したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

AA保管スレ@雑談(゜ё`.)その3

1ユーも名無しネ:2013/07/21(日) 12:00:16 ID:???0
AA保管スレ@雑談(゜ё`.)その2
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/music/1521/1289218797/

584Snow Man編 目黒 蓮:2022/09/16(金) 16:18:56 ID:???0
──落ちこぼれがデビューをつかむ。ドラマチックなJr.人生だったね。
「大げさじゃなく、入所から5年間くらいの僕を知っている人は、“こいつはデビューできないだろうな”って
まちがいなく思ってたと思うんです。本当にいろんな人に支えられて今があるんで。
例えば、宇宙Sixのころから嵐さんのバックについてて、何かあるたびに櫻井(翔)さんや二宮(和也)さんが、
僕のことを名前でイジってくれて周囲に印象づけてくれた。愛がこもったイジリ。
先輩の偉大さ、心の広さ、カッコいいなって思いましたし、自分もいつか同じことを後輩にできるようになりたいって思います。
あとはジェシーくんも大切な存在。高校生くらいのときに知り合って仲よくなって。
出会ったころ、ジェシーくんはすでにJr.のトップを走ってた。当時の僕はただのおイモちゃん。
でも、そのときから今もジェシーくんだけは、僕への接し方がまったく変わってない。すごく感謝してます」

──じゃあ今、ファンに伝えたいことはある?
「僕じゃない。すごいのはファンだよってこと。例えば『FINEBOYS』で表紙を飾らせてもらったときとか、
ファンの人たちが“問い合わせが殺到して何秒でサーバーがダウンしたんだって”ってSNSなどで呟いてくれることで、
わかりやすいコピーが生まれた。すごいのは僕じゃないよ、ファンの人たち。
2020年はCDをリリースするたびに盛り上げてもらったり、改めてファンの人の力を感じた年だった。
なのに会えないから、何を返してあげられるか、何を返せるのかもわからなくて。
きっと見てくれているんだって信じて配信をやってきました。Snow Manを盛り上げてくれるファンがいることが心強いです。
昔から応援してくれる人は、もう一度惚れ直してもらえるようキュンとさせたい。
最近ファンになってくれた人は、よそ見ができなくなるようにキュンとさせたいですね」

──いよいよ、勝負の年が始まるね。
「はい。今年出会うどの仕事も、きっとJr.時代に絶対にやってみたいと夢見ていた仕事です。
夢だった世界を今、僕は生きてる。とことん楽しもうと思います。もしも何かに悩んでいる人が、僕たちを見て、
こんな楽しそうにしてる人たちがいるなら、私も変わってみたい、何か新しいことにチャレンジしてみたいって思ってもらえたら、
アイドルとしてそんなに素敵なことってないなって思う。
ファンの方に僕が伝えたいことのひとつが、“僕だって変われた。だから、人はいつだって変われるよ!”ってことなので」

取材・文/水野光博

585Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:35:26 ID:???0
さくま・だいすけ
1992年7月5日生まれ。東京都出身。O型。身長168cm。
2005年9月25日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2021年4月号に掲載されたものです。

引っ込み思案だった少年が、ダンスに出会ってジャニーズへ。
やがて職人集団と呼ばれたが、それは支えどころか、呪いの壁のように重かった。
俺が変わらなきゃ…。
大切なメンバーを笑顔にするために、もっと高く飛ぶために、
デビューするために、ポジティブに生きると決めたんだ。
9人の笑顔の先にこそ、俺たちがめざすテッペンがあるから。

586Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:37:40 ID:???0
──長いインタビューになるけど、よろしくお願いします。
「よろしくお願いします! おしゃべり大好きなんで、いっぱいしゃべれてチョーうれしいです!!」

──じゃあ、まずはデビュー2年目の今年、かなえたいことってある?
「ありすぎますね。絶対かなえたいことのひとつが紅白に出ること。去年は出られなかったからさ。
復帰した(宮舘)涼太から謝罪的なこともあったけど、メンバー全員から“謝らなくていい。誰も責めてないし、
責任を感じる必要もないよ”って伝えた。どれだけ予防してたか知ってるし、それでも感染する可能性は誰にでもあって、
それがたまたま涼太だっただけ。俺だったかもしれなかったわけだからね」

──そうだね。
「ただ正直、涼太は責任感が強くて思い詰めることもあったから、療養中はできるだけマメに連絡を取った。
それにさ、残念じゃないって言ったらウソになっちゃうけど、逆にポンポンポンっていけないのがSnow Manっぽいんだよ。
ネガティブなことが起こっても考え方次第。今年、活躍して紅白に出る。
で、初出場アーティストの記者会見にもう一度出られたら最高だよね。だってもし出してもらえたら、
人生であの会見に2度出るグループって史上初、俺たちだけになるんだから。そしたら涼太のおかげ。
見方さえ変えれば、どんなことだってポジティブなんだよ。だから絶対、今年は紅白に出たいです!」

──そのポジティブな性格って小さいころから?
「小さいころは真逆だった(笑)。人の目を見て話せないし、引っ込み思案で。なんかネガティブで本当に些細なこと、
例えばその日の靴下の履き心地だったり、ちょっとしたことが気になって気分が沈んじゃうコだったんです。
親に“何がイヤなの?”って聞かれても、うまく答えられなくて。言っても伝わらない、わかってもらえないだろうって、
気持ちを表現することもあきらめ、ずっと黙ってるようなコでした。
友だちはいたけど、どこか人と関わるのも得意じゃなかったですね。オドオドしちゃうというか」

──小さいころの夢ってなんだった?
「何にもなかったんです。たぶん家業を継ぐことになるんだろうなってどっかで思ってた。だからホント、夢が何もなくて。
勉強も嫌い、スポーツも嫌い。テレビゲームとかは好きだったけど、自分でやるんじゃなくて
従兄弟がやっているのをとなりで見ているのが好きで。自主性とか自発的ってものが欠片もない幼少期だった」

──性格が変わったきっかけみたいなことってある?
「ダンスを始めたのが大きい。僕は3兄弟の真ん中なんですけど、うちのお母ちゃんが、兄弟のうち誰かひとりくらいは
ダンスを習ってほしいなって思ってたらしくて。弟はまだ小さかったんで、小2の僕と兄ちゃんが一緒にダンスを習い始めたんです。
でも兄ちゃんはソッコーで“向いてない”って辞めて。俺はなぜか“楽しい”って気持ちが生まれて続けたんです。
母ちゃん“3兄弟でいちばんやらないと思ってたあなたがやりたいって言い出したのは意外だった”って言ってたな」

──ダンスにハマったんだ。
「そうだね。スクールの先生、すごい厳しい人だったんですけどね。でも、“この人のダンス、カッコいい”って思ったし、
“この人に認めてもらいたい”って思ったのも初めてで。俺、ダンスを始めた直後から曲に合わせて、
表情でも表現しようとしてたらしくて。そういう部分を先生はほめてくれた。ダンスだけが自分を唯一表現できる気がした。
やっぱり、好きなことだからがんばれたというか」

──当時からアニメも好きだったの?
「好きでした! 覚えてるなあ。小5のときかな、『ジャンプフェスタ』ってイベントに誘ってもらって、人生初コスプレしたんです。
母ちゃんのお手製の『NARUTO』の我愛羅のコスプレして。赤いヘアスプレーを買ってもらって、髪も赤くしましたね」

──佐久間くんのお母さんって、タレントだったってウワサがあるよね?
「ある! 実際、高校時代だけ芸能活動してたらしいです。別に隠してたわけじゃないけど、
2世タレントみたいに思われても、全然そういうんじゃないからと思って言わないでいたんですけどね。
そもそもジャニーズのオーディションを受けたのも、母ちゃんがダンスの先生の奥さんに“受けてみたら?”って言われたから
履歴書を送ってみたまでで。まさか俺が芸能界に入るとは思ってなかったからね」

587Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:40:23 ID:???0
──そうだったんだ。
「で、書類審査を通って電話がかかってきて。最初、ばあちゃんが出たんだけど、
“なんかジャニーですって言ってるけど、迷惑電話か振込詐欺じゃ!?”って疑ってた(笑)」

──ハハハハ。オーディションを受けること、本人的にはどう思った?
「イヤでしたね。ジャニーズの知識もほとんどなかったし。でもダンスができるならいっかくらいの軽い感じ。
で、踊ってたら、ジャニーさんに“YOUはダンスが好きなの?”って聞かれて。そのあと、“特技ある?”って聞かれ、
幼稚園のころから体操クラブにも通ってたんで、アクロバットのロンダードをやったんです」

──Jr.の活動はどうだった?
「初めての仕事が『青春アミーゴ』のPVでした。オーディションで僕も選ばれて、(渡辺)翔太、山ちゃん(山田涼介)、
(中島)裕翔くん、二階堂(高嗣)くんたちがいたな。ただ同期はひとりもいなかったから、誰とも話せなくて、ずっとモジモジしてた。
Jr.になってからも人と関わるのが苦手で」

──それでも続けられたのは?
「最初は大きな目標や夢があったわけじゃなくて、踊れるコはいろんな先輩のバックにつけてもらえたんで、それが楽しくて。
もしダンスが好きじゃなかったら早い段階で辞めてたかもしれない。その後、大倉(忠義)くんと(渋谷)すばるくんが、
ふたりでやったライブにも出させてもらった。ふたりがすごくカッコよくて、関ジャニ∞さんの音楽にハマり、
ジャニーズのこともドンドン好きになっていった」

──入所したてのころ、“チーム中2”って呼ばれたりしてたよね?
「懐かしい! 涼太や翔太を含む中2の同級生6人くらいで、いつも一緒にいたからね」

──ほかにも仲がいいJr.っていた?
「俺が入った次の年かな。幼馴染だった(京本)大我がJr.に入ってきたんだよね。
俺、小さいころ、大我の家で鬼ごっこしたりしてよく遊んで。東京ドームのKAT-TUNのコンサートで、俺は外周にいたんです。
そしたら“京本大我です”ってステージで紹介されてるコがいて。
だけど、遊んでたころは名前で呼んでたから名字が思い出せない(笑)。“大我って俺の知ってる大我!?”ってなった。
コンサート後、偶然、楽屋近くの廊下でそのコがひとりで歩いてたから、俺はちがったらどうしようってビクビクしながら
背後から“え、大我!?”って声かけて。振り向いた大我が。“あ、大ちゃん!”ってなって久しぶりの再会だった」

──その後、2009年にMis Snow Manが結成された。
「Kis-My-Ft2とA.B.C-Zの合同コンサートのときに、“今日からYOUたちMis Snow Manだから”ってジャニーさんに突然言われ、
けっこう流動的なメンバーだったのに、“グループ名はそれぞれのイニシャルをとったから”って。
深澤(辰哉)はちょうどケガでいなくて、戻ってきたときにFがないから“どうする? 困るよね”って話したの覚えてるな」

──このころもまだ人づき合いが苦手だったの?
「ですね。あ、でも唯一、思いきって自分から話しかけた人がいて。それが宮田(俊哉)くん。
2010年の舞台『少年たち』でMis Snow Manは看守役で出てたんです。まだ出番じゃないのはチェック済みだったんで、
袖にいる“俺の教科書”宮田くんを見つけ、ドキドキしながら。“じつは僕もアニメ好きで”“え、マジで!?”って。
この出会いは大きかったです。僕がめざしているのは、誰もが好きなことを胸を張って“好きだ!”って言える世界なんですね。
アニメ好きを公言できるのは宮田くんの存在が大きい。その後、Kis-My-Ft2がデビューしたりして、
自分もデビューを意識し始めて。メンバーとも、“デビューを目標にしよう”って話したりしたな」

──ただメンバーの離脱や、阿部(亮平)くんが大学受験のために一時活動休止するなどでグループは空中分解してしまう。
「そこらへんいちばんヤバかったっすね。どうしたらいいんだろうって、なんかちょっとグレたかな。
阿部ちゃんの受験も、“え!? なんで?”って思ったけど、正直デビューできるかどうかわからないってのが当時の本音で。
Jr.っていくつも壁がやってくるんです。高校に入学するときが第1の壁かな。
大学進学を見越してJr.の活動より学業を優先してジャニーズから離れていくコも多い。高校卒業するときが第2の壁。
大学に進学するか、Jr.の活動に集中するか。僕自身、将来に関してフワフワしてた部分があったしね。
最初は消去法だったというか。自分に何ができる? サラリーマン、ダメだろうな。あの職業は? ダメだろうな。
ダンサー!? いいかもしれない。でも、ダンサーだったらジャニーズがいいなって。
ただ、デビューできないかもしれないから一応大学に入っておこうって。デビューを心のどこかで信じきれなかったから
保険をかけたというか。あのころ、不安だったな。だから阿部ちゃんの活動休止も何か言える立場じゃないなって」

588Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:42:51 ID:???0
──親は進路については?
「両親には、“好きにしていいよ”って言われてた。続けたいときまで続けたらいいって。
母ちゃんには“デビューできたら、もちろんうれしい。でも、デビューできてもできなくても、
あなたが大切な息子であることは変わらないから”って」

──その後、阿部くんが復帰し、2012年の『滝沢歌舞伎』の舞台上で、6人のSnow Manが生まれる。
「そのころ、滝沢(秀明)くんに言われたんですよね。“佐久間は岩本(照)や深澤の後ろにパッと隠れたりすることが多い。
俺は佐久間にはこのグループのサブリーダーくらいの位置にいてほしい”って。
期待されてるんだってわかってうれしかった。…ただ、そのポジションをめざしても何かしっくりこない。
小さいころに感じた言葉にできない違和感みたいなものがあって。俺の中で、これは俺じゃないなって悩んだなあ」

──グループもなかなかブレイクできずに苦しい時期が続いたよね。
「デビューしたい。でも雑誌にも呼ばれない。マイクも持てない。バックでひたすら踊り続ける毎日。
何を支えにやっていけばいいのかわからなかった。そのうちSnow Manは“職人集団”って呼ばれるようになって」

──バックで踊るダンスやアクロバット、期待するクオリティーを確実に上回る信頼から生まれた言葉だよね。
「同時に呪いの言葉のようでもあったかな。バックでは活躍できてもメインじゃないって言われてるようで。
俺たちは何もメインでやらせてもらえないんだなって。もうバックで踊らないほうがいいんじゃないかって、
ふて腐れそうにもなったけど、そのたびにふっか(深澤)が、“ここで俺らが踊らなくなったら、それこそ本当に何もなくなっちゃう。
だから踊りだけはちゃんとやろう”って。ただ前に進めなくても年令だけは重ねていく。
大学卒業を迎え、それこそ第3の壁がそびえ立ってた。このままJr.を続けてもいいのかって」

──その壁、どう乗り越えたの?
「“ま、いっか。しょうがねえな”って(笑)。だって、俺はこれをやりてえんだもん。
気づけば、いくつもの道から消去法で選んだはずの道が、“この道じゃなきゃイヤだ”って一本道になってた」

──その変化は何が大きい?
「メンバーだと思います。俺は人見知りだし、人づき合いがヘタなままで。自分から距離を縮めることも苦手。
メンバーと壁を感じたことも何度もあったんです。ネガティブだったから“あいつ、俺のこと嫌いかな”って不安になったり、
人の顔色うかがうことばっかしてきた。このグループにいるのがイヤだなって思ったことも何度もあったしね」

──今はメンバーのこと大好きでしょうがないよね?
「はい。気づいたんですよね。結成後、Snow Manは先輩のコンサートのMCでなかなか話せなくて全員静かだった。
でも、それじゃグループを知ってもらえないし何も始まらない。俺、思わず一歩前に出て口火を切ってた。
メンバーも先輩にはツッコめなくても、俺にはツッコめるから」

──切り込み隊長と呼ばれるようになった所以だね。
「そう。こんな自主性皆無な俺が、何でそれができたか。考えたら、大切な人を守るとか、メンバーのためだったら動けるんですよ。
ダンスと同じ。好きなもののためなら、俺はどこまでもがんばれる。だからネガティブなままじゃダメだ。
グループのためにも、自分のためにも変わろうって思ったんですよね。
ジャニーズでやっていく、このメンバー、このグループでやっていくって決めた。
なのに、自分からはメンバーとの距離を詰めない。誰かの顔色や、誰かの評価ばっか気にしてちゃダメだ。
もっとポジティブになろうって」

