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フェイク『男』のチラシの裏

356フェイク『男』:2017/11/26(日) 01:20:06 ID:G5xBNn6o
352フェイク『男』2017/11/26(日) 01:18:11.45ID:iLbqTn4g
さて、エジプト九栄神の一つ「ホルス神」の本体ペットショップは、善悪という概念とは無関係な動物である。動物の世界は弱肉強食であり、彼(?)が主人に従って殺戮を繰り返していたことも邪悪とは言えない。
そしてこのペットショップと死闘を繰り広げた「ザ・フール」のイギーもまた、別段に善の存在ではない。「犬好きの子供は見捨てておけない」という彼の思考は善行らしくも見えるが、人間の善に従っているとは言えない。
片や命令に従うだけのペットであり、片や善も悪も気の向くままに生きる野良犬に過ぎないのだ。また心なしか、氷の能力に砂の能力と、双方のスタンド能力も何だか空虚さや無味乾燥さを暗示していると思わなくもない。
この動物同士の戦いは一応ながらイギーが勝利を収めたが、彼とて戦闘後は川底で溺死を待つばかりであり、実質的には引き分けも同然だった。それを助けたのは、イギーが善行らしい振る舞いで救った「犬好きの子供」である。
即ちジョジョという作品の世界観もまた、「情けは人の為ならず」という言葉が真に実行される「公正世界」であるがために、イギーは生き延びペットショップは死んだままなのだ。

357フェイク『男』:2017/11/26(日) 22:50:56 ID:G5xBNn6o
356フェイク『男』2017/11/26(日) 22:48:59.48ID:iLbqTn4g
【エジプト九栄神で読み解く漫画論その1…オシリス神】
私はこの前置きで様々な考察というか妄想の類を捏ね回しているのだが、エンターテイメントを目的とする漫画作品の場合、読者の納得は理屈よりも感情に拠るところが大きい。
特に週刊少年漫画というものは、「荒木飛呂彦の漫画術」などにも記されている通り、少しでも面白くなかったら読み飛ばされてしまう恐れのある媒体であり、読者を考えさせている暇は無い。
ジョジョという漫画では多くの理屈っぽい説明が成され、これがまた私のような理屈のために理屈を捏ねるのが好きな部類の読者を呼び寄せたりもするのだが、
漫画作中の理屈はそもそも全て読者をまず感情面から納得させるためのものであるのが基本だし、商業作品としての娯楽漫画なのだから出来るだけそうあるべきだ。
中にはごく一部、作者のこだわりを優先して読者への説明が不足している設定もあるにはあるが(「光速を超えたら時が止まる」など)ジョジョの理屈の大部分は、あれで最小限の説明なのである。
さて、エジプト九栄神の一つ「オシリス神」は、その本体の弟のスタンド「アトゥム神」と並び、「賭けというのは人間の魂を肉体から出やすくする」「敗北を認めた瞬間、魂のエネルギーは限りなく0に近くなる」と、
スタンドの個々の能力について込み入った原理が説明されているが、これもまた「何故彼らをゲームで負かせば奪われた魂が戻ってくるのか」とか「何故兄弟というだけでこれほど似た能力なのか」とか、
「そもそも何でバトルじゃなくてゲームなんてしてるのか」といった疑問や違和感に対し、充分な納得感を与えるため必要な説明だったと言える。
思い返せば荒木氏のデビュー作である「武装ポーカー」も賭け事の話だったし、以降もこのようなゲーム系のスタンド能力は時折に登場することから、ジョジョにとってゲーム系の能力は相性が良かったのだろう。

358フェイク『男』:2017/11/26(日) 22:51:23 ID:G5xBNn6o
357フェイク『男』2017/11/26(日) 22:49:45.02ID:iLbqTn4g
余談だが「オシリス神」の能力の疑問として、承太郎が書いた「花京院の魂を賭けるという証文」は本当に有効なのか、というものがあるが、これはどうとでも解釈できる。
例えば「アトゥム神」が承太郎の攻撃を先読みして手首にスタンドの一部を憑りつかせたのと同じくらいには花京院の精神の隙を付けるのではないかとか、
あるいは「アトゥム神」とは違い「オシリス神」なら本当にあれだけで花京院の魂を奪うことができ、これこそが「オシリス神」独自の強みであるとか、
もちろんあれは完全にただのハッタリであり、そんな方法で重圧をかけてくるのも「オシリス神」本体ダービー兄の技術の巧みさだという考え方もありだろう。
どう考えたってそれなりに納得がいくことだし、むしろ種明かししないことも雰囲気作りの一環であることから、わざわざ作中で説明の時間を取ってまで解説することはなかったのだろう。

