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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で絶対正義

897メシア・エステバン:2018/02/18(日) 09:40:36
2018年2月18日(日) 小倉11R 第52回 小倉大賞典のレース見解6

ユーラシア大陸で起きた南へ西への民族大移動の過程で、日本列島にもシナ大陸の南部から追い出されて行った家族が小舟に乗って日本列島に移住してきた。
チベットやネパールに近いブータン国のブータン人にベトナム北方民やシナ大陸南西方の少数民族らが、日本人と同じ顔つきや、よく似た生活習慣なのも、
元々は揚子江周辺で暮らしていた同じ民族が、陸地を西へ向かった家族の集団と、海上を東へと向かった家族の集団とで、新しい移住先が東西に大きく分かれたせいである。

ユーラシア大陸の一方でユーラシア大陸の西方に位置する民族は、大陸のさらに西へ西へ、ヨーロッパ地域の西へと移動していった。(ゲルマン人大移動)
のちにこの大きな西への流れは、途切れる事なく、アメリカ大陸東海岸へ、アメリカ大陸東海岸から大陸を縦断して西海岸へ。
中南米のカリブ海から南米大陸へ。ヨーロッパからアフリカ大陸へ。そしてインド大陸やオーストラリア大陸へと、集団で移住していく何千年も流れが続いた。

これらの大きく移動する流れが、特定の方向に向けて途切れなく続く現象を私は「紅海方位(こうかいほうい)」とすでに名付けている。


朝鮮半島の一部を支配する百済王朝も、北から南下してくる武装北方民族の脅威に対抗するため、百済民族による
百済国より南の地域への侵攻と移住を開始した。

それが九州博多地域を拠点にした日本列島に対する侵攻作戦である。
百済王朝の王は信頼する王族の血縁者4家族の王を、日本列島に対する侵攻作戦軍の四方面の将軍に任命した。

一番家格の高い王を日本列島に対する侵攻作戦軍の総司令官に任命して、九州島北方面(福岡県や佐賀県の地域)への侵攻を命令した。
二番目に家格の高い王を、本州島西方(山口県から島根県や広島県瀬戸内海に通じる地域)への侵攻を命令した。
三番目に家格の高い王を、九州島中央(熊本県や大分県に長崎県の地域)への侵攻を命令した。
四番目に家格の高い王を、九州島南部(鹿児島県や宮崎県の地域)への侵攻を命令した。(のちの天皇家)

こうして百済王に命令された同族の王らは、日本列島各地で騎馬隊200人、兵士隊500人、食料生産輸送隊300人で編成された
1000人単位(千人隊長)の指揮官として、女子供の家族を引き連れて3000人〜5000人単位の大集団として、
侵攻を命令された各地へと集団移住していった。


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