──でも、変わるって難しいよね。
「そうだね。俺も嫌われることが怖くて、“自分は昔から人づき合いが苦手だから”を言い訳にして
メンバーとコミュニケーションをとらなかったし、変わらなかった。だからまずは嫌われる勇気を持とうって思った。
嫌われてもいい、失敗してもいい、グループのためになるなら、思ったことは何でも口に出そうって」

589Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:44:29 ID:???0
──それが2015年、溝があった宮舘くんとの雪解けにつながったりする?
「そうです、そうです。涼太とはずっと一歩距離があって深い仲になれなくて。でも、そんときは滝沢くんが後押ししてくれた。
よく滝沢くんと仕事の話とかしてて。“もっとこうしたほうがいいと思うんです”とかって。
そしたら言われたんですよね。“宮舘も同じこと言ってるぞ。いつまでも意地張ってないで、マジで一度話したほうがいい”って。
実際、思いきってふたりきりで話したら、すごい考えてることが似てて意気投合した。
互いに背中合わせだっただけなんです。相手が見えないから、すごい遠い存在のように思えた。
でも振り向いたら本当はずっとすぐそばにいた」

──じゃあ、多くのメンバーが「佐久間は2018年くらいから、よりおもしろくなった」って話してたけど、そのときは何があった?
「『ジャニーズJr.チャンネル』が始まったりして、かなり自由にやることができた。
でも、もっと自由に、もっと楽しくできるんじゃないかなって思ったんだよね。
俺の変化は、いつももっと楽しくしたいから始まってる。で、ようやく自分のグループでの役目がわかったというか。
俺がやるべきことは、メンバーを笑わせることだって思い始めたのがそのころ。
だって笑ってるメンバーを見たら、それを見たファンの人も笑っちゃうでしょ。そしたらみんながハッピー。
カメラが回ってるとか関係ない。俺は、俺ができることをいつでも、なんでもやって、メンバーを笑顔にしようって思ったんだよね」

──2019年、向井康二、目黒蓮、ラウール、3人の加入についてはどう思った?
「ここまで作り上げたものを一度壊す怖さは正直ありました。ファン、メンバー、みんなが心地いい空間ができあがってたから。
でも、だからこそ変化を求めてました。6人でいると楽しいし最高かよって思った。
同時にここがマックスになるかもしれない怖さみたいなものもあったから。常に進化したいし成長したい。
そのためにどうしたらいいか答えが見つけられないタイミングでのメンバー増員の打診だった。
もちろんすっげー悩んだけど、これでSnow Manはパワーアップできるって予感もあったんですよね」

──予感が確信に変わったのは?
「初めて9人でやった横アリのライブ。俺、今まで経験した全ライブの中でいちばん気持ちよかったんですよ。
3人の加入に関して、会場に足を運んでくれたみんながいろいろなことを思ってた。
もちろん6人時代がなかったことにはしないし、いつでもドアは開いてる。誰もおいてかないぞって気持ちももちろんある。
それでも俺たちは“最初っから9人だぞ”ってくらいの気持ちでステージに立った。
時間とともに、ファンの気持ちが少しずつ変化していくのを感じて、歓声で体がビリビリ震えて最高すぎて泣きそうで。
最後に岩本がリハーサルでやってなかったのに、いきなり手をかざして。すぐに残りのメンバーが手を重ねていった。
あの瞬間、確信できたな。この9人なら、もっと高くまで飛べるって」

──その後、ジャニーさんの病室でデビューを告げられたときは?
「突然のことで驚いたけど、ジャニーさんが滝沢くんと話してデビューを決めてくれた。
ジャニーさんが選んでくれたことが何よりもうれしかったですね。ただ8月8日のデビュー発表は、SnowManとSixTONESで、
今回はデビューがかなわなかった仲間もいる。喜びを噛みしめる感情表現がいいかもねって話したんですよね」

──デビューできること、宮田くんにはいつ報告したの?
「事前に言ってはダメだったんですけど、『ジャニーズJr.8・8祭り』のライブが始まる15分前にメールで報告しました。
ライブ後、宮田くんが焼き肉に連れてってくれてふたりきりでお祝いして。
“イヤーよかった。ずっと心配だったからさあ。本当によかったよ。キスマイ、みんな同じ気持ちだよ”って言ってくれた。
ただ、このとき初めて怒られたんですよね」

──何について?
「ライブで喜びすぎないようにしていたって話をしたら、“なんで喜ばないの? デビューだよ。一生に一度の。
すげー喜んでいいに決まってんじゃん!”って。宮田くん、Hey! Say! JUMPがデビューしたとき、
キスマイとA.B.C.が会場にいて同じような状況で。JUMPが先輩をすごい気づかってライブをやってるのが納得いかなくて
“もっと喜べよ!”ってJUMPに言ったんですって。
“おまえたちが心から喜んでくれたら、俺たちももっと心から喜べるんだろ!”って。その通りだったなって後悔してる。
だから、Jr.の後輩全員に言っておこうと思います。どんな状況、どんなタイミングでも、デビューがかなったら
100%で喜んでねって」

590Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:46:40 ID:???0
──2020年1月に『D.D.』をリリース。デビューを実感した瞬間は?
「むずいんだよね。CDが店頭に並んで見に行ったときかと思ったけど、いまだにふとしたとき、
例えば夜道を歩いてて“あ、俺、デビューしてんだ”って急に思ったりするから。今も夢心地というか。
なんかデビューの実感というより、自分の内面の変化をすごい感じるかな。
感謝をよりちゃんと伝えたり返したいって気持ちが、デビュー前より強くなったんだよね」

──ファンに感謝を伝えるという意味でも、デビューライブとなる『Snow Man ASIA TOUR 2D.2D.』を
2020年のうちにできて本当によかったね。
「はい。生配信だったんで、直接感謝を伝えられなかったことだけは残念だったけど、
デビューイヤーのうちに応援してくれた人、いつも支えてくれる人たちに感謝を伝えられたのは本当によかったです」

──オーラスのMCで佐久間くんが言った「僕たちを見つけてくれて、愛してくれて、生きててくれてありがとう!」。
いい言葉だったよ。
「俺、感情人間なんで感情でしかしゃべれないんです。何を言うか決めるより、ライブ中に浮かんだ言葉を伝えようって思ったら、
あのときは“ありがとう”ってフレーズが浮かんで。そしたら、どんどん感謝の言葉があふれてきて、あの言葉になったんですよね」

──そうだったんだ。
「あと、これは言おうか迷うんですけど、ラストの『D.D.』が始まる前にスタッフさんがイヤモニに
“がんばれ、ジャニーさんも見てるよ”って言ってくれたんです。きっと、いてくれそうな気はしてたんですけど、
“そうだよな。見ててくれるよな”って改めて思って。そしたら涙がこみ上げてきたんですけど、
ジャニーさんステージで泣くと怒るから我慢して。涙がこぼれないようずっと上を向いて歌ったな」

──今、メンバーに伝えたいことを教えて。まずは向井くん。
「尊敬する部分が多い。俺は人を笑いで助けられるようになりたいっていつも思ってる。
例えば誰かが失敗したりして傷つきそうなとき、笑いに変えて、その人を救える人が最強だと思うから。
それができるのが康二。すごいなっていつも思ってるよ。ただ、笑いやトークの能力が高いから、
バラエティー担当みたいなくくりで見られると困る。カメラも演技もうまい。康二の活動、これからどう広がるか楽しみだね」

──目黒くん。
「加入前から、けっこう熱いやりとりをしてるから、めめが疑問に思ってるだろうなってときとか一瞬で気づけるよ。
ただなんといってもドラマ『教場Ⅱ』だよね。めっちゃよかったよ。撮影がハードなことは知ってた。
でも撮影期間中はどんなに大変でも“楽しみにしてて”しか言わなかったよね。
放送直前にメールしてたら“命をかけて挑んだ仕事”って言ったでしょ。見終わったとき、
“あ、確かにその言葉が出るよな”って思ったよ。めめと同じグループなことが誇らしくなった」

──ラウールくん。
「常に燃えていて熱いものを感じるよね。その熱量って何より大事だよ。
ラウの年令って、俺たちも同じように燃えてたから、その熱さが懐かしくもある。
自分の中にブレない正義があって、理不尽や矛盾に正面からぶつかって。
ただ自分の中で答えが固まりすぎるときがあって柔軟性に欠けることがある。
少しずついろんなことを吸収していけば、ラウはきっとダンディーな大人になる。誤解しないでね。
俺たち年上のメンバーが冷めちゃったってことじゃない。熱さの種類が変わっただけ。同じ熱量で今も燃えてるから」

──深澤くん。
「ふっかと本当にわかり合えたのは、じつは一緒に出演した舞台『キャッシュ・オン・デリバリー』のときかな。
ずっと仲はよかったけど、初めてふたりだけで腹割って話して。俺はふっかのこういうとこがいいと思ってる。
でも、ここはもったいないと思ってるって。仕事のスタンス、ポリシー、深いとこまで理解し合えて、
今は何を考えてるかめっちゃわかるよ。だから全体重を預けられる。俺が自由にボケられるのは、
絶対にふっかがツッコんでくれる確信があるから。ふっかはメンバーにうれしいことがあったら、本人以上に喜ぶよね。
反対にふっかにうれしいことが起こったら、メンバーで俺がいちばん泣ける自信があるよ」

591Snow Man編 佐久間大介:2022/09/17(土) 18:48:30 ID:???0
──渡辺くん。
「オーディション、俺の前で先生役で踊ってたの翔太だったね。グループ結成したばっかのころ、
翔太は優しいから、あまり本心を口に出さなかった。SixTONESと舞台『少年たち』をやって、あそこで翔太は変わった気がする。
グループが成長するためなら耳が痛いことも言ってくれるようになった。俯瞰で物事を見られる翔太の言葉だからこそ、
グループにとってホントにありがたいよ」

──阿部くん。
「俺の朝の大声がキツくて、イヤホンのノイズキャンセル機能で聞こえないようにしてるって発覚したから、
今度からイヤホンをぶっ壊すくらいもっと大声で話すね(笑)。
温泉、ハワイ、阿部ちゃんとはふたりで旅行したり思い出がいっぱいある。2011年の嵐さんのバックについた
国立競技場のコンサート覚えてる? 『Believe』のとき、俺と阿部ちゃんがセンターにいちばん近いとこにいて、
向き合って大声でラップした。あの日、いつか自分たちの力で国立のステージに立とうって約束したよね。必ずかなえよう」

──岩本くん。
「Snow Manのダンスは、プロのダンサーにもすごいと思ってもらえるものにしたいって意見が一致してて、
よく照とはパフォーマンスの話をする。“もっとこうしたい”“もっとこうしたら”って照の向上心にいつも驚かされる。
常に努力して以前とは比べものにならないくらい頼もしくなったよね。ただ昔のまんまというか、
ここ気づいてほしいってとき、さりげなくアピールするカワイイとことかは変わんないね」

──最後に宮舘くん。
「涼太に今言いたいのは、“今年は誰よりも楽しんでね”ってことだけかな。涼太はSnow Manの大黒柱のような存在で、
ほかのメンバーなら尻込みしてしまいそうなことでも、何も言わず引き受けて背負ってきたよね。
それを本人が好きでやっていることも知ってる。そんな涼太だからこそ“楽しい!”って感じられる瞬間をもっともっと過ごしてほしい
。そうなったらグループとしても最高だって思う」

──これから個人としてかなえたい夢ってある?
「アニメ関連、動物関連の仕事をたくさんすること。このふたつはライフワークにしたいです」

──主役の吹き替えを担当した映画『白蛇:縁起』の公開、楽しみだね。
「デカイ仕事をいただき震えましたね。不安だったんですけど、キャストさんやスタッフさん、特に監督さんに助けてもらいました。
“今の君にしか出せない声がある。今の君にしかできない演技があるんだよ”って監督の言葉、
これからずっと大切にしようと思います」

──じゃあ、Snow Manの夢は?
「やっぱり絶対に国立に立ちたいです。もちろん東京ドームにも。でも、何より国民的アイドルになりたい。
そのために、まず日本のテッペンを取る。そして世界に打って出たい。夢は止まんないっすよね!」

──テッペン、取れるかな?
「取りますよ。Snow Manは雑誌に出られない、歌も歌わせてもらえない。Jr.時代からずっと壁だらけで、
それを全部乗り越えてきた。いちばんデッカかったのがデビューという壁で、“たっけーよなー”って思っていた壁を登ったら、
さらに高い壁がまだまだあった。きっとテッペンは遥かその先にある。
ただ、どうやったらテッペンに立てるかイメージならできてる。僕の中でアイドルの理想形みたいなものがハッキリ見えてるんで」

──それはどんな姿?
「応援したくなっちゃう人。この人たちを応援したいなって心から思ってもらえるアイドルが最強だと思うんです。
“Snow Manいいよね、応援したいよね”。そう思ってもらえるよう9人が常に全力を尽くせば、国民的アイドルになれるはず。
何かを応援したいって気持ちが生み出すパワーって超絶すごいんで。でも、人の心を動かすって100%じゃ足りない。
120%でもようやく少し動かせるかどうか。だから俺は絶対にどんな場面も手を抜きたくない。
常に全力。ずっと9人で笑い合えて、それを見ている人たちも思わず笑顔になってしまう。
そのためなら、俺はなんだってする。ひとりじゃない。9人なら絶対テッペンまでいけるって信じてるから」

取材・文/水野光博

592Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 18:49:19 ID:???0
わたなべ・しょうた
1992年11月5日生まれ。東京都出身。B型。身長172cm。
2005年6月26日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2021年6月号に掲載されたものです。

自分はアイドルに向いてないんじゃないか…自信がなかった。
努力しても報われないんじゃないか…不安だった。
でも一緒にいるメンバーが教えてくれた。
俺たちにはひたむきに努力するという武器がある、と。
その結果が今なんだ。デビューできたから胸張って言える。

593Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 18:52:29 ID:???0
──4月から『それSnow Manにやらせて下さい』が地上波レギュラーに進出など、充実のデビュー2年目だね。
「ありがとうございます。ただ、今のSnow Manの評価って僕らが築いたというより、CDを手に取ってくれたり、
動画を視聴してくれたみなさんが作ってくれたものなんです。
だから、まだ配信という状態でのライブでしか感謝を伝えられていないので、まずは直接感謝を伝えたいというのが
メンバー全員の思いですね」

──じゃあ幼少期のことから聞いていくと、メンバーと同じ幼稚園、同じクラスだったってドラマみたいだよね。
「ホントですね。ゆり組時代、もちろん舘(宮舘涼太)は今みたいにロイヤルでも物静かでもなくて、
さすがに幼稚園児ですから、今よりはしゃいでましたけどね(笑)」

──その後、宮舘くんと同じダンススクールに通うけど、渡辺くんはダンス以外にスイミング、体操などいろんな習い事をしてた。
「どれもきっかけは親ですね、うん。いろいろすすめられて始めたんですけど、
小学2、3年で始めたダンスだけは楽しいって感じて続けたんです。ジャニーズに入るきっかけになったんで親に感謝しないと」

──昔からジャニーズ入りたかった?
「ジャニーズがどういうものか、よくわかってなかったんですけど、小さいころ、七夕の短冊に書いたんですよね。
“キムタク(木村拓哉)になりたい”って。『SMAP×SMAP』で歌っている木村さんを見て憧れてたんで」

──じゃあ、中学1年でオーディションを受けたのは自分の意思?
「ジャニーズ好きの母に、“買い物につき合って”って言われて、行ってみたらオーディション会場でした(笑)。
もう参加するしかないんで、踊るだけ踊って、その場をやり過ごして帰ろうみたいな」

