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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で進化祭り

89メシア・エステバン:2012/03/15(木) 00:08:31
古くは、今から1500年前〜1300年ほど前の、天皇一族を唯一の神とする、朝鮮半島は百済(くだら)の国から日本列島に移住してきた一神教の悪民の集団に、縄文系日本人の許しなく
勝手(かって)に大和(ヤマト)の国を興され(おこされ)、「この日本列島すべての土地を我らが一神教の神である天皇の所有とする。」と一方的に宣言(せんげん)されても、ごく一部の縄文系日本人のみが、
侵略者に対して抵抗運動の戦いを起こしただけで、大半の縄文系日本人は、天皇教のそれもまた多神教のひとつであると考えて、大いなる寛容さと優しさで、侵略者の一方的な日本列島征服宣言をも受け入れてしまったのだった。

次に外国から日本列島に来た神は仏教であった。
この仏教もまた、大半の縄文系日本人は、仏教のそれもまた多神教のひとつであると考えて、大いなる寛容さと優しさで、日本列島に受け入れたのだった。


その次に日本列島に来た神はキリスト教であった。
このキリスト教もまた、大半の縄文系日本人は、キリスト教のそれもまた多神教のひとつであると考えて、大いなる寛容さと優しさで、日本列島に受け入れたのだった。
がしかし、戦国乱世の時代を戦いに明け暮れ、乱世を勝ち進んでいった豊臣秀吉と徳川家康だけは違った。
キリスト教は日本列島に大いなる災い(わざわい)をもたらす悪神として禁教にして、国内のキリスト教徒(隠れキリスタン)を次々に弾圧していったのだった。

なぜなら豊臣秀吉と徳川家康は、多神教の価値観を生活の基盤に置く縄文系日本人でなく、一神教を崇拝する渡来系日本人であったからだ。
だから、豊臣秀吉と徳川家康は、多神教の価値観を持つ縄文系日本人の大いなる寛容さと優しさを持ち合わせていない、一神教の価値観こそが絶対だという渡来系日本人であったからだ。
(徳川家康がシナ大陸からの渡来系日本人で、豊臣秀吉が朝鮮半島からの渡来系日本人の線が濃厚である。)


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