/04(火) 20:12:06
◇『清岡卓行詩集』  (思潮社現代詩文庫)

著者に関しては勝手な思い込みで、大岡信と並ぶ口語現代詩のお手本的なイメージが
あって、敬して遠ざけてきた。
ところがじっくり読み直してみると、とんでもないものがあった。

>「電話だけの恋人」

>あっ 混線ですね
>このまま 切らないでください

なんと、混線電話を舞台にした詩ではないか

>あなたとはじめて話した真夏の夜明けを
>その空に浮かんでいた電話のダイヤルを
>そのときも 夢からの出口で
>ぼくは煙草に火をつけ
>退屈さに いらいらし
>数字の奇蹟に 賭けたのです
>629ー2111

昭和30年代の後半だと思われるが、そんな時代から混線があったとは……。
この番号にかけて、実践してみた人もずいぶんいたことだろう。
この詩集を買ったのは、92年だったから、ぎりぎりで間に合ったのかも?

317ぺろぺろくん:2017/07/04(火) 21:32:51
◇『藤井貞和詩集』 (思潮社現代詩文庫)

一読するなり、暴力の放棄を余儀なくさせられる詩文というのがある。

>さようなら男よ つちぐもが血路を去ってゆき
>まりもを投げないで
>もっとやさしくなって

それでも男は、まりもを投げるのだ。

>その男は、この世の水槽から
>(私は見た。)
>まりもを投げたのだ
>俗に言う、心ないいたずらである

この詩のタイトルは、『日本の大火からしりぞくまりもちゃん』。
豊田真由子様は心して読むべきだろう。

318ぺろぺろくん:2017/07/08(土) 18:38:08
◇『岸上大作歌集』 (現代歌人文庫)

現代詩歌の棚の整理をしてて、実はこれ、四読目だ。
1回目は中学の時で、寺山修司がいじめているのを見たとき。
2回目は天安門事件のときで、道浦母都子でも福島泰樹でも岡井隆でもなく、岸上。
3回目は10年近く前か、ケロログで、7時間も遺書を書いてからブロバリンを150錠飲んで
自殺したやつがいたという話を録音したとき。
生前を知る人の話では、
>「負けくじを引きつづける……」という生の必然性
という。
>貧しい町の暗い裏通りを首うなだれて歩く。詩人とはぼくにはそんなものに思える。そして、
>自分がそんな詩人でありたいと思う。人生の裏通りを歩いてきた者のみが詠い得る詩を詠う人
啄木風な生活叙情歌人の資質だろうが、その「生活」にバカの猛威が降りかかる直前でもあった。
>ダンスもし 麻雀将棋囲碁するに やはりわれには 短歌が似合う
バカ歌の代表とされるものだが、こういう時代に歌を紡ぎ出すことは無理だっただろう。
いま、代表作を一首あげるとすれば、これ。

>ポストの赤奪いて風は吹きゆけり愛書きて何失いしわれ

319ぺろぺろくん:2017/07/08(土) 19:21:10
◇リチャード・マティスン 『13のショック』

50年前に「恐い話」として書かれたものが、「三文実話」になってしまうというのが
いちばんのショックだろう。
たとえばアメリカ名物の銃乱射。
デパートのネクタイ売り場に勤める風采の上がらない中年男は、毎日同じバスに乗り
合わせている、鼻をクンクンいわせている男の所作に苛立つ。その鼻をクンクンさせ
る動作をカウントしてみると、実に23回。むかつきだしたら隣近所の住人から、店の客、
窓外の車、犬の吠え声、コオロギが脚をこすりあわせる音、おれを破滅させようとして
いるとしか思えない。
>みんな寄ってたかって、おれをやっつけようとしているのだ
自衛のため、肉切りナイフを呑んで、バスに乗り込む……。
そのあとに続く惨劇はお馴染みのもの。

冷泉彰彦氏のメルマガを読んでいたら、アメリカでは「オピオイド」なる強力な鎮痛剤
の中毒で、年間5万人以上が亡くなっているという。ついには、
>米国では「薬物の過剰摂取」というのが50歳未満の死亡原因の1位になっています。
究極のファスト医療だ。

320ぺろぺろくん:2017/07/09(日) 21:32:27
◇莫言 『酒国』

翻訳刊行当時にはずいぶん話題になっていて、新刊で買っていたのだが読んだのは、やはり
その20年後という、ここではよくあるパターン。
その間にノーベル賞作家になっしまったではないか。
大雑把に言えば、アンチ・ハードボイルドなのだが、そもそも民主主義国家でなければミス
テリー小説は存在し得ないし、国家そのものが巨大な犯罪組織として機能しているのならば、
フェアプレーの精神は愚の骨頂でしかない。
訳者の解説で引用されていた、中国の亡命作家のこの発言が本作の骨子を言い表している。

