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君の知らない救世主物語 『第二幕』

67メシア・エステバン:2020/08/27(木) 16:01:49
慈悲の心と慈愛の心もまた、情報の共有によって発生した価値観であり、
情報の共有であるドミノの駒が、慈悲の心と慈愛の心に方角に倒れていく(意識の変化)のは、
間違いなく善であり、疑う事なき絶対的な正義であるという事である。


慈悲の心とは、苦しんでいる生き物、不幸に合う生き物、殺される側の生き物、悲しみに満ちた生き物に対して、
同情する悲しみの心であり、苦しんでいる生き物、不幸に合う生き物、殺される生き物、悲しみに満ちた生き物との間で、
悲しみの波長を同調させた情報の共有につながる。

慈愛の心とは、喜んでいる生き物、幸せに満ちた生き物、殺す側の生き物、楽しみに満ちた生き物に対して、
嫉妬心(しっとしん・うらやましいという心)や憎悪心(ぞうお・敵意や復讐に満ちた心)を持たずに
反発しない愛しさ(いとしさ)の心であり、喜んでいる生き物、幸せに満ちた生き物、殺す側の生き物、楽しみに満ちた生き物との間で、
喜びの波長を同調させた情報の共有につながる。


共有する価値観は人それぞれである。
価値観という曖昧(あいまい)でいい加減な代物は、
生まれや育った環境によって違って来るし、国籍や性別によっても違うし、生まれ育った世代によっても違う。


慈悲の心を持たずか、慈悲の心を捨てた者にとって、人や生き物を無慈悲に殺して回るのが楽しいと思う価値観の人がいれば、
慈悲の心が強すぎて不幸な目に遭(あ)っている人や生き物を助けて回るのが楽しいと思う価値観の人もいる。

残酷な事が好きな心を持つ人や、残虐(ざんぎゃく)な事を残虐とも思わない心の人は、皆、
恵まれ過ぎた生まれ育った場所と環境、恵まれた家系や地位によって慈悲の心を持たずに成長してしまったか、
つらい事や悲しい人生ばかりを送ってしまって、贅沢(ぜいたく)したい願望や楽しい事をしたい願望に、
快楽(かいらく)生活にあこがれ続けるあまりに、反発心で慈悲の心を捨てた人のどちらかに分別される。


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