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【女性中心】生産者第一主義政党【社会】
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:
韋駄天はふと考えた
:2005/08/15(月) 03:30:18
元々寒さに弱い人間はなぜ極寒のシベリアにまで住み着いて、ゾウを追い求めて
食い滅ぼす必要があるのか?
そんなにゾウの肉は美味なのか?なぜ絶滅させるほどゾウばかりを追い求めたのか?
昔の人間は身長が150㎝くらいで武器といえば投げ槍か石斧だけなのに、ゾウは簡単に
殺しやすかったのか?
現在ではゾウの肉を人間は食べない。なぜならゾウの肉は美味でなくまずいからで
他にもっとおいしい肉を見つけているからだ。
ではなぜ昔の小さな人間達は、まずい肉なのに巨大なゾウを食い続ける必要があったのか?
しかも投げ槍か石斧だけで巨大なゾウの群れへ立ち向かっていく凶暴さと攻撃的な性格。
ゾウの群れに踏み潰される危険を冒してまでゾウの肉ばかりを食べてゾウを滅ぼす必要は
ないのに、それでもゾウに踏み潰される恐怖に負けじとゾウに立ち向かっていく昔の
小さな人間達。
寒さにふるえてまで極寒の地に住み続けて、巨大なゾウとの格闘の危険な毎日。
ここまでしてゾウを食い滅ぼす必死さは、もはや使命感と信仰心以外何者でもない。
何らかの使命感と信仰心があるからこそ、巨大なゾウの群れに恐れることなく
人間は立ち向かっていけたのだ。
では一体人間は、何の使命感と誰のための信仰心でここまでしてゾウへ立ち向かっていくのだ?
こう考えていくことでひとつの結論が見えてきた。
そして私の脳内に、人間対ゾウとの百万年にも渡る長い戦いの命のドラマと、
人間が神とあがめて信仰する者の正体が、くっきりと見えてきたのだった。
そしてこのころに培われた神に対する使命感と信仰心は、やがて宗教となって
現在へと語り継がれ文字化されて、つながってきている。
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