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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で絶対正義

898メシア・エステバン:2018/02/18(日) 09:49:00
2018年2月18日(日) 小倉11R 第52回 小倉大賞典のレース見解7

与えられた武器の数(馬の数と弓の数)と優秀な兵士の数が一番多かった一番家格の高い王は、侵攻先の縄文人らを駆逐したり奴隷化する事に成功して、北部九州周辺の支配力を高めた。

のちに、大陸民と先住縄文人らが結成した連合軍が、三番目に家格の高い王が指揮する中九州方面百済軍を撃破したのち、北部九州へ反撃してきて、
数十年に渡る戦いののちに敗北して、北部九州から船で百済国へ撤退する際、北部九州の縄文人王族が所持していて、戦利品として奪い取った金印は、
逃げる途中に停泊した博多湾の小島に石で囲って埋めた。
(金印を小島に埋めた理由は再びこの地に、九州王として戻ってくるという意味と、百済王に金印を隠し持っている事を見つかれば処刑されてしまう恐れから)


三番目に家格の高い王も、一番家格の高い王のやり口を真似て、侵攻先の縄文人らを駆逐もしくは奴隷化しようとしたが、
その地域にはシナ大陸から移住してきた大陸民らが数多く住んでいたのと、北部九州から駆逐された縄文人が南下して住み着いていたので、
百済軍に対する恨みと憎しみによる激しい戦いと、大陸民と先住縄文人らが結成した連合軍の前に各地で敗退して、充分な支配地を確保できずにいた。
(ゲリラ戦に特化した熊襲族との戦い)

それでも一番家格の高い王から援軍として派遣されてきた騎馬兵や兵士を使って、ほぼ互角の奪い奪われの戦いを各地で繰り広げていた。


二番目に家格の高い王はもっと苦戦した。
その地域には海士部族の縄文人が数多くいたので、馬を使った陸地戦では勝利しても、海上での戦闘ではまったく勝ち目はなかった。
そこで、二番目に家格の高い王は、海士部族と対立して駆逐や奴隷化するのではなく、互いに交流し合って融和して支配地を拡大させる方法を取った。

四番目に家格の高い王の地域にも海士部族が数多く暮らしていたために、二番目に家格の高い王と同じく、
海士部族と同盟を結んで支配地を拡大する作戦を取ったが、三番目に家格の高い王が縄文人を徹底的に駆逐する作戦で戦い続けたために、
土地を奪われてやむなく九州南部に南下してきた縄文人の恨みを買って、融和政策を取って支配したものの各地で反乱が絶えなかった。(海上戦に特化した隼人族の反乱など)


      (´⌒`) コマッタモンダ
      l | /
  ⊂ヽ〆⌒ヽ
   ((( (#‘д‘)、 <いつまで消された真実の古代史を語っとるじゃい!!
    γ ⊂ノ, 彡  さっさと今日の予想と買い目を書かんかい!!
    し'⌒ヽJ
        |l| |
      )@ノハ@(_オンドリャー!!
      ⌒〆⌒ヽ(⌒


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