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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で予言成就

705メシア・エステバン:2011/10/20(木) 23:47:19
第72回 菊花賞(別名:社台信長グループ秋の三冠祭り大運動会)の予想2

かっては200万石(200勝以上)を越える領地を所有していた、社台信長家臣団の中では随一の大大名の武豊光秀丹波守ではあったが、社台信長の怒りを買って領地をことごとく没収されていった今となっては
丹波の国一国のみの50万石(50勝)大名にまで格下げとなっていった。

社台信長から完全に干されてしまい、社台信長軍団の中での地位も大きく低下した、そんな武豊光秀丹波守の内心は、プライドをズタズタにされた社台信長に対する憎しみと復讐心だけが強くなり続け、
機(チャンス)があれば社台信長に対して謀反を企んでもおかしくはない状態となった。

京都本能寺本殿の菊花賞評定裁定に、用事を理由に参加しなかった武豊光秀丹波守の元に菊花賞の前々日に、社台信長から軍命の手紙が届いた。
手紙の内容は「池添オルフェーヴルの三冠を支援するために手勢を率いて淀城に出陣しろ。」との内容であった。

武豊光秀丹波守はこの出陣命令を「千歳一隅の好機」と捉えた。
今こそ、憎き社台信長に対して謀反を起すべき機が熟したのだと、武豊光秀丹波守の心の中は「打倒社台信長!」への復讐心で燃え上がった。

「武豊光秀丹波守、謀反の企て有り!」
丹波の国に忍び込んでいた甲賀忍者からの一報が、本能寺本殿でくつろぐ社台信長の元に届いたのは、菊花賞当日の3時すぎであった。
時すでに遅し。一報から数分後に菊花賞のレースは発走していたのだった。


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