>不条理撃は本来形而上学的な世界なのですが、中国では現実そのものなのです

女と酒の失敗には饒舌だが、貧乏には寡黙である。

321ぺろぺろくん:2017/07/11(火) 21:16:24
◇廣末 保 『辺界の悪所』

>都市の片隅に追いやられた悪所 ―― 廓や芝居小屋は近世庶民の美意識が形成
>した広場であった。賎視された役者や遊女たちが、そこに白昼公然と展開した
>死・怨霊・美の世界を復原し、その意味を明かす。

という内容で、なにかと命がけの江戸中期の文化爛熟の時代の考察書。
通信メディアの発達とともに、なんともくだらない薄っぺらな人が大量発生しちゃっ
て、ついには
>「レコードを選ぶ写真を撮って買わずに出る女子」が物議ww 「買った客は1人も
>いない・・」
ぺらいのが悪いとは思わないが、相手にはしたくない。
>驚くべき若死にと、投げ込み寺への埋葬。死と無媒介にむきあっている遊女
入れあげるとしたら、こっちだろう。

322ぺろぺろくん:2017/07/13(木) 21:34:09
◇森内俊雄 『微笑の町』

ハート・ウォーミングなタイトルとは似ても似つかない、人が死んでたり、化けて出たり、
呪いをかけてこれから死ぬところだったり、という話ばかり。
なかでも不気味なのは、友人宅を訪れた際
>「帰る前に、おれの家の庭を見て行ってくれよ」
と言われ、何度か訪れたことがあったにもかかわらず、その家に庭があるとは思っていな
かっただけに怪訝に思った。
>家の裏手にまわると二十坪ばかりの庭があった。そこには何も植わっていない。空き地が
>ブロック塀に囲まれ、闇をたたえて拡がっているだけである。蛇口のない折れ曲がった水
>道管が、片隅に突っ立っている。
そして、こう言った。
>「なにも生やさないというのは、むつかしいことだな」

この友人は、精神科の勤務医で
>おれは自分が気違いになるのが怖ろしかったから、病気に先手を打ってやったんだ

323ぺろぺろくん:2017/07/14(金) 21:30:19
◇中村雄二郎 『読書のドラマトゥルギー』

著者の主著である『共通感覚論』は、もう二十年来中座したままなのだが、均一で
拾ってきたものはすらすら読めたりする。
氏の著作はどれを読んでも、個人の意識を覚醒させるものがある。
〈考える私〉は存在を疑いえない確実性に導いたが、〈語る私〉は、自ずと断片化
され、分散され、ばらばらになってしまう。
松居なんとかやら泰葉がそのいい例だが、かといって紋切り型の表現に自己を嵌め
こむことは、緩やかな自殺に他ならないことを、ミンコフスキーは指摘する。
>わわわれが生きた人格でありうるのは、何かを表現するためにそこにいるかぎり
>であり、また同時にこの表現能力がわれわれの個人的な生を至るところではみ出し、
>個人的生を生命と世界に統合するかぎりである。

324ぺろぺろくん:2017/07/16(日) 20:02:15
◇諏訪春雄 『心中―その詩と真実』

近松もの、それも特に『天の網島』の解説書。
近松については、必要がある度に読み返す程度の怠惰な読者だが、これだけ懇切丁寧
に指南いただけると発見するものも多い。

>世話浄瑠璃の基本テーマは、家を維持しようとする立場と、多くは愛情に目覚めるこ
>とによってその家の拘束から逃れようとする個人の立場との対立、葛藤にある。
>一方に由緒ある老舗の紙屋の家を守ろうとする側があり、治兵衛は小春との愛を育てる
>ことによって、その家を破壊しようとしている。

これなんだな!
愛を育てることによって家を破壊する、愛のアナーキズム!!

325ぺろぺろくん:2017/07/16(日) 21:12:32
◇内田 樹 『街場のアメリカ論』

オタクの人たちが集まるパーティー・ラインに入っていって、
>きみたちはどうしてそんなにルックルのレベルが低いのか?
と訊いてまわったことがあったが、質問には答えてもらえなかった。
そのうち、岡田としおとかいうオタクの代弁者のような人が出てきて、
「オタクはオタクに忙しくて、精神的な行動半径も狭く、ピザ食って太ることで
マニア度を表明しているんだ」の、ようなことを言っていて納得したことがあった。
>だったら、オタクなんかやめなさい!
と、身も蓋もないことを正面切ってデカイ声でがなり立てるというエンターテイ
メントをやってもよかったのだが、電話じゃないのでめんどくさいからやめた。
これと同じことがアメリカの非常識なデブにも言えるらしい。
貧困層がコーラ飲んでイモ食ってテレビの前でブタになることで、抑圧をアピール
しているのだと。
ここまでくると、あまりの身も蓋もなさに言葉が出ないわ。

326ぺろぺろくん:2017/07/17(月) 21:05:52
◇米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』

