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エッセーなど。

316名無しさん:2024/04/26(金) 20:00:49 ID:N6HUgEX6
久保田啓「
数年前、ドゥルーズ・ガタリの思考、ミッシェル・フーコーの思考について、少しだけ勉強しました。勉強した結果、蓮實重彦が、「闘争とエチカ」という本を出版する前後に、「闘争とエチカ」、「批評空間」という雑誌で、詐欺師のレベルで、読者を、騙すことに、力を注ぎ、哲学の低いレベルで、誤読をしていることが、判明しました。蓮實重彦は、かなり、死にました。蓮實重彦が、読者を、騙しているというのは、一つは、「ドゥルーズは馬鹿だ」と、発言しながら、ドゥルーズからの引用ばかりを、著書で発表しているところにあります。また、蓮實重彦は、ドゥルーズからの引用を、発表するとき、ドゥルーズからの、完全な引用であることを、毎回、隠蔽します。「闘争とエチカ」で、蓮實重彦は、「イメージばかりが流通して、批評は、流通しない。」と、発言しています。ドゥルーズが言うように、「イメージ」というものは、「イメージの強度」として扱うというのが、理論的には、正当で、正解の理論です。また、蓮實重彦の場合、「イメージ」というものの批判の理論を、ドゥルーズから、学んでいるのですが(確か、そうだと、記憶しています。蓮實に、ぼくは、記憶力を取り上げられていて、蓮實が、「イメージの批判」を、ドゥルーズから、引用しているかは、よく覚えていないのですが、蓮實が、「イメージの批判」をしていても、「イメージの強度」に、着目していないのは、間違いないです。)、そのことを、毎回、隠蔽します。また、「イメージの批判」というものですが、ドゥルーズではない多くの人たちも、よく、していて、ありきたりな、理論でしかないです。繰り返すと、ドゥルーズを参照して、「批評は流通しない。イメージは流通する。」というのは、低いレベルでの、蓮實重彦の哲学の誤読です。蓮實重彦は、フーコーの、信奉者なのですが、著名ではない、外国の哲学者の、素朴で、理論的に正当な、フーコー批判を、独断で、却下していて、その理由は、ぼくには、不可解です。少し勉強すると、蓮實重彦の低いレベルでの、誤謬を暴くは、とても、簡単です。」

久保田啓「蓮實重彦は、ドゥルーズを、「と」の人と、発言しています。「と」というのは、器官なき身体における、「と」、のことです。少し、ドゥルーズを勉強したのですが、公平に判断して、「器官なき身体」の、理論が、ドゥルーズの理論で、最も、重要な理論と言うのは、蓮實重彦の持論でしかなく、独断でしかないです。例えば、「器官なき身体」に関する、理論と、「リゾーム」の理論を、比較した場合、リゾームに関する理論が、平易で、重要度が、「器官なき身体」の理論より、低いというのは、蓮實の持論です。また、「消尽するもの」という著書は、個人的には、「器官なき身体」より、ドゥルーズの重要な著書であると、考えます。少なくとも、ドゥルーズは、「と」、の人であるという、蓮實の意見は、持論でしかないのは、間違いない感じでした。
また、蓮實は、唯物論を最上なものとして兼用するのですが、ドゥルーズの理論による場合、「唯物論が全てを侵食することを拒む意味、イメージの強度。」というものが浮上します。」
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