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君の知らない救世主物語 『第二幕』

96抗いの救世主メシア・エステバン:2021/01/03(日) 10:58:31
ちなみに、元大工職人である私の視線からひと言。
東アジア地域に多い、寄棟造り(よせむねつくり)の家や合掌造り(がっしょうつくり)の家に神社の建物の創りなどは、いずれも
2000年以上前の古代の海洋遊牧民の倭人達が陸上生活をする時に、長方形の四隅に高さ2メートルほどの
木(小舟で使用する場合には浅い海底に突き刺して、船の推進力にする)を突き立てて柱にして、海上移動基盤である小舟を陸に上げて
逆さまにして、柱の上に乗せて屋根として簡易的な家を創った名残なんですねー。

この方法で陸地に上がった時に、急ごしらえの家を作ることで短時間に家を建てたり取り壊したりできる優れモノとなりました。ハイ。
柱に使う長い棒は船を漕ぐときの棒になりますし。屋根は小舟をひっくり返とといったあんばいで、現代人がキャンプでテントを
設営するよりも短時間で陸地に家を設置できたわけです。スゲー


古代の海洋遊牧民の倭人達は、東シナ海沿岸部を家族単位の小舟で移動しながら、沿岸部の海産物を収穫しながら
周遊生活していたわけですね。たまに大雨や嵐に遭遇すると、陸地に上がって即席の家を作って、天気が回復するのを
待っていたというわけです。日本列島各地だけに住んでいた半採集半狩猟民族の縄文人とは、生活範囲も違って土地支配を巡って
争いあうなどの敵対する理由がまったくなくて、互いに物々交換で交易しながら仲良く暮らしていたわけです。

縄文人が暮らしていた竪穴式住居は半地下式の円形型ですよね?
神社の建物とか武士の家の造りとかとはまったくベツモンの構造をしています。
その代わりに縄文人が使っていた竪穴式住居は、そこに住んでいた家長が死んだりすると、
家を取り壊して別の場所に新しく竪穴式住居を建てて、前にあった場所は土で埋めて盛り立てて円墳(えんぷん)として、
大切な家族を祀る(まつる)お墓にしていたという。こちらもすごく無駄のない合理的な使い方をしていました。


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