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電子音楽について

3名無しさん:2006/10/16(月) 23:17:22
昨日はケルン大学が主催する音楽学の為の毎年恒例になった大会・
シンポジウム・コンサートで全4日間の日程でしたが、
時間的に無理なので、その第二コンサートだけを聞いてきました。
ラジオでは良くばらばらですがこれだけクセナキスの電子音楽がまとめて聴けるのも珍しいです。
決して彼の電子作品は傑作ではないのだけれども、
結局のところその音楽の構造そのものの考え方は管弦楽曲の完全な基になっているとつくづく再認識しました。
彼の電子音楽はゴーットフリート・ミヒャエル・ケーニッヒくらいの水準でしょうか?決して悪くはないですが、
どうかんがえてもシュトックハウゼンの『少年の歌』や
リゲティの『アーテキュレーション』のような傑作の領域までは達しませんね。

しかしながらこれらの電子音楽を聴く意味はクセナキスの作曲思想の探求にとって
とてつもない意味があります。
今回もいつもながら部屋を暗くしてプログラムが読めないので音楽と題名のイメージの結びつきが難しく、
最強で音楽を流しつづけるので、耳の健康にも良くはなかったのですが、
この売れない電子音楽がすべて入場無料だということと、
この所謂「酷い」音楽に常に焦点を当て常に定期的にこういう大会を内外含めて20人近くの音楽学者を招待し集めて、
レクチャーや討論させるるケルン大学の音楽学学科の電子音楽を最重要視する意志の強さにも敬服します。今
回も知っている音楽学者の一人でパリ在住のギリシャ人のマキス・ソロモスも参加していました。
案の定、彼がアンサンブル・アレフのコンクールとコンサートのオルガニゼーションにかかわっていることも経歴に書いてありまして、
何時の世でも場所でも極端に狭い世界ですね。
さらにダルムシュタットの常連の顔がちらほらでした。

実は電子音楽も僕は専門家ではないのですが、
ラッヘンマン時代彼は僕のスコアを見てすぐカルコシュカのとこに行って電子音楽を習って来ればすぐおまえの問題は解決するといわれたのを覚えています。
これだけ現代音楽にとっては和声学ヤ対位法と並んで電子音楽はとても大切なのですね。

曲目は「モントリオールの為のポリト−プ」(1967)、
「タウリファニー」(1988)、「ジェンディー3」(1991)そして「ボール」(1962)でいずれも地獄のそこの苦しみのような音楽で酷くて耳ざわりで良かったです。
これからもこういうこういう「酷い」・「悪い」・「反美しい」音楽の演奏をここの学科には望みたいです。酷ければ酷いほど聞いて苦しんでみようと気が起こるものです。
これが何十回も聞いているうちに慣れてきてその音楽が全く酷い駄作ではなくて実は歴史を変えるような『大傑作』だったという話はよくあるからです。

この前もWDRのラジオでヴァレーズの「砂漠」の初演の演奏をシェルヒェンとRTFのオケで流していますね。
ケージの「ピアノ協奏曲」のドナウエッシンゲン初演と同じく凄い野次でした。僕は生でこれをユンゲ・ドイッチェ・フィルとシュトットガルト放送のオケで2回きいたことあるけど、
後者はクラシックの「春祭」などのプログラムの前に組まれていたのでジェルメッティ指揮の現在でも聴衆の抵抗や退出が凄かったです。
「テープを回すぐらい誰でもできるじゃないか?アハハハ!」が常套句です。
最近は世界ランク第三位のベルリン・フィルでも大半の聴衆が曲頭の現代物を聞きたくないのでそのあとから意図的に10分・20分遅刻してくるとか!
しかし金もかかっているしそれでは困るので実際の本番はその裏をかいて、
最近の僕の「バセットホルン協奏曲」のように美味しいモーツアルトを最初に、
プログラムのフィナーレにわざと初演を持って来る言うやり方も最近はとてもはやっています。要するに「耳直し」は無しです。
でもこう事件を繰り返して真に残る現代音楽は育っていくのですね。
最近は最初から「美しかった」とか「良かった」なんて言われる初演曲はもう報いを受けているのでまず再演にかからないし、国外にも出ないです。
これが現在の世界的な傾向です。


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