──でも思いがけず受かってしまった。
「ジャニーさんに“YOU、いいね!”ってほめてもらって、そのまま撮影スタジオに連れて行かれたのを、めちゃめちゃ覚えてます。
スタジオでどうしていいかわからず戸惑う俺に最初に声をかけてくれたのがふっか(深澤辰哉)で。
“どれでも好きなの飲んで”って、編集部の人が用意してくれた飲み物を、
あいつ全部自分で用意したみたいな感じで言ったんですよね(笑)」

──その数日後には少年隊の『PLAYZONE'05』の舞台に立ち、すぐに『青春アミーゴ』のPVにも出てる。
「もう頭が真っ白でしたね。こんなに一気に世界が変わるのかって。
PVはのちにHey! Say! JUMP、Kis-My-Ft2、A.B.C-ZになるJr.に混ざって出させてもらって。
そこにいたのが佐久間(大介)でした。佐久間はオーディションのときに俺が指導役をしてるはずなんですけど、
あんま印象に残ってなくて」

──どのタイミングで、この世界で生きていこうって決めたの?
「うーん、この世界でって決心したのはけっこう遅かったんですよね。もっとずっとあとです。
ジャニーズを続けたのは、二階堂(高嗣)くんや、有岡(大貴)くん、八乙女(光)くんたちが毎日一緒に帰ってくれたり、
すごい可愛がってくれたのがうれしかったからですね」

──渡辺くんの入所から3カ月後、宮舘くんがオーディションを受けてる。「ラバーバンド外せ」ってアドバイスしたこと覚えてる?
「はい。俺は何度か指導役をやっていて、オーディションで選ばれるのは着飾ってカッコつけてるヤツより、
一生懸命ひたむきに踊るヤツだって感じてて。舘がゴチャゴチャ手首につけてたんで、
“そんなのなくたって、おまえならいけるよ”って思ったのかな」

──その後も仕事は順調だったよね。
「ですね。少しずつ周囲を見渡す余裕もできて、となりにいたのが、山田(涼介)くんや、(中島)裕翔くんだったり、
俺より1、2年早く入所した人たちで。マイクもすぐ持たせてもらえたんで、いい位置にいるんだなって。
この時点まででいえばエリートっす、俺(笑)」

594Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 18:54:17 ID:???0
──この時点まで!?
「高校生くらいからは、自分に自信もないし、劣等感をメッチャ感じましたからね。
すでに山田くん、裕翔くんはHey! Say! JUMPでデビューして、俺は一緒にやれてなかったんで。
このころ、初めて、“これからどうなるんだろう?”って、未来を考え始めたんですよね」

──そんな時期に結成されたのがMis Snow Manだったね。
「グループに入れるのがうれしかったし、すぐメンバーとも仲よくなって。深澤、阿部(亮平)、佐久間、宮舘、
岩本(照)、それぞれが悔しい思いをしている人たちだったというか、境遇が似てたんです。
深澤でいえばJ.J.ExpressのメンバーのほとんどがJUMPでデビューしたのに選ばれなかった。
このメンバーに出会って初めてデビューを意識しましたね。ただ俺は自信がなかったんで、
“デビュー”って言葉を口に出したこと一度もなかったな」

──でも、そんなMis Snow Manは2011年に空中分解してしまう。
「メンバーの離脱、阿部ちゃんが受験のために活動休止。グループ名がなくなったり、悪いことがいっぱいありすぎて、
もうグッチャグチャで。入所してから今日まででいちばんキツかった時期ですね。明日がまったく見えなかった。
俺はMis Snow Manがなくなったことに納得できなくて自暴自棄というか、もうどうでもいいって気持ちになって、
本当に失礼な話なんですけど、先輩のバックについてもメチャメチャ手を抜いて踊ったりして。
当然、怒られるんですけど、それに対して逆ギレするみたいなこともして。マイナスにマイナスなことしかしてなかった時期です」

──仲のいい田中(樹)くんや、(菊池)風磨くんが、当時の渡辺くんのこと、「メッチャ怖かった」って。
「樹と風磨のほうが俺よりあとに入ってきてる。なのに樹もすぐにマイクを持って、
風磨はまさにMis Snow Manが空中分解したタイミングでデビューしてる。なんかムキになってキツく接したりして、
俺、ダサかったですね」

──遅れてきた反抗期みたいだね。
「そうっすね。樹や風磨どころか、滝沢(秀明)くんにも歯向かってましたからね。滝沢くん、荒んだ俺を楽屋に呼んで、
いろいろ話してくれて。なのに話が終わって自分の楽屋に帰っている最中に納得できなくて、
もう一回、滝沢くんの楽屋に押しかけて文句を言ったり。
滝沢くん“俺に文句を言ってくるのはおまえくらいだぞ”って呆れた顔して笑ってくれて。
“楽屋でこれ以上ブーブー言ってもしょうがないから、今日、夜メシを食いに行こう。食べたいもの考えといて”って誘ってくれた」

──そんな滝沢くんが命名して誕生したのがSnow Manだったよね。
「はい。もう一度、グループにしてもらえてうれしかったですね。それからはKis-My-Ft2やA.B.C-Zがデビューしたんで、
舞台で滝沢くんの真後ろ、僕らがいちばん前の列になって。滝沢くんによくダメ出ししてもらいましたね。
俺と深澤が、よく怒られるツートップで、本当の親以上に滝沢くんには怒られてました、俺ら」

──当時の雑誌のインタビューで、滝沢くんが、SnowManのメンバー紹介をする企画があって、
ほかのメンバーのことはほめてるのに、渡辺くんだけ“まだ本気を出してない”ってほめてなかったのが印象的だったんだよね。
「確かに1回もほめられたことなかったですね。いい意味で煽ってくれてたのかな。“俺だけほめられない。
クソッ!”ってやる気にさせようと。もしくは本当にほめられるとこが一切なかったか、どっちかっすね(笑)」

──いつかデビューできると思ってた?
「もちろんデビューしたかったですけど、不安のほうが大きかったかな。
デビューするために、“自分の武器ってなんだろう?”“このグループだけの武器ってなんだろう?”って考えたんですけど、
思いつかないんですよね。例えばSexy ZoneやKing & Princeのメンバーが持っているようなキラキラを俺は持ってない。
自分が持っているものってわかりにくいけど、持っていないものはわかる。
“そもそもアイドルに向いてるのかな?”って思ったことも何度もありましたしね」

──辞めようと思ったこともある?
「何回かよぎりました。やっぱり年令を重ねるにつれてシビアに選択を迫られるんで。
大学卒業が近づいたときは将来のこと、かなり悩んだし。いろいろな先輩のバックについたり充実した日々を送ってる。
でも、未来に関して確かなことはひとつもない。大学の友だちは就職活動をして、
“内定もらった”って会話なんかをしてるのに。“このままでいいのか? いつまでもJr.と呼ばれる存在でいいのか?”って。
どんだけがんばっても、どんだけ努力してもデビューできなかったら何者にもなれない。
“決断するなら早いほうがいいんじゃないか?”って」

595Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 18:57:11 ID:???0
──アイドル以外にやってみたい仕事ってあった?
「スーツを着る仕事をしたいなとは思ったかな。昼どき、オフィス街で首から社員証をかけて
同僚とランチするスーツ姿の大人を見て楽しそうだなって。今思えば、無理やり楽しいだろうなって思い込もうとしてたんですよね。
どの仕事だって真剣に取り組めば大変だってことくらい、中学から仕事をしてるんでわかってた。
でも、アイドル以上に魅力的な仕事を見つければ決断できるんじゃないかって」

──悩みを相談できる人はいた?
「ひとりで抱え込むタイプでしたね。ただ、寄り添ってくれたのがはっしー(橋本良亮)でした。
実家が近いってこともあったんですけど、ハタチ前後、メチャクチャ一緒にいたんです。
お互いの家をよく行き来して、俺がいないのに俺の実家ではっしーが夕飯食べてたり。
あのころは毎日のように顔を合わせるヤンチャ友だちだと思ってた。
だけど大人になって、はっしー、言葉にこそしなかったけど、そばにいることで“がんばれよ”ってエールを送ってくれてた。
寄り添ってくれてたんだなって気づきましたね」

──橋本くんの存在、大きかったんだね。
「ですね。ただ、うーん、正直ジャニーズを続ける勇気より、辞める勇気がなかったって言ったほうが正しいかな」

──佐久間くんは、2015年の「舞台『少年たち』で翔太は変わった」って言ってたよ。
「よく見てますね。その通りだと思います。念願だった主演舞台を勝ち取った。
今までまったく見えなかったデビューに向けての兆しが、ちょっとだけ見えた。
もちろん0から1になるかどうかくらいのわずかな兆しだけど、ここがチャンスだって。きっとメンバーも同じこと思ってましたね」

──必死だったろうね。
「ですね。一生懸命稽古してるメンバーをふと見たら、なんか気づいたんですよね。
これまで、いろんな先輩たちのバックについた日々も、振りを合わせるために何度も何度も繰り返した練習も、
何度ケガしても続けたアクロバットの練習も、流した汗は全部ムダじゃなかったんだって。
ほかのグループに比べて、Snow Manは武器を持ってないってずっと思ってた。でも地味かもしれないけど、
ひたむきに努力するって武器を持ってるんだなって。このメンバーとデビューしたいって心から思いましたね」

──なるほど。
「本番直前、稽古場でジャニーさんに見せたら、“YOUたち最高だよ”って涙を流してくれて。
ジャニーさんに認めてもらい、この世界で生きていく決心もつきました。ハタチを余裕で過ぎてるんで、
おっせー決断だなって思いますけどね(笑)。ただ、“いつか報われんのかな、この努力”ってどこかで思ってたんですけど、
そうじゃない。報われるまで、デビューできるまで、この6人で続ければいいんだって思えたんですよね」

──じゃあ2018年、King & Princeのデビューはどう思った?
「おめでとうって気持ちの中に少しの悔しさが混じったかな。King & Princeがデビューするだろうって空気はあった。
でも実際にデビューが決まると、Kis-My-Ft2やA.B.C-Zがデビューしていったころとはちがうというか。
後輩に先にいかれちゃったって思いがありましたね」

──じゃあ、翌年の3人の新加入は?
「嘘つかずに言いますけど、最初に話を聞いたときは戸惑いましたね。
“こんだけ6人でやってきたのに”って気持ちもゼロではなかったです。ただ思い返すとMis Snow Manができたときと似てるなって。
目黒(蓮)、ラウール、向井(康二)、みんな別のグループや環境でなんらかの挫折を味わってる。
だからなのか、元いた6人と新加入の3人、9人の気持ちが一致したんすよ。このグループに賭けようって覚悟が一致した。
グループの土台を作ったのは6人かもしれない。でもデビューまで引っ張り上げてくれたのは3人だと俺は思ってます。
この辺の話をするとざわざわするんですけど」

──確かに加入発表直後は複雑な心境のファンもいたよね。そんな中、舞台『少年たち To be!』で渡辺くんは、
「もし3人のこと悪く言う人がいたら 僕は許しません。9人でSnow Manです。家族です」って強めの言葉を発して
矢面に立った印象がある。
「3人の盾になりたかったんですよね。特にラウールが落ち込んでる姿を見てると、どうしても何か言わずにはいられなくて。
俺はいくらでもたたいていいから、3人はたたかないでって。なんか、このトークは荒れそうですね(笑)」

596Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 19:00:04 ID:???0
──でも、デビュー2年目の今、3人を認める人が大多数になっているイメージがあるよ。
「ですよね! 完全に3人の努力が実を結んでますよね!! 今、“Snow Manっておもしろいね”って印象を抱いてくれる人の多くは
康二がきっかけだったりする。東京ガールズコレクションというジャニーズ自体あまり参加していなかったイベントに
ラウールが出演して、グループの知名度を上げてくれた。目黒なんて気づけば木村さんとドラマで共演してますからね。
3人は逆風の中、言い訳も泣き言も言わず、結果で風向きを変えた。カッコいいです」


──滝沢くんが芸能界から引退。2019年は『滝沢歌舞伎』をSnow Manが引き継いだ年でもあったよね。
「そうですね。『滝沢歌舞伎ZERO』のリハーサルで、僕はジャニーさんと最後の会話を交わしてるんです。
リハーサル中、僕が歌うシーンの音源が流れた瞬間、ジャニーさんが周囲の人を呼んで会議みたいなことが始まって。
なんか重い雰囲気で、これは鬼のダメ出しで“この曲、誰が歌ってるんだ。
最悪だよ”みたいな話し合いかもと思ってバクバクしてたら、ジャニーさんが僕のとこまで来て
“あの曲、YOUが歌ってるの?”って聞くんで、“はい”って答えたら、“最高だよ! YOU、こんないい声してたんだね”って
ほめてくれた。ジャニーさんの後ろに立っていた滝沢くんも“よかったね”って笑ってくれて。
ジャニーさんに歌をほめてもらったのはオーディション以来。滝沢くんにほめられたことなんて、このときが初めてだった。
ふたりの前で泣くわけにいかないから、チョー我慢して、その後ひとりになって泣きましたね」

──メンバーは泣いたこと知ってる?
「たぶん知らないと思う。それぞれ別々のことをしてたんで。俺はトイレに駆け込んで一瞬だけ涙を流して、
すぐ顔を洗ってマスクをして戻って平然を装ったから。この泣いたエピソード自体初めて話すし、
胸の中だけにしまっておこうと思った僕の中でいちばんの宝物みたいなエピソードなんで」

──そうだったんだ。
「その後、『滝沢歌舞伎ZERO』の千秋楽が終わった楽屋で滝沢くん、メンバーひとりひとりと無言で握手してくれた。
なんか、そんときも泣きそうになりましたね。握手の真意はわかんないんですけど、あの手を握る強さ、“よかったぞ。
おまえたちに託すよ”ってメッセージが込められてたのかなって」
Snow Manをナメんじゃねえぞ!

──その年の6月末、病院でデビューを聞かされたときは何を思った?
「もちろんうれしかったです。でも唐突すぎて、デビューするって実感はしばらくなかったですね。そ
の後、『ジャニーズJr.8・8祭り』でデビュー発表をして。
はっしー、俺たちがデビューすることを知らずに会場に駆けつけてくれたんですけど、デビュー発表後、
トロッコで見学席の前を通ったら、立ち上がってガッツポーズして見学者の中で誰よりも喜んでくれてました」

──両親も喜んでくれたんじゃない?
「ですね。お父さんは会場に来れなくて、お母さんだけ会場にいたんです。
思い返すと、両親に“将来どうすんの?”って言われたこと一度もなくて。俺に委ねてくれてたんだなって。
まず、お父さんに電話で報告したら“おめでとう”って言ってくれました。うちの両親、照れ屋なんで、
あまり感情を俺に見せないんです。だからお母さんも淡々と“おめでとう”って言ってくれるだろうなと思って電話したら、
もう言葉にならないくらいメッチャ泣いてました。なかなかデビューできない俺をずっと見守ってくれてたんで、
思うことも多かったはずで。デビューは少しだけですけど、親への恩返しになったかなって」

──そうだね。
「その後、千賀(健永)くん、二階堂くん、はっしーにも改めて連絡して。
千賀くんとはふたりでごはんに行って面と向かって“デビューさせていただきます”って報告したらめちゃめちゃ喜んでくれて」

──その後、デビュー年の2020年はコロナの影響で思い通りに進まないことも多かったけど、
配信という形でデビューコンサートを開催。MCで「“Snow Manはデビューできないよね”。何度も聞きました。
でも、これが結果です。Snow Manナメんじゃねえぞ!」って言ってたよね。
「デビューライブだからこそ、今まで思ったこと全部言ってやろうと思って。
でもコメントを用意していくとどうしても引っ張られるんで、そのとき感じたリアルをぶつけたほうがいいなと思ったんです。
ただ、あとで映像をチェックして、言いすぎたかなって」

597Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 19:02:01 ID:???0
──渡辺くんは過去の発言を探しても、Jr.時代のつらかったこと、悔しかったことをほとんど語ってない。
胸の内が垣間見えたいいMCだったと思うよ。
「なんか、デビューしたからしゃべれる部分なのかなって。つらいときに“つらい”ってしゃべりたくないんで。
プライドもあるし、聞かされたほうも、どうしようもないことだから。乗り越えたからこそ言えることなんだろうなって」

