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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で神人超人

891メシア・エステバン:2014/10/30(木) 04:34:35
大坂城に攻め入る徳川方も風水理論を熟知していた軍師か武将が居たはずだから、風水で鉄壁に守られた大坂城の構造を見て、「こりゃ、攻め落とすのは無理だわい。」
と、大坂冬の陣では、外堀より外の城外での戦いに終始して、天守閣に向けて大筒(おおづつ・大砲の事)を撃ちまくって、
豊臣方を心理戦で消耗させて和平交渉を持ち込み、策略で外堀を埋めたのは当然だわ。


大坂冬の陣での和平交渉で、現在の真田山公園あたりにあった大坂城の外堀を埋める事に成功して、大坂城の中心位置は北へ大きくズレた。
すなわち、天守閣のある本丸付近にまで大坂城の中心位置がズレた事で、今度は守る側の豊臣方のトップが立て篭もる(こもる)本丸が不安定な中心場所となった。

外堀を埋めて、大坂城の中心位置を北にズラす事に成功した、風水理論を知り尽くした徳川方の軍師及び武将は、対豊臣戦の勝ちを確信した事だろう。
外堀を埋めた半年後、即座に大坂夏の陣において豊臣家を滅ぼしにかかる戦いを挑んだ。


結果は歴史の通り。豊臣家はこの戦いによって滅ぼされた。
豊臣秀頼と、豊臣秀吉の愛妻、淀君(よどぎみ・織田信長の娘)は燃え落ちる大坂城天守閣で自害し果てた。

西暦1615年、今から約400年前の出来事であった。


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