[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
君主論
10
:
光夢蘭
:2008/06/13(金) 07:34:57
【身捨つるほどの祖国はありや・・・】
・国のあり方についてつれづれと・・・
君主になる以上、特に考えるべきなのが「自分の国の存在価値は何なのか」ということである。言い換えれば他国ではなく、この国が個々の武将たちに対してどのようなプラス面を与えているかということだ。これがなくして、国への「忠誠」は得られないと思う。
仮にある国がそこにいる武将の個性を犠牲にし、あたかも国の計画を遂行するための労働力でしかなかったら(いわゆる共産主義国家状況)ならば、そのような国が統一することに何の意味があるのだろうか?統一する意味がないどころか、そのような国など存続する価値すらないだろう。そういう有害な国はさっさと滅んだほうが幻想戦記全体にとっても望ましいはずである。当然のことながら所属武将のモチベーションは低くなる傾向にある。
それでは、どのような国が理想なのだろうか。それは、多くの武将に「この国にずっといたい」「この国で統一したい」と思わせる国ではないだろうか。そしてそのためには、所属する一人ひとりの武将に価値を与える必要がある。それは、本人の希望や目的を叶えるものであったり、日ごろからの雰囲気を大切にすることであったり、人と人との間に信頼や尊敬を生むものであったり、お互いに切磋琢磨して高めあうものであったり、あるいは笑えるネタを十二分に提供することであったりするのだろう。
「国」自体に人格はない。国とは武将1人1人の集合体としてであり、個々の武将の総体が国を形成している。であるならば、「国のため」というのであれば、それは「個々人のため」というのが前提になければならない。個人に犠牲を強いながら「国のため」というのであれば、それは偽善である。
幻想戦記は個を伸ばすことによって、個人としても集団としてもさらに強力な戦い方ができる仕様になっている。武官は武官として、文官は文官として、指揮官は指揮官として、補佐官は補佐官としての戦い方を極めることにより、より大きな活躍をできるようになる。また、裏方的役割に回るにしても、能力や特性を生かした人員配置によってその後の成長や活躍に大きな影響を与えることになる。当然のことながら、自己実現のできた個々の集まった国のほうが、全体として強い力を持っている。
「自分の国の存在価値は何なのか。」君主としてプレイするのであれば、このことをぜひ念頭に入れておきたい。凡そ戦略や戦争は将兵一人ひとりに活躍の場を与えるための手段として実行するのが望ましい。そこで、仮に志半ばで滅亡してしまっても、その中で一人ひとりに与えられたものは消えることはない。むしろ、それは次期以降に向かってまた新たな夢と希望の種をまくことになるだろう。それができる国こそ立派である。
どんなに生き残っても統一した瞬間に国は死を迎える。残念ながらその国は次期には引き継がれないのである。次期に引き継がれるのは、個々の武将の新たな熱い想いであり、次なる夢である。1つの国としては、あるいは個人としても、世代を超えて活躍するたくさんのプレイヤーを生み出すことこそ最も大切な役割なのではないだろうか。
自分の国を良くするために、何ができるか考えよう。幻想戦記はシステムは非常に精巧にできている。しかし、その中で有効な戦略・戦術等について未開発の分野は非常に多い。これは管理人ではなくプレイヤーが開発する分野である。そして幻想戦記の主人公は管理人ではない。もちろんプレイヤー一人ひとりである。仕様を研究し、人を研究することによって、今後とも様々な戦い方が編み出されていくことをひそかに期待している。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板