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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で神人超人

767メシア・エステバン:2014/08/18(月) 05:16:51
四日目(7月17日・日曜日)も、結局はウインズに馬券買い以外は、どこにも出かけませんでしたが・・・


出かける予定としては

翌日の四日目(7月17日・日曜日)は、奈良県御所市(ごせし)まで電車で行って、そこからバスとロープウェイを乗り継いで、
奈良県と大阪府との県境にある葛城山(かつらぎやま=標高959.2m)まで登って、そこから南の尾根伝いに金剛山(こんごうさん=標高1125m)まで縦走して、

帰路は大阪府河内平野の千早赤阪村(ちはやあかさか むら)方面に下山して、鎌倉時代末期の南北朝時代に、南朝側として挙兵(きょへい)した、
楠木正成(くすのき まさしげ)の居城があった千早城(ちはやじょう)を見学して、さらに下山して帰宅するつもりだった。


※楠木正成は新田義貞(にったよしさだ)と共に南朝側(後醍醐天皇側)の軍勢を率いて、兵庫県神戸市中央区にある、
楠木正成を奉る(まつる)湊川神社(みなとがわ じんじゃ)近くの浜辺で、九州の軍勢を率いて京の都へ攻め入らんと東上してきた、
北朝側の足利尊氏の軍勢と合戦を行い、敗れて自害した。

湊川神社近くの兵庫の地は、背後の山裾からすぐ目の前の海に面した平坦部の地形であり、山岳部でのゲリラ戦を得意とする楠木正成の軍勢にとっては、
船で東上する大軍の足利軍を、少数の軍勢でもって海岸線の水際で迎え撃たねばならず、大軍の動きを封じ込めれる背後の山岳地の中で戦えない苦手な合戦地であった。


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