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レポスレ〜慈愛に満ちた味になった〜

1DQ:2003/10/31(金) 04:04
ハックルベリー・フィンの孤児である事に裏付けられた徹底した
リアリズムと、それと共に得られたインディアンに由来するような
シャーマニズム、アミニズムは彼の内において統合され、
その純真さを生み出している。それらは大人達、或いは家庭を持った、
ハックルベリー・フィンを囲む子供達からもたらされる教条的、
キリスト教的な社会常識から彼を一歩遠ざけ、
そして彼を襲った数奇な冒険による経験と共に、
黒人であるジムとの人種を超えた友愛を作り出した。
例えば追手から隠れている時の情景、
或いは事件の前兆を感じている時の心理などはそのままである。
しかし主題は、単純な子供個人の脱線や冒険と成長ではなく、
ハックルベリー・フィンという人間を通してアメリカという
社会の成長と、異化された物の再評価と統合、止揚の過程を
見事に示唆するものである。しかもハックルベリー・フィンは、
最終的にはそこにあるアメリカ・コロニー社会に戻る事を拒否している。
彼が最後に当たって述べている決意、“インディアン地区に向かって
飛び出さなけりゃならねえみたいだ。”は、
もはや従来のフロンティア開拓精神に基くものではない。
そこにあるのは、自由と個人、そして全ての人間の疎外されていない
アメリカへの憧れであろう。ハックルベリー・フィンは
単にアメリカの体現としてではなく、
アメリカという社会を変容させる若い力への憧れの実体化なのである。

2のぶ:2003/11/10(月) 19:15
汚ねぇ〜!!
こんなところにこんなの貼り付けやがって!!
思わず吹き出しちゃったじゃん(爆笑)

3DQ:2003/11/10(月) 19:18
バレた(゚Д゚‖)!!

4綾子:2003/12/22(月) 03:10

1920年代、ジャズ全盛期。シカゴの女性記者だったモーリン・ダラス・ワトキンスが、女性殺人犯の裁判にヒントを得て、辛口コメディを書き上げた
1926年、ニューヨークで幕を開けるや大ヒット
1928年、「シカゴ」のタイトルで映画化
1942年、「ロキシー・ハート」のタイトルでジンジャー・ロジャースを主演に迎え、再度映画化
1950年代半ばから、ボブ・フォッシーはミュージカル化を企画していたが、版権を獲得できたのは13年後
1975年6月3日、ブロードウェイミュージカル「シカゴ」は、グウェン・バードンとチタ・リヴェラ、ジェリー・オーバッハを迎えてついにブロードウェイでの幕を開ける
1975年度トニー賞では11部門にノミネートされるが、くしくも「コーラスライン」に賞を独占されてしまう
1977年に幕を閉じるまでライザ・ミネリのオフレコ代役公演などで話題を独占し、898回のロングランを記録した
その後、全米ツアー、ドイツ、イギリス、オーストラリア等、各国で旋風を巻き起こした
1996年、フォッシーの愛弟子アン・ラインキングを振付に迎え、「アンコール!」シリーズのコンサート形式でウォルター・ボビーが上演するや、大評判に
1996年11月14日、ブロードウェイのリチャード・ロジャース劇場でリバイバル公演として正式にオープン
1997年度トニー賞8部門ノミネート、6部門受賞を始め、各賞を総なめ
1997年11月17日、“ディートリヒの再来” と呼ばれるウテ・レンパーをヴェルマ役に迎え、アデルフィー劇場にてロンドン公演開幕
これまでに全米・全英各都市、ヨーロッパ各国、カナダ、オーストラリア、メキシコ各地で大喝采を浴び、10月にはロシアでも幕を開けた
1999年2月、東京厚生年金会館での初来日公演は完売!4万人以上が大熱狂
2002年12月、リチャード・ギア、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ出演で映画化
公開を前にゴールデン・グローブ賞8部門ノミネート、アカデミー賞最有力候補の呼び声も!
2003年、5月、舞台と映画、2つの「CHICAGO」が日本に大旋風を巻き起こす!


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