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ぽい〜ん紹介すれ
1
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 05:53
ぽいんを世界に広めよう!
2
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 06:47
手始めにテキストサイト系クラブイベント全てに
「ぽいんをDJとして出演させないとおっぱい揉まれるぞ!」
という脅迫文を送りつけよう。
3
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 07:42
2002年5月2日、本人曰く十数時間の試行錯誤を重ねて
現在も愛用のPioneer製ダイナミックマイクを相棒を手に握り、
ねとらじ(当時はらじちゃんねる)にて放送開始。
4
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 07:44
初期は一夏のアバンチュールへの欲求からくる妄想、
らじちゃんねるで大手になりたいなどとういう妄想、
最近はパソコンオタクになりつつあり、引き篭もりがちなどと語っていたが、
実はサッカーをやっていて、
顔はロックバンドSOPHIAのボーカル・松岡に似ている
(元黒夢の清春にも似ているらしい)などのトークの内容とのギャップにリスナーが驚き、
一同「ヽ(`Д´)ノウワーン」の書き込みをする一幕も見られたが、
コアな少数リスナーに支えられ放送を続ける。
5
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 07:53
コテハンでは「ちんこかゆいよ」氏の身を削るようなネタ書き込みは面白く、
ぽい〜ん本人も絶賛していた。
そんな初期の放送時間は深夜1時〜5時くらいから放送を始めていたため、
あまり表舞台に名前があがらない、「知る人ぞ知る」的な放送であったのかもしれない。
そのためか、同時期に始めたDJ達が仲良くなり、
一緒に放送をしていたりしている場面を見かけると、
「馴れ合いは好きじゃないですからね。」「リスナー多い放送って正直そんなおもんないよな。」
等の毒を吐き出し始める。
しかし、当時から自虐ネタ、エッチネタ、
他人に絡むときに見られる以外にキレのあるツッコミのセンス等は光るものがあったと思われる。
6
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 08:01
しかしそんな自称「はぶけ」ぽい〜んを公に「面白い」と勧めるDJもいた。
「#ラジヲSnufkin」という伝説とも言える番組のDJ:「W」氏だ。
実はぽい〜んは放送開始前からDJ:「W」氏のリスナーであり、
彼の放送を聴いてDJをやろうという決意が固まったのは意外と知られていない。
完成度の高い創作ネタ、本人と勘違いしてもおかしくないペリーネタを披露していた彼は、
ぽい〜んにとってのラジオ師匠といえなくもないのかもしれない。
また同じく人気DJYogurt氏も「マターリネタ系、2部最強」等と大絶賛。
加えて、当時は放送感想を記載していたサイトを運営していたmarumari氏によって、
「ダウナー系」と呼ばれるようになる。
7
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 08:17
「W」氏は放送方法や音楽の流し方などをぽい〜んに教え込み、
放送の幅を広げさせる事に成功。ぽい〜んはその後いくつかの楽曲承諾を得る。
またリスナー層の幅を結果的に広げた。
特にリスナーが名曲だと絶賛したのは、
DAI氏の「春風」メロンボールの「うえだ」カウセリングリスナーズの「月光浴」
High light collarの「マワルホシ」BOB ENTERTAINMENTの「WAILING」
楽曲的にすばらしいだけでなく、彼のトークとどこか関連性を汲み取れる歌詞も印象に残る。
またこの時期なし崩し的に24時間放送をしたのも意外と知られていない。
この24時間は初めてとなるゲストのDJみけ氏(馬なりみけラジオ)や、
同じく彼を絶賛するDJヨーグルト氏(BGM的マターリ放送)、当時は新人DJであり、