新聞と週刊誌の連載をまとめたものなので、石もずいぶん混じっている。
露文の目利きとしてはたしかなだけに、偏愛書のエッセイを読みたかったな。
それでもまあ、20冊以上にチェックを入れてしまった。
それにしても露文は高いよ。
沼野夫妻に浦雅春さんといったあたりが健在なのが救いか。

327ぺろぺろくん:2017/07/17(月) 21:24:25
◇ジェームス・ボールドウイン 『出会いの前夜』

PCでラジオを聞くようになったら、中二病になってしまった。
というのも当時の洋楽番組の看板DJが、未だに帯番組をやっているのだ。
先日も渋谷陽一の番組を聴いていたら、ベンジャミン・ブッカーという米国
の若いシンガーが、J・ボールドウィンに触発されて音楽をやっているとい
うのを聞いて、無性に読み返したくなった。
やはりなんといっても、表題作の「出会いの前夜」。
10代でに絶対読むべき10冊には是非エントリーしたい。
自身のアナーキーな欲望と対面することは絶対に必要なこと。
歳をくって理屈で理解するようになってからでは遅い。
フロイトより先に読まないとダメ。
著名な「サニーのブルース」は、ちょっとできすぎ。
「荒野より遁れて」も、ある種の人には身につまされるはず。

328ぺろぺろくん:2017/07/19(水) 20:54:28
◇デイヴィッド・ロッジ 『考える…』

考えてしまった。
すらすらと読めてしまって、上下段組400ページをほぼ一日で読みきってしまい、
まんまと嵌められてしまったのではないかと。

>ストリップショーはある種の順序が守られなければならない……その順序がいささ
>かでも狂うと、ストリップの枠組みが壊れ、ストリップはなんでもない当たり前の
>ことに見えてしまう

当たり前のこととして看過してしまったところに、とてつもない深淵が顔を覗かせて
いたのかもしれないと。

329ぺろぺろくん:2017/07/24(月) 20:48:10
◇内田 樹 『私の身体は頭がいい』

昼寝の友と思ったところが大間違いで、武道の伝書からの引用盛りだくさんで、
途中からは正座して読んだ。
パチプロが大方のギャンブル小説を読みつくしてしまうと、確率論や哲学や武術
の伝書を読むようになる。
田山さんも早い時間のお帰りを喰らうと、『論語』を読んでいたと思う。
不ヅキを正当化する論理を求めてそうなるのだが、やはり初心者が伝書の類いに
手を伸ばすのは「かぶれる」という理由で良くないことだそうだ。
大義をもって、目前の事実から目を逸らすのは百害あるのみ。
八百長が行われている可能性が大きいからだ。
そういう意味でのみ、現実は正解なのだ。
「標準化=訓育化された」ではなく、「全身がアナーキーかつ群雄割拠的に自律する」
身体論ではなく、賭博論としても正当だ。

330ぺろぺろくん:2017/07/24(月) 21:05:16
◇黒井千次 『群棲』

84年に上梓された連作短篇集。
20世紀後半の小説から、伝言的・パーティー的ベスト10を選出してみようと
昔から考えてはいるのだが、なかなか進まない。
これは、もちろん伝言的な代表作品。
家というものが暴力装置としても、制度としても機能しなくなり、寄生の対象と
してしか存在意義をもちえなくなった時代の象徴的作品。
もっともその十年以上前から、
 ♪パパママ共産党 お前の兄ちゃん中核派
とか、リアルタイムに近くは「狂った果実」の替え歌で
 ♪サイドボードにめりこむ パパの7番アイアン
なんてのが日常だったから、家は形骸化していた。
結婚は家と家のものだから、という敗北主義の御託宣でしかなかった。
戦後の「ホーム」は、家電メーカのばらまいたデタラメなイメージでしかなかった
のか?
追々明らかになってくるであろう。

331ぺろぺろくん:2017/07/25(火) 21:12:13
◇横尾忠則 『見えるものと観えないもの―横尾忠則対話録』

横尾忠則は自分の母親と同じくらいの歳だが、同じ本棚で育っているのに驚いた。
要するに南洋一郎と江戸川乱歩から、生涯抜け出せなかったそうだ。
自宅は理工学書と週刊誌しかない家だったので、近所の図書館の棚なのだが、ずい
ぶんいろんな児童図書があったはずなのだが、この両者と友人の家にある『トイレッ
ト博士』だけで満ち足りた世界だった。
つまり、「偽善とか正義」といったものを叩き壊してやるには、それだけで十分なのだ。
そんなもんに目くじら立てるなんて、中二病か……とか、こういうスカした態度がいち
ばんの病気じゃなかろうかと思う。
普通そういうことをしていると、幽霊を見たりUFOを目撃するようになるのが正常な
生理反応だろう。
電話のころは、便利なキャッチコピーがあったね。
>いい人ジャンプスーツ
ていうやつ。
いい人ジャンプスーツに火をつけろ!て、そういう方向だけは変わらないだろうな。