──そうかもしれないね。
「なんかデビューを告げられた日から、デビュー発表でファンや親、先輩、親友の反応を見て、実際にCDを手に取って、
デビューってどういうことなのか少しずつ実感したというか。デビューって、過去の自分を救ってあげられるんですよね。
悔しかったこと、苦しかったこと、全部デビューした瞬間、いい思い出になって輝きだすんです、一瞬で。
自分だけじゃない。“Snow Manはデビューできないよね”って言われて傷ついたファンもいたと思うんです。
でも、僕らがデビューすることで、あの日、送った声援がムダでも無意味でもなかったんだって、
ファンの涙をうれし涙に変えてあげられる。デビューって本当にすごいことだなって」

──今、メンバーに伝えたいことを教えて。まずは深澤くん。
「やっぱねえ、優しいですね、彼は、うん。常に自分よりメンバーのことを優先して。
グループが空中分解したとき、俺はやり場のない感情をどこにぶつければいいかわからず苛立ちを抑えられなかった。
深澤だっていろいろ思うことはあっただろうけど、ふっかは“がんばろう”ってメンバーを励まし続けた。
そして今も変わらず優しい。ふっかがいたから、今のSnow Manがあるんだなって改めて思うかな」

──宮舘くん。
「康二にイジられて、“やめろよ”って言いながら意外とニヤついてるよね。そんなふたりを見て俺もニヤニヤしちゃう(笑)」

──年末年始、宮舘くんと連絡は取ってた?
「まったく。俺から励まされても、何を言われても、気持ちが明るくなるとは思えなかったんで。今はそっとしておこうって。
舘が戻ってきたときも何も言わなかったし、何も聞かなかった。ただただいつも通り。何を思ってるかわかるし、
向こうだってわかってる。だって、ゆり組どころか、生まれた病院から一緒ですからね。
それぞれの関係性があるから、あの期間、たくさん連絡取るのも正解だろうし、連絡取らないのも正解だと思うな」

──そうだね。
「なんか、優しさっていろんな形があるなって。年末、Snow Manの活動の一時休止中、
まさに大晦日に樹や風磨が、さらっと連絡してくれたんですよ。“大丈夫?”とかじゃなくて“今、何してんの?”って。
紅白に出られず家にいるに決まってるのに、とぼけて意地悪を装ってじつは気づかってくれた。優しいんです、あいつら」

──次に佐久間くん。
「グチっていいっすか!? 佐久間の横で踊ってると“渡辺、手を抜いてんじゃねえ!”ってよく怒られたんです。
あいつがすごすぎて、俺の全力が手抜きに見える(笑)。でも、おかげでもっとがんばらなきゃって思えた。
ダンス以外も、ほめるとこばっかですけど、いちばんほめるべきは、グループのために性格すら変えた努力だと思う。
今とは真逆、マジで陰キャで物静かだったからね。“人ってそこまで変われる?”ってレベルの変化。
変わろうと思えば、人はいつだって誰だって変われるってことを体現したのが佐久間だと思う」

──阿部くん。
「今、阿部ちゃんはSnow Manの玄関になってる。ぶっちぎりテレビに出ていて、
阿部ちゃんをきっかけにSnow Manを知ってくれる人が大勢いる。クイズ番組だけじゃなくて、気象予報士、情報番組のリポーター、
見えないところでの圧倒的な努力があるから今の活躍がある。正直、阿部ちゃんがいない期間、大変だったこともあった。
それを今、有り余る形の一撃で返してくれてる。カッコいいよね。
いまさら謝るけど、阿部ちゃんがグループに戻ってきて、覚えなければいけないことが山ほどあってバタバタしてるとき、
俺はちゃっかり大学の宿題を教えてもらったりして負担を増やしちゃってたよね、ごめん(笑)」

──岩本くん。
「岩本は踊りも最初からうまかったし、入所してすぐいいポジションにいた。俺と境遇が似てたよね。
ただ逆境に立たされても常にメンバーへの優しさを忘れなかったし、今、リーダーをしてるけど、ふさわしいと思うよ。
紳士な優しさを今も持ってて、何の記念日でもない日に突然トレーニングウエアをプレゼントしてくれたんです。
俺は筋トレにハマってて、少し前に、“筋トレのときに着たらテンション上がるウエア探してんだよね”って
何気なくポロッと言ったことがあって、それを覚えててくれた。もらったウエアを着てトレーニングして、
終わったら体を見せながら“ここどうかな?”って岩本にアドバイスをもらうのが日課です」

598Snow Man編 渡辺翔太:2022/09/17(土) 19:03:53 ID:???0
──ラウールくん。
「キラキラを持ってますよね。センターに立ってるってことだけじゃない、ラウールがいて助けられてることってたくさんある。
大人になるとこれを言ったらちょっと空気悪くなるなと思って、言葉を柔らかくして伝えて、
結局真意がぼやけてしまうことってありますよね。
ラウールは自分がどう思われてもいいから真っ直ぐに思いを最短距離でぶつける。
本当の大人ってラウールみたいなことを言うんじゃないかなって思うし、精神年令が高いよね。
反対に、豪快な食いっぷりを見てると若いなって思う。ラウールの食事姿、気持ちよくてずっと見てられるからね(笑)」

──目黒くん。
「目黒もラウールと似ている部分があって、思ったことをガツンと言ってくれる。グループのためになってますね。
学力的にはヤバイけど、地頭はいいんだなって。まだ別々のグループにいたころから仲がよくて、
よく“これから俺たちどうなるのかな?”って語り合ってたふたりが、今同じグループにいるのは、なんか不思議だけどね」

──向井くん。
「舘をグイグイイジるとき、俺はいつも心の中で拍手してるよ(笑)。プライベートでも頼ることが多くて、
ケータイを買い換えたときとか、康二の家に行って設定してもらったりする。俺が作業をお願いしてる立場なのに、
家に行ったら、“おなか減ったでしょ”って生姜焼きをパパッと作ってくれたりするんすよ。
キッチンに立つ後ろ姿見ながら、大阪時代も後輩の面倒見がよかったんだろうなって思いましたね。
って、先輩の俺が甘えてる場合じゃないんですけどね。加入直後、“しょっぴー好き好き”って言ってきて、
俺が嫌がって“こっちくんな。近い!”って嫌がるまでがワンセットだったのに、今じゃ康二のこと俺が好きすぎて、
嫌がれなくなってるというね。気づけば康二の掌で転がされてます」

──9人になってよかったことが本当に多いんだね。
「多いどころか、いいことしかないっすね(笑)」

──次に個人とグループの夢を教えて。
「個人としては、夢というか目標というか歌を磨きたいですね。今の活動のすべてが楽しいんですけど、
いちばん楽しいって感じるのは歌って踊ってるとき、特に歌なんで。今はうまいヘタよりも、
声質とか声量をほめてもらえることが多いんです。
もちろん練習もしたけど、両親に感謝しなくちゃいけない部分をほめてもらえてる。
技術に関してはまだまだなんでもっと練習しないと。何よりジャニーさんとの最後の会話、あの数秒間って、
今思い出しても泣けるんです。“ジャニーさんがほめてくれた俺の歌、
あのときからは信じられないくらいたくさんの人に届いてるよ”って胸を張って言いたいんで、もっと歌を磨きたいです」

──そうだね。
「グループの夢はリアルなことでいうと、単独で東京ドームをやれるようになりたいです。
簡単にできる場所じゃないですけど、デビュー発表させてもらった場所でもあるんで、いつかたどり着きたいです」

──最後にファンにメッセージを。
「俺は思ったことを、思ったままに言ってしまうことがあって、『少年たち To be!』のときだけじゃなくて、
よく波風立ててしまう。ただそういうときって、“よくも悪くも渡辺だよね”とか“渡辺っぽいよね”ってファンの声が耳に届くんです。
俺はそれがうれしいというか。ファンに甘えてるだけじゃダメだし、真意が伝わるように言葉をしっかり選ばなくちゃいけない。
ただ、“渡辺っぽい”って言ってもらえることがうれしいし、おかげで俺は何にも縛られず素の自分、自由でいられる。
感謝してます。正直、今でもファンサすら恥じらいがすごくてけっこう苦手で、テレビに出ると緊張するし、
何なら今日みたいなひとりの取材も緊張します(笑)。いまだに自分がアイドルに向いているかわからない。
でも、アイドルになってよかったって思わせてくれたのがファンです。
だから、これからも“渡辺っぽい”って言われる発言も多いだろうけど、俺の言葉の根底には、みんなへの愛というか、
そういう気持ちがあることが伝わればいいなって思ってる。ファンを含めてSnow Manだと俺は思ってるんで、
今はまだ2年目だけど、5年後も10年後も、ずっと一緒に高め合っていける関係でいてください」

取材・文/水野光博

599Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:14:20 ID:???0
らうーる
2003年6月27日生まれ。東京都出身。A型。身長190cm。
2015年5月2日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2021年7月号に掲載されたものです。

中3の冬、突然、キャリアも年令も離れたグループに加入。
強がっていたけど、本当は体力的にも精神的にもキツかった。
重圧で押しつぶされそうだった。
そんな俺をいつも8人のメンバーが支えてくれた。「おまえなら大丈夫」。
この言葉があったから、これからも俺は堂々とセンターに立っていられる。

600Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:17:06 ID:???0
──これまで10000字インタビューに出てくれた人の中で、今回登場のラウールくんが17才で最年少だよ。
「そうなんですか! なんかうれしいです。僕、10000字インタビューのファンでいつも読んでるんで」

──じゃあ、いろいろ聞いていくんで、よろしくお願いします。
「よろしくお願いします。あ、すみません。最初にどうしても伝えておきたいことを話してもいいですか?」

──もちろん。
「“ハイタッチ会、忘れてないぞ”ってことをまず伝えたくて。デビューシングルを手に取ってくださった多くの方のおかげで、
Snow Manは初週ミリオン達成という華やかなデビューを飾れた。
デビューした瞬間に僕たちを目立たせてくれた人たちのおかげで今があります。だから、こういう世の中が明けたら、
有人観客のコンサートはもちろんだけど、僕はいちばん最初は、できるならハイタッチから始めたいんですよね」

──忘れてないんだね。
「はい。MYOJOの思い出も話していいですか? 僕、初めて載ったときのこと、めっちゃ覚えてて。2017年だと思うんです。
“なんで俺が呼ばれたんだろう!? きっと大勢Jr.が出る企画なんだろうな”って思ってスタジオに行ったら、
俺とヴァサイェガ渉と川﨑星輝の3人しかいなくて。“俺の時代、来たんじゃね!?”ってうれしかったのを覚えてます(笑)。
デビューシングルを手に取ってくれた人もそうです。まだ何者でもなかったときに大切にしてもらったことを忘れちゃいけないなって。
これから出会う多くの人たちももちろん大切です。それと同じかそれ以上に、まだ何者でもなかった僕たちを
応援してくれた人への感謝を忘れちゃダメだなって」

──ラウールくんがJr.だった期間は5年。長く感じた? 短く感じた?
「Snow Manには僕よりずっとキャリアの長いメンバーがいるんで、“長かった”って言いにくいんですけど、
やっぱり長かったし濃かったです。多感な時期、小中高をまたいでの5年なんで、
体感だと人生の半分くらいJr.で過ごした感覚です」

──Snow Manに加入直後という大変な状況のインタビューで「いつか“俺じゃなきゃ乗り越えられなかった”
って言えるようになりたい」って語ってたね。今だったら言えるんじゃない?
「うーん、確かに何かを乗り越えたかもしれない。でも、がんばったって感じは意外となくて。
僕はどんなことも楽しんじゃう人間なんで、がんばった、努力しましたってことより“楽しかった!”って感覚が強いです」

──幼少期ってどんなコだった?
「保育園の卒園式のビデオが残ってて。みんなで歌を歌ってるんですけど、歌詞が“??ちゃん、いつも元気!
”みたいにひとりずつのキャラにあった歌詞が割り当てられてる。僕は、“村上真都、みんなの人気者!”って歌詞でした。
ってことは、はっきり覚えてないんですけど、人気者だったのかもしれない(笑)。
その卒園式の映像で、ひとりずつ将来の夢を宣言してるとこも残ってて、僕は“芸能人になりたい”って発表してるんです。
当時、お笑い芸人さんになって、バラエティー番組に出てみたいって思ってたんで」

──ダンスを始めたのは小学1年生だったよね。
「それがすべての始まり。母親にすすめられて、公民館みたいなところで、地元の人が教えてくれる教室に通い始めて。
幼馴染の女のコと、僕とお兄ちゃんとで習い始めたんですよね。最初はそれほどダンスが好きじゃなかったんですけど、
レッスンが終わった後に公民館のとなりにある公園で遊ぶのが楽しかったから続けて。
お兄ちゃんはサッカーに夢中になって途中で辞めたんですけど、僕は小3くらいで、もう少しちゃんとやってみたいってなって、
毎日ひとりで電車に乗って遠くのダンススタジオに通うようになって」

──ジャニーズのオーディションを受けた経緯は?
「小さいころ、母親に連れられて、CMのオーディションとか、ダンスキッズ雑誌のモデルのオーディションを受けたりしてたんです。
その流れでジャニーズのオーディションも受けて。僕は“ジャニーズってSMAPとかいるすごいとこだよな”くらいの認識でした。
で、オーディションで踊ったら、“また来て”みたいな感じになって」

──受かってうれしかった?
「めちゃくちゃイヤで泣いた記憶がある。オーディションで踊ったダンスが、それまでやっていたダンスとジャンルがちがいすぎたし、
アイドルの衣装もなんかイヤだなって」

601Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:18:55 ID:???0
──辞めたいって思ったりもした?
「思ってましたね。Kis-My-Ft2のコンサートのリハで20曲くらい覚えなきゃいけないのに覚えきれなくて。
振りつけ師さんに“ダンスやってたのに覚えられないんだ”って言われたのがショックで、
母親に“辞めたい”って初めて言ったんです。そしたら、“がんばってから決めたほうがいいんじゃないかな”って言われて。
僕ががんばってないことわかってたんでしょうね。だから、まず一生懸命やって、
それでも続けたくないと思ったら辞めようって決めて。めっちゃ練習したら、次のリハで“踊れるじゃん”って、
10人だけ出られる曲の選抜に選んでもらえた。それがうれしくて続けたんですよね」

──入所後、ポニーテールだった髪を切ったほうがいいって注意されたことがあったんでしょ?
「入所して半年くらい、『JOHNNYS’ World』のレッスンのときですね。
振りつけ師さんに“Jr.らしくないから切ったほうがいい”って注意されて。“なんで!?”って思ったんですけど、
辞める勇気もなくて。でも、そのタイミングで髪を切ったことが今は運命だったと思う。
僕、それまで母親に髪を切ってもらってたんですけど、母親がいろんなアーティストのカットをしてる美容師さんの店を探してくれて
、そこで切ろうってなったんです。でも、俺はそこには行きたくなくて」

──どうして?
「高かったんですよね。うちは裕福じゃなかったし、子どもながらにカット代が高いのがわかったから、
“いい”って断ったんです。でも、すごい倹約家の母親が“ちゃんとしたところで切りなさい”って絶対に譲らなくて。
そっから6年間、そのときカットしてもらった美容師さんに今も切ってもらってるんです。
母のおかげで、ずっとカットをお願いしたいって思える信頼できる美容師さんに出会えました」

──2016年にはジュニアBoysの一員として『勇気100%』をリリースしてるよね。
「CD出してるんですよね。ただ、メンバーも流動的でグループって感じはしなくて、一度きりなのかなって思ってた。
の後、あまり仕事がない時期もあって。俺、なんかジャニーさんにアピールとかできなくて。
思春期というか、“あいつ、気に入られにいってるよ”って思われたくないとかいろいろ考えちゃって。
そもそも俺はジャニーさんがデビューさせたいタイプじゃないんだろうなってどっかで思ってた。自分に自信もなかったからね」

──そうだったんだ。
「ジャニーズに入るまで、幼稚園や小学校でちょっとだけ人気者だったり、ダンスで賞をとったり、
自分の中で、小さな光だけど輝いてるなってのが少しはあって。でもジャニーズに入ったら、“光ってる人っていっぱいいる。
俺は特別じゃない”って思い知らされたというか」

