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理法書

1完全理論武装論者:2004/07/12(月) 00:58
理法とは理にかなった法則の略で、この世に存在するすべての力の発生を
理の法則によって解明したのが理法で、理法書とはすべての力の発生原理を
理論で説明した文章を集めたものが理法書です。

433韋駄天はふと考えた:2006/12/18(月) 21:58:48
197 :韋駄天はふと考えた :2006/12/18(月) 21:57:04
>>174
非常に参考になりました。
各項目がそれぞれリンクされているので、いろいろな項目にすぐに飛べて便利ですね。

特にカントのコペルニクス的転回とプラトンのイデア論に興味を持ちました。
カントはなかなか思考の高い人物だということが。
やはり白人の中ではドイツ人が一番知能が高いということか。

イギリス人を一言で表すならジキルとハイドでしょう。
表向きの顔は紳士でも裏の顔は心が腐って醜い悪魔
二重人格とはイギリス人のためにある言葉。

ロシア人を一言で表すなら野蛮な白猿
短絡思考ですぐに暴力で支配しようとするのがロシア人。暴力崇拝主義者がロシア人。
だからロシア人のマルクスの思想を学んだ者も暴力ですべてを解決しようとする。

アメリカ人を一言で表すなら金権崇拝主義者
元々金鉱山で一攫千金目当てに移民してきた集団の子孫がアメリカ人だから、
金と権利を持つ者が正しく社会と認識して、金と権利ですべてを解決しようとする。

434韋駄天はふと考えた:2006/12/18(月) 22:12:08
198 :韋駄天はふと考えた :2006/12/18(月) 22:11:33
>>174続き
相変わらず量子力学には興味持ちません。
やはり量子力学の中に詐欺的考えがあることに、本能が
拒絶反応しているからでしょう。

ニュートンの万有引力の項目を見ていて思いついたのが、
ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て引力の存在を思いついたのに、
なぜ赤くて目立ちやすいリンゴが木にたくさん実るのかを考えなかったのでしょうか?
むしろこちらの方が重大な発見につながったのに。

さぁあなたも、「赤くて目立ちやすいリンゴが木にたくさん実るのか?」理由を考えて
みましょう。
・なぜリンゴは目立つ赤色なのか?
・なぜリンゴはたくさん実をつけるのか?
・なぜリンゴを食べるとおしいのか?
・リンゴの木はいったい何が目的で、おいしくて目立つ実をたくさんつけるのか?

ニュートンはリンゴが木から落ちるのはなぜか?を考えた。
あなた達はリンゴが木に実るのはなぜか?を考えましょう。

大発見とはこうした出来事を考えることから生まれるのです。

435韋駄天はふと考えた:2006/12/18(月) 22:52:24
間違い探しの旅シリーズ

明治維新の大失敗と明治政府の大失敗

今の時代は明治維新を成し遂げて、日本に西洋式近代文化を発達させた
維新の志士達を英雄扱いしているが、彼らは英雄ではない。
その後の日本の運命を大失敗に導いた国賊集団なのだ。

彼ら維新の志士達は元々は下級武士からなる集団であり、自分達の待遇が改善されないので
徳川幕府に強い不満を持っていた集団でもある。
だから徳川幕府を倒すことのみに心血を注いできた集団であって、そのために白人勢力や
天皇を利用したに過ぎない。

維新の志士達は、前々から天皇に対して忠誠を誓い崇拝し続けた集団ではなく、徳川幕府を
倒すために天皇の権威を利用しようと、急遽天皇崇拝者として心変わりしただけである。
だから明治政府を興した後は、天皇を崇拝するふりをして政権の安定のために利用し、天皇の歴史を
捏造して権威を最大限に高めては、国民に対しては天皇に絶対的服従を強いる天皇崇拝思想教育を徹底した。

こうした間違った捏造歴史で作り上げられた天皇崇拝思想が、明治時代から今日まで脈々と続いたのが、
その後の日本の命運が間違ってしまった第一の理由となる。

436韋駄天はふと考えた:2006/12/18(月) 23:07:51
間違い探しの旅シリーズ

明治維新の大失敗と明治政府の大失敗2

田舎者で下級武士の集団であった維新の志士達は、西洋の文化に驚愕した。
田舎者ほど見たことも触れたこともない全く新しい文化に触れると、過大な
評価をする大間違いをしてしまう。

天皇の権威を利用して、暴力革命による明治維新を成し遂げた維新の志士達も、
西洋文明に対して過大な評価をする大間違いを犯した。

何が大間違いかというと、西洋文明は東洋文明よりもすべてにおいて優れており、
白人の考えや態度や行動に間違いはなく、すべて正しいと判断してしまったこと。

何のことはない。西洋文化を日本に持ち込んだ白人は、思想が優れているわけでもなく、
人間的に優れているわけでもなく、正直な態度が優れているわけでもない。
その当時の東洋人や日本人よりも所持している武器と、産業革命による
商品の生産と流通の機械化が、格段に優れていただけなのである。

要するに機械化された生産力と交通網と、最新兵器による武器を使った
暴力による、支配に優れていただけなのが白人が日本に持ち込んだ
西洋文化だったのである。

ところが明治政府の中核となった維新の志士達は、西洋文化のすべてが
東洋文化よりも優れていると勘違いをして、すべての西洋文化を正しいと
判断して日本に浸透させるのに夢中になった。

437韋駄天はふと考えた:2006/12/18(月) 23:26:27
間違い探しの旅シリーズ

明治維新の大失敗と明治政府の大失敗3

もし賢い者が明治政府の中枢にいたのなら、西洋文化はすべて正しいと判断する、
こうした大間違いは起こさなかっただろう。

西洋文化の中にも正しい考えや習慣と間違った考えや習慣がある。
日本人には合わない考えや習慣もある。

こうした西洋文化に対して過大な評価をせずに、正誤の判断をきちんとして、
間違った考えや習慣に対しては日本人に浸透させずに、正しいと判断した
考えや習慣に対してのみ日本人に浸透させていれば、今日の西洋文化を中心とした
間違った日本の社会は形成されなかっただろう。

今日の日本人が間違った教育を受けて、間違った価値観を持ち、間違った法律を作り、
間違った社会を形成しているのは、西洋文化をすべて正しいと判断して受け入れてしまった
明治政府からの負の遺産である。

もちろん西洋文化がすべて間違いで東洋文化がすべて正しいと言うつもりはないし、江戸時代や
徳川幕府が正しかったというつもりもない。
どの時代においても、正しい部分があれば間違った部分もある。
それらを過大評価も過少評価もすることなく正しく判断して、正しい部分だけを受け入れて
間違った部分は受け入れないようにしていくのが、国や地域を統率するリーダーや教育者の役割なのである。

ところが明治政府はこうした大事な正誤の分別作業を怠って、西洋文化のすべてを正しいと認識して
日本に持ち込ませてしまった。
この間違いによって、日本人も自らの行動や態度の間違いに気づくこともなく、また白人に対して
「あなた達のこの考えとこの態度は間違っている」と指摘して、白人らを反省させることもできなかった。

この大間違いによって、白人は西洋文化は東洋文化よりすべてにおいて優れていると勘違いをしてしまい、
その後の人類にとって悲惨な、奴隷制度の延長と植民地地域の増加と二度の世界大戦へとつながった。

438韋駄天はふと考えた:2006/12/18(月) 23:40:49
間違い探しの旅シリーズ

明治維新の大失敗と明治政府の大失敗4

これからの人類にとって大事な事は、特定の宗教や特定の思想に染まらずに、
正誤の判断をきちんとできる者をリーダーや教育者に置くことである。

どこの国の思想にも、どこの国の教育にも、どこの国の政治にも、どこの国の法律にも、
正しい部分もあれば間違った部分もある。
しかし、間違った部分の方が過去や現在の人類を支配しているのが現実である。

こうした分別作業を誰もせずに放置してきたために、間違った部分が正しい部分を
駆逐してしまったのである。

「悪貨は良貨を駆逐する。」

悪貨を放置すれば、良貨が駆逐されてしまうのである。
間違った考えと思想を放置すれば、正しい考えと思想が駆逐されてしまうのである。
そしてひとつの文明、国、人類が滅ぶきっかけとなってくる。

だからこそ、間違いを見つけて放置することなく、ひとつひとつ駆逐していかないと
正しい考えと思想が増えていかない。  終わり

439韋駄天はふと考えた:2006/12/28(木) 01:31:41
※原則とは偏りの法則のことで、すべての物質や自然現象は力の弱い方向へと偏る性質がある。
※またすべての物質や自然現象は、原則とは逆に力の強い方向へ偏る場合もあり、この場合は反原則と呼ぶ。
※物質や自然現象が反原則になる場合は、爆発や反発と呼ばれる現象の時に起こり、力の弱い方向へと急激に偏りすぎることで、
原則の偏る力と原則の偏る力との間に衝突しあう強い力が発生して、それが今度は逆方向へ押し出そうとする急激な力となって、
反原則の力が生まれる。(詳しくは原則スレや理法書スレ参照)

人間というのは物質の中に含まれているので、人間の歩く動きや普段の動作にも当然原則の力が作用します。

みなさんもこんな経験はありませんか?
楽な仕事をしている時や、簡単な作業をしている時ほど、時間の経過が早いなと感じた時。
きつい仕事をしている時や、難しい作業をしている時ほど、時間がなかなか経たずに時計ばかりを気にする場合。
そうです。時間というのは感覚においても実際においても伸び縮みするものです。

楽な時や簡単な時ほど、小さい労力を使うだけでよいので力が弱い状態となり、偏りの力が発生して周囲から自分の方へと
力が偏っていきます。つまり自分と周囲とでは時間の流れが違って、自分の時間の流れる速度が速くなり、周囲の時間の流れる
速度は遅くなった状態となります。
またきつい時や難しい時ほど、大きな労力を必要とするので力が強いい状態となり、偏りの力が発生して自分から周囲の方へと
力が偏っていきます。つまり自分と周囲とでは時間の流れが違って、自分の時間の流れる速度が遅くなり、周囲の時間の流れる
速度は速くなった状態となります。

440韋駄天はふと考えた:2006/12/30(土) 08:35:11
未知の世界を人類で初めて旅する冒険者は失敗と間違いの連続なのです。

ライト兄弟は人類で初めて動力による空への冒険者となりました。
ライト兄弟は最初から空への冒険のすべてが思い通りにできたわけではありません。

数え切れないほどの失敗をして、幾度も挫折を味わい、金銭的にも行き詰まり、
周囲の人や世間からは「機械で空を飛べるものか」と馬鹿にされ、「キチガイ兄弟」
だの、「現実と妄想の区別もつかない変わり者」と、軽蔑されることもあったはず。
そして空への冒険をやめようかと何度か考えたはず。