332ぺろぺろくん:2017/07/26(水) 23:31:22
◇富岡多恵子 『青春絶望音頭』

刊行は50年近く前のものなので、自虐エンターテイメント作品ではない。
氏の作品では「遠い空」という、主人公は性欲という短篇があって、これを読ん
でいる「パラサイト・イブ」なぞ、おままごとにしか思えなくなる罪人である。
まあそういった後年の作品を知っていると若書きの誹りを免れないが、勘の鋭さ
はやはり天賦のものか。
>かつて公娼制度が存在していたころを知る者は一様に、そこにいた娼婦をなつか
>しがる。それは、娼婦というものがオンナではなかったからではないか。
と指摘し、
>羞恥そのものを金で取引するという共犯関係ゆえに、オンナよりも近しく感じて
>いたのではあるまいか
これは自分がよくネタにする、中島みゆきの「悪女」の替え歌で
♪させ子の部屋へ 電話をかけて
に続く、ムフフ笑いと同質のものではないかと。

333ぺろぺろくん:2017/07/30(日) 17:20:06
◇池澤夏樹 (編) 『本は、これから』

電子書籍の普及による従来の紙の出版物の衰退を憂慮する意見が目立つが、ポピュラー
音楽が直面したMP3ショック同様、本を嫌いな人が電子書籍をコレクションするよう
になるだけのことではないかと思う。
スティーヴン・ウィットの『誰が音楽をタダにした?』に、大嫌いなABBAや、聴いた
こともないZZトップまで、アルバムを一万五千枚もダウンロードしてしまった話が書か
れてあって大笑いしてしまったが、多かれ少なかれ似たような経験があるでしょう。
菊地成孔氏の意見にはまったく同感で、同年代はやはりこう思うかと。
>二〇世紀は戦争と資本主義の時代ですから「アーカイブ」というものを前にして矢鱈と
>征服欲が生じる。「何を読み、聴き、喰い、経験したか」という加算的/攻撃的プロフィ
>ールの時代は終わり、「何を読んでなく、聴いてなく、喰ってなく、経験していないか?」
>という減産的プロフィールの時代だ。
ドラゴンボールを読んだことがなくて、ドラゴンクエストをやったことがなくて、ドラゴンズ
ファンである、と言うと私という人間もちょっとはご理解いただけるのではないかと。

334ぺろぺろくん:2017/07/30(日) 18:06:03
◇黒井千次 『時間』

大好きな作家のはずなのに、なぜか迂回してしまうということがある。
いつ読んでもいいに決まってるから、いま読むこともないだろうということだが、時間は無限な
わけではないから、ある程度は厳選していこう。
私は大人になってまでも、人の着ているオーバーを燃やしてしまう癖があって、やはり少年期に
その頻度はいちばん高かった。
小六のあるとき、デカイ姉さんが訪ねてきて
>あんた、ほんとにうちの弟のオーバー燃しちゃったの?
弟といっても二学年上のデクノボーのさらに姉さんだから、高校生ぐらいだったのか、オーバー
は燃えて灰になってしまっている事実は認識しているらしい。
>どうしてうちの弟のオーバー燃しちゃうの、あやまりなさい
弟にあやまるんだか、弟のオーバーにあやまるんだか、よくわからなかったのであやまらなかった。
その出来事の意味はやはりよくわからなかったが、どっかのエッセーで黒井氏がチェーホフの引用で

>四十五歳の女と関係して、やがて怪談を書きだした。

ああ、そういうことだったのかと納得したことがあった。
それで納得できる人は多くはないだろうが、私にとって納得するとはそういうことだ。
初期の黒井作品にも、「古びたレインコート」、「赤いオーバー」が重要なアイテムとして登場する。

>最後の夕日を受けた燃えるような赤いオーバーは、何かの建設予定地でもあるらしい広大な空き地
>のゆるいスロープを登りつめ、俺の視界から切り離されるように消えていた。

高度経済成長の頂の向こうに何が見えるのか、あまり期待は大きくなかった。

335ぺろぺろくん:2017/08/01(火) 20:22:24
◇黒井千次 『走る家』 集英社文庫

初期の黒井千次作品は、都市生活における「時間」と「空間」をテーマとしていて、
大変興味深いが読みづらさも一入。
>電車の中などでふと「どこにもいない俺がほしい」と痛切に感じることがあった。
言い換えれば、アリバイを持たない他者への希求とも言える。
パチンコ屋や競輪場、電話遊びがそうだろう。
そのような場ながく居ると、忘れ物をしてきたような強迫観念に駆られることがあり、
一万円札の両替機に千円札を忘れてきたのでは?、とドキッとすることが日に何度も
あったりする。
>家を建てるとは、柱や畳で押し入れを持つ家屋を作るということではなく、本来は、
>その下にひっそり囲われた暗い奇妙な空間を生み出す営みなのではなかろうか。
それゆえ、すべての家は幽霊屋敷であることを免れない。
現代都市生活では、
>帰宅する技術というものがあるのではなかろうか