──でも、中3のときに少年忍者のメンバーに選ばれたよね。
「はい。俺、中学時代、家ですごい勉強してて、定期テストが学年でいつも2位だったんです。
Jr.って、中3の受験時期に一旦活動をやめて、そのまま去っていくコも多くて。だから少年忍者に選ばれたタイミングって、
すごい大きい。もしどこにも所属しない状態で受験を迎えてたら、活動を休んで、そのまま辞めてたかもしれないなって」

──同じ年にSnow Man加入の打診もあったよね。
「少年忍者として出演した『JOHNNYS’ King & Prince IsLAND』の開催中、帝劇でジャニーさん、滝沢(秀明)くんと
何度も加入についての話し合いをしましたね。最初は意味がわからなかった。Snow Manは大先輩って感覚だし、
年令もJr.歴も全然ちがう。“なんで俺が!?”って」

──最初は悩んだ?
「悩みました。本当に失礼な話なんですけど、少年忍者で活動を続けて、別のチャンスを待ったほうがいいんじゃないかって。
そう思ってた当時の気持ちを、デビュー後にメンバーに話したことがあるんです。
そしたら、“俺たちはデビューできっこないって何度も言われてきたし、そういう悔しい思いをいっぱいしたから今があるんだよ”
ってふっか(深澤辰哉)さんに言われましたね」

──加入を決めた理由はなんだった?
「どこかで損得勘定みたいなことを考えたんです。Snow Manに入ったら、いろんな人の目にとまるチャンスが増える。
そしたら、もしSnow Manでデビューできなくても別のグループに呼ばれるかもとか。
だから、“挑戦してみたいです”って言ったんです。見透かされてましたね。ジャニーさんに怒られました。
“デビューって挑戦するものじゃない。メンバーと一緒に戦って勝ち取るものだよ”って。その言葉にハッとして。
今求められているのは覚悟なんだって。そのときまで、“デビューしたい”って思っても、
どこかで本当にできるとは信じきれなかった。ジャニーさんの言葉でSnow Manでデビューをつかみ取るんだって
覚悟を決めたんです」

602Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:21:45 ID:???0
──グループ加入だけでなくセンターも任されて、まさに大抜擢だったね。
「当時、ジャニーさんは僕のことそれほど知らなかったと思うんです。ジャニーさんのお葬式のとき、
壁にたくさん写真が飾られていたんですけど、その1枚が、滝沢くんがジャニーさんの横に座って、
“あれだよ”って指さしてる写真で。人伝に聞いたんですけど、写真に写っていない、滝沢くんの指が示す先に僕がいたらしくて。
僕をジャニーさんに推薦してくれたのは滝沢くん。だから滝沢くんが人生を変えてくれた人なんです。
感謝の気持ちを忘れないでいようと思います」

──加入後について、滝沢くんから何かアドバイスはあった?
「言われたのは、“堂々としてたらいいんじゃないかな”ってことだけです。
きっとメンバーが僕を育ててくれるって見越してたんだと思う」

──Snow Manの加入が決まったとき、少年忍者の一員として『JOHNNYS’ IsLAND』に出演中だったんだよね。
「はい。だから、むっちゃ気まずかったです。最初、加入が決まったことを誰にも言えずメンバーと同じ楽屋で過ごして。
人生でいちばん気まずかった。(ヴァサイェガ)渉に救われたんですよ。めっちゃ覚えてます。Snow Man加入を発表したら、
少年忍者のメンバーはいい顔しないよなって思ってたら、発表直後に渉が真っ先に喜んでくれたんです。
この時期、(向井)康二くんにもすごい救われました。康二くん『JOHNNYS’ IsLAND』に2回足を運んでくれてるんです。
1度目は『まいど!ジャーニィ〜』の収録。2度目はプライベートで。僕の加入を知って、“ラウールに会いに来たよ”って、
いきなりギュッて抱きしめてくれた。ビックリしたけど、“あ、この人は頼っていい人だ”って思いましたね」

──実際にSnow Manに加入してからは、どんなことを感じてた?
「最初は疑心暗鬼というか、メンバーを怖いと思ってしまった時期がありましたね。みんな、本当によくしてくれるんです。
ただ、“メンバーは絶対に新加入を嫌がってる”って声が時折耳に入るんです“そうなのかな…”ってなっちゃって。
ふとした瞬間、たとえばメンバーが疲れた表情を一瞬したりするだけで、やっぱり嫌がってるのかなって思ってしまったり。
あの時期、苦しかったな」

──キツかったね。
「でも、今思えばいちばんキツかったのは6人のほうで。7年近く同じメンバーでやってきた、
6人のほうが迷いや戸惑いって大きかったはず」

──アウェイだと感じていた状況は、どうやって好転していったの?
「3月の横アリの時点で、ファンってこんなにあったかい人たちなんだってまず思った。メンバーにも本当に支えられました。
ふっかさん、俺が中学を卒業したタイミングで靴をプレゼントしてくれて。
それをメンバーの前で大げさに“プレゼントしたんだ!”って自慢して。きっと全部、ふっかさんの作戦なんですけど、
“じゃあ俺も”ってメンバーが僕に何かプレゼントするのがブームみたいになって。
“俺はこれやるよ”って舘さん(宮舘涼太)はパーカをくれたり、岩本(照)くんはTシャツをくれたり。
しょっぴー(渡辺翔太)は使い古した、ちょっとダサいキャップをくれた(笑)。
おかげでみんなとのコミュニケーションが自然と増えて距離が確実に縮まって」

──さすが深澤くんだね。
「はい。3月の歌舞伎の稽古中には、康二くんのスケジュールが合わなかったんですけど、
阿部(亮平)ちゃんが俺とめめ(目黒蓮)を誘って沖縄料理屋に連れて行ってくれた。食べ終わって、帰り道を3人で歩いてたら、
すごいさりげなく“そういえばさ、もうメンバーなんだから敬語はやめようよ”って言ってくれて。
あと、やっぱりいちばん大きかったのは『滝沢歌舞伎ZERO』かな。本当にキツくて、メンバー同士で助け合ったことで、
お互いが手を取り合う姿勢の基礎ができたから。ただ、すでに2月に京都で8人は舞台をやってる。
その間、僕は東京でひとり、稽古をして。自分だけが未体験なことがプレッシャーでしたね。
しかも自分のことで精いっぱいなのに、3人の加入をよく思ってないって声もまだなくならなくて、いっぱいいっぱいでした」

603Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:23:25 ID:???0
──本番中、舞台袖で泣いたこともあったんでしょ?
「……あの涙は、いくつも原因があったというか。グループに加入したことや初めて『滝沢歌舞伎』に出るプレッシャー、
あとは学校や家族のこと」

──学校や家族のこと?
「高校の新学期が始まってすぐの時点で、出席日数の関係で、このままだと留年確実ってことがわかって、転校を決めたんです。
その決断に後悔はないけど、中2から行こうと決めていた高校だったから、やっぱりモヤモヤしたというか、
ちょっと精神的に不安定になって家でもよく泣いてたんです。母親は心配だから“なんで泣いてるの?”って聞くんです。
でも、僕自身も涙のわけがわかんない。何度も“どうしたの?”って言われるのがイヤで、母親と何度もケンカになって」

──そんな状態で『滝沢歌舞伎ZERO』の舞台に立っていたんだね。
「めめがそばにいてくれたから乗り越えられたんです。そんな精神状態だったのに、さらに転んで顔にアザまでできちゃって、
舞台に立つのイヤだなって落ち込んでたら、めめが“おまえは顔に傷があろうがカッコいいから堂々としてろ。
大丈夫”ってずっとほめ続けてくれた。あのとき、僕は何か実績があったわけでも、こんな大きな舞台に立った経験すらない。
なのにめめは、“おまえなら大丈夫”って信じ続けてくれた。その言葉に支えられて、何とか千秋楽を迎えられましたね」

──目黒くんに感謝だね。
「はい。あとは舞台中の岩本くんの言葉も忘れらんないです。出番の関係で、本番中、
楽屋に俺と岩本くんふたりきりの瞬間があって。すぐに腹筋太鼓だったんで上半身裸で準備してたんですけど、
俺はもう肉体的にも精神的にもキツくて泣いちゃって。もうムリだって。そんときに岩本くん、
“俺も、もうダメだって思ったこと何度もあったよ。大丈夫、俺たちがついてる”って言ってくれた。
それまで岩本くんの印象って、何でもできて完ペキってイメージだったから、そんな過去があったことに驚いて。
しかも、岩本くんは6人時代のセンターに立ってた人。なのに9人になって、僕がセンターというか真ん中に突然置かれた。
いちばん聞こえてきたのが、“岩本くんはラウールを嫌い”って声だったんです。俺は“そうなのかな”ってずっと不安で。
でも岩本くんの“俺たちがついてる”って言葉を聞いて、もう周囲の言葉に惑わされない。
岩本くんを、メンバーを信じればいいんだって思えた」

──その後、ジャニーさんの病室でデビューを告げられたときは、どんなことを思った?
「ビックリしましたね。伝えられた日は眠れなかったな。デビューするって、人生を捧げるってことだと思うんです。
もちろんグループに入るって決めた時点でその覚悟はしていたんですけど、改めてデビューを伝えられると、
グッと重みが増しましたね」

──8月8日のデビュー発表はどうだった?
「めっちゃ覚えてます。いろんなグループのファンがいたんで、ドームの中でいろんな感情が混じってました。
デビュー発表直後、Snow Manは『Lock on!』って明るい夏の曲をやったんですけど、パフォーマンス中、
最前列にきっとデビューできなかったグループのファンだと思うんですけど、ショックで頭を抱えて座り込んでる女のコが見えて。
そういう世界だってのは覚悟してたけど、その姿を見るとやっぱりすごくキツかった。
同時にデビューする責任感が倍増した。改めて引き締まりましたね」

──会場に両親は来てた?
「いました。父を初めて呼んだんです。なんか人生が大きく変わる瞬間を、母と父、両方に立ち会ってほしいと思って。
父親は、デビューがどういうことかわかってないから、“息子が踊ってる”くらいの感想しかなかったと思う。
それでもよかった。あの場にいてもらうことが大きかったから」

──デビューして親孝行できたね。
「なんかそこはギャップがあるというか。母親も“デビューしてくれたことが親孝行だよ。感謝してる”って言ってくれるんです。
でも、ダンスを始めるきっかけを与えてくれたのも、オーディションを受けさせてくれたのも、
大変な時期に美容院で髪切ることをすすめてくれたのも、全部あなただよって。俺は与えてもらうばかりで、
まだ何も返せてない。感謝しなければいけないのは俺のほうだから、これから少しずつ親孝行していこうって思います」

604Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:25:32 ID:???0
──そうだね。デビュー会見では、向井くんが「SixTONESのほうがカッコいいです」って冗談を言って笑いを誘ったことに対して、
「ああいうネガティブなコメント、俺はダサいと思う」って向井くん本人に伝えてるよね。
「言いましたね。あれはなんていうか、僕自身がSixTONESに嫉妬してたんです。
SixTONESのほうが歓声が大きいし、Snow Manは特に俺の人気がないってのがわかってたから。
それにSixTONESは6人でずっとやってきたんでグループとしての完成度が高い。Snow Manは3人が加入して1年も経ってなくて、
ある意味でグループも、僕自身も未完成。会見で僕がギリギリ飲み込んだネガティブな言葉を、冗談なのはわかってるけど、
康二くんが口にしたことがなんか悔しくて、康二くんに感情をぶつけちゃったんですよね。
あの言葉は本当は康二くんじゃなく自分に向けた言葉だったんだと思います」

──そうだったんだね。じゃあ、デビューイヤーを振り返るとどうだった?
「いろいろ計画通りにはいかないこともあった1年だったけど、貴重だなって思うことと悔しいなって思うこと、
ふたつの気持ちが半々かな。その悔しさは、いいバネになるから忘れないでおこうって思います。
ただ、去年を振り返るなら、いちばんに思うのは、やっぱりファンへの感謝で。
デビューライブのMCでめめが“昔からのファンの皆さんは僕たちの支え。最近知ってくれた人たちは僕たちの力。
このふたつががんばる原動力になってます”って言ったんです。改めてすごい共感できる言葉だなって思いますね」

──メンバーにメッセージを。まずは深澤くん。
「ふっかさんには、いつもありがとうってのがすごいあるな。常に俺を信じて見守ってくれるから。
アクロバットもすごい教えてくれた。今はちょっとスランプなんですけど、いつかふっかさんとファンの前で、
ふっかさんが教えてくれたアクロバットをやりたい。ふっかさん、きっと泣いて喜ぶんじゃないかな。いつか泣かせたいです」

──阿部くん。
「阿部ちゃんはさっきも言ったけど、ずっと優しい。自分がもし同じ状況だったら、
かなり年下でグループに加入して1、2カ月の後輩に“敬語やめようよ”って言えるかなって考えたら、すごいよ。
何より、最初だけ優しかったわけじゃなくて、今もあのときのまま、変わらずずっと優しいんです」

──宮舘くん。
「舘さんはねえ、マジメな部分が強くて、いい意味で先輩としての威厳と距離感を保ってくれてる。
俺はファンの前でベタベタするのが本当の仲のよさじゃないと思ってるから、近すぎるわけでも遠すぎるわけでもなく、
いい距離感でいながら、やるべきこと、守るべきことは態度や行動で教えてくれる舘さんの存在がありがたいです」

──佐久間(大介)くん。
「反対に言葉で注意してくれるのが佐久間くん。やっぱ後輩に怒ったりするのって心の体力使うじゃないですか。
メンバーなんで、しかった後も一緒にいなきゃいけないから、できるならしかりたくないはずで。
でも、俺がまちがったことしちゃったときは、必ずすぐに指摘してくれる。もしも知らないうちに道を踏みちがえても、
佐久間くんが気づかせてくれるって安心感がある。そのおかげで、どんなことにも怯えず僕は挑戦できる」

──渡辺くん。
「誰よりも3人の盾になってくれた人。しょっぴー、マジでイケてるなって思ったエピソードがあって。
Snow Manが6人のとき、しょっぴーってグループのビジュアル担当だったと思うんです。この前、話してたら、
“今それは目黒の役目で、その役はひとりのほうが際立つから、目黒にちゃんとフォーカスが合うように
俺はバラエティーに力を入れてる”って言ってたんです。
自分の気持ちやプライドよりもSnow Manがいい方向に進むことを大切にしてる。エグイイケてるなと思って」

──岩本くん。
「俺が言うのは気持ち悪く聞こえちゃうかもしれないけど、岩本くんはデビュー前後でけっこう変わったなって思う。
包容力がより増したというか。バラエティー番組で俺が岩本くんをイジッたりしたときとか、すごい笑って受け止めてくれる。
岩本くんの変化や進化は刺激になるし、人っていつまでも進化し続けられることを背中で教えてもらってます」

605Snow Man編 ラウール:2022/09/20(火) 17:27:29 ID:???0
──向井くん。
「愛情深い人。ふたりでいてイヤな気持ちになったことが一度もない。俺が気が強すぎるから時々ケンカになっちゃうけど、
10近くも年下の俺を対等な感じで本気でケンカしてくれるのがうれしい。
それに康二くん、少しでも自分がまちがってたって感じたら、年下、年上関係なく謝れるのも本当にすごいと思う。
人間性を尊敬してます」

──目黒くん。
「佐久間くんが仕事や礼儀的なことをしかってくれたり教えてくれるのに対して、人としての部分を教えてくれるのがめめです。
“いつかラウールも結婚するだろうけど、おじいちゃん、おばあちゃんになっても手をつなげるような関係がいちばんカッコいいよな”
とか、自分が大切にしようと思ったことを、僕にも伝えてくれるんです」

──メンバー8人はラウールくんの目にはどう映ってる?
「8人の兄というか、うん、そんな感じです」

──大事な仕事の前にテンション上げるためにやるルーティンってある?
「うーん、明日は勝負だなって日の前日に美容院行ったり、美顔器を使ったり、見た目をキレイにすることかな。
形から入ってテンションを上げていくみたいなことはしますね」