それでもライト兄弟は、空へ自由に飛びたいあこがれと、夢を捨てない少年の心と、
空への強い情熱で闘志を湧き立てて、初の空への冒険者として挑戦し続けたのです。

ライト兄弟が最初に紙に描いた飛行機の絵は、とても空を飛べれるような代物では
なかったでしょう。
紙に描いた最初の飛行機の絵は空想や妄想のたぐいでも、何度も失敗していくうちに、
空を冒険できる飛行機の形が設計図として、少しづつ現実化していったのです。

未知の世界を初めて冒険した者が失敗や間違いだらけなのは当然なのです。
人類で初めて入るジャングル探検や南極探検に、どんな装備をしていけばいいのか?
どれだけ食料を持っていけばいいのか?どんな病気があるのか?どこで寝れば安全か?
恐ろしい動物や生物はいないのか?すべてが謎ばかりで未知のことばかりです。

何もわからない世界を冒険して、失敗も間違いもなく計画通りにいくこと
なんてありません。
(米ソが数年で簡単に月へ到達できた話は、過去の偉大な冒険者達を侮辱したのと同じ)

原則という誰もが知らない世界へ、人生最大の発見スレの>1さんが人類で初めて
冒険したおかげで、 次から次へと新しい発見と謎が生まれてくるのです。

441韋駄天はふと考えた:2007/01/04(木) 19:42:53
435 :韋駄天はふと考えた :2007/01/04(木) 19:41:39
>318
他スレからわざわざお越しになって、原則に興味を持ってもらったのに、
返答がだいぶ遅れてすいません。
返答が遅れた理由は、即答できる質問でなくあなたの質問がすぐに答えられるほど
容易でなく難しいからです。

質問されてからずっと考えていたら、他の事もいろいろと考えが浮かび、さらにそこかにまた別の事に
考えが浮かんでいくので、当初の質問を考えるのはそっちのけで、他の事ばかり考えていました。

>あなたが考える人間の本質、最高の叡智、最高善とは何?

>人間の本質
私の考える人間の本質は、元の状態に戻すことです。
人間にも他の生物にも、それぞれ地球内における生物活動をするうえで、互いに役割を持ち、
協力しあって連携しています。
どの人間も含めて他の生物のすべて種も、それぞれの種のみの単独では生存できないのです。
違う種同士がいろいろな役割を持って互いに連携することで、すべての種が繁栄できる環境が生まれるのです。

ところが人間の生き方は途中で役割が変わり、間違った方向へと進んでしまったのです。
ですから間違えた部分まで戻って、そこから本来の役割に従って生き方をやり直さないと、
間違いはいつまでも修正されません。

442韋駄天はふと考えた:2007/01/04(木) 19:44:08
436 :韋駄天はふと考えた :2007/01/04(木) 19:43:30
>最高の叡智
最高の叡智? 質問の内容にどうもピンと来ません。

人間も含む生物はそれぞれが役割が違うので、それぞれに最高の叡智があるはずですが、
知恵の発達ばかりが最高の叡智とは限りません。どの生物より速さを備えるのも最高の叡智であり、
どの生物より大きさを備えるのも最高の叡智であり、どの生物より凶暴さを備えるのも最高の叡智であり、
どの生物よりやさしさを備えるのも最高の叡智であり、どの生物より小ささを備えるのも最高の叡智であり、
どの生物より精神を備えるのも最高の叡智であるというように、どの分野でもいいから極端な状態になれば、
それが最高の叡智といえるのではないのでしょうか?

ですから最高の叡智を求めるのが正しい道とは限りません。と思います。
私にとっての最高の叡智とは、
「たくさんの人の知恵を向上させ、知恵を結集させて過去と現代と未来を正しく読み取る」です。
この質問は難しいので、私にははっきりとは答えられません。

>最高善とは何?
何に対しての最高善なのかがわかりませんが、人間にとっての最高の善い行いという意味ですか?
それとも生物全体にとっての善い行いという意味ですか?

人間にとって最高の善い行いとは、誰か(他生物も含む)に対して、自分の態度と行動が役に立ったという
実感が沸いた時だと思います。
役に立ったと思えば戦争で死ぬのも善し。役に立ったと思えば戦争で誰かを殺すのも善し。
役に立ったと思えば子供をたくさん産むのも善し。役に立ったと思えば生き物の命を救うのも善し。
役に立ったと思えば生き物の命を奪うのも善し。役に立ったと思えば人様の物を奪うのも善し。
最高善は、人それぞれ、時代それぞれ、環境それぞれ、によって変わってくると思います。

私にとっての最高善とは、「すべての道はサハラ計画に通じる」との説法を説いて回ることでしょう。
この質問も難しいので、私にははっきりとは答えられません。

443韋駄天はふと考えた:2007/01/04(木) 19:45:38
437 :韋駄天はふと考えた :2007/01/04(木) 19:45:04
>ある意味壮大な実験をなさっているようですが何故2chを選択したの
ですか?

2chは、インターネットの中で最も多種多様な人が大勢集まる匿名掲示板です。
私はこの場所に大勢の意見が集まる国家として見立てたのです。
ここでの意見の流れを把握できれば、実際の1億3500万人国家の中に流れる意見も把握できると考えました。
自宅から寝そべってネットを眺めたり書き込むだけで、1億3500万人の国民そのものの意見の流れを簡単に把握できるのです。
もちろん流れを把握しているだけではありません。日本国民や世界人類が不幸になる悪い流れを断ち切って、良い流れを
作り出すための活動もしています。

「一寸先は闇」と言う人が政治家、官僚、マスコミ、学者、教授、教育者、企業経営者、企業幹部にたくさんいます。
こういう「一寸先は闇」と言い放つ人が、国の政治、経済、外交、軍事、情報、教育の主要な部分を支配しているのです。
こうしたほんのわずかな未来でさえ予測して見ることのできない人が、日本国民や世界人類が不幸になる悪い流れを作り出して
いるのです。
彼らには未来を正確に予測できませんので未来がどうなるか見えません。
なぜなら「一寸先は闇」と言い放つ者は、自分に都合のよいウソを並べまくるウソつきがほとんどなので、そうしたウソつきには
未来を正しく見通す力は与えられないからです。

未来を正しく見通す力を持つには、何事にもウソを見破り真実を求め続ける正直者にならないといけません。
正直者になるためには、間違った情報と正しい情報を、大勢の人が自らの能力で選別できる技術力が必要になります。
そうした目的を考えると2chというのは、間違った情報も正しい情報もたくさん氾濫しており、都合の悪い情報のみが隠蔽
情報統制されにくい環境にあるので、この2chで揉まれることによって、未来を正しく見通す力を持つ能力を身に着けやすいのです。

そこで私は未来を正しく見通す能力を身に着けさせるヒントを、大勢の人に与えたいために2chや2ch以外の匿名掲示板を選択したのです。

444韋駄天はふと考えた:2007/01/04(木) 20:00:41
未来を正しく見通す力を持つには、過去と現在の正しい情報を把握することで、
未来への道筋が浮かんでくるのです。

未来というのは過去から現在へとつながった延長線であるので、過去や現在の情報が
デタラメであれば、未来の延長線も歪んできます。

現在の私達から見れば過去はすべて過去になりますが、かってはその過去だった状況も
現代であったり未来であったりするのです。

過去を1として現在を2となれば、未来が3になることは誰にでも理解できます。
過去が大きな岩として現在を小さい岩となれば、未来は砂粒になります。
過去が大雨として現在を小雨となれば、未来は雨上がりになります。

このように過去と現代の情報が正しければ、過去と現代をつなぐことで、未来への
道筋が正しく浮かんでくるのです。
しかし、過去か現代のどちらかの情報が間違っていれば、過去と現代をつないでも
未来への道筋が歪んでしまうのです。

ですから未来を正しく予測して知りたければ、過去と現代の情報にウソを混ぜないで、
正しい情報のみにする必要があるわけです。

445韋駄天はふと考えた:2007/03/09(金) 19:34:57
2ちゃんねる掲示板の本性と管理人の西村博之の本性を見たり。

私が↓のような質問を2ちゃんねる掲示板の運営板でしたら、質問には一切答えずに、私のログを勝手に公開するわ、
さらにはアクセス禁止措置を取って一切書き込みをできないようにしやがった。

これが誰でも自由に見れる、誰でも自由に質問できると、自由をうたう掲示板の卑怯なやりかだ。
こういう2ちゃんねる掲示板のウソを見た限り、私は容赦しない。奴らを反省させる行動に出る。


質問事項
2ちゃんねる掲示板管理人の西村博之は運営板のどこのスレにいるかな?

彼女とイチャイチャばかりして掲示板の管理を怠っている
西村博之のおまえに質問したいことがあるんだが?
出て来いや!

西村博之よ!おまえは自分の管理しているはずの掲示板に
犯罪告白スレがあるのをご存知かな?
管理人のクセに「そういうスレがあるのは私は知りませんよ」とは言わせないぞ

そこで質問だが
西村博之よ!おまえは犯罪告白スレをこのまま野放しにしておくつもりかな?
ちゃんと答えてもらおうか

446韋駄天はふと考えた:2007/03/09(金) 19:35:34
私が2ちゃんねる掲示板には、犯罪を告白スレが存在するといった事を、
2ちゃんねる掲示板管理人の西村博之に質問したのに本人は現れずに、
私を一方的にアクセス禁止(書き込み禁止)にして、田吾作 ★という
管理運営側の人間が一方的に私のログを公開して、そのあげく別の管理運営側の
人間の答えがこれ↓

2ちゃんねる掲示板が犯罪者を野放しにする掲示板だと認識した。


601 :モーマン☆鯛。:2007/03/09(金) 18:26:44 ID:LuiTv6YZ0 ?PLT(15001)
振りかざした正義が何にでも通ずると思ったら大間違い小間違い

ってことで

447韋駄天はふと考えた:2007/03/09(金) 19:48:41
2ちゃんねる掲示板管理人の西村博之は、掲示板の管理者としての
義務と責任を放棄しているばかりか、自分の掲示板すら現れずに
管理と運営も他人任せ。

他人任せにするのなら、代理人として質問に対する受け答えができる、
管理責任者を掲示板に常駐させるのが本来の正しい管理運営の仕方。
それなのに、そうした代理人も置かずに、2ちゃんねる掲示板に関する
犯罪告白スレの存在やそれに対する質問事項が起きても、質問にも答えずに
荒らし扱いするだけ。

