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原則学・痕跡学・運気学で未来過去を予想分析1

524韋駄天はふと考えた:2010/06/20(日) 14:33:26
任侠者の役割は、村はずれや村の入り口に住居を構えて、平時は畑仕事や農作業は一切せずに、わずかな食料と金銭を村から用心棒代として受け取り、
村にやってくる旅人やならず者の監視をして治安を守っていた。
そして村が争いに巻き込まれる有事になると、いち早く武器を手にとって戦いに参加したり、争いの仲裁(ちゅうさい)に入っては村の治安を守る仕事をしていた。

これらの仕事は、江戸幕府の役人の許可を取らない不法行為ではあったが、領地内の治安効果が高く役人の負担が軽減されるので、役人も任侠者集団に対して取り締まりをせずに目をつぶっていた。

こうして、戦国時代から江戸時代初期へと、これらの任侠者集団は村を守る用心棒代わりとして役目を果たしたが、戦国の乱世から時代が経つにつれて、山賊や盗賊が激減、村々の治安は良くなっていき、
武士以外の階級層が不法に武器を所持する任侠者集団の役割は終えつつあった。

任侠者集団の役割が終えつつあると、任侠者集団が用心棒代として村々や町々から金銭や食料をもらえなくなった。
そこで一部の任侠者集団が、今度は自らが武器を使ってゆすりやたかりで、農民や町民から金銭を巻き上げる行為に出て生活するようになった。
また別の任侠者集団は、旅人や金持ちを集めては賭場(とば・バクチ場の事)を開いて金銭を集めて生活するようになった。
また別の任侠者集団は、高利の金貸しや売春宿を経営したり、ヤミ商売で生活するようになった。
さらに別の任侠者集団は、人買いや人売りの人身売買に手を染めて生活するようになった。
その他にも、ならず者をあつめては盗賊に成り下がったり、祭りの時には神社や寺の境内で夜店を開いて生活する者も現れた。

いつしか、江戸時代も中期になると任侠者集団が自ら不法行為や悪どい商売に手を染めて生活するようになっていった。
このころになると、庶民(しょみん)は任侠者の事をヤクザ者(バクチでいう893の数字札は使えない札の意味で、ろくでなし・いらない者の意味)と呼ぶようになっていった。


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