リミックス楽曲「Downer Poin?」作成者、電気アンセム氏(らじお茶屋電庵)もゲスト出演する。
何とか24時間喋り続けたものの、疲れからか10日程ラジオをしなくなったことが原因で雑誌に載り損ね、
後日放送で愚痴るぽい〜んがいた。
8
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 08:31
この頃からリスナーとのコミュニケーションに重点を置いた放送体系は完成し、
「今週のインパクト」コーナーなどリスナーと友達同士のように語り合うという印象があった。
笑いの分かるぽい〜んの以前からネット上で付き合いがあり、尊敬する男、
DJタチバナ氏(微妙にふくらんでいるラジオ)のゲスト登場により
若干ではあるが、ネタ書き込みも増えていく。
「じゃがりこの新しい味」と題されたネタ書き込みは当時の流行とも言える
ネタDJ放送の多さからだろうが、
乗ったリスナーの書き込みは一向に減らず、ネタの洗礼を受ける。
この頃から、当時男性DJで最もリスナーを集めていた部類である
DJくれあー氏に毎夜ぶつけ放送を行ったり、
多数のDJをゲストに呼ぶ放送が多くなったりした結果、露出が多くなったせいか、
舌も飛躍的に滑らかになってきたぽい〜んらじおのリスナー数は
80人前後をキープできる放送となる。
9
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 08:48
特に隆盛を極めたのは、同時期に放送を開始していたtogiku氏との放送。
「ダウナーぽい〜ん VS 菊門togiku」と題されたこの放送は
明らかなリスナー層の違い、リスナー間での黒い噂などが一気に放出され、
掲示板は読んでも読みきれないレスの量、多数の煽りで埋め尽くされた。
ぽい〜んはレスを読むだけ、togiku氏はぽい〜んのダウナー口調に
どこか調子を狂わされている感も否めなかった。
放送といえる放送はできなかったが、リスナー数95人の快挙。
しかし両放送者にとってトラウマとなったのか、
一緒に放送したのは今のところこれが最初で最後となる。
10
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 09:10
夏には初めてとなるオフも企画。
DJだけではなく普段のリスナー、管理人、
大手テキストサイトを運営する人など、多数が参加したようだ。
このオフで撮られたバイブを握り締めたぽい〜んの写真はある意味伝説となる。
女性参加者の服をめくったという噂の真相は今だ闇の中。
飲むと抱きつくらしい。
またその後に行われた大阪オフでは、はんうん氏と共に
オフ女性参加者から「三重のキンキキッズ」「三重の丘サーファー」などと呼ばれたことから、
ビジュアルはなかなか良いようだ。
しかし、一緒に企画したmakoto氏(まことの天然ラジオ)のおしゃれ男前さに、
後に行ったオフ報告ラジオで激しく嫉妬する場面も。
つかれたので今回はここまで。
11
:
名無しさん
:2004/02/12(木) 09:49
お疲れー。面白いんで気が向いたら続き希望。
12
:
名無しさん
:2004/02/19(木) 23:14
夏のオフを終え久しぶりに帰ってきた一人ラジオでは、
久しく自分のトークをしてなかったせいか、無意識なフラストレーションによるところのものか、
東京行きのバスの中で出会ったいずみちゃんという少女との一夜のアバンチュールトークは、
スレを忘れ、時を忘れ、妄想を絡めつつ30分もの間語っていた。
東京に到着し、携帯番号を聴こうと必死だったぽい〜んが人波にもまれている間に、
いずみちゃんはぽい〜んに目もくれず、
スタスタと駅の中に消えていったというオチが、リスナーの涙を誘った。
13
:
名無しさん
:2004/02/19(木) 23:23
そんな乗りに乗っていたぽい〜んにも、スランプと呼べる時期が訪れる。
秋に入りリスナー数は急下降、ぽい〜んも放送毎に口をついては出る「落ち目」の言葉。
口調はダウナーさを増し、言葉少なめ。
「ぽい〜んらじお」という正式な番組名は使わず、果ては名前を書かず放送も行った。
お得意の「僕のことを愛するといい。」のセリフも今はただ虚しかった。