336ぺろぺろくん:2017/08/04(金) 21:15:01
◇デイヴィッド・マレル 『廃墟ホテル』

ハリウッド映画のノベライズものを読まされたような感じ。
実際には映画にはなっていないようだが。
なんでこんなものを買ってしまったかというと、アズベリーパークを舞台にして
いるからで、いわずと知れたスプリングスティーンのメジャーデビュー作だ。

337ぺろぺろくん:2017/08/04(金) 21:37:49
◇原 真 『巨大メディアの逆説―娯楽も報道もつまらなくなっている理由』

ふと、なんでハリウッド映画はあんなにもつまらないのか?というのが気になって
引っぱりだしてきたのだが、さすがに賞味期限切れだった。
ハリウッド映画がつまらないのは、あんたが左翼だからだろう!
と言われそうだが、たしかにハリウッド大好き左翼というのはちょっと想像できない。
ギャグとか存在の耐えられない論理矛盾としては楽しいが、ちょっといないだろう。
要するに、キャストの新鮮味でストーリーのマンネリにフタをするだけのことだ。
実際、ブロードウェイの高額チケットを入手するのは、8割以上が40代以上の白人
だというのだから、革新派はからしたら目も当てられないだろう。
近年で、斬新なストーリーってなにがあっただろう?まあ、変なもんばっかり読んで
るから、ぱっと思いつかないが、それにしても黒井千次が気になってしょうがない。
自分自身は左翼だという自覚はまったくないが、ひょっとしたら左翼なのか?
なんちゃって左翼はずいぶん威勢がいいが、これからは「ひょっとして左翼」が台頭
したらいいのに。

338ぺろぺろくん:2017/08/07(月) 20:26:06
◇黒井千次 『家兎』

人それぞれ自分だけの秘密の番号をもっていて、日々そこにかけているとしたら
なんとも魅力的なシチュエーションではないか。
かつては自分たちもそんな幸せな時代に居合わせたことがあった。
黒井千次の短篇作品には、そんな時間が未分化なまま放り出されてある。
「石の叫び」という作品では、地下広場の公衆電話が多数並べられた一隅で、何
度も電話をかけ直す男が気にかかった。
ひょんなところで再会したその男に、そのことを尋ねてみると、地方の観光協会の
寓意的な昔話を聞かせるテレフォン・サービスにかけているのだと言う。
そこにはめったにつながることはなく、もちろん番号は教えられないとも。
その秘密の番号は、村上春樹の『羊をめぐる冒険』の、ハイヤーの運転手のかけて
いる神様の電話につながっているようにも思える。

339ぺろぺろくん:2017/08/08(火) 21:37:24
◇佐藤清彦 『奇談追跡―幕末・明治の破天荒な犯罪者達』

同著者の『にっぽん心中考』が面白かったのだが、こちらはまあなんとも
読み辛いこと読み辛いこと。
まあ、そういう時代なんだろう。
現代の読書界の獲得した数少ない利点のひとつが、リーダビリティ・読み
やすさということだろうが、ないがしろにできない要素だということを再
認識。

340ぺろぺろくんん:2017/08/09(水) 21:14:55
◇早川敦子 『世界文学を継ぐ者たち』

学術論文調の読みづらい文章で、ホロコーストとポスト・コロニアルに特化した
セレクションなので、全世界的ではない。
しかし、このエピソードに出会うだけでも十分に元は取れる。
ナチスドイツのユダヤ人収容所で死んでいった「エルズニア」という9歳の少女が、
靴の中に詩の一片を残して逝ったという。

>むかしむかしのことでした。
>名前は小さなエルズーニャ
>ひとりぼっちで死にました。
>マイダネタは父さんの
>アウシュビッツは母さんの
>命が消えた場所でした。
>ひとりぼっちのエルズーニャ
>その子も死んでゆきました

341ぺろぺろくんん:2017/08/11(金) 21:25:46
◇佐江衆一 『太陽よ、怒りを照らせ』

このひとの『花下遊楽』を読んだとき、これはとんでもない作家を読み逃して
いたのでは、と思ったのだが若いころの社会派作品はムダに熱い。

342ぺろぺろくんん:2017/08/12(土) 20:49:40
◇佐江衆一 『鼠どもへの訴状』

こっちは面白かった、元ネタがいいというのもある。
元ネタは、秋吉 茂 『美女とネズミと神々の島』。
迷信深い年寄りと拝金主義の若者、六〇年に一度海を渡って鼠の大群に襲われる島、
憑きもの筋の家、絶壁から身投げする若い男女、これだけの道具立てが揃っていて
ホラーにならない、ホラーにしない社会派の矜持すら感じる。しかし、ホラーにし
ていたら、モダンホラーの大家になっていたであろう。
生まれ故郷で自身を持て余した若者が都会に出て行く、そのひとりひとりが故郷の
霊を携えて、と思うとロマンチックではあるが、テレビがそれを撲滅した。
都会の生活苦と疎外感から霊魂が離脱してしまうことはよくあった。
新聞青年が6秒十円のパーティーラインで70万円使って、専売所を追い出された。
その三年後くらいに再会したときに、なぜそんなバカなことをしたのか聞いてみた
>だって、さびしかったんだよ
それは全く合理性を欠いており、人間的というよりも、霊的なさびしさであろう。
都市で支配的な観念は経済的上昇と上位の人間関係であって、霊的存在は無視される。
霊的言語空間の復権によって、浮遊する霊のテロを目論む者は少なくないはずだ。