こういう社会人としての当然の責務である、世の中から犯罪を減少させる
義務と責任すら持てない失格の奴が、掲示板の管理と運営をして儲けることが
間違っている。

2ちゃんねる掲示板管理人の西村博之を、管理人失格者として
2ちゃんねる掲示板管理人から引きずり降ろさないといけない。

そうしないと2ちゃんねる掲示板が犯罪者の温床となり続ける。

448韋駄天はふと考えた:2007/03/17(土) 10:30:21
バク才がゼロの運は、馬券がいつも惜しいハズレ方ばかりで当たりにくい体質なので、ギャンブルの世界では
バク才がゼロの運は負け組だが、普通の一般社会や内戦中や戦争中では勝ち組となる。

なにしろ、ほんのわずかなギリギリの差で当たりをかわし続ける強運を持っているのだから、バスや船や
飛行機の大事故に巻き込まれても奇跡的な幸運で助かることとなり、兵士や軍人として戦地で戦っても、
爆弾や弾丸を危機一髪でかわし続ける強運となって、どんな過酷な戦場でも生き延びる事ができる。
またバク才がゼロの運は、病気や怪我にも当たりにくい体質なので、食事中毒(拒食・食べすぎ・肥満)、酒中毒
(アルコール中毒)、薬中毒(麻薬中毒・治療薬投与中毒)にならなければ、大事故知らずに病気知らずのまま寿命
(老衰か過労死)で死ぬパターンだろう。

ギャンブルの世界で勝ち組になりたければバク才運を引き上げて当たりやすい体質にすればいいが、その替わりに
一般社会においては病気・事故・怪我・災害・犯罪などの不幸な運にも当たりやすい体質となるので、バク才運を
高めることは諸刃の剣となる。
(バク才運を好きな時に自由自在に変化させれる人の存在は、過去の歴史や現在の有名人においてまだ発見していない)

人も生き物も生まれる前から運を持っているが、どんな運に育っていくかは生まれてからでないとわからない。
たとえ勝ち組の運の下に生まれてきても、早死にするようでは負け組みとなる。
理想的なのは、あらゆるギャンブル運(賭け事・事業・結婚・子宝・人生)に当たり続けて、なおかつ病気・事故・
怪我・災害・犯罪などの不幸運をハズし続ける、運の自由選別(運を操る技術)ができれば、どんな環境下においても
常に勝ち組でいられる。

運を自在に操る事のできる技術の取得は、人も含めてすべての生物の究極の目標だろう。
未来を正確に読み取る研究だけでなく、運を自在に操ると技術の研究と、周囲の関わる人たちへ幸運と不幸の
どちらかの運の影響を与える、アゲマン女性・アゲチン男性にサゲマン女性・サゲチン男性の存在と、こうした分野
(各種占いや魔術とは別の研究)において、超最先端の研究を競馬を通じてしているのが今の私である。
(昔に開発された各種占いや魔術のオカルト的な研究は盛んだが、運の仕組みを研究する大学は日本にはないはず)

こうした研究を30年以上もやっていれば、そろそろ研究成果が見えてきてもいいころだが、最大の難関である
バク才運を好きな時に、自由自在に変化させれる技術はまだ開発していない。

449韋駄天はふと考えた:2007/07/14(土) 23:55:28
私はウソの理論で構築された数式を用いた方程式が大嫌いである。
私は45の歳になってようやく鶴亀算とは何かを知ったぐらい、足し算と引き算以外の数学には興味がない。

ウィキペディアやグーグルで検索すると

数学とは、量、構造、変化、空間といったものを対象として、いくつかの仮定から始めて、決められた演繹的推論をすすめることで得られる事実(定理)のみからなる体系を研究する学問である。
演繹的推論とは、一般的法則を個別的な事柄に適用して個別的知識を導き出す思考過程のこと。

方程式とは、未知の数として x などの文字を含む等式のことである。
等式(とうしき)とは、二つの対象の等価性・相等関係 (equality) を表す数式のことである。
数式とは、数・演算記号・不定元などの数学的な文字・記号(および約物)が一定の規則にのっとって結合された、文字列のことである。

文字列 (もじれつ)は、単語や文章など文字の連なったもの。テキスト(text)、ストリング(string)という場合もある。コンピュータ、特にプログラミングの分野で用いることが多い。
四則演算(加減乗除、加法(足し算)・減法(引き算)・乗法(掛け算)・除法(割り算))の習熟に当てられる。

↑の難解な説明文を、日本語で簡単に訳すと。
数学とは演繹的推論によって事実(定理)の体系を研究する学問である。
演繹的推論とは個別的知識の思考過程のこと。
方程式とは等式のことであり、等式とは数式のことである。
数式とは一定の規則で結合された文字列のことである。
文字列とは単語や文章など文字の連なったもの。

450韋駄天はふと考えた:2007/07/14(土) 23:56:25
????はぁ????何いってんの????余計に意味不明だわ。
この説明で数の分野に関する学問の説明が、あなたは理解できましたか?

「おまえが45歳にもなって鶴亀算も知らないバカだから理解できないんだよ」
中にはそういって私を小バカにする人もいるでしょうね。

でも私が方程式を用いた数学を嫌いな理由をこれから述べれば、賢い人なら私の意見に必ずや賛同するでしょう。

数学にも方程式にも数式にも、必ず四則演算の記号が使われて計算されます。
足し算、引き算、掛け算、割り算の4つが四則演算ですが、足し算と引き算には問題がありません。
掛け算も多少問題があると思うが、今回のテーマからはズレるのでまぁ許しましょう。

問題なのは割り算を用いた記号(÷)の概念です。
ある数の集合体を記号(÷)を使って割り算することで、数の集合体を均等に割り振るのが、割り算の概念でしょうか。

ここで何か疑問を感じれば、あなたは超天才の仲間入りです。
ここで何も疑問に感じなければ、あなたはただの凡人です。

451韋駄天はふと考えた:2007/07/14(土) 23:57:14
割り算とは数を均等に割り振る場合に使われます。
1の集合体を3で均等に割り振ろうとすれば、1÷3=0.33333333333
となります。

「ちょっと待ったあぁ!!!!」
私はここで疑問に思いましたね。

宇宙も含む自然界に小数点存在するのかと。
宇宙も含む自然界に割り切れない物が存在するのかと。
その前に宇宙も含む自然界に均等に割り振るという概念が存在するのかと。

この世に均等なるものが存在するのかと。
均等ということは互いの数の集合体の状態が完全に釣り合っているということで。
完全に釣り合うということは、原則(偏りの法則)の力が発生せずに、いつまでもそのまま釣り合った状態の不変ということになる。

現在の時間軸から見て過去と未来が完全に釣り合っていれば、現在の時間軸は釣り合った状態のまま不変となり、時間は止まったままとなる。
しかし、時間は過去から未来へと常に流れ続けている。
すなわち過去と未来の時間は、均等に釣り合ってはいなくて未来の方向へと偏ろうとするから、時間は過去から未来へと流れ続ける。

宇宙を含む自然界は、すべて過去から未来へと流れる時間の中に存在している。
すなわち、ある数の集合体を割り算を用いて仮に均等に割り振ることができても、見た目や理論上は均等に割り振ったつもりでも、
どちらかの数の集合体の方が未来に位置する側に近ければ、そこに原則(偏りの法則)の力が発生して、未来に近い位置にいる数の集合体の方に
偏ろうとするので、均等の状態は崩れることとなる。

452韋駄天はふと考えた:2007/07/14(土) 23:58:31
日本という位置に1億3000万人という数の集合体がいるとする。
この1億3000万人を割り算を使って3つの集合体に均等に割り振ってみると、4333.333333人
となります。

「ちょっと待ったあぁ!!!!」
人間の数がなんで小数点になるんだよ。1以下の数になる人間なんて存在しないってば!!!!

では、1億3000万個の細胞を割り算を使って3つの集合体に均等に割り振ってみると、4333.333333個
となります。

「ちょっと待ったあぁ!!!!」
人間だろうが細胞だろうが、分子レベルの物質の数だろうが、なんで小数点になるんだよ。1以下の数になる物質なんて存在しないってば!!!!

そうです。人間が自然界のルール(原則)を無視して勝手に作った空論上では、均等に割り切れなかった小数点の数は存在しますが、宇宙を含む実在の自然界では、そもそも
均等に割り切れないという概念は存在しません。
時間に支配されている宇宙を含む実在の自然界では、常に過去から未来へと時間が動いているので、数の集合体が完全な均等になることもなければ、割り切れずに小数点が発生するということもありません。

ですから、1億3000万人を割り算を使って3つの集合体に均等に割り振ることはできずに、4333人、4333人、4334人と、完全な均等ではない3つの集合体になるのが正解です。
そして、この完全な均等ではない3つの集合体のうち、一番未来へと近い位置にいる集合体に原則(偏りの法則)の力が発生するので、時間が経つごとに均等の差がさらに拡大していき、6000人、3000人、1000人といったような不均等状態が生まれます。

完全な均等ではない3つの集合体のうち、一番未来へと近い位置にいる集合体とはどういう場合でしょうか?
この場合は人間ですので、長生きできる若者が多くいる集合体が未来へと近い位置にいて、もうすぐ死ぬような年寄りが多い集合体が未来へ一番遠い位置にいる集合体となります。
または健康な人がたくさんいる集合体が未来へと近い位置にいて、もうすぐ死ぬような病人が多い集合体が未来へ一番遠い位置にいる集合体となります。

453韋駄天はふと考えた:2007/07/15(日) 00:00:08
このように、現実に実在する宇宙を含む自然の世界においては、集合体を均等に割り振ることはできずに、必ずどれかの集合体が未来へと一番近い状態となるのです。

ここまで説明すればみなさんも理解できたでしょう。
割り算を用いた数式、数学、方程式、量子力学などの、自然界のルールを無視して人間が勝手に作り出した空想域の概念のたぐいは、ウソの理論で構築されたものであるので、いずれも現実に実在する宇宙を含む自然の世界においての、数の集合体を正確に表現できるものではないということを。

だから私は、ウソの理論で構築された数式を用いた方程式が大嫌いなのである。
だから私は今日まで鶴亀算を知ろうともしなかったし、これからも量子力学などといった学問にも、一切興味はわかないのである。

ただし自然界に存在しない小数点の概念が通用する場合もある。
例えば、誰かが0→1という新しい発想を作り出した場合もあるが、
0.1→0.2→0.5→1という場合もある。