──7月には大きな仕事のひとつ、単独初主演を務めた映画『ハニーレモンソーダ』が公開だね。
「試写を見たとき、自分の声が恥ずかしくて耳を塞いだりしてました。ただ、すごくいい作品になっていたし、
現役高校生のときに高校生役をやれたこと、恋愛経験がほとんどないんで、ないからこそ出せる雰囲気、
今の自分だからできた役だと思います。メンバーも見てくれたんですけど、なんかめちゃくちゃ気まずいですね。
みんな、どういう気持ちで見たんだろうって(笑)」

──じゃあ、今後の個人の夢は?
「モデルとして活躍することっす。もちろん甘い世界じゃないし、学ばなければいけないこともたくさんある。
ただ、いろんなジャンルの仕事をしてみて体型的にも、思考的な面でも向いてるなって。
アイドル、お芝居、モデル、基本的にどれも自信があるんですけど、モデルは特に自信があるというか。
親から授かったものを活かしていちばんになりたいって思いが強いんで、モデルはこれからもがんばりたいです」

──グループとしての夢は?
「9人で話し合ったわけじゃないんで、僕が思っている夢なんですけど、いつということじゃなく、
たとえば50年後や100年後、いつかはSnow Manってなくなるじゃないですか。そのとき、Snow Manという9人グループを
いろんな人の記憶の中に残したい。“好きだったな”“おもしろいグループだったな”って、
いろんな人の記憶の中に残り続けるグループになりたい。それが夢というか目標です。
だから、いつか来る終わりのために今を全力でがんばる」

──最後にファンにメッセージを。
「自分のことを好きになってくれる人が、人生で何人いるだろうって考えたときに、
アイドルをやっているからこそ好きになってくれた人、出会えた人がたくさんいる。
こんなに充実した日々を送れるのはファンの人のおかげです。だから、なんで僕ががんばれるかって聞かれたら、
楽しいからってことはもちろんあるけど、がんばれるもうひとつの理由は、ファンにもらった愛情を、
自分の表現で返したいから。僕はファンの人とウインウインの関係でいたいって願ってて、
与えられるばかりじゃなくて何かを返したい。ファンの人をウインにするのは僕次第。
僕がどれだけ誠実にがんばるかにかかってる。だから、ウインウインでいたいっていうのは、僕もみんなに負けずにがんばるよって
メッセージだと思ってもらえたらうれしい。ファンとタレントは鏡じゃないけど、僕を好きになってくれる人は、
やっぱりどこか僕に似てるし、Snow Manを好きになってくれる人は、どこかメンバーと同じ雰囲気がある。
僕はまだまだ未熟な面がいっぱいあるから、ファンとお互いを切磋琢磨して、どちらかじゃなくて一緒に成長していきたい。
一緒なら、きっともっといい世界、もっと輝く未来が待ってると思うから」

取材・文/水野光博

606Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:28:26 ID:???0
いわもと・ひかる
1993年5月17日生まれ。埼玉県出身。A型。身長182cm。
2006年10月1日、ジャニーズ事務所入所。
2020年1月22日、Snow ManとしてCDデビュー。

※このインタビューは、MYOJO2021年9月号に掲載されたものです。

“ムリだよ、一生Jr.だよ”って声に、
言い返すヒマがあったら武器を磨こう。
そうやってつかんだのが今なんだ。

607Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:31:05 ID:???0
──Snow Man編のラストはリーダーの岩本くんに飾ってもらおうと思います。
「よろしくお願いします」

──まずはリーダーになった経緯から教えて。
「デビューが決まった後の、9人の食事会かな。深澤(辰哉)が“人数も多いし、リーダーを決めたほうがいいと思うんだ。
俺は照がいいと思うけど、みんなどう?”って。俺は“リーダーって何するんだ?”って思いながら聞いてたんですけど、
メンバーが深澤の意見に賛成してくれて俺に決まって。いまだにリーダーって何する人だろうって思ってます(笑)。
そもそも自分がふさわしいかわからない。いろんなリーダーがいると思うんで、これが正解ってリーダー像もないと思うし。
ただグループに何かあったとき、メンバーに“頼むぜ!”って言われる存在になれたら、それがリーダーなのかなって。
だから、そういう存在になりたいと思ってます」

──じゃあ、いろいろ聞いていくけど小さいころ、どんなコだった?
「とにかく親譲りの負けず嫌いでしたね。小1のとき、持久走大会の練習があって学年で11位だったんです。
それを親に話したら“そこは1位を取らなきゃ”って言われて火がついて特訓を始めて。
雨の日も、どんな日も毎日必ず走り込みしたんです。親に自転車でついてきてもらって俺はずっと走る。
おかげで6年間ずっと1位でした。俺、成長が遅くて小6で152㎝くらいしかなくて。
小学生って成長の早いコのほうが体育は得意じゃないですか。だから短距離は何をどうがんばってもビリなんです。
長距離も成長が早いコはどんどん速くなるんですけど、特訓と気合で6年間1位を守り続けたくらいの負けず嫌いでした(笑)」

──習い事もたくさんしてたよね?
「ダンス、ボーイスカウト、ピアノ、いろいろやってましたね。ピアノは3才からやってました。
小学校、中学校の卒業式で伴奏もしてます」

──ダンスを始めたのは何才だった?
「6才です。母にすすめられて始めて。ただめっちゃイヤでした。先生がチョー厳しかったんです。
毎週月曜日がレッスンだったんですけど、いつも月曜がくるのが憂鬱で。親の前で弱音を吐けなかったんで、
どうにかして休めないか考えて、わざとケガをしたこともありましたね。
結局、ばんそうこうを貼ってレッスンに連れて行かれたんですけど(笑)」

──最初はダンスが苦手だったの?
「全然ダメでした。体は硬いし、練習しても全然うまくならないし。先生や周囲から“センスないから辞めたほうがいい”
って言われてたくらいで。でも親に辞めたいって言い出せず、自分でもなんでやってんのかわかんないまま続けて。
で、毎週月曜になるとおなかが痛くなるという」

──ダンスが苦手だったこと、今のパフォーマンスからは想像できないね。
「小3が転機かな。ジャズダンスの日本一を決める大会があって、所属するカンパニーのメンバーが出場するんで
応援に行ったんです。日本のトップレベルの踊りを目の当たりにして“カッコいい!”って強烈に思ったんですよね。
その日から、“あいつが足をここまで上げるなら、俺はここまで上げてやる”とか、負けず嫌いが爆発して。
本気になって練習してると少しずつうまくなって。ふと“あれ!? 俺は何でみんなの後ろで踊ってんだ? 
いちばん前で踊りたい”って思う瞬間が来たんです。そんなタイミングでダンスの先生に
“人のケツ見て満足すんな”ってアドバイスされて。やるんだったら最前列、トップを目指せって意味で。
そこからもうガムシャラに練習して。その先生が経験した芸能界の話もたくさん聞かせてもらった。
“がんばればがんばった分、いろんなものを勝ち取れる世界だ”って。夢があるなと思って、
ダンスで生きていきたいって思ったんですよね」

──芸能の世界を目指そうと思った?
「思ったというか決めました。ダンスで生きてくって。じゃあ、どういう選択肢があるだろうって調べて
、“ジャニーズってすごいとこだよな”ってなったんです。だから、ダンスを武器にジャニーズで生きていこうって」

608Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:32:53 ID:???0
──幼くして大きな夢を抱いたね。
「なんか小さいころから普通が嫌いだったんですよね。安全とか安定が大嫌いで。人が“ムリムリ、それはいくらなんでも”
って言うことに興味があるっていうか。ムリって思われてることだから、達成したときの喜びや衝撃が大きいって思うタイプで。
今は何者でもない俺が、ダンスって武器だけ握りしめてどこまでいけるのか。どうせなら、みんなが絶対ムリって思うような
最高峰の舞台、ジャニーズでって思ったんですよね。それからすぐジャニーズに履歴書を送って」

──ただ、応募後すぐにはジャニーズから返信は来なかった。
「来ませんでしたね。だから何度か送ってるんです。初めて返信が来たのが中1で。
5月にオーディションがあるんで来てくださいって。それが横浜アリーナのKAT-TUNのデビューコンサートでした。
俺、オーディションが終わって、ほかのオーディション生が全員帰った後に、ジャニーさんと振りつけ師さんに残ってもらって
2時間ひたすら自分の踊りを見てもらったんです。やっと思い焦がれた場所に来れたって感情が爆発しちゃったんですよね。
急きょ、次の日のコンサートに出させてもらえることになって。ステージに一緒に上がることになったのが、(京本)大我でした」

──Jr.の活動はどうだった?
「俺、ジャニーズのオーディションの通知が来る前にミュージカルが決まってたんです。
その舞台が終わるまでは、そっちに集中しようと思って。ミュージカルが終わってジャニーさんに連絡したら、
“明日、『you達の音楽大運動会』ってJr.のコンサートがあるからおいで”って言われて。
そのコンサートで、いろいろ教えてくれたのが阿部(亮平)と(渡辺)翔太で。初めてステージに立って
『Real Face』を歌ったんですけど、右も左もわかんないってなったときのシンメが舘さん(宮舘涼太)。
当時、ダンスバトルが流行ってて対決したのが佐久間(大介)でした。
今思えば、オーディションのときに前で踊ってくれた先輩が6人時代のSnow Manの俺以外の5人だったんですよね」

──その後、すぐにタッキー&翼のツアーに帯同、並行してKAT-TUNのコンサートにも参加。
Jr.の中でかなり目立つポジションにいたよね。
「入っていきなりKis-My-Ft2やA.B.C.と絡ませてもらったり、かなり異質な存在だったと思います。
振りつけ師さんに、“今日からこいつらとやっていくんだよ”って言われたJr. Boysでも最初からずっとセンターで。
先輩たちからしたら、あんまり可愛げのない存在だっただろうなって」

──2009年にはMis Snow Manのメンバーに選ばれてるね。
「Jr. Boysは変動的なユニットだったんで、Mis Snow Manでは衣装を作ってもらったりして初めてのグループって感じでしたね。
雑誌にも頻繁に呼んでもらえるようになって。メンバーの年令も近いし、みんな仲もよくて」

──そのころ、デビューについてはどう思ってた?
「デビューしたかったです。でも、ボンヤリとジャニーズにずっとはいないかもしれないって思ってました」

──どうして?
「ちょうどK-POPが日本で大人気になるタイミングで。僕自身、衝撃を受けたんです。歌も踊りもラップもカッコいい。
Mis Snow Manがどうとか、メンバーがどうこうじゃなくて、韓国でレッスンを受けてデビューを目指す道もあるのかなって
高校時代は思ってたんですよね」

──そのこと誰かに相談した?
「誰にもしてないです。自分の中だけで思い描いていた野望というか、韓国でデビューして逆輸入じゃないですけど、
日本の音楽番組に出て、デビューしたMis Snow Manと共演できたらおもしろいなって。当時はけっこう本気で考えてましたね」

──でも2011年にメンバーの離脱や阿部くんの活動休止で、Mis Snow Manは空中分解してしまう。
「グループ、どうなっちゃうのかなって不安でしたね。メンバーの気持ちもバラバラになりそうだった時期で。
あんな仲のよかったメンバーが、将来が見えない苛立ちもあったんだろうけど、よくぶつかってました。
俺、阿部不在の『DREAM BOYS』で初めて振りつけをしたんですけど、“ここ踊りづらい”、“カウント取りづらい”、
“だったらおまえが振りつけろよ!”ってしょっちゅうケンカして」

609Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:35:28 ID:???0
──密かに抱いていた計画、韓国に行くチャンスだとは思わなかった?
「確かにグループ名もなければ、みんなが同じ方向も向けてない。ちがう道をって思いもよぎったけど、
ここまでジャニーズをやってきた意地もあったというか。出会ったメンバーがいる。応援してくれるファンや家族がいる。
辞めるのはいつでもできる、もうちょっと、もうちょっとやってみようって。
阿部不在の時期、スタジオ借りてとにかくずっと踊ったり、アクロバットをめちゃくちゃ練習したりしましたね。
俺、不器用なんでバック転もメンバーの中でできるまでいちばん時間がかかったんです。
だから阿部が戻ってくるまでに、アクロバットをマスターしてやろうって。あのころ、よく一日中スタジオや体育館にいました」

──阿部くん、活動休止中に岩本くんが会いに来てくれたから乗り越えられたって話してくれたよ。
つまり、会いに行かなかったら…ってこと?
「まあ、そうだね。電話で話してたら、自分のいない『DREAM BOYS』を観劇して以来、
“みんなのレベルの高さに、もう戻れないかもって思ってる”って。きっともうみんなのレベルにはついていけない。
俺は受験に専念したほうがいいかもしれないって、半ば諦め気味な感じで言うんです。
だから“ふざけんなよ!”って電話を切ってすぐ会いに行って」

──引き止めるために会いに行ったんだ。
「はい。電話じゃダメだ、直接会って伝えなきゃって。“レベルについていけない? ちがうだろ! 
俺たち5人はバラバラになりそうになりながらも、おまえが帰ってくるって信じて踏んばってんだ!”って。
やっぱり、それまで諦めて辞めていくJr.を何人も見てきたから。俺が説得しても気持ちが変わらないかもしれない。
でも同じグループの仲間を引き止めるチャンスがあるのに引き止めないのはちがうなって。
“本気なのか? 戻りたい気持ちは少しもないのか?”ってちゃんと目を見て確認したかった。
そしたら、“もちろん戻りたい気持ちはあるけど…”って話だったんで、“信じて待ってる。俺だけじゃない。5人が待ってる”
って伝えて」

──翌春、阿部くんが復帰してSnow Manが結成される。ただデビューまではまだまだ遠かったね。
「そうですね。ずっと闘い続けたというか。“そんな年令でJr.なの?”とか、“Snow Man、デビューはムリでしょ。
一生Jr.だよ”って何度言われたことか。そのたびに、言わせておけばいい、言い返すヒマがあるなら武器を磨こうって。
いつかデビューして、絶対ムリだって言ってたヤツらをパフォーマンスで見返してやるって、きっと6人全員が思ってたと思う」

──いつかデビューできるって信じてたんだね。
「もちろん、メンバーそれぞれが、いろんなタイミングで不安になったり揺れたと思いますよ」

──岩本くんでいったら、それはいつだった?
「何度もありました。でも不安になるたびに、原点に立ち返らせてくれる出来事や出会いがあったんです。
たとえば2015年にシンガポールで『滝沢歌舞伎』ができたのは大きかった。何をがんばってもデビューできない。
自分たちのパフォーマンスに問題があるんじゃないかって自信が揺らいでたんです。
国内でやる舞台やコンサートで拍手してもらえても、それは純粋に自分たちのパフォーマンスの力じゃなくて、
ジャニーズだから拍手してもらえるんじゃないかって。でもちがった。シンガポール公演で、
僕らのことをあまり知らない現地の多くの人も拍手してくれた。
最後の演者紹介で僕が紹介されるときに涙を流してくれた人もいたんです。パフォーマンスで心をつかめるんだ。
自分たちが投げたものがちゃんとキャッチしてもらえてるんだって改めて実感したというか。
俺、それがうれしくて、シンガポールから帰ってきた次の年の初詣で、絵馬に“デビューして海外でパフォーマンスしたい”
って書いたんですよね」

──そんなことがあったんだ。
「入所から10年過ぎた2017年ごろも悩んでましたね。そろそろリミットを決めなければって思ったし、
そもそもやれること全部やりきったんじゃないかって。それでもデビューできない。
そんなときに『SASUKE』の出演オファーをいただいたんです。『SASUKE』に出られたから辞めずにいた部分は正直ありますね。
ずっと出たかったんで。“金髪筋肉塚ちゃんです!”って塚田(僚一)くんが自己紹介してるのを見て、
“俺だってトレーニングしてるし、金髪だし! 俺だって出たいよ!”ってずっと思ってたんで」

610Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:37:24 ID:???0
──でも初出場のときって、わずか5秒で失格した回だよね?
「そうです。失敗したのがチョー楽しかったんですよ。池の水の中でニヤケましたもん。あ、ゼロからスタートできるものに出会えた。
俺、楽しいことに出会っちゃいましたって感覚というか。もちろん『SASUKE』の完全制覇ができたからって
デビューできるわけじゃない。でも、そんな話じゃないんです。やれることを全部やった? ふざけんな。
まだまだやれること、成長できることなんていくらでもあったんだってことに衝撃を受けたというか。
だから、あの5秒は俺にとってファーストステージをクリアしたときと同じくらい印象に残ってて。
ジャニーズでも『SASUKE』でがんばれるって道を切り開いてくれた塚田くんに感謝ですね」

──ファーストステージをクリアしたのは6度目の挑戦だったね。
「不思議な感覚でした。それまでのチャレンジは、いつも絶対に落ちたくないって思ってたのに、
“落ちてもいい”みたいな感覚だったんです。今までほぼ全部のエリアで落ちてきた。全部経験させてもらった。
もう落ちる要素はないって思ったし、落ちたっていい。それすら糧にして、また次、挑むよって」

──もはや『SASUKE』はライフワークになりそうだね。
「そうですね。必ず完全制覇したいですし、いつかSnow Manの看板を背負ってアメリカ大会にも出たいです」

──ラウールくん、目黒(蓮)くん、向井(康二)くんの加入は何を思った?
「もちろん、すぐに“じゃあ9人で!”とは思えなかったんです。やっぱり6人の歴史があるんで。
ただ3人は、それぞれ自分のいた場所を手放してSnow Manの一員になろうとしてる。そして増員は3人にとっても、
6人にとっても人生を賭けた大きな決断になる。“俺はここに、すべてを賭ける”って決意を持った9人が集まったら強いだろうなって
思ったんです。だから俺にとって増員はデビューするためじゃない。グループとして強くなるための決断だった」

──ただ岩本くんは新加入の3人に対して厳しめに接してたよね?
「ですね。少なくとも俺に関しては手放しで甘えさせるみたいな接し方はしないほうがいいって思ったんで。
ちょうどSnow Manが『滝沢歌舞伎』の主演になるタイミングで、さらに俺はSnow Manとしてのコメントを求められたときに
発言することも増えた。周囲に俺が3人を甘やかしている感じに映るのは、いざってときに説得力を持たないなって。
だから俺は嫌われ役でいい。そこはバランスというか。その分、深澤をはじめ無条件で優しく接してくれるメンバーがいるんで」

──でも『滝沢歌舞伎』の楽屋で泣きじゃくるラウールくんを励ましたりしてるよね?
「あのときはラウールがどん底にいるのがわかったからね。家族みたいに大切なメンバーが挫けそうなとき、
たとえ1%でも顔を上げる力になれるならなんだってします」

──じゃあ、ジャニーさんの病室でデビューを告げられたときは何を思った?
「鍵をもらった感じかな。ずーっとそこに扉があるのはわかってた。でも、それを開ける鍵がどこにあるかわからなくて探し続けてた。
“2グループ一緒にデビューします”って滝沢(秀明)くんに言われ鍵を手渡された感じ。やっとこの扉が開くんだって。
この扉を開けるために本当に長い時間がかかった。ただ、その時間のすべてが財産だし、愛おしいというか」

──デビューを告げられた直後、京本くんに握手しに行ったこと覚えてる?
「はい。大我のインタビュー読んだよ、俺。あのとき、握手をしたのは大我とだけ。同期ってこともあるし、
本当にいろんな仲間が辞めていったからね。俺たちが進んできた道はまちがってなかったよねって気持ちを込めた握手だった。
言葉は交わさないけど、お互いを称え合いたかった」

──家族もデビューを喜んでくれたんじゃない?
「デビュー発表の会場に両親がいたんですけど泣いてたらしいですね。後日改めて、ちょっと涙ぐむ父親に、
“おめでとう。照を信じ続けてよかった”って言われたときは俺も泣きそうになって。
あんまり俺をほめる父親じゃないし、何やっても敵わないと思ってた父親だったんで、少しだけギャフンと言わせられたというか。
いろんな迷惑も心配もかけて、やっと少しだけ恩返しできたというか」

611Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:39:20 ID:???0
──その後、デビューしていちばん変わったことってなんだと思う?
「よりファンの人たちのありがたみや、感謝の気持ちを感じるようになったことかもしれない。
俺ずっと誰かを笑顔にしたり元気にしたり、何かスイッチを押せるのがアイドルだと思ってた。
だから、ファンレターに“イヤなことがあったけど、Snow Manを見て元気が出ました”とか
“Snow Manを見て踊りを始めてみようと思います”って書いてあるとすごくうれしくて。でもファンとアイドルって一方通行じゃない。
自分が沈んでいるときはファンの人たちの声に励まされる。双方向で支え合ってる。
俺たちがステージに立っても、みんながそこにいなければ何も始まらないしね。
会場に来てくれるファンがいるからコンサートが始まる。“Snow Man、がんばってるね”って多くの人に今言ってもらえるのも、
自分のことのように盛り上げてくれるファンのみんながいるから。
そういう人たちがSnow Manを応援していてよかったって思えるパフォーマンスを続けるのは当然だし、
もはや“応援してくれるみんなと俺たちでSnow Manです”って思ってます」

──今、メンバーに伝えたいメッセージを。まずは深澤くん。
「いちばんいろんな話をしましたね。それこそ相棒というかいなくちゃいけない存在。
でも性格は正反対というか。なんか偶数と奇数って感じかな。10までたどり着きたい。まず俺ががんばって1まで進めて、
次に深澤が2までがんばって進んでって感じでやってきたというか。とはいえ、とにかく俺は迷惑かけっぱなしで。
そのたびに俺はふっかに救われてる。何かあるたびに言われるんですよ。
“俺はどんなことがあっても、たとえ世界中が敵になっても絶対おまえの味方でいる。俺はおまえとずっと一緒にいるから”って。
もうグループを辞めたほうがいいんじゃないかって悩んだときも、その言葉にすごい救われました」

──宮舘くん。
「自分で言うのはあれなんですけど、性格がいちばん似てると思うんです。熱くてマジメなとこが。
だからこそわかり合えることがあるというか。俺がどん底だった博多座のときとか、休演日に何も聞かず、
ずっと一緒に過ごしてくれたのが舘さん。『滝沢歌舞伎』の刀投げじゃないけど、
言葉にしなくてもわかり合える部分が舘さんとはずっとあるかな」

──宮舘くん、メンバーが「岩本たちって呼ばれ方ヤだよ」って言うのを聞いた岩本くんが悲しそうな顔をするのがイヤで
ジャニーさんに直談判に行ったんだって。
「やっぱり俺はなんだかんだ言って年下だし、後輩だったから“岩本たち”って呼ばれること自体キツかったよ。
ジャニーさんに直談判したのは知らなかったけど、性格が似てるから、ちょっとわかるというか。
もし立場が逆なら同じことをしてたかも。何より、ありがとね、舘さん」

──佐久間くん。
「今ほど明るいキャラじゃなかった、昔はね。でも昔から価値観が合ったというか。
踊りのこと話してたら“Snow Manのダンスをプロのダンサーにもすごいと思ってもらえるものにしよう”って同じこと考えてて驚いた。
佐久間とはダンスにしろアクロバットにしろ、とにかく人を楽しませることをずっと話してて、
そんな佐久間に俺は世界でいちばん笑わせてもらってる。世界でいちばん佐久間がおもしろいと俺は思ってるよ。
あと忘れられないのがデビュー前日、2020年1月21日を佐久間とふたりで過ごしたこと。
街に貼られた自分たちのポスターを見に行って写真を撮ったりしたよね。
Jr.最後の日がふたりきりでごはんを食べる初めての日になったのは、なんか不思議な感覚だったよ」

──阿部くん。
「同い年だけど、年下のような感覚もあって。いろんな相談されることもあるし相談することも多い。
まあ俺が相談するのは、ほぼ『SASUKE』のことなんだけどね(笑)。
“このエリアは1分間にこういう動きを何回しなくちゃいけないんだけど、どのくらいのGに耐えられる筋力が必要?”とか、
ムチャなお願いしてもパッと計算してくれる。絶対の信頼があるから、阿部が計算してくれたんだってこと自体が
安心材料になるんだよね」

──阿部くんのこと、引き止めてよかったね。
「デビュー後も改めて“あのとき、引き止めてくれてありがとう”って言われたことはあるけど、“感謝しろよ!”
なんて一切思わない。だって、引き止めたのは俺が後悔したくなかっただけっすから」

612Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:41:45 ID:???0
──渡辺くん。
「初対面の印象最悪。オーディションの日、鏡越しにガンつけられたんですよね。
だから、Jr. Boysで同じユニットになったとき、“うわっ、あいついる!”って思ったのを覚えてる(笑)。
でも翔太はそのときからムードメーカーで、みんなの中心にいた。オシャレでJr.のみんなで服を買いに行こうってなると、
翔太の知ってる店にみんなで行くのが定番で。すぐいいヤツなこともわかったから、すぐに仲よくなって。
俺らがまだ何かを振り返るには早すぎるけど、ふと翔太を見たときに“昔、うわっ!て思ったけど、
今も一緒にいるんだな”って、勝手にあの日のことを懐かしく思うことがあるよ」

──ラウールくん。
「年令は離れてますけど、いちばん感性が合う気がします。表現者としての感性というか。
好きなもののベクトルが似てるというか、“海外のあのアーティストの、あのときのパフォーマンスがさぁ”って話をすると、
“俺、知ってるよ”ってなることが多いんですよね。気になるもの、おもしろいと感じるものが似てる。
メンバーで誰より『SASUKE』に興味があるのは好きなものが似てるというより優しさなんだろうけど。
サスケメンバーがやっていた練習方法の動画とかを目ざとく見つけて、送ってきてくれたりするんですよね。
ホント、リア友みたいな感じかな」

──目黒くん。
「とにかく熱いヤツですね、芯がある。俺と目黒は普通に話してても表情が怖いっていうか、
なんか真剣な話をしてるように見えるらしくて。でもじつはすげーくだらない話をしてることがほとんど(笑)。
“今日、晴れてるね”“あっちの雲がなかったら最高なのにね”みたいな。なぜか気象予報士の阿部よりも、
ふたりで空の話をよくしてる。この前も、“虹がかかったよ。誕生日おめでとう”ってメッセージを虹の写真と一緒に送ってくれた」

──最後に向井くん。
「岩本兄弟って言われるけど、康二は本当に弟っすね。とにかくボディータッチが多い。
『D.D.』の曲が始まるときにこっそり手を握ってきたり(笑)。本人にも伝えてるけど、俺は振りつけ考えたり、
何かに集中してるとき、反応がちょっと悪くなるんです。“照兄、何々だよね!”“あ、そうなんだ”みたいな。
そんなとき、シュンとした康二を見ると抱きしめたくなる。ほんと兄弟みたいな関係性。
何やるにしてもかわいいなって思うとこが多いけど、実力もしっかりしてるのがすごいよ」

613Snow Man編 岩本 照:2022/09/20(火) 17:42:03 ID:???0
──この9人になってよかったって思ったのはいつごろ?
「9人になった時点で思ったよ。深澤の言葉を借りるけど、“世界中の誰が敵になっても、
この9人だけは絶対に一緒にいる”って決めたから9人になったわけで。その覚悟がなければ9人になってないからね」

──じゃあ、これからの夢を教えて。
「ドームでやりたい、どこでやりたいって具体的な夢もあるけど、もっと大きな夢もあって。
Snow Manのコンサートや舞台を初めて見た人に衝撃を与えるパフォーマンスをしたい。
その衝撃を一生誰にも超えさせないようなパフォーマンスを。“あのときのSnow Manのパフォーマンス忘れらんないんだよね”
っていうのを世界中に広げていきたい。雪を見たことない国や地域の人も“Snow Manは知ってる!”ってくらいまで。
いつか世界中の検索エンジンでSnow Manを検索したら、雪だるまよりも先に俺らが出てくる、そんな存在になりたい。
俺たちをまだ知らない人に“なんなの、このグループ?”って聞かれたら胸を張って“日本のアイドルです!”
って答えようって決めてます」

──人がムリムリって言いそうなことに挑むのが岩本くん、そしてSnow Manらしいね。
「きっとかなえますよ。俺、デビューして変わったってメンバーに言われることが多くて。今までずっと“これも、
これも、これも全部自分でやらなきゃ”って抱えてた。振りつけをやって、グループのコメントも考えて、
あれもこれも、『SASUKE』の練習もやって。でも全部は難しいって感じたときに、メンバーが“これは俺がやるよ”
“ここは俺が”って言ってくれたんです。あ、頼っていいんだって今更気づけたというか。俺が前へ進めるのは。
“照が振りつけた曲を踊るのうれしい!”“この振りつけ絶対ヤバイじゃん!”って言ってくれるメンバーがいるからで。
俺のことだけじゃない、自分が生み出したものまでをすげー愛してくれる仲間がいるから。
俺はジャニーズに入るって決めたときから、ずっとこの世界を切り開くために必要なのは武器だと思ってた。
この手に握ったダンスという武器で未来を切り開くんだって。でも、デビューした今ふと気づけば、
この手で握ってたのは武器なんかじゃない。たくさんの手だった。メンバーの手だけじゃない。
大勢のファンとも手をつないでる。ひとりが持つ武器より、みんなで手をつないで進んだほうが絶対に強いよ。
小さな雪がたくさん集まって大きな雪だるまができるように、みんなと握ったこの手を離さず、
握る手をもっともっと増やしていけば、かなえられない夢はないって思ってる」

取材・文/水野光博

614新聞不買:2023/01/24(火) 02:48:40 ID:???0
ファーレンハイト。

615ユーも名無しネ:2023/04/22(土) 23:26:54 ID:???0
463 ユーも名無しネ sage 2023/04/22(土) 23:21:16 ID:???0
おばさんて言えば黙ると思ってるの?
今どき年齢若いほうが価値あるって考え方は周回遅れだからアップデートしたほうがいいよ

金曜日のドラマで言ってたお

616ユーも名無しネ:2023/09/10(日) 13:03:06 ID:???0
内藤陽介
「ジャニーズ問題、気をつけなければならないのは、ペンライトというファンを自称する団体に慰安婦問題や活動家が入り込んで国に対してジャニーズ事務所の売り上げの3%を被害者救済にあてろ等と言っている。これは危険な動き」

617ユーも名無しネ:2023/09/10(日) 22:35:38 ID:???0
スポーツ心理士 田中ウルヴェ京さんの談

心のケア、という言葉が今回何回か出てきました。
これは被害にあったという風に声に出して言った方々の心のケアは勿論大事ですがもうひとつ、被害にあっても言わないことに決めている人もいるでしょう
或いは言えない、色々な思いで事実をどういう風に受け止めるか…というような方々がいるでしょう。
もうひとつ今回大きかった事としては性加害があると公に認めたわけですね
これはどういうことかというと「ジャニーズ」という言葉の意味が変わったのだと心理的には捉えることが可能です。
事務所に所属していた方々というのは、そして現在も所属している方にとっては本当にお小さいときから50代になるまで、
ずっと人生を共にしている謂わば自分と同じような、自分のアイデンティティという表現をしますが、=自分であるような方々もいるわけです。
そうなると自分の何か大事なものが変わったような感覚になる方もいるわけで…
勿論被害にあった方々の支援は大優先ではありますがジャニーズというものが変化したという、この大きな「変化」はお一人お一人にとってどのようなお気持ちになっていて、どの様にあなたは対決したいのですかという所は一人一人違う
そこは見えない部分であるからこそ事務所が包括的支援ということをしっかりやっていかなければいけないと思います。

618ユーも名無しネ:2023/09/16(土) 22:55:45 ID:???0
土田「噂レベルなんだから喋りようがない」
「今後俺らも(ジャニーズに)忖度して話してると思われるかもしれないけど、俺らだってこの件に関しては本当に視聴者が知ってるような噂レベルしか知らない。しゃべりようもない」