343ぺろぺろくんん:2017/08/13(日) 20:31:16
◇岡本太郎 『今日の芸術』

今日とはいっても、1954年の今日でありながら、紛れもない今日である。
それだけ低俗と一般論は手強く、弱きをくじいて強きをヨイショする人情は、
揺るぎないということである。
たとえば、コギャルの肖像画ばかりを描いている売れない若い画家がいると、
必ずこういうことを言うやつがいる。
>そんなくだらんものばかり描いていないで、富士山を描け!
一言でいえば、強い者と勝っている方が好きな無垢な大衆に向けて、「おれは
弱いぜ」といって見せるのが芸術である。
よく創作論で見かける比喩で、自身の作品をカッパに見せるとか、自己の内面
的他者であるうなぎくんに語りかけるというのがある。
これはインターネット以前のものであろう。
今はもっと、カッパもうなぎくんも身近なところにある。
生活圏内の誰にもとけこめず、ネット空間はハッタリ野郎ばかり、上京してみ
れば受け売りとコネが信条のタヌキの都。
そして、宿主を失ったカッパとうなぎくんだけが残される。

344ぺろぺろくんん:2017/08/13(日) 20:43:58
◇佐江衆一 『裸の騎士と眠り姫』

連合赤軍事件の2年後あたりの作品で、闘うべき相手を見失ってしまうと、山に
こもって権力側に情報が漏れるのではないかという強迫観念に駆られることになる、
ということを正確に見抜いていた。
当時はまだ小学校低学年だったので自覚はなかったが、情報化社会というものの
萌芽がこの頃に始まっていたのだろう。
また、共同性の中で理解されないことを認識すると籠城戦を始めるという、何十万
ともいわれる引きこもりの戦法も、この頃に確立されたのだろう。
加藤清孝のたったひとりのバリケードも、この前の年だったか。
「眠り姫」の方は、ブデりすぎて部屋から出られなくなる、アンチテーゼとしての
デブを見世物するという資本の普遍性を描いていて、なかなか鋭い。
ただ、読んでて気持ち悪くなる。

345ぺろぺろくんん:2017/08/14(月) 21:25:03
◇岡本太郎 『芸術と青春』

岡本太郎は言う
>私には、生活の信条というものはない。
>芸術の信条があるのみだ。
>芸術に徹することによってのみ、生活を捉えることができる。

それは母、かの子の教えを忠実に守った結果でもあると。
>芸術が至上であり、それに殉ずることこそ生き甲斐で、ほかは
>すべて俗事だと

至言である。
それに勝る生き方といったら、パチンコと酒と女にうつつをぬか
して人生を逃げ切ることしかないだろう。

346ぺろぺろくんん:2017/08/15(火) 20:54:39
◇佐藤清彦 『贋金王』

明治から平成一ケタまでの贋金事件史。
先入観かもしれないが、やはり心中がらみの事件になると筆が冴える。
昭和12年、偽造通貨行使の容疑で拘留された男が拘置所で青酸カリ自殺した。
男には前科があったために、指紋から住所が判明した。
しかしそこには、若い女の死体と「法華経」の経本一冊と、父親あてのペン書き
の遺書が一通あった。
>読売新聞は、「口もとには冷ややかな笑みさえ洩らして、悪と知りつつも、ただ
>愛ゆえに生きて、かつ今死を求めた光なき満足があった」と、やや詠嘆調に書いた。
個々の人間が、今とは違ってかわいそうな時代だった。
>ふたりとも体が弱く、とにかく贋金つくりによって、生きられるだけでふたりの人生
>を生きよう。失敗したら、そこでふたりの人生に終止符を打とうと決めたものらしい。

347ぺろぺろくんん:2017/08/15(火) 21:23:27
◇佐江衆一 『消えた子供』

85年に小学五年生で、団地の高層階から飛び降り自殺をした杉本治くんのモデル小説。
>「感受性が強く、協調性に欠け、社会性がない」
2ちゃんねるの煽りではなく、本文中からの引用である。
自分もその典型ではあるが、その先駆的な人物がふたりいた。
ともに62年生まれで、「(世田谷)祖母殺し高校生自殺事件」の朝倉泉、75年に小6
で近所の団地から飛び降り自殺した岡真史。
この3人の存在によって、この手のタイプの人間には自殺は禁じ手となった。
この3人に親近感を持つものは、ひとつの使命を帯びているからである。
>きみの時間をプレゼントすることさ
>相手のことを考えるのが時間のプレゼントさ
と、いうことを佐江氏は代弁している。