すなわち誰かが世紀の大発見や大発明した場合、いきなり0から1へと誕生することもあるが。
誰かがヒントを考えついたが、そのヒントが新しい発見や新しい発明にまで到達しなかったが、そのヒントを参考にした誰かがさらに良いヒントを思いつき新しい発見や新しい発明にまで、かなり近づいたが寿命で死んでしまい、後をついだ研究者が何世代もかかって、
ようやくひとつの大発見や大発明を完成させることができたというケースは、過去の歴史を調べればいくらでもある。

このような場合には小数点という概念は使えるが、何人もの研究者が何世代にもわたってひとつの大発見や大発明を完成させても、それらの何世代にも渡った研究者達の研究努力を均等に割り振ることはできない。

これからの数学に関する学問は、原則(偏りの法則)の概念を取り入れて、全く新しい数学の概念に作り直さないと、現実に実在する宇宙を含む自然の世界を正確に表現できなくなる。

454韋駄天はふと考えた:2007/07/16(月) 18:09:28
>>868
日本国憲法の一部に問題があるから抜本的改革だと毎度のようにいい、
「日本国憲法」全体そのものには重大な欠陥がないと思い込むのもそいつの勝手。

家屋が古びたから建て替えして新築しないと嫌だというが、
「家屋の土台となる基礎」そのものが古びていても、家屋の土台の基礎から建て替えを放棄するのもそいつの勝手。

そいつは、上辺だけの人間。とも言えるし、上や表を見て下や裏を見ず。とも言える。
何にでも抜本的改革だと常にいうが、全体を支える土台そのものが、全体を支えきれないほど貧困さであることを無視するのもそいつの勝手。

抜本的改革と上辺にだけ疑いを持ちながらも(とりあえず問題点だけを抜き出して変えればいい)下や裏を含めた全体を見ようともせずに進んで、
基礎や土台からして腐っていることを認識しようとしないから、家屋を何度も建て替えたところで、腐った土台から這い上がってくるシロアリにやられて、
新築したばかりの上辺の建物もすぐに腐っちまうのさ。

ずいぶん昔に生まれた数学という土台となる基礎の上に、たくさん建物が古くなると建て替えられては新築されていったが(量子力学といった新しい数学分野の登場)、
土台となる基礎がすでに古びて腐っていることを無視する、
数学を学ぶ者や法学を学ぶ者のなんと多いことか。

それとも、上辺の建物は理論崩壊してすぐに腐ることもあるが、土台となる数学や法学の基礎は完璧に設計されていて、
完璧な理論を持った数学職人や法学職人の手で完璧に作られているので、永久に腐るはずがないと勝手に思い込んでいるのだろうか?

数学を学ぶ者や法学を学ぶ者には、ぜひとも一度、建築学たるものを現場での建築実地経験によって、充分に学ばせる必要があるだろう。
そうすれば、基礎や土台がいかに重要かを身を持って知ることになろう。

455韋駄天はふと考えた:2007/07/16(月) 18:39:22
もう一つくらい重要なテク(というより「姿勢」)をあげとくと
上辺に疑いを持ったら下辺にも疑いを持てということ。疑いを持たない者に発展はない。人の話を簡単に信じる前に、その話に矛盾がないかどうかを探ること。

これらを実践してないと、
他人の都合の良いウソの方便の影響を間に受けて失敗することや、矛盾点を探そうともせずに
簡単に信じてしまって失敗したくせに、見抜けるウソを見抜けない己の才覚のなさで、今度は正しい意見すら
信用しないというマイナス結果になることがある。(自業自得ってやつ)

これを数学を学ぶ者の話に絡めさせてもらうと

実際どこの大学でもある話だが、数学の大学教授や高校の数学教師のたぐいは、頭はいいんだか悪いんだか不明で、
それゆえ己の矛盾点を探し出す才覚のなさで、数学という学問に絶対の信頼を持ってしまっている。

それらの男が大学や高校で教鞭に立つことになっても、教わる生徒の側から数学に関する矛盾点を突きつけられても、
教鞭に立つやつらは、そこでも自分の学んだ知識に絶対に間違いはないと固執してしまい、どんなに矛盾点を突きつけられても一切無視して、
自己の学生時代に学んだ理論の間違いを認めることは、絶対になかった。

結果、頭はいいはずなのに、学生時代にこびりついた歪んだ勉強方法のせいで、死ぬ最後まで彼らは数学の間違いを正すことはできず、時代の変化に乗り遅れてしまった。

数学の大学教授や高校の数学教師の彼らも、学生時代に「何でも簡単に信じる事はせずに、まずは矛盾点を探し出す勉強方式」を学んでいれば、今頃は何人かの数学者が
「数学の概念を変えた人物」として、歴史に名を刻んでいただろう。

結局、「学校で教わったものは、疑いを持たずに何でも信じろ」という、間違った勉強方式で学生時代を過ごしたために、年老いて経験をどれだけ積もうが、
新しい考えには一切耳を傾けずに、融通が効かず要領の悪い頭の持ち主となってしまった。

もし、「学校で教わったものは、まず矛盾があるかないかを考えてから信じろ」という勉強方法を、全部の学生が実践していたら、
日本の歴史も大きく変わってたかも知れない。

456韋駄天はふと考えた:2007/07/16(月) 19:05:12
>木を見て森を見ず。とも言える。
>森全体を認識してから、一本一本の木(保留事項)を整理すればいいのさ。

「木を見て森を見ず」
昔の人はこう例えに持ち出しては、問題発生の原因や問題の解決を探る時に、一本の木ばかりを見ずに、森全体をも見ろという言葉を残した。

だが、これはすでに古い考え方であり、私が編み出した最新の考え方は。
「木を見て森を見て、森で暮らす生き物を見て、再び木の根元を掘り起こし、森の地面深くまで見ろ」

木を見て森を見るだけでは、正しい問題解決にはならない。
木の根幹を支えている根元を掘り起こして見たり、森全体の生命活動を支えているたくさんの生物や、
地質や地下水脈まで探らないと、本当に正しい問題解決を見つけ出すことができない。

間違った考え方
×「人を見て社会を見ず」

古い考え方
×「人を見て社会も見る」

新しい考え方
○「人を見て社会も見て、地域も見て環境も見て、地球を見て地球で暮らす生物も見る」

最新の考え方は、つながりがある部分はありとあらゆる観点から見て、矛盾がないかどうかを探るという姿勢が大事なのである。

数学や法学の上辺に矛盾があり疑問を抱いた。ならば数学や法学の根元にも矛盾がないかどうかを調べるのが新しい学問のあり方である。

457韋駄天はふと考えた:2007/07/16(月) 19:25:10
>木(割り算)しか見ないで、否定してるじゃん。

木の幹の部分(割り算)に病気の場所(矛盾している場所)を見つけた。
ならば、同じ木の中でも葉の部分にあたる量子力学を見ても、腐った原因解明(矛盾点の解決)の問題解決にはならない。

なぜなら木の幹(割り算)がすでに腐っているのに、葉(量子力学)が腐っていないとはありえないからだ。

だから腐っている幹(割り算)より上辺にあたる葉(量子力学)を見る必要はなく、腐っている幹より下辺の木の根元や森全体(数学の概念)を見たり、
森で暮らすたくさんの生物(数学を使って生活している人達)を見たり、地質や地下水脈(数学の誕生の歴史)まで探る必要があるのさ。

458韋駄天はふと考えた:2007/07/16(月) 19:39:29
いいかい。
数学を木や森に例えるとこうなる。

森の地質=数学のこれまで歩んできた歴史

森の下を流れる地下水脈=数学の概念が誕生する前と、数学の概念誕生したきっかけの歴史

森で暮らすたくさんの生物=数学を使って生活している人達

木を支える根元=四則演算(足し算・引き算・掛け算・割り算)

木の幹=割り算

木の細い枝=方程式

木の葉=量子力学

量子力学の成果によるパソコンや電化製品=光合成によって作られた栄養素

459韋駄天はふと考えた:2007/07/16(月) 19:55:44
木の幹の一部(割り算)が腐っていても、木を支える根元の部分に腐っていない場所(四則演算のうち足し算と引き算)があるから、
木は倒れることはない。
また腐っていない部分(四則演算のうち足し算と引き算)を通じて、枝(方程式)や葉(量子力学)に地下水脈(数学の歴史)から取り入れた水(計算)を、
送ることができるから、葉(量子力学)は光合成を行って、たくさんの栄養素(パソコン・電化製品など)を作り出すことができる。

だから、幹(割り算)の腐った部分を無視しても、森全体(数学体系)も育つことができて、森で暮らすたくさんの生物(数学を使って生活できる人達)が、
生命活動もできる。

だが、学問というのはそれでは納得できないものさ。
いくら木や森が成長(数学体系)していく大勢に大きな影響はないといっても、腐った部分を見つければ、原因を探って解決しようとするのが、本当の学問なのである。

また木や森が何千年もかけて成長していくには、大勢に大きな影響はないといっても限度がある。
木や森の成長度(数学体系の大発展)によっては、いずれ幹(割り算)の腐った部分が、木や森全体に大きな悪影響をおよぼす場合も出てくる。

だから早いうちに原因と解決方法をつきとめて、腐った幹(割り算)を取り除いて、腐らない幹(割り算に変わる新しい計算式)に取り替えないといけない。

460韋駄天はふと考えた:2007/07/31(火) 21:05:08

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461韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:33:03
物作り繁盛なら時計回り、商売繁盛なら反時計回り(南半球なら逆)

今日から8月。8月といえば台風シーズン到来の季節。
その前に原則歴だと8月は1年で最も力が弱くなる月。(北半球の場合)

原則歴って何?

