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チラシの裏

13FI常駐マン ◆jhJOLYReos:2005/12/18(日) 15:32:05
 何がどう行われたのか。ここではひとつだけ、第十軍第百四十四師団の
機関銃部隊の一等兵として、残敵掃討に当たった田所耕三さんの話を紹介しておこう。
 「そのころ、私らは下関(南京城西北端の船着場)にいた。鉄条網の鉄条を外して、捕まえた
連中を十人ぐらいずつ束にして、井げたに積み上げて油をかけて燃やしちゃった。”俵縛り”
と言ったな。豚を殺すのと同じ気持ちだったな。
 機関銃で殺すのもやった。支那人は初めはワァワァ泣いているけど、土壇場になると潔いもんだね。
 しかし女が一番の被害者だったな。年寄りから何から全部やっちまった。トラックで部落に
乗りつけて、女どもを略奪して兵隊にわける。兵隊十五人から二十人に女ひとり。
 支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから必死なんだろうけど、なかなかいい」
(略)
 「見せしめの為に捕虜を傷つけることもやった。耳を削ぎとる。鼻をけずる。口の中に帯剣を
差し込んで切り開く。目の下に帯剣を横にして突っ込むと、魚の目のようなドロリとした白い
ものが五寸くらい垂れる。こんなことでもやらないと、ほかに楽しみがない。上陸以来久しぶ
りの遊戯なんだから。将校?知らんぷりをしていたな」

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『ザ・レイプ・オブ・南京』に引用されている田所耕三という人物は、南京陥落後約十日間に
わたって、殺人と強姦を行ったと述べている(『アサヒ芸能』昭和四十六年一月二十八日号)。
しかし、彼の所属する部隊は陥落二日後の十二月十五日には南京から転進しており、この
人物が十日間も南京に残留できるはずがない。彼自身、のちに取材に応じて「記者が何か
おもしろいことはないかと開いてきたので、あることないことを喋ったんだ」と、この発言自体
の信憑性を否定している。


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