348ぺろぺろくんん:2017/08/16(水) 21:03:18
◇岡本太郎 『美の呪力』

大阪万博直前から一年の雑誌掲載をまとめたものだが、まったく古びていない。
>夕暮れの哲学を誰も言わない。だがそれがこのわらべ歌に凝集されているようだ
と、「通りゃんせ」の歌を引く
>それまで別れて遊んでいた男の子と女の子が、一日の終わりに、薄暮のなかで合
>体する。
>幼い魂は夜の迷路を予感している。
わらべ歌の伝承者は、転校生だったとも言われる。
自分の時代には、わらべ歌はどこに行っても同じものが歌われ、期待されたのは替
え歌のヴァリエーションだった。
いまでは薄暮の空き地からわらべ歌が聞こえてくることもなくなったが、夕暮れの
哲学を歌うこんな人もいる。
https://www.youtube.com/watch?v=PvbA523ao_Q
サビの「夕日赤く染め」が「夕日隠そうね」と聞こえるのは自分だけではないだろう。

349ぺろぺろくんん:2017/08/16(水) 21:26:47
◇黒井千次 『夜のぬいぐるみ』

ショートショート集の『星からの1通話』があまりの名著なため、掌篇小説集も
すべてアマゾンで注文した。
黒井氏がみかけたぬいぐるみ作家の言葉だそうだ。

>ぬいぐるみの本質は触感なのだと告げたあと、自分はただ可愛いものを作りたいの
>ではなく、恨みやつらみを縫いくるめよるような気味の悪いものを作りたいのだ

これを読むと、なんだか怪しく光ってこないか

    〈どれでも 七六〇円〉

350ぺろぺろくんん:2017/08/17(木) 20:15:09
◇三浦雅士 『夢の明るい鏡―三浦雅士編集後記集』

七〇年代から八〇年代初頭までの『ユリイカ』『現代思想』の編集後記を列挙した
だけのものだが、なかなかの拾いものだった。
三浦は、「愛とはフォームの問題なのではないか」と考える。
そこで思い浮かべたのは、「オナニーの相互鑑賞プレイ」。
ネット時代になって変な情報が山ほど入ってくるようになってからの収穫のひとつだ。
恋愛とは、つまるところオナニーの相互鑑賞プレイともいえる。
谷沢永一だったか、どこからどう見ても良縁の若い男女が居合わせながら、気持ちが
盛り上がらないからと言って、その良縁を育もうとしないで可惜、良縁を見逃してい
くと嘆息していた。
オナニー気分が盛り上がらないから家庭の構築を放棄するというと、アヴァンギャルド
な匂いがするが、「ときめかないから」というと一般的だろう。
ヘテロセクシャル・ドリーミングはフォームが命。

351ぺろぺろくんん:2017/08/18(金) 20:43:00
◇W.P. キンセラ 『野球引込線』

ドナルド・トランプは貧乏白人の負の側面をデフォルメしているが、キンセラは
貧乏白人の希望を歌い上げた。
野球が現実よりも、ほんの少しだけ大きかった時代の最後の証人だ。
キンセラはいう

>私はリアリストだ。神は存在しない。魔術も存在しない。ただ私は魔法使いか
>もしれない。魔術が存在しないことは魔法使いにしかわからないからだ。

魔女裁判を見るまでもなく、魔法使いでないことを証明するには、魔法使いをもっ
てするしかないのだ。

午後六時を過ぎたら、こういう娯楽小説を読むのが健康的なのだが、だいたい週2
冊ペースだから、精神衛生上よくないんじゃないかと思う。
まあ日に、文学・一般書籍各1冊ずつ、娯楽もの1冊読めれば最高なのだが。

352ぺろぺろくんん:2017/08/19(土) 20:37:17
◇黒井千次 『銀座物語』

この人はほんとに面白い、銀座という上品なイメージの街を舞台にしながら、
傷つきさまよい歩く霊気を漂わせる人物が登場するものが多い。
>「銀座通りに明かりのつくところを、ぼくは初めて見たんです。」
>「私も。」
>「それをいっしょに話せる人がいて、幸せだったな。」
>「私も。」
いたって普通の会話だが、たったの二行ででこうなってしまう。
>ちょうど銀座の街灯がついた時、いい方にお目にかかったのでもう戻らない
>かもしれない、と言いました。」
遊び人のような暮らし方をしていると年に数度こういうことがあるが、カタギ
の人に言わせると生涯に二度あるかどうかだという、それだけ霊気を漂わせて
もいたのだろう。

