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1プロ会議室<6>

9小山田:2004/06/09(水) 14:51
●セタンタさん『海食』
ニシン漁やうねる海、弁天岩と主人公の絡みなど、冒頭で作品の世界が確立されていると感じました。そこで生活するものの息遣いとか過酷さとか、その時代の厳しさ(道徳的にも。現代じゃあ姦通は物語になりにくい、当たり前すぎて)が、的確な言