常連リスナーからは「ぽい〜んらじおと書いてないと気付かない」の要望もあったが、放送タイトルは変わることはなかった。
またこの時期DJタチバナ氏と共に、詩を多数発表している。
14
:
名無しさん
:2004/02/19(木) 23:32
ゲストに助けられるような放送が続き、自身は言葉少なめ。
リスナーからは「昔のぽい〜んが良かった」のレスも多数貰う場面も目立ってきた。
が、その原因は心労によるものだったようだ。
「留年」その言葉も初期から彼は言っており、それが現実的になってきた事で、
ぽい〜ん自身相当な精神的重圧を感じていたのであろう。
相方タチバナ氏からは「病気」と言われマジ凹みをする場面もあった。
R4氏(へたれとーくとうるさいギター)製作の楽曲「M.S.P. -Poi~n Nght-」は、
その時期を切り取り、迷走を続けるぽい〜んの縮図だと言えるのではないだろうか。
15
:
名無しさん
:2004/02/19(木) 23:48
迷走を続けるぽい〜んだったが、この時期に初の試みを行う事となる。
それまでは、女性DJげる氏やかよ氏(ぷふぉらじ)などと多人数で話す事はあっても、
女性と2人きりで放送する事はなかったぽい〜んだが、ここにきて、
当時、彗星のように現れた新人DJ、
赤井りさ氏(赤井のどきどきラジオ)と、初の2人放送を実現する。
エッチな質問をリスナーを代弁して赤井氏に投げかけるといった事もすんなりとやりのけ、
「言える男」として株を上げたようだ。
しかし当時の本人も語っていたが、
依然として放送は以前の輝きに比べ、今一歩鈍い感じが拭えなかった。
残りは次のらじお時にでも書くか。
16
:
名無しさん
:2004/02/19(木) 23:48
迷走を続けるぽい〜んだったが、この時期に初の試みを行う事となる。
それまでは、女性DJげる氏やかよ氏(ぷふぉらじ)などと多人数で話す事はあっても、
女性と2人きりで放送する事はなかったぽい〜んだが、ここにきて、
当時、彗星のように現れた新人DJ、
赤井りさ氏(赤井のどきどきラジオ)と、初の2人放送を実現する。
エッチな質問をリスナーを代弁して赤井氏に投げかけるといった事もすんなりとやりのけ、
「言える男」として株を上げたようだ。
しかし当時の本人も語っていたが、
依然として放送は以前の輝きに比べ、今一歩鈍い感じが拭えなかった。
残りは次のらじお時にでも書くか。
17
:
名無しさん
:2004/02/19(木) 23:50
>>16
ミスったな。ぽいんたん消しといて。
18
:
名無しさん
:2004/03/19(金) 03:38
このまま沈んでしまうかと思えた「ぽい〜んらじお」であったが、
「留年」という心の障害を乗り越え、吹っ切れたのか、
2003年を迎え徐々に調子取り戻してくる。
加え、この時期に放送を始めた葦田氏(どうも葦田ですラジオ)のトークに、
大きな感銘を受けたぽい〜んは、放送というものに対する見方を変えたのか、
それまでは行っていなかった、自ら進んでメールフォームを設け、ネタ放送を行うようになる。
多数のリスナーによるメールが大量に押し寄せ、
メールを一通一通得意の突っ込みによって丁寧にさばいていくぽい〜ん。
眠っていた何かが覚醒しだのだろうか。
19
:
名無しさん
:2004/03/19(金) 06:26
またこの時期、前述の葦田氏と念願のゲスト放送を実現する。
後に「ミニラジ。」と銘打たれたこの放送は、後にR4氏も加わり、
リスナーであるBow氏作詞、R4氏作曲、
歌うはぽい〜んと葦田の「ミニラジのテーマ。」も発表し、喋りだけでなく多方面に活動する。
口癖はこの頃より、「僕の事を好きになればいい。」から「おっぱい最高!」に変わりだした。
クラブなどにも感心を示し始め、かよ氏にクラブに連れて行ってもらった事がきっかけになったのか、
楽曲承諾を得るアーティストもクラブ色が濃い楽曲となっていく。
ゲスト放送とは別にコンスタントに行われるメールに募集によるコーナー特化の放送。
「ぽい〜ん目撃情報」では様々なぽい〜んが多数出没した。
20
:
名無しさん
:2004/03/19(金) 06:26
今回はあまり書けなかった。スマソ
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