619ユーも名無しネ:2023/09/16(土) 22:56:04 ID:???0
当事者の会が要求する補償

・在籍確認なし匿名での補償
・FIT自家用車の購入
・中流家庭以上の生活の生涯補償
・事務所売上から年3%欲しい
・ジャニーズへの再雇用

620ユーも名無しネ:2023/09/16(土) 22:57:21 ID:???0
サントリーHDの新浪社長は朝日新聞の取材に「今後2〜3カ月の間にジャニーズ事務所の体制に抜本的な改善がみられなければ、所属タレントが出演するテレビ番組にスポンサーとして資金提供しないこともオプション(選択肢)としてあり得る」と話す。「テレビ局がどうして起用を続けているのか、理解に苦しむ」とも語った。

621ユーも名無しネ:2023/09/16(土) 22:58:42 ID:???0
■ジャニーズタレントを起用しない・契約更新しない等
⚪��アサヒHD 「取引を継続すれば、私たちが人権侵害に寛容ということになる」
 「人権を損なってまで必要な売上は1円たりともありません」
⚪��サントリーHD 新たな契約を結ばない
・経済同友会 「ジャニーズのタレントを起用することは、Child abuse(児童虐待)を企業が認めること」
 「所属タレントが事務所を移籍することも一つの手段では」新浪剛史代表幹事(サントリー社長)
⚪��花王 広告販促物等の展開を可及的速やかに中止「性加害の問題は花王の人権方針に反する」
・カネボウ化粧品 花王に従う
⚪��モスフードサービス 現在展開中のTV-CMや店頭広告などはできる限り速やかに変更

┅┅┅┅┅┅┅┅┅アサヒサントリーモス花王の壁┅┅┅┅┅┅┅┅┅

・キリンHD 契約満了をもって今後は起用しない
・サッポロHD 契約を更新せず期間満了をもって終了する
・日産自動車 所属タレントを起用した新たな販促物は展開しない
・東京海上日動 人権尊重の観点からいかなるハラスメントも認めない
・JAL 日本航空 適切な対応がとられることを確認するまで広告に起用しない
・日本生命 今後新たに広告などに起用しない「自社が掲げる人権方針に基づいて判断」
・日本マクドナルド 契約期間が満了後、更新しない方針「いかなる人権侵害も許容することはできない」
・第一三共ヘルスケア 同事務所のタレントを起用した広告を取りやめる
・伊藤ハム 契約の満了をもって契約更新を見送る
・カルティエ 性加害問題の状況を鑑みてゲスト玉森さんの出演取りやめを判断
・トリドール(丸亀製麺) 今後の所属タレントの起用を見送る
・アルビオン 現在のアンバサダー契約は続けるが更新の予定はなし(理由や時期は回答できない)
・明治 今後の広告見送り「性加害の問題は絶対に許されるものではない」
・ジェーシービー 被害者の救済と再発防止の具体化、実行が確認されるまでは二宮さんの起用を見送る
・農林水産省 TOKIO城島茂さんのアンバサダーとしての活動を当面見合わせる
・ブルボン 広告計画に則り契約満了をもって終了 今後は総合的に判断

622ユーも名無しネ:2023/09/16(土) 22:59:56 ID:???0
フジテレビや韓国とつながりのある関連企業の製品の不買運動
対象となった企業の一例は以下の通り

花王
サントリー
亀田製菓

サントリーは自社商品のWebサイトで日本海を「東海」と記載したことで、亀田製菓は韓国の菓子メーカーと提携したことで槍玉にあげられました。

中でも特に注目が集まった企業が花王です。花王はフジテレビ最大のスポンサーであり、花王に対しては不買運動だけでなく約1,000人規模のデモが行われたほどでした。

623ユーも名無しネ:2023/10/02(月) 22:41:42 ID:???0
【手紙全文】藤島ジュリー景子氏

この度、叔父・ジャニーズ喜多川により性被害に遭われた方々にあらためて心からお詫び申し上げます。5月2日に被害にあわれた方と初めてお会いしました。その後も色々と実際にお話を伺う中で、この方々にどのように補償をしていくのが良いのか、加害者の親族としてやれることは何なのか考え続けております。

 そしてジャニーズ事務所は名称を変えるだけでなく、廃業する方針を決めました。

 これから私は被害にあわれた方々への補償や心のケアに引き続きしっかり対応させて頂きます。

 叔父ジャニー、母・メリーが作ったものを閉じていくことが、加害者の親族として、私ができる償いなのだと思っております。

 私は4年前に母親であるメリーからジャニーズ事務所を相続しました。

 ジャニーズ事務所は、ジャニーだけでなく、私の母であるメリーも権力を握っていたと思います。ジャニーはメリーからお小遣いをもらうという形でしたので、経営的なことは全てメリーが決めていたと思います。

 ジャニーと私は生まれてから一度も二人だけで食事をしたことがありません。会えば普通に話をしていましたが、深い話をする関係ではありませんでした。

 ジャニーが裁判で負けたときもメリーから「ジャニーは無実だからこちらから裁判を起こした。もしも有罪なら私たちから騒ぎ立てるはずがない。本人も最後まで無実だと言い切っている。負けてしまったのは弁護士のせい」と聞かされておりました。当時メリーの下で働いていた人達もそれを聞かされてそれを信じていたと思います。

 そんなはずはないだろうと思いますが、ジャニーがある種、天才的に魅力的であり皆が洗脳されていたのかもしれません。私も含め良い面を信じたかったのだと思います。

 そして母メリーは私が従順な時はとても優しいのですが、私が少しでも彼女と違う意見を言うと気が狂ったように怒り、叩き潰すようなことを平気でする人でした。

 20代の時から私は時々、過呼吸になり、倒れてしまうようになりました。当時、病名はなかったのですが、今ではパニック障害と診断されています。

624ユーも名無しネ:2023/10/02(月) 22:42:51 ID:???0
 私はそんなメリーからの命令でジャニーズ事務所の取締役をさせられておりましたが、事実上、私には経営に関する権限はありませんでした。そして2008年春から新社屋が完成した2018年まで、一度もジャニーズ事務所のオフィスには足を踏み入れておりません。

 これは、性加害とは全く違う話で、私が事務所の改革をしようとしたり、タレントや社員の環境を整えようとしたこと等で、二人を怒らせてしまったことが発端です。

 ジャニーとも2008年頃から2016年までライブ会場ですれ違うことはあっても会話はしておりませんでした。その後、ジャニーの稽古場に呼び出されて久しぶりに話しましたが、それ以降もジャニー本人に会ったのは数回です。その期間のJr.からのデビューや管轄外のグループの解散のプロセスにも関わっておりません。

 メリーからは私の娘である孫に会いたいと切望され、1年に数回、一緒に食事をすることや、お正月には孫と旅行することを決められておりましたが、私自身はメリーと話をすることを極力避けてきた人生でした。

 このような説明をすると嘘だとか親子で仲が良かったのを見たことがある等、また、バッシングされる記事が大量に流れるのだと思いますが、近い関係者の方、タレントの方々、社員などであれば、こうした事情を知っていると思います。

 心療内科の先生に「メリーさんはライオンであなたは縞馬(しまうま)だからパニック障害を起こらないようにするには、この状態から逃げるしかない」と言われ、自分で小さな会社を立ち上げ、そこに慕ってくれるグループが何組が集まり、メリー・ジャニーとは全く関わることなく、長年仕事をしておりました。

 このような理由でジャニーがいる稽古場とは全く違う場所で働いており、Jr.の皆さんとの接点もなかったので、今回申し出てくださった中で、私がお会いしたことがあるのは9人です。それ以外の多くの方々とはお会いしたことがないのです。

625ユーも名無しネ:2023/10/02(月) 22:44:16 ID:???0
今から思えば、ジャニーの親族であり、女性である私にJr.の皆さんはもちろんのこと、タレントの皆さんも噂話をすることや相談をしにくかったのだと思います。

 今被害を申告されている方々の中で、私を含めて現在の役員が被害者の方々について直接知る情報は、在籍していたかどうか以外にほぼございません。

 そこでジャニーやJr.と私以上に近い距離で接していらした元役員、元社員、外部スタッフの皆さまには被害者救済のご協力をぜひお願いできたらと思っております。

 ジャニーズ事務所は廃業に向かっておりますが、一人たりとも被害者を漏らすことなくケアしていきたいと思っております。

 知らなかったということを言い訳にするつもりは全くありません。メリーが言うことを信じてしまっていたことやそれを放置してきた自分の鈍感さ、全て私の責任です。

 また、今回なぜ私が100%の株主として残るのか、多くの方々から批判されました。

 実は多くのファンドの方々、企業の方々から私個人に有利な条件で買収のお話もたくさんいただいております。そのお金で相続税をお支払いし、株主としていなくなるのは補償責任もなくなり、一番楽な道だと何度も何度も多くの専門家の方々からアドバイスされました。

 しかし、100%株主として残る決心をしたのは他の方々が株主で入られた場合、被害者の方々に法を超えた救済が事実上できなくなると伺ったからでした。

626ユーも名無しネ:2023/10/02(月) 22:44:49 ID:???0
 そういう理由で現在の会社には株主100%として残りますが、チーフコンプライアンスオフィサーを外部から招聘し、今後私は補償とタレントの心のケアに専念し、それ以外の業務には一切当たりません。

 また、今後私は全ての関係会社からも代表取締役を降ります。また、ジャニーとメリーから相続したとき、ジャニーズ事務所を維持するためには事業承継税制を活用しましたが、私は代表権を返上することでこれをやめて、速やかに収めるべき税金全てをお支払いし、会社を終わらせます。

 ジャニーズ事務所を廃業することが、私が加害者の親族としてやりきらなければいけないことだと思っております。ジャニー喜多川の痕跡を、この世から一切なくしたいと思います。

 最後にジャニーズ事務所の所属タレントをこれまで応援してくださった世界中のファンの方々のお気持ちを考えると、本当に本当に申し訳なく言葉にもなりません。

 また、関係各所の皆さま、ご迷惑、ご心配をおかけしてしまい、大変申し訳ありません。

 今日、記者会見に出席せず、このようなお手紙を出すことで逃げた、卑怯だと言われることは重々承知です。

 今回は初めて公に話をしたメリーは本当にひどい面も多くあったのですが、優しい一面もあり、自分の母でもあり、皆様の前でお話したいことを過呼吸にならずにお伝えできる自信がなく、このようなお手紙にさせていただきました。誠に申し訳ございません。

 改めて被害者の皆さま、ジャニーのしたことを私も許すことができません。
 心から申し訳ないと思っています。

 また、タレント、社員の皆さまがこれから新しい道に思いっきり羽ばたき、みんなが幸せになれるよう、私はそれを後押しできる形になるよう、精一杯頑張っていきたいと思っております。

 どうか引き続き、ご指導ご鞭撻いただきますよう、どうぞよろしくお願いいたします。

2023年10月2日
藤島ジュリー景子

627ユーも名無しネ:2023/10/30(月) 20:34:20 ID:???0
中居正広と女性は1996年から付き合うように。
一時別れていたものの、2000年になりまた中居の方から連絡が来るようになり関係が復活。
それからしばらくして女性の妊娠が発覚。
女性は中居に「できれば産みたい」と妊娠を告げたものの、
中居は、「もし産んだら事務所に切られてしまうと拒否。
そして中居は、「大丈夫だよ、まだただの細胞だし、手術だって簡単でたいしたことはない。
俺の友達も何人も下ろしているけど、その日のうちに仕事だってできちゃうくらいだし」と中絶を迫った。

しかも、告白した女性は中居に中絶同意書にサインをされており、
『噂の眞相』は同号のグラビアで、その中絶同意書も公開した。
また女性は、中絶後、中居に電話をかけ、その内容をテープに録音。

その音声を噂の眞相はそのままインターネット上で公開した。
それにもかかわらず、このスキャンダルは一般に知られることはなかった。

628ユーも名無しネ:2023/10/30(月) 20:35:00 ID:???0
女性が妊娠の事実を自身の両親に報告し、弁護士をたてて対応にあたることにしたと聞いた中居は、
「遊び相手だったことを(両親に)話す」「産んでも認知しないし養育費も払わない。
生まれた子供に一生会うつもりもない」と脅しをかけるようなことまで口にしたという。
「その後、SMAPのチーフマネジャーであった飯島三智氏が女性との間に入り、
『あなたのエゴで遊び相手の子を産んでも、幸せにはなれない。お互いに幸せになってほしい』と説得に当たったようですね。
女性は1人で堕ろすことを決め、父親である中居に人工中絶同意書にサインしてもらうべく、
渋谷の宮下公園で会うこととなったようですが、それでも謝罪のひとつもなかったといいます」(前同・リポーター)

そして中居は30万円を女性に渡したというが、女性はこれを受け取らなかったそうだ。

「さまざまな話し合いの中で、『ま、どっちかっていうと、そんなにおっきな問題になんない方がオレとしては助かるわけじゃんか』
といった発言もあったようで、とにかく誠実さのかけらもなかった。
当時、中絶手術後に女性が中居にかけた電話の音声が公開されましたが、
『1人の女性を傷つけたわけだし、オレも傷ついているよ』などと言い訳を繰り返すばかりでした」

629ユーも名無しネ:2023/12/07(木) 09:19:03 ID:???0
カバオユニの正式名称はchange

630ユーも名無しネ:2023/12/07(木) 09:30:46 ID:???0
カバオの本名は「カバお」

631ユーも名無しネ:2025/04/25(金) 13:16:02 ID:???0
ztdn【25525】

88 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:45:01 ???0
やっだ、avexの末端ボーイズグループが、海外のガールズグループ並みのゴタゴタを繰り広げているわ!
http://ameblo.jp/yuuta1612/entry-12206890746.html

138 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:58:19 ???0
http://pbs.twimg.com/media/CohrtcbVYAAMXAe.jpg
エイベのchangeってこの人達かお
おっさんしかおらんお

141 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:58:50 ???0
>138
ズニアも驚きのぬさ揃いだお

142 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:58:59 ???0
>138
うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん

143 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:58:59 ???0
>138
31歳の人が一番マシに見えるお

145 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:59:04 ???0
>138
せ、声優かお…

146 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:59:12 ???0
>138
貧乳よりひどいいいいいい

147 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:59:26 ???0
>138
後列右から2番目の人が告発した人かお

151 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:59:35 ???0
>138
31歳の人どれだお

152 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:59:36 ???0
>138
いくら妖怪とか言われようともやっぱりジャニってぬげえなって思うお

632ユーも名無しネ:2025/04/25(金) 13:17:53 ID:???0
154 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 20:59:44 ???0
>138
これにヲタついてるのが衝撃だお

155 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:00:06 ???0
>138
きめぇおっさんばかりだお

158 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:00:49 ???0
>138
ぬっさwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

162 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:01:02 ???0
>143
もしかして後列真ん中右が31歳の人かおこの人しかまともな顔いないお
こんなヌサ集団なのに自惚れてるのかおひでえ

163 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:01:14 ???0
>138
全員モノマネの人みたいだお

168 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:01:55 ???0
>138
おっさんとかそういう問題じゃないって誰か教えてやれお

170 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:02:14 ???0
ええええ告発したひとが一番いかめしなのに後6人何勘違いしてるんだおおおおおおおお

633ユーも名無しネ:2025/04/25(金) 14:05:25 ID:???0
597 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 21:55:31 ???0
かば界の$かもしれんお

632 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 22:00:43 ???0
カバオは沖村一平って人みたいだお

633 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 22:00:53 ???0
カバオも31歳をいじめたんだおね

640 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 22:01:35 ???0
>633
カバ界のスターにすらなれないお
カバ界の落ちこぼれだお

646 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 22:04:02 ???0
>643
人間としてあってはならない顔だお


746 : ユーも名無しネ :2016/10/07(金) 22:19:46 ???0
【本日21時オンエア】文春砲ライブ♯7 Hey!Say!JUMPの伊野尾慧くん、明日
花キララさんのシンガポール旅行デート!アザーカットをすべて見せます。来場
者が集まったら無料放送しちゃいますよ〜

http://mobile.twitter.com/shukan_bunshun/status/784346058100871168


誰かみたかお


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板