原則歴とは
私が考え出した新しい暦(こよみ)のことで、世の中のすべては非常に単純な仕組みで動いている。それを原則というのだけど、その単純な仕組みで世の中が動いていることを、大発見したのが
2ちゃんねる掲示板の哲学板で「人生最大の発見スレ」を立てた原則スレの1さんです。(彼はハンドルネームを持ってないので、私は原則スレの1さんと呼んでいます。)
自然の動きも生物の動き(人間も含む)も含めて、世の中のすべては、たったひとつの法則で動いている。
そのたったひとつの法則とは、「偏りの法則」のことで、すべての物質は力の弱い方向に動く性質がある。というのが偏りの法則のこと。

自然界に存在する生きていない物質は、すべて「偏りの法則」によって、力の弱い方向へと動いている。これを「原則」と呼ぶ。
それに対して、生物や動物も人間も含めて、生きている物質は、すべて力の強い方向へと動こうとする。これを「反原則」と呼ぶ。

自然界では原則的な動きをして、生物界では反原則的な動きをする。

人間も含めて生物というのは、自然界の物質の動きとは逆の動きをする物質だから、物質と呼ばずに生物と呼ばれている。
ただし、自然界の物質にも「爆発」と呼ばれる反原則的な動きをする場合もあれば、生物界(人間も含まれる)の物質にも原則的な動きもたくさんしている。

462韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:35:41
悟りの内容は  「この世の中の出来事はすべてつながっている。」

一番最初に、2ちゃんねる掲示板の哲学板で立ち上げた人生最大の発見スレッドの中から、原則スレの1さんが書き込んだ文章から引用。
1 :考える名無しさん :03/02/09 20:22
>人生最大の発見は「原則」である。
28 :1 :03/02/17 03:24
>「原則」とはあらゆるものの根本原理である。
>自然の摂理といった方がわかりやすいだろうか。
34 :1 :03/02/17 03:25
>もし「原則」が分かった人であれば、他人の考えさえ、「原則」に従っているか、反しているかがわかるであろう。

このように西暦2003年2月17日に、原則スレの1さんは世の中がどういう仕組みで動いているかを解明して、世の中の根本原理は「原則」で成り立っていて、その動きには原則に従う行動と原則に反する行動のふたつがあると大発見をしています。
「原則」と「反原則」
この日付をよく見てほしい。2月17日となっていますよね?
2月といえば1年で最も力が強くなる月。(北半球の場合)

私が、電気料金滞納
(真面目に働いていたが、阪神大震災後に災害復旧の好景気で、仕事を求めて全国から関西にやってきた労働者達が多くなりすぎて、災害復旧事業がひと段落ついたその後の、関西の建設業界は労働者の人手は余っているのに、仕事がどんどん少なくなっていった不景気の影響で、務めていた零細個人会社の親会社で金のやりくりが悪化していて、ちゃんと契約通りの仕事をしているのに、労賃が零細個人会社に振り込まれずに、給料の支払いが数ヶ月も遅れていたのが原因)で、
電気を止められていて真っ暗な部屋の中、暖房器具も何もなくベッドの上で毛布1枚、凍え死にそうなくらい寒い夜の深夜に「悟りを開いた」のも西暦2000年2月の中旬ごろ(正確な日付は覚えていない)だった。

悟りの内容は  「この世の中の出来事はすべてつながっている。」

これだけでは、何を意味しているのか、みんなにはわからないと思うので、悟りの内容をもう少し詳しく説明すると。
「世の中は一見、無関係で別々の関係に見えているようでも、どこかで必ずつながっている。」
「地球の反対側で誰かが小石を投げたとする。そこにはとても小さい力の変化が起きている。その非常に小さい力の変化の影響はたとえ微弱でも、地球のこちら側にまで届いているのだけど、その力の変化があまりにも小さすぎて、人の感覚が気づいていないだけ。」

463韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:39:18
原則(偏りの法則)を理解するには、見えない物を探ろうとする気持ちが必要

人間は目に見えるもの(視覚で感じたもの)しか信じようとしない習性がある。

自分の全身に張り巡らされた神経感覚や嗅覚で何かをとらえているのに、それが目に見えるものではないから、オカルトだと決め込んでは信じようとしない。
目に見えて初めてそれが存在すると信じる。目に見えないものは、たとえ間違いなく存在してようが、それを容易に信じないのが人間の持つ「視覚の絶対性」である。

※「視覚の絶対性」とは私が作った言葉で、嗅覚や音の感覚や他の感覚よりも、視覚でとらえた情報を最優先する動物のことを、視覚の絶対性と呼ぶ。
つまり様々な感覚がたくさんの情報を多角的にとらえていても、それらの情報よりも目で見て確認した方に、優先度合いを絶対的に高くするのが普通の人間の習性である。

人生最大の発見の過去スレから、原則スレ1さんの名文を引用
30 :1 :03/02/17 03:24
>そして何かしらの時、前人未踏の領域に踏み込むのであれば「原則」は強力な武器になるはずである。
>『わけがわからないもの・複雑怪奇なもの』に取り組む時にも「原則」は大変役に立つ。
31 :1 :03/02/17 03:25
>「原則」が分かれば、意図的に理に叶ったやり方(「原則」に則ったやり方)で物事がこなせるようになる。
493 :1 :03/08/14 00:52
>この世の謎は何一つとしてない、謎の答えはすでにある。ただ人間が事実を知らないだけなのだ。

原則というのは、目に見えないものを探るのに必要不可欠な考え方である。
原則スレの1さんも、やはり同じ悟りを開いている。しかも季節を見ると、2月と8月と、原則の力が一番強い季節と一番弱い季節である。

464韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:44:12
目に見えないからといって、存在しないとは限らない。「視覚の絶対性」に依存しすぎないことが大事

「視覚の絶対性」を身に着けてしまった普通の人には、原則が理解できない脳構造となってしまった。

なぜなら、原則は目に見えるものではなく感覚で感じるものだからで、ついつい「視覚の絶対性」を優先してしまう普通の人達には感覚で感じたものを信じなくなってしまうからである。

感覚で感じる原則は、ちゃんと理論的説明できるのだが、「視覚の絶対性」を身に着けてしまった普通の人は、原則を理論では理解できても、実際に原則は目に見えることができないのでやはり完全には原則を信じることのできない体になってしまった。

別に「視覚の絶対性」を持つ普通の感覚の人をけなしているわけではない。
原則を体得するには、あげまん女になるには、あげちん男になるには、時には「視覚の絶対性」の優先度合いを下げたり、取っ払ったりして、異常な感覚を身に着ける必要があるということ。

異常な感覚といっても変人やキチガイのことではなく、常人ではない感覚の持ち主をことを言っているだけで、要するに目から入ってきた情報だけで何事も判断せずに、目以外から入ってきた情報をも優先する習性を見につけること。

「絶対音感」の持ち主は、目で見た情報を優先して覚えるよりも、耳で聞いた音の情報を優先する感覚の持ち主だからこそ、目で楽譜を見ずに耳で覚えた音感だけで楽器を弾ける才能が芽生えるのである。

視覚を優先する人は、「視覚の絶対性」の持ち主で、これが人間の中では圧倒的に一番多いので、「視覚の絶対性」の持ち主は普通の人たちといえる。

これに対して目が見えない障害者や、テレビゲームや暗い場所で勉強のしすぎで近眼になった人に、私のように子供時代に明るい太陽を直視しすぎて近視と夜盲症(鳥目)になっているのに普段、メガネやコンタクトレンズを使わないで生活している人は、よく見えない目からの情報だけを信用して生活するのには頼りないので、目から入る情報以外の感覚が自然と鍛えられることとなる。

私なんかは近視、夜盲症(鳥目)の障害が出ており、さらに小さい子供のうちから中耳炎になったうえに、長年建設業界で働いた影響(職業病)による難聴と、目と耳から入る情報の信頼性が極端に低くなってしまい、それ以外の感覚からも情報を頼るクセがついてしまったので、「視覚の絶対性」が消えて、「嗅覚の絶対性」や「感覚の絶対性」が身についてしまった。

465韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:45:53
何らかの「感覚の絶対性」を発展させることが才能を開花させる道

視力が普通であれば、何よりも「視覚の絶対性」が優先されるのが普通の人で、数としては一番多い。

「絶対音感」の持ち主は、「音感の絶対性」の持ち主であり、視覚からの情報よりも耳からの情報を何よりも優先するクセがついた人のことで、数としては非常に少ない。
「音感の絶対性」と似ているもので、「超音波の絶対性」の持ち主もいる。イルカやコウモリがそうで、超音波で物の位置を探り当てて暗闇を飛んだり獲物を探したりしている。

超音波で物を探る能力の持ち主は、人間にもほんのわずかにはいるが(目隠しをして、手をかざしてそこにある物がなにかを探る超能力者がいるが、あれは手から熱を感じ取る「温度の絶対性」の持ち主か、手の筋肉をわずかに震えさせて振動を起こして高周波を出して、物を探る「超音波の絶対性」の持ち主のどちらかになる。

「嗅覚の絶対性」の持ち主は、視覚からの情報よりも、鼻から臭いを感じての情報を何よりも優先するクセがついた人のことで、数としては、これも非常に少ない。

「感覚の絶対性」の持ち主は、視覚からの情報よりも、皮膚や髪の毛から全身の体毛の1本1本も含めて、体全体に感じる感覚を感じての情報を何よりも優先するクセがついた人のことで、数としては極めて少ない。
※昆虫などは視覚器官が発達しておらず、「視覚の絶対性」が低い生物なので、細長い触覚や全身に張り巡らされた体毛で、そこにある物が何かを探る「感覚の絶対性」の生物か、「振動の絶対性」の生物が多い。

「振動の絶対性」の持ち主は、視覚からの情報よりも、体に感じる振動を感じての情報を何よりも優先するクセがついた人のことで、感覚の絶対性の持ち主と重複するので、「振動の絶対性」だけの持ち主は、数としてはほとんど存在しない。

※全盲、聴覚障害、しゃべれない障害、嗅覚障害、感覚障害など、ありとあらゆる障害を抱えてしまった人には、体に感じる振動だけを頼りに生活するので、「振動の絶対性」だけの持ち主となり、地震予知などには優れた才能を発揮できるが、そういう「振動の絶対性」の能力の持ち主を対象とした、地震予知の研究は全くされていない。
(深海に住む生物などは、光もなく音もない真っ暗闇の世界で生きているために、わずかな振動で物を探ることのできる「振動の絶対性」と、触覚器官で物を探る能力が発達した「感覚の絶対性」の生物のはず。)

466韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:52:47
視覚の絶対性」ばかりに頼ってはダメダメよ〜
理想的なのは
視覚の絶対性(絶対視覚)、音感の絶対性(絶対音感)、嗅覚の絶対性(絶対嗅覚)、感覚の絶対性(絶対感覚)、振動の絶対性(絶対振動)、温度の絶対性(絶対温度)、超音波の絶対性(絶対超音波)など。

ありとあらゆるすべての感覚器官が発達して、物を探る状況に応じて情報の絶対性の優位順位を、自由自在に変えることができればいいのだが、そんな万能な生物は存在しないし、結局はどれかの絶対性に優先順位を固定した生物へと変化していく。

物作り繁盛なら時計回り、商売繁盛なら反時計回り(南半球なら逆)から大きく逸脱して、さらに原則歴とは何かを説明するはずが、「もの凄い横道にそれて脱線をしているな」と感じる人が多いと思うが、これが私の思考回路なのです。