353ぺろぺろくんん:2017/08/20(日) 21:40:38
◇黒井千次 『時の鎖』

本を買ってきて積んでおけば、読むべきときがくれば本がの方が呼んでくる。
それが電子書籍となるとちょっと事情が違ってきて、人に訊かれれば提供する
だけで、こちらは書棚でしかない。
それがものの持つ呪力なのかもしれない。
いまこうして文筆業再開にあたって、どうしても黒井千次だけは読んでから取
り組みたいと思ったのも、本に呼ばれたようだ。
初期の作品集だけに特に見るべきものはないが、なぜこの稚拙な筆力をして
『花を我等に』のような傑作が書き得たのか?
やはり書かされたとしか言いようがない。

354ぺろぺろくんん:2017/08/21(月) 21:16:14
◇キンセラ 『アイオワ野球連盟』

短篇の「野球引込線」をそのまま長篇に仕立てたものなので、導入は紛れもない
傑作だが、野球ファンタジーの盛りにはさすがについていけなかった。
なんといっても魅力的なのは、歩き巫女的な際限なく家出を繰り返す恋人のサニー
と姉のエノラ・ゲイだ。

>「父は死んだよ。シカゴに住む母と、ビルを破壊する姉がいる」
>「ありふれた一家のようね」と、サニーがいった。
>「人間だれでもアウトローの姉を一人持つべきだよ」と、ぼくはいった。

ビルを破壊する姉は欲しいな。

355ぺろぺろくんん:2017/08/22(火) 17:22:39
◇黒井千次 『見知らぬ家路』

どうしようもなく好きな作品でありながら、その良さをなんとも説明のしようの
ない傑作というのがある。
この「赤い樹木」という作品もそのひとつ。
新入社員の木立K子は、入社したその日に赤いオーバーを着て現れ、そのまま
暖房の効いたオフィスでも頑としてオーバーを脱ごうとしない。
「それを脱がなければ、もう来なくていい」
と、彼女はオーバーを脱がされると猛烈な悪寒に震えはじめる。
自宅に送り届けようと、タクシーに同乗すると平和島あたりの赤土の造成地で、
ここで引き返してくれと言う。
彼女は鉄条網を跨ぎ越すと、空き地のゆるいスロープを登りつめ、視界から消え
ていった。
>彼女が来ることを拒んだあの赤土の広大な傾斜の果てにあったのは、家庭など
>というものではなく、ぽつんと立っている一本の赤い木だったのではなかろうか。
いったいどこに感動すればいいのか、わからないと思う。
1970年の作品で、その赤土の造成地は私の遊び場だった。
その日初めてそこで顔を合わせて、夕暮れとともに「また明日な」と手をふって
丘の向こうへ帰っていったまま、二度と顔を合わさなかった子供たちのなんと多か
ったことか。

356ぺろぺろくんん:2017/08/22(火) 18:16:25
◇黒井千次 『指・涙・音』

>――冷蔵庫のコンセントを抜かぬこと。
>氷が溶けて水が流れ出すだけではない。電気を断たれた冷蔵庫は無用に重い白い函
>へと転落し、家の中にある根拠を失う。
家の中に居場所をなくした冷蔵庫や、家出した冷蔵庫は存在の根拠を失うともいえる。
自分が子供のころに、野っ原に捨ててあった冷蔵庫に入って遊んでいた子供が、出ら
れなくなって死亡したという事故があって以来、捨ててあるある冷蔵庫を見つけると、
必ず怖々と開けてみる。
もちろんそれで何かが出て来たことはない。
川にものを投げ込む遊び流行っていたときに、こいつを投げ込んでやろうとしてお巡
りに見つかって、こっぴどく叱られたことならあった。
電話遊びの時代に、家出人は毛嫌いされる傾向が強く、自分ももちろん家出人おちょ
くり派だったが、それは「傷つきさまよい歩く霊気を漂わせた動物」というよりも、
「ご家庭内でご不要になりました」感を漂わせている者が多かったからだろう。
たしかに、そこにある根拠を失ってしまったものは、暴力を誘発させるものがある。

357ぺろぺろくんん:2017/08/23(水) 21:02:48
◇松山 巌 『百年の棲家』

幕末から現在にいたるまでの、都市論・住宅論。
>記憶できない、のっぺらぼうな町が生まれつつある。
85年当時の著者の雑感だが、大衆的選択として町に顔があることを拒んだ
ということでもある。
一度見たら忘れることのできない街並みに、仏壇屋と仏壇屋の間にソープが
蟄居している町がある。
いや逆に、ソープが両脇に鶴と亀の如く仏壇屋を従えているのかもしれないが。
近所付き合いとかはどうするんだ!とか、疑問は山のように湧いてくる。
パチンコの換金所が小鳥屋さんとか、なにを考えていたんだ!
また、著者が10億円のマンション、41億円の別荘を視察に行くと、そこに
あったのは2LDKや3LDKの拡大版に過ぎない住宅であった。
すべての住居は仮住まいに過ぎない現況を認識することになる。
そこに住んで、暮らすという概念を喪失してしまったことを確認することになる。


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