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【☆語辞典スレ】第1巻

124mc姉妹2000/8 VOL16:2003/06/19(木) 17:10 ID:Ck5m2poI
「童謡」

先生の教室は、とても急な坂道を上りきる手前にあった。駅前の
甘味処で、メッタンにところ天をご馳走してもらうには、必ずその
坂を下りてゆくので、たまに聞こえてくる、かすかなピアノの音に、僕は
いつしかとても関心を持つようになっていた。ある日僕は、そのピアノの
音色が、どこからしてくるのかを探検することにした。この建物の中から
聞こえてるに違いないと思った僕は、先生の教室の前を行ったり来たり、
ウロチョロとしていた。その怪しげな動きの3歳児は、てっきり、迷子だと
思われてしまったらしく、通りがかりの、メガネをかけたちょっと早口のお姉さんに
捕獲されてしまった。(保護とも言うが、あれは明らかに捕獲だった。)そこで
質問攻めにあっている僕を助けてくれたのが他ならぬ中田先生であったのだ。
「ピアノ、ピアノ。」と、うわ言のように呟く僕を先生は、教室の中に
入れて下さった。部屋には、大きいピアノと、少し小さめのピアノとが置いてあって、
先生は僕を小さめのピアノの前に座らせてくれた。生まれて初めて見る本物の
ピアノに驚く僕の手を優しく、鍵盤の上に乗せて、先生は静かに微笑んでいた。
それからは、蔵王あんみつ好きのメッタンと坂道を下りる時でなくても、先生の
教室の前を通ることが多くなった。が既に迷子の疑いは晴れているので、捕獲の
心配もなく、楽しい一時を過ごすことができた。後で分かったことだが、もれていた
ピアノの音は、ご近所からのものであり、防音設備完備の先生の教室からでは
なかった。それじゃあいったい先生に出会えたあの音は、どこん家の音だったんだ
ろうということになるが、当初の探検目的であったにもかかわらず、未だに
解明はしていない。幼稚園の年中の頃、転勤で実家から遠く離れた土地へ引っ越す
こととなった僕は、母と一緒に先生のところへご挨拶にいった時、
「中田先生、またねェ!バイバーイ!」と言ってお別れした。その後、僕が、坂の
途中の学校のピアノの先生だと思っていた中田先生が実は日本を代表する著名な
作曲家であり、その上、僕の大好きな童謡をいっぱい作られた先生だということを
知ったのは、それから十年以上も経った高校2年の音楽の授業の時だった。
「夏の思い出」は優しくゆったりした気持ちになれるし、「小さい秋みつけた」では
少し肌寒くなってきた季節感をたっぷり感じとることができる。それに僕が初めて
覚えた「めだかの学校」。どれをとっても何を挙げても、日本の心そのものであると
思う。どんなに時代が移り変わっても、日本を歌う童謡は、いつまでも
在り続けてほしい。こんなに素晴らしい曲をこんなにたくさん、僕らの心に残して
下さった中田先生に、感謝しきれない感謝と尊敬の意を表して、これからも皆で歌い
続けていきたいものです。
注 メッタン…現在、40半ばの伯母。
蔵王あんみつ…駅前の甘味処でメッタンがいつも食べてたうずら豆入りあんみつ。


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