話が大きく横にそれて脱線しているわけでもなく、話を変えて話の腰を折っているわけでもなく、自由自在に飛び回ったかと思うとブーメランみたいに、最後は元通りの話にちゃんと戻ってくるのが私の思考の仕方です。

そこで、視覚器官ばかりが発達している人や、視力が悪いが普段の生活はメガネやコンタクトレンズをつけている人は、「視覚の絶対性」しか頼らない習性となってしまい、他の感覚器官を発達させてこなかったので、そういう人達は原則がどういうものであるかを理解しにくい思考回路になってしまい、あげまん女やあげちん男にもなれにくい体質となってしまったのです。

「視覚の絶対性」からの情報にとらわれずに、「視覚の絶対性」自由に取っ払うことのできる人のみが、あげまん女やあげちん男になりやすいのです。

そのためには、「視覚の絶対性」からの情報を最優先にしてきた普段の生活を改めて、たまには
目をつぶったり目で物を見ずに臭いだけでそこにある物の存在を判断する生活をするとか
目をつぶったり目で物を見ずに音だけでそこにある物の存在を判断する生活をするとか
目をつぶったり目で物を見ずに振動だけでそこにある物の存在を判断する生活をするとか
目をつぶったり目で物を見ずに体の皮膚や髪の毛や体の毛ひとつひとつに神経を集中させて、感覚だけでそこにある物の存在を判断する生活をするなどを、やり続ければ、あなたも超能力者と呼ばれ、視覚以外の感覚器官が発達した人間になれます。

467韋駄天はふと考えた:2007/08/01(水) 22:54:21
身体障害者のあなたの子供は、特殊能力の持ち主(超能力者)かも

子供がいる親であれば、小さいうちから視覚だけに頼らない生活を子供にさせるのが重要です。
「ウチの子は身体障害だから、子供の人生はあきらめてます」と、親が嘆くのは早すぎます。

体のどこかの感覚器官に障害があれば、他の正常な感覚器官を発達させていくのが、生命の優れた能力なのです。

どんな人間にも正常な感覚器官はひとつは残っています。その感覚器官を発達させていけば身体障害者のあなたの子供は、常人には絶対にマネできない特殊能力の持ち主(超能力者)となれます。
「ウチの子は精神障害だから、子供の人生はあきらめてます」「ウチの子は鬱病だから、子供の人生はあきらめてます」と、親が嘆くのは早すぎます。

そんな子供でも必ずどこかに人より優れた感覚器官があります。他人にはない優れた感覚器官を親が見つけて、感覚器官を発達させれば、特殊能力の持ち主(超能力者)として、その人しかできない仕事の需要が生まれて成功につながるのです。

他人にはない子供の優れた感覚器官を親のあなたが見つけられなければ、代わりに私が見つけてあげます。
そういう能力者の卵を見つけるのが得意ですから。

それから私への賛同者が増えて寄付金も集まるようになれば、いずれ特殊能力者(超能力者)養成学校を作りたいと思っています。(あげまん女あげまん男も特殊能力者みたいなもの)
そのためには、私の考えに賛同する人が大勢増えて、私の元に人も金もたくさん集まる状態にならないと話になりません。

顔がブスでデブだからと人生をあきらめているそこの男女。あきらめるのはまだ早い。もしかしたらあなたも特殊能力(超能力者)の隠れた才能を持っているかも知れませんから。
私があなたの隠れた才能を発掘してみせます。

468韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:15:03
今日こそ物作り繁盛なら時計回り、商売繁盛なら反時計回り(南半球なら逆)

台風が日本にきている。
沖縄あたりに向かっていた台風が東方向の右へ右へと進路を変えて九州や本州へ上陸するのは、誰でも知っていると思うが、北半球では生き物でない物質は力の弱い方向の東へと向かう性質がある。

要するに北半球では生き物でないすべての物質は時計回り(右回り)の方向へと動いていくのが、原則(偏りの法則)となる。
一方、生き物である物質(生物・動物・人間)は、生き物的行動(反原則的な行動)をしようとするので、西方向の左へ左へと進路を変えて生活しようとする。
反時計回り(左回り)の方向へと動いていくのが、人間も含む生き物の習性となる。

人が山中で道に迷った時とか砂漠で行き先に迷った時とか、結局は同じ所をぐるぐる回っているという話をよく聞いたことがあると思うが、これは人が生き物であり、生き延びようとすればするほど生き物的行動(反原則的な行動)が強くなるので、本人は真っ直ぐに歩いているつもりでも、知らず知らずのうちに反時計回り(左回り)の方向へと歩いていって、大きく円を描くように歩いたことになって、再び元の場所に戻ってしまうことをいう。
人は真っ直ぐには歩けないものである。

どんなに真っ直ぐに歩いたつもりでも、生き物的行動(反原則的な行動)がわずかに出ているので、知らず知らずのうちに左回りの方向(反時計回り)へと向きを変えていって、元いた場所に戻る。

ただし、生き延びようとする自意識が強いと生き物的行動(反原則的な行動)が出て左回りの方向(反時計回り)へと歩くことになるが、とっさに身の危険を回避しようと本能で動く場合には、脳の判断力が物質化するので物質的行動(原則的な行動)によって、時計回り(右回り)の方向へと逃げようとする。

わかりやすくいうと、人は通常の判断においては生き物的行動(反原則的な行動)が出て左回りの方向(反時計回り)へと動くが、建物火災や地下鉄火災などで身の危険を感じた時には、脳の判断が本能領域へと切り替わって、本能のとっさの判断によって行動しようとするので、時計回り(右回り)の方向へと逃げようとする。
(ただし、煙にまかれた場合は、煙のない方向へと逃げようとする)

469韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:16:46
理にかなった方法で物事を進めると何事もスムーズに行くもの

この人間の性質を応用して、街作りに建物作りや、製品作りに商品を売るようにすれば、原則や反原則に沿った方法なので、おのずと良い結果(不良品の少ない製品作りと商品の売り上げが伸びる)がでてくる。
理にかなった方法で物事を進めると何事もスムーズに行くもの。

コンビニやスーパーで売り上げを伸ばしたい時、そこで働いている責任者はどういう考えで商品を並べていますか?
原則や反原則に沿った方法で商品を並べていますか?
理にかなった方法で商品を並べていないと売り上げは伸びませんよ。

人の通常の行動が、生き物的行動(反原則的な行動)によって左回りの方向(反時計回り)へと動くので、コンビニやスーパーの場合、買い物しようと入り口から入ってきた買い物客は、入り口から右手方向へと歩いていきながら、左回りの方向(反時計回り)へ円を描くように買い物をしていきます。
ですから、入り口から右手方向に人が流れやすいような、商品の配置を考えとかないと、そこの店での売り上げは伸びません。
そしてゴール地点となる場所(入り口から見てすぐ左手の場所)にレジを配置して、精算をして買い物を終えた客が入ってきた入り口から外へ出やすいようにしないといけません。

470韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:17:58
なまもの食品はゴール地点(レジの近く)に、重たい商品はレジの横に配置

全国各地の売り上げの良いコンビニやスーパーを見てください。
だいたいがこういう仕組みで、人が左回りの方向(反時計回り)へ円を描くように買い物しやすいように配置されてます。
ただし、多少商品の置き方に工夫がない場合もありますが。

通常の買い物客は、入り口から入ってきて左回りに流れながら、20〜30分かけてのんびりと買い物をするので、入り口を入って右方向に向かって左回りに流れようとする時に、最初から冷凍の必要がある冷凍食品などを置かれると、そういう商品は買い物カゴに入れないようにします。(のんびりと買い物をしている最中に解凍してしまうから買い物カゴに入れないから、冷凍食品の売り上げが落ちる)
また入り口を入って右手のすぐの場所に、重たい商品(お米など)を並べられても、買い物客はのんびりと買い物を楽しみたいので、重たい商品は買い物カゴに入れたがないので、重たい商品の売り上げが落ちる。

入り口を入って買い物客が向かう最初の右手側には、冷凍の必要がないやや軽い商品を配置していき、左回りの方向(反時計回り)へ円を描くように買い物を楽しむ
買い物客が、ゴールのレジに近づくにつれて、溶けやすいか腐りやすいなまもの食品(アイスクリーム・日替わり弁当など)を配置して、最後にレジの近くに重たい商品(お米・酒・ビールケースなど)を配置すると、売り上げが伸びます。

また、突発的に必要になる商品を買いにきた急いでいる買い物客は、入り口を入って・・・
ヤバイ日付が変わってしまう。アセアセ。ここから先の続きはまた明日にでも。

商店街もそうです。商店街の入り口から入ってきた客は左回りの方向(反時計回り)へ円を描くように商店街をグルッと回ろうとするので・・・
ヤバイ日付が変わってしまう。アセアセ。ここから先の続きはまた明日にでも。

471韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:21:05
静の部屋と動の部屋

静の部屋と動の部屋というのは私が新しく作った言葉ですが、どういう意味なのかわかりますか?
私がいま住んでいるマンションは、ワンルームなので部屋がひとつしかない。

私がいま住んでいる部屋は「静の部屋」です。
「静の部屋」とは、静かな部屋という意味ではなく、物思いにふけったり、あれこれと考えをまとめたり、寝てばかりと、ひたすら動きが静かになってしまう部屋の事です。

よく寝れてストレスが溜まりにくく、のんびりと物思いにふけるのに最適な空間の事を、「静の部屋」と名づけました。

何か考え事をしたい場合や、新しいアイデアを生み出したい時、仕事や遊びで疲れた体をゆっくりと休める時や、嫌な事や不満でストレスが溜まった時など、「静の部屋」にいるだけで心が落ち着いて、長時間寝ては静かでのんびりとした生活ができるのが、「静の部屋」となるわけです。

「静の部屋」は良いことばかりではありません。

この「静の部屋」に閉じこもっていると活動的にならないのです。
「静の部屋」に閉じこもっていると、何かをしたい衝動にかられて、積極的に動き回る活力が生まれてこないのが「静の部屋」の欠点です。

そこで「静の部屋」とは別に「動の部屋」を持つ必要があります。
「動の部屋」とは、「静の部屋」とは正反対の性質を持つ部屋の事で、「動の部屋」にいることで「よーし、気合が乗って来たぞ、バリバリと動くか」と何かと活発的な衝動に駆られて、行動力が増すのが「動の部屋」です。
「動の部屋」は、仕事をする空間には最適でしょう。眠気が吹っ飛んで、バリバリ仕事をやりたい気力に駆られて、活発的に動き回れます。