359名無しさん:2018/10/09(火) 22:58:10 ID:bwHCI11c
524 フェイク『男』投稿日:2018/09/16(日) 22:35:30.75 ID:omrikIsc
ジョジョ六部の登場人物エルメェス・コステロのいわゆる「名言」として、「復讐とは自分の運命への決着をつけるためにある」という台詞が広く知られているそうだが、この台詞を成立させるためにはいくつかの前提条件がある。
これはジョジョ三部の方の復讐者であるポルナレフなどにも共通するのだが、まず復讐対象は冤罪や更生の可能性が一切なく、誰がどう見ても死んで償うべき人間の屑であることが望ましい。また復讐に他者を巻き込むような方法を取ることも避けるべきだ。
そして何より重要なのは、復讐を果たしたとしても本当に「自分の運命への決着」を付けられるかどうかだ。ジョジョの登場人物は誰も彼も強靭な(悪く言えば「漫画的」な)精神力を誇り、だからこそ憎むべき敵を倒してそれで終わりにすることができる。
だがジョジョという漫画以外の状況では、人間は得てしてそれほど強くなく(良く言えば「現実的」であり)復讐を果たしても心が納得しないとか、直接の復讐対象以外にも憎しみを広げたりとか、エルメェスの台詞では解決できない状況になることもある。
そうなると、エルメェスが否定した「復讐なんかをして失った者が戻るわけではない」とか「許す事が大切」という言葉にも一定の意味が生じる。そういう言葉で心が揺らぐ人間は元より復讐などすべきではないということだ。
ちなみに、復讐の場面ではないがジョジョ七部には「心が迷ったなら、撃つのはやめなさい」という台詞も存在する。このような言葉も併せて考えたいところだ。

360フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:58:48 ID:bwHCI11c
534 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/17(月) 23:57:29.03 ID:C5i68sXW
「勇者と泥棒の話、1」
ジョジョとは全く無関係な話になるのだが、「ドラゴンクエスト」を始めとするコンピューターRPGの主人公である勇者には、しばしば民家のタンスや壺からアイテムを無断借用する、つまり盗みを働いているかのような行動を取らせることができる。
果たして、あの勇者の行いは本当に泥棒なのだろうか。例えば、本当は町の人たちとの色々な会話の結果アイテムを譲り受けているところを、要領の都合でそういった諸々を省略しているだけだという解釈を行う者も古くから存在している。
だが、その作品の中で本当にその行為が盗みとして扱われる場合もある。そうすると、それ以外の場所で行った「盗み」は、本当に泥棒行為なのか、それともそれ以外の場所では穏便にアイテムを譲ってもらっているだけなのか、判別が難しくなる。
それに、パロディ的なギャグとして勇者が泥棒であることを殊更に強調した表現もかつては多々見られたものだ。ここまで来ると、例えば解釈はプレイヤー次第という穏当な思考法では片付かないようにすら思える。
私見としては、あれは単に町中の探検や宝探しの楽しみを味わうためのギミックであり、そもそもそういった現実的な視点から見るべきものではない、と考えているのだが、ここで一つ、別の考え方をしてみたい。

361フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:02 ID:bwHCI11c
535 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 00:02:25.50 ID:EealCGv+
「勇者と泥棒の話、2」
ドラゴンクエストの一作目は、プレイヤーの操る勇者が王城から旅立つ場面より始まる。その王城には鍵の掛かった扉の向こうに宝物庫らしき部屋があり、いくつもの宝箱が置かれている。宝の番人のような兵士もいる。
だが、その扉を開けることができるのはゲーム開始からずっと後の話だ。その王城はゲームの開始時と終了時に必ず立ち寄らなければならないので、プレイヤーはいつもその宝箱を横目にゲームを進めることになる。
果たしてあの宝箱の中には何が入っているのか。泥棒したいかどうかはともかくとして、プレイヤーは気になるはずだ。
ところで、このゲームではラスボスを倒して世界に平和を取り戻すために必要なアイテムの一つとして「太陽の石」というものがある。そして「太陽の石」は王城のどこかにあるというヒントが手に入る。
するとプレイヤーとしては、あの宝物庫の宝箱を確認せざるを得ない。本当はその宝物庫に「太陽の石」は無いのだが、初見のプレイヤーにそれは分からないからだ。(なお「太陽の石」は王城内の別の場所で、盗むのではなく譲ってもらえる)
また、宝物庫の宝の番人に話しかけると「真の勇者なら盗みなどせぬはずだ」と、まさにこれから盗みを働く、あるいは既に盗みを働いた後の勇者を咎めるような台詞を言う。とはいえ、咎める以上のことはしてこない。
このゲームは昔の作品なのでとにかく容量が少ないのだが、それでも勇者が呪われた装備を付けていると王城から追い出される、などという細かいイベントまで実装されている。そんな中、勇者が盗みを働いたことに対する罰は無い。
それはもちろん、この一連の流れは言わばゲームの開発者がプレイヤーを騙しているようなものだからということもある。ヒントに従って素直にゲームを進めていたら泥棒扱いされて、しかも罰まで受けるなんて酷すぎる話だろう。
だが、私の解釈としてはそれだけではない。あの宝の番人は間違ったことを言っている。真の勇者なら、盗みを働いたという誤解を招いてでも、やらなければならないこともあるのだ。

362フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:27 ID:bwHCI11c
551 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/18(火) 23:34:51.95 ID:EealCGv+
ジョジョ二部に登場する柱の男カーズは、シュトロハイムの放った重機関砲の弾丸を「輝彩滑刀の流法」にて切り裂いてみせたが、それを目撃したシュトロハイムもジョセフも、また漫画のナレーションすらも、ただその刃の切れ味を強調するばかりだった。
これはおかしな話であり、そもそも自身に向けて一分間に六百発発射される弾丸を切断して防御するという圧倒的な運動の速度が全く無視されてしまっている。ジョセフに至っては、カーズの突きや蹴りなど普通の攻撃なら波紋で防御できるとすら言っている。
ジョジョ一部ではスピードワゴンが吸血鬼ディオの動きを「動きの速さは動物の豹程度」「ツェペリさんの波紋法を身につけたジョースターさんなら見切ることは可能」と言及していた頃からすると、非現実的なほどのインフレ具合だ。
現実的な話をすれば、この辺りのカーズの異常な描写は「今の人間の科学では奴には勝てん」というシュトロハイムの台詞通り、柱の男は科学力では倒せない、やはり波紋法しかない、という作中設定を改めて提示するためのものでしかないのだろう。
(そもそも死んだはずのシュトロハイムが機械化して生き返ったのも、そんな非現実的な科学力ですら柱の男には敵わない、という設定を強調するためのものと言えなくもない)
ただまあ、無理矢理にでも作中内の理屈で説明を付けるなら、カーズの「輝彩滑刀の流法」は単に刃を高速回転させて切断力を高めるだけでなく、実はカーズ自身の肉体の運動速度を一時的に向上させるという働きもあり、
そんなとてつもない運動速度でもジョセフならお得意の先読みで攻撃を予測しつつ波紋防御すれば、普通の攻撃なら何とかなると考えた……といったところか。
(一応三部以降でも、「灰の塔」戦、「吊られた男」戦、「メイド・イン・ヘブン」戦など、圧倒的なスピードを持つ相手に先読みで攻撃を当てる描写は散見される)

363フェイク『男』:2018/10/09(火) 22:59:37 ID:bwHCI11c
574 :フェイク『男』 投稿日:2018/09/20(木) 23:26:42.32 ID:JZNOPwsS
ジョジョ八部ジョジョリオンに登場する東方鳩の「ウォーキングハート」は、最大4mほど踵を伸ばすという……何と言うか、あまりにもシンプルな能力だ。シンプルすぎて何だか心配になるくらいだ。
だが壁に踵を突き刺し、本体ごと壁を歩いて登るという発想は結構面白い。この手の近距離パワー型スタンドは、例えば本体を担いで走るといった移動はなかなか行わないもので、
スタンド能力を用いて本体ごと移動する場合は、スタンドのパワーだけで力尽くに行うよりも、やはり能力を絡めて行うのがやりやすいのだろうと思われる。
この「ウォーキングハート」も、他にも踵を急激に伸ばし、ジャンピングシューズの要領で本体ごと大きく跳躍するとか、そういう本体ごとアクロバットな戦いを行うのが意外と有用な能力なのかもしれない。


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