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原則学・痕跡学・運気学・帰霊学・ロリコン研究で予言成就
466
:
韋駄天はふと考えた
:2011/07/03(日) 11:47:05
この写真の伊藤博文はいかにもテロリスト風情らしく人相が悪いが、伊藤博文の周辺に立っているテロリスト連中も、いかにも「職業は殺し屋をやってます。」といった顔風情(かおふぜい)である。
伊藤博文は暗殺部隊の実行指揮官であったと推測される。
その後の伊藤博文の出世街道のばく進ぶりを見てれば、本物の天皇を殺してニセモノの天皇に付け替える計画を立てて、
天皇暗殺を実行したのが、伊藤博文であるというのが納得のいく痕跡である。
伊藤博文以下、暗殺部隊の実行部隊数人が京都御所に忍び込んで、徳川幕府を打倒しようとする長州藩の思い通りに動かなかった当時の天皇を、トイレを用を足している時に、
槍で突き刺して暗殺し、跡を継いだ若き天皇も長州藩の思い通りに働く気配がなかったために、暗殺部隊が再度、京都御所に潜入して暗殺を仕掛けて怪我を負わせた後に、
天皇の怪我を治療をする医者をテロリスト側に抱きこんで毒殺したと言われている。
幕末の京都といえば、全国各地から浪人や藩士が集まり、新撰組らとあちらこちらで斬り合いをしては、どこの誰かわからぬ死体が、あちらこちらにゴロゴロと転がっている状態。
医者といえども殺されたくないから、テロリスト側の殺し屋集団から脅されれば、薬に毒を仕込んで天皇を毒殺するのにも協力するもの。
徳川政権から続く幕末期の天皇と天皇家の皇族といえども、所領している領地が少なく、広大な京都御所を警護する兵士を数多く雇う資金すらなかった。
ましてやも幕末の動乱期になると、ただでさえ、数百人規模で京都御所を警護する必要があったが、そんな資金は天皇家のどこにもなかった。
そこで、各藩から派遣されてきた武士が、警護する場所を役割分担して京都御所を警護するようになるのだが、長州藩もまた京都御所の一部を警護する任務をしていた。
そんな状況下であるため、伊藤博文以下、暗殺部隊の実行部隊が長州藩の警護する場所から京都御所に進入するのは簡単な事であり、天皇に対する暗殺もごくごく簡単に実行されたのだった。
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