しかし、この「動の部屋」にも良いことばかりではありません。
「動の部屋」に長い間いると、活発に動きすぎたために次第に疲れが溜まってきて、嫌な事や不満でストレスが蓄積していきます。

ですから「動の部屋」の性質を持っている会社や学校で、仕事や勉強をバリバリこなした後、「静の部屋」の性質を持っている自宅の部屋に戻って、ぐっすりと寝たりのんびりと過ごして、溜まったストレスを開放して、再び「動の部屋」に移動して仕事や勉強をバリバリこなす生活をくり返すのが、理想の生活といえるでしょう。

さらに理想的なのは、自宅にも会社にも学校にも、それぞれ「静の部屋」の性質を持つ部屋と「動の部屋」の性質を持つ部屋の、それぞれ2つを持っている建物が一番の理想です。
同じ建物内に「静の部屋」の性質を持つ部屋と「動の部屋」の性質を持つ空間があれば、数分あればすぐに移動できるからです。

472韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:22:07
日本の建物の構造や設計の段階では、こうした「静の部屋」と「動の部屋」を計画的に作り出せるように考えられていません。

日本の政治・経済・教育・文化は明治維新以降、支配階級である白人のための植民地国家を、世界中に拡大させようとして強大な軍事力と工業力を背景に暴力と策謀を駆使していた植民地政策主義の白人国家を、目標とした西欧化を目標にしてきました。

それまで教えられてきた中国文化・朝鮮文化・日本文化で長い年月を経て考え出されてきた東洋思想を捨て去って、暴力主義を主体とした野蛮な白人文化ばかりを推奨する、白人コンプレックス(白人崇拝者)を持つ日本人達の間違った思想が悪影響を及ぼしました。

強大な軍事力と工業力を背景とした、暴力で他民族を制服して成長してきた白人社会を、文明国だの先進国だとの理由をつけては、間違った西洋思想を日本国内に積極的に受け入れてきたのです。

もちろん西洋思想にも正しい思想もありますが、間違った思想と正しい思想の選別をして、正しい思想ばかりを受け入れてこなかったのが悪いのです。

そうした間違った西洋思想は、建築の分野にも悪影響を及ぼしてしまい、東洋思想で発達した「風水」の思想を応用した正しい方法での建物の設計と建築は、日本から完全に姿を消してしまいました。

「静の部屋」と「動の部屋」のどちらの性質になるかは、建物のある場所の周囲の環境、建物の構造と建っている方角、建物に流れる気流の流れ、建物に流れる運の流れ、部屋の構造と広さや窓の向き、部屋に流れる気流の流れ、部屋に流れる運の流れ、部屋の中の家具の配置状況、部屋の壁や天井の色など、いろいろな要素が複雑に絡み合って、「静の部屋」と「動の部屋」に別れる性質が生まれるのです。
また「静の部屋」でもなく「動の部屋」でもない、中立的な微妙な性質になる場合もあれば、季節や時間によって「静の部屋」と「動の部屋」が目まぐるしく変わる場合もあります。

こうした「静の部屋」「動の部屋」の性質を持つ建物や部屋の事を、古代中国思想では「風水」と呼び、現在でも建物や部屋を作る時に良い運を建物や部屋にたくさん呼び込もうと、龍脈から流れてくる気の流れ(竜の通り道)が溜まる場所に都市や建物を作る思想です。
これは別に「風水」という占いでもなく、理論的にきちんと説明できる現象です。

昔の中国の人はなぜこのように、気の流れや建物の作り方で、その場所に良い運が集まるかを理論的に説明はできませんでしたが、何世代にも渡る長年の経験によって、知恵が蓄積されていって「風水」という思想が生まれて少しづつ完成されていったのです。

473韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:23:16
この「風水」思想を理論的に説明するためには、「原則」という「偏りの法則」を学ばないと理解できません。
(「原則」や「偏りの法則」については、いずれ詳しく説明することにします。)

※どうしても「原則」や「偏りの法則」について先に詳しく知りたい人は、理法書で検索するか、人生最大の発見で検索するか、2ちゃんねる掲示板の哲学板の人生最大の発見スレッドで調べてください。

このブログでは歴史や哲学や法律をメインに語るのではなくて、あくまでもあげまん女とあげちん男を作るのが目的なので、あげまん女やあげまん男として成長していくのに大事な分岐点となる、小学生や中学生を主に対象にして、文章の内容が理解できるブログ内容にしたいのです。

もちろん高校生や大学生や大人となった人達にも、このブログを読んで理解してもらいたいですが、あげまん女とあげちん男をたくさん作り出すには、小学生時代や中学生時代から正しい考えばかりに感染していく事が大事になるのです。
そこで、小学生や中学生のお子さんを持つ母親や父親にも、このブログを読んで理解してもらって、自分の子供をあげまん女とあげちん男にする正しい考えを身に着けて、子供にも正しい考えを教えて教育をしてほしいと願っています。

あげまん女やあげちん男というのは最強の特技になります。
赤ちゃんが持つ憎めない笑顔とかわいらしい表情や、少女が持つかわいさやあどけなさや幼い色気、美男美女が持つ美しさや美貌や大人の色香というのは、成長して歳を取れば誰でも失ったり衰えてくるものですが、一度、あげまん体質やあげちん体質になると、一生の特技(正の連鎖を呼び起こす財産)として残ります。

一方、成長途上でさげまん女やさげちん男(取りまん女、取りちん男も含む)になってしまうと、一生の悪技(負の連鎖を呼び起こす負の遺産)として残り続けます。
取りまん女と取りちん男(私が作った新しい言葉)についての詳しい説明は、明日以降にでも書きたいと思います。

474韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:24:14
あげまんって何?あげちんって何?
あげまんとは、密接に関わっている人の運(金運・仕事運・健康運・子宝運)を上げる女のことで、特に結婚相手の男や付き合っている彼の運を引き上げてくれる女のことをいいます。
あげまんの意味は、「上げるマンコ」と書いて女性器(マンコ)を名前の「まん」と「あげる」を組み合わせて「あげまん・アゲマン」と呼びます。

これとは逆の意味でさげまんがあり、「下げるマンコ」と書いて「さげまん・サゲマン」と呼び、密接に関わっている人の運(金運・仕事運・健康運・子宝運)を下げる女のことで、特に結婚相手の男や付き合っている彼の運を引き下げる女のことをいいます。

女にあげまんとさげまんがあるのだから、男にもあげちんさげちんがあります。
あげちんとは、密接に関わっている人の運(金運・仕事運・健康運・子宝運)を上げる男のことで、特に結婚相手の女や付き合っている彼女の運を引き上げてくれる女性のことをいいます。
あげちんの意味は、「上げるチンコ」と書いて男性器(チンコ)を名前の「ちん」と「あげる」を組み合わせて「あげちん・アゲチン」と呼びます。

これとは逆の意味でさげちんがあり、「下げるチンコ」と書いて「さげちん・サゲチン」と呼び、密接に関わっている人の運(金運・仕事運・健康運・子宝運)を下げる男のことで、特に結婚相手の女や付き合っている彼女の運を引き下げる男のことをいいます。

475韋駄天はふと考えた:2007/08/03(金) 00:25:10
テレビ・ラジオからの運の感染  風水からの運の感染

「あげまん」と「あげちん」の意味がわかったでしょうか?
運というのは自分で作ることができますが、密接に関わった人から運をもらうこともできるのです。
もらうのは良い運ばかりではありません。悪い運ももらってしまうのです。

誰かから運をもらうというのは、風邪をひいた人がセキをすることで、近くにいた人に風邪ウイルスが移り、その人も風邪をひいてしまうように、運とは空気の流れに乗って空気感染するようなものです。
また他人の考え方や思想が、文字や言葉を使った教育や教えによって自分に感染して、もらった人の運が大きく変化します。
宗教や占いにはまったり、新聞・雑誌を読んだりして、考え方や行動が大きく変わった人も、文字や言葉を使った感染によって運が大きく変化しています。

文字や言葉だけでなく、電波に乗って運が感染する場合もあります。
テレビ・ラジオを聞いて考え方や行動が変わった人は、良い運か悪い運のどちらかを、テレビやラジオから感染してもらっています。

感覚の鋭い人は、はるか遠くの誰かが発信した強い脳波を、アンテナ代わりの髪の毛や体毛が受信して、はるか遠くの人の考えや気持ちが感染して自分の脳内にイメージとして浮かぶことがありますし、はるか昔に死んだ人が発信した強い脳波が、何百年経っても空気中を漂っていて、感覚の鋭い人の髪の毛や体毛が受信して、はるか昔に死んだ人の考えや思想が感染して、脳にイメージとして浮かぶこともあります。
また昔に死んだ人が大事にしていた家具やアクセサリー類の形見や、長年暮らしていた家や部屋に、死んだ人が発信していた強い脳波や体臭がわずかに残っていて、感覚の鋭い人の鼻や髪の毛や体毛が受信して、昔に死んだ人の考えや思想が感染して脳にイメージとして浮かぶこともあります。

他にも、風の流れ、気流の流れ、水の流れから運が感染することもあり、これを古代の中国人は「風水」と呼んで、良い運を呼び込もうと、今でも龍脈から流れてくる気の流れ(竜の通り道)が溜まる場所に都市や建物を作る風水思想を実践しています。

また世界中の民族の間では、はるか昔から山々の森や山々の岩、澄んだ流れの川や山奥の滝、神秘的な場所にある草花や木々にも、精霊や神が宿っていると信じられて、大切にする行為もまた、そういう所からもたくさんの運をもらって感染しているので、良い運をたくさんくれる場所と、そこに生息する生き物たちを、森の精霊や花の精霊、山の神々、海の神々、水の神々と呼んでは大切に扱っている。

このように運というのは自分で作ることも変えることもできるが、周囲からもらう運の方が圧倒的に多いのです。
人との関わり、死んだ人との関わり、生き物との関わり、死んだ生き物との関わり、住んでいる建物や家と部屋、地形、気候、環境、季節、風の流れ、空気の流れ、水の流れ、海の流れ、山々の木々、草原の草花、いろいろな所から良い運も悪い運もたくさんもらっているのです。

運の流れは目には見えませんが、感染するように運が移動しているので、運の流れを読み取る鋭い感覚を身に着ければ、周囲から流れてきて自分に感染した運が、良い運なのか悪い運なのかが見分けがつくようになります。
そうした場合、良い運だけを取り込んで、悪い運をすぐに排除する習慣を身に着けないといけません。
悪い運を排除せずに身に着けたままにすれば、「負の連鎖」といって悪い運が別の悪い運を呼び込んでしまい、悪いことが次々に連続的に自分の身に起きてしまうからです。

