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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で神人超人

768メシア・エステバン:2014/08/18(月) 05:19:18
こんな不利な地で敵を迎え撃って合戦をするように命じたのは、戦(いくさ)の経験がない後醍醐天皇と側近らの貴族達であった。

戦の経験が豊富な武士が命令を下して自らも参加して軍の指揮をふるう足利尊氏軍の北朝側と、
戦の経験がまるでない貴族が命令を下して、合戦地まで指定されて命ぜられるがままに戦わなければならない楠木正成軍の南朝側では、すでに戦う前から勝敗はついていた。

現地で戦う経験豊富な武士ほど、湊川の地に陣を敷いた時から自軍の負け戦が見えていたことだろう。


西暦1336年に起きた湊川の合戦の教訓は、約600年後の西暦1939年〜1945年の太平洋戦争(第二次世界大戦中の日米戦争)の時にもまったく生かされる事がなかった。
日米(にちべい=日本軍対アメリカ軍)の両軍が太平洋を主戦場として戦った太平洋戦争では、日本軍側の作戦と命令は大本営(だいほんえい)から発せられて行われた。

戦場からはるか遠くの安全な京都の地に居ながら、湊川の地で戦えと命令を発した、戦の経験がない貴族出身の後醍醐天皇とその側近達と同じく、
戦場である太平洋の島々からはるか遠くの安全な東京の地に大本営を構えて、実戦経験がほとんどなく図上演習の経験しかないエリート参謀らが、
何月何日どこそこの海域で戦え、何月何日どこそこの島に上陸して占領しろと、作戦を立てては、最前線での実行の困難さなど無視して命令だけを発する。


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