逆に良い運を身に着ける習慣を持つと、「正の連鎖」となって良い運が次々に舞い込んできます。

476韋駄天はふと考えた:2007/08/24(金) 00:34:39
原則暦とは
原則暦元年負2月(げんそくれき、がんねん、ふにがつ)、私は悟り(さとり)を開いた。(今日を原則暦で表すと原則暦7年正8月20日となる。)

※原則暦とは、これから未来へ向けての宇宙開拓時代到来(宇宙に無数に点在する惑星に、人間や他の地球生物が移住して生息地を拡大していく時代)も視野に入れて、新しい時代の幕開けにふさわしいように、キリスト教主観による西暦使用でなく、ありとあらゆるすべての宗教に属する民族が使えるように、世界共通の暦(こよみ)から変えていくことで、人間の古い意識(誤常識・旧感覚・古い時代感覚)も新しい意識(真常識・新感覚・新しい時代感覚)へと変われると考えた。

(宇宙開拓時代到来なら、原則暦でなく宇宙暦も一応考えたが、暦の基準を、太陽の力の強弱に合わせるか、地球が属する銀河系全体か、もしくは宇宙全体の力の強弱に合わせるかで、悩んでくるのでやめにした)

※そこで人間の人口が多い北半球(地球を赤道から見て北に位置する所)を基準にして、自然界の力の強弱の変化に合わせて新しい暦(こよみ)を、私が作ったものであり、私が悟りを開いた西暦2000年を原則元年として、西暦2005年であれば原則歴5年となり、西暦2100年であれば原則歴100年となる。
また西暦1900年であれば、原則暦前100年となり、西暦750年であれば、原則暦前1250年となる。

477韋駄天はふと考えた:2007/08/24(金) 00:35:00
※また2月15日前後が自然界でいう1年で最も力の強い季節(北半球の場合)となり、2月15日を過ぎて3月から1年で最も力の弱い8月までの半年(六ヶ月間)を、負の力から正の力へと変化していく季節(自然界の力が強さが、だんだん弱くなっていくことで、自然の力の影響力から解放されつつある8月15日の最弱ピークに向けて、人間を含む生物の活動が活発化してくる)であることから、3月、4月、5月、6月、7月、8月の半年(1年の半分)を正の季節と名づけることにした。

※負の季節は、9月、10月、11月、12月、1月、2月の半年(1年の半分)として、この負の季節では、自然界の力が強さが強くなっていくことで、自然の力の影響力から受けつつある2月15日の最強ピークに向けて、人間を含む生物の活動が沈静化してくるので、負の季節と名づけることにした。

(西暦2017年10月20日であれば、原則暦だと原則暦17年負10月20日となり、西暦2156年4月20日であれば、原則暦だと原則暦156年正4月20日となる)

478韋駄天はふと考えた:2007/08/24(金) 00:35:22
5月と11月の安定時期は個々の能力測定をするのに最適な季節

※原則暦でいう、正5月15日前後と負11月15日前後は、1年で最も力の強弱が安定している時期(力の急激な変化が起きにくい季節)であり、この時期は人間も含めた生物の活動が最も安定する時期でもある。

※こうした5月と11月の安定時期が、個々の能力測定をするのに最適な季節(オス同士がメスを争って互いに強さを競う。競馬なら競走馬が最大能力を発揮できる季節なので、この時期に頂点のGⅠレースが多い)でもあり、またメスにとって交尾して種がつきやすい(妊娠しやすい季節)季節でもあり、さらに生まれたばかりで死にやすい子供を、無事に成長させやすい季節となり、子育てをするには最適な季節となり、人間を含む生物の大多数が、この5月と11月前後の安定時期に、メスを争ってオス同士が能力を競ったり、交尾をしたり、子供を産んで子育てをする、最適な季節となる。

※本当は2月15日からを正の開始日として正0日(せいぜろにち)と呼び、8月15日までを正の季節として、8月15日からを負の開始日として負0日(ふぜろにち)と呼んで、2月15日までを負の季節と名づけたかったが、現在使われている暦とは、大きく感覚がズレてしまい、誰もがなじめなくなると思ってやめにした。

479韋駄天はふと考えた:2007/08/24(金) 00:35:39
※原則暦でいう自然界で最も力の強い最強ピークが、1年で最も日照時間の短い12月20日前後の冬至(とうじ)よりも大きくズレて遅れている理由は、冷凍庫で物を凍らす時に、最低温度にしても急には物が凍らないで、時間をある程度置いてからでないとカチンカチンに凍らないことと同じである。

※1年で最も日照時間の長い6月20日前後の夏至(げし)についても同じであり、湯をわかす時に火力を最大にしても、すぐには沸騰(ふっとう)しないのと同じで、自然界の力が、その季節にたとえ最弱時であっても、力を受ける側の最弱ピークは必ず遅れてくるものである。
(ある物質が自然界の力の強弱を受けても、強弱最大時の時が必ずしも最大力になるとは限らないで、力の影響を受ける側の力の最強弱ピークは必ず遅れる)

原則暦の説明から悟りの内容に戻すと
悟りの内容は「この世の中の出来事はすべてつながっている」

480韋駄天はふと考えた:2007/08/24(金) 00:35:57
雲の形を見れば海底の地形がわかり、海底の地形を見れば雲の形もわかる

世の中の出来事同士をつないでいる、つながりが見えないのは、つながりを見ようともしないか、つながりが非常に小さい力である場合。

空に浮かんでいる雲を見るだけで海底の地形がわかり、海底の地形を見れば雲の形がわかる。
空に浮かんでいる雲は風や湿度や気温の影響で様々な形に変わるが、実は重力の影響も受けている。
学校教育では地球上のどこの場所においても、重力の強さはすべて同じで一定だと教えているが、実は地球上の重力の強さは一定ではなく、地面の厚みと材質によって重力の強さも変化してくる。

ここに簡単な脳内シュミレーション実験(脳の中での空想実験)をしてみよう。
長さ30cmで中身が空洞の同じ太さの鉄パイプが4本ある。
1本目の鉄パイプの空洞の中身に砂をぎっしりと詰める。2本目の鉄パイプの空洞の中身に粘土をぎっしりと詰める。3本目の鉄パイプの空洞の中身に硬い石をぎっしりと詰める。4本目の鉄パイプの空洞の中身に水をたっぷりと入れてフタをする。

それでは、この4本の鉄パイプを縦にしてそれぞれ圧縮機に挟んで、4本同時に圧力をかけながら鉄パイプを潰してみることにする。
一番最初に潰れるのは水をたっぷりと入れた鉄パイプで、二番目に潰れたのは粘土をぎっしりと詰めた鉄パイプで、三番目に潰れたのは砂をぎっしりと詰めた鉄パイプで、一番最後まで潰れなかったのは硬い石をぎっしりと詰めた鉄パイプということになる。

つまり鉄パイプの中身に何を詰めたかで、鉄パイプの強度が変化するという簡単な実験であり、中身に硬い物を詰めたほど鉄パイプの強度が増して潰れにくくなるという結果である。
この実験が重力の強さと大きく関係するわけである。

481韋駄天はふと考えた:2009/04/12(日) 13:54:19
原則太郎物語

肌寒さがまだ残る春先の夜、村のひとりの長老が、村の子供達を集めて、こんこんと語り始めた。
昔昔の事じゃ。
とある村に一人の天才がおってな。
その天才の名は・・・確か、原則太郎と名乗っとったはずじゃ。

原則太郎は、確かに天才じゃったのじゃが・・・。
でも村人の誰もが奴の事を天才とは認めとらんじゃったのじゃ。
それで原則太郎も村人に天才だと認められる事なく、ひっそりと普通に暮らしておったんじゃ。

原則太郎は書物を読むのと考え事が好きでな。
畑仕事を何日か休んでは、大きな町に書物を買い求めに行く姿が、村人に何度も目撃されてたという話じゃ。
特にな、団体論とか組織論とか、大きな組織の運営について書かれた書物を何冊も買ってたそうじゃ。

原則太郎は畑仕事が終わると、買い求めた書物を夜遅くまで読み漁るのが楽しみだったそうじゃ。
そして天気の良い日などは、畑仕事を中断しては、村はずれの森を散策しながら考え事をするのが日課じゃった。

482韋駄天はふと考えた:2009/04/12(日) 13:55:03
そんな原則太郎がな、天気の良い日の日課となった、村はずれの森を散策しながら考え事していた時じゃった。
考え事をしすぎてしまい、普段は歩かない知らない道を歩いている事に気づいたのじゃった。
原則太郎は森の中で迷ってしまったのじゃ。

さんざん迷ったあげく、ついには道無き道を進んでしまった原則太郎は、村に引き返す事もできずに途方に暮れたそうじゃ。
ついでに日も暮れたそうじゃ。散々じゃ。

散々な思いをした原則太郎は、真っ暗な森の中を手探りで、はいずり回ったそうじゃ。
ふと気づくと、大きな崖の前にたどりついた事を、岩の壁に阻まれてしまい、前にまったく進めない手探りの状態で知ったのじゃ。
原則太郎「はて、これは一体どの辺りの崖じゃかのう?」
原則太郎「村のあたりにゃ、こげな大きな崖はなかったはずじゃ。はて?」

原則太郎は、明るくなってから崖の全貌を見たいと考えたのかのう。ここで夜を明かすことに決めたそうじゃ。
夜がだんだん明けてきて周囲はすっかり明るくなったのじゃ。

夜中の寒さにブルブルと震えて、あまり良く寝れなかった原則太郎の目覚めはよくなかったのじゃが。
目の前にそびえ立つ崖を見るや「ドバッ」と飛び起きたそうじゃ。あん時にゃあ、以外と寒かったのう。
原則太郎「おおう。なんと見事な崖じゃ。」
原則太郎「向こうの方まで岩が連なっとるわい。」
原則太郎「こげな所にこげな見事な崖があったとは。生まれてこのかた一度も知らなんだわ。」
原則太郎「しかし、ここは一体どこじゃろか?」

ここまで話込むと、村の長老は話疲れたのか「わしゃ、もう寝るわい。」とつぶやいて奥の寝室へと消えていった。
ここからは長老に替わって、この物語の作者こと、私がサクサクと話の続きを話まする。

日が昇って明るくなり遠くの景色もくっきりと見通せるようになった原則太郎は、遠くの景色の中から、見覚えのある景色を捜し求めた。
原則太郎「西の方に見える山にゃ、なにやら見覚えがあるな。」
原則太郎「おおう、そうじゃ。あの山は村からも見えとった七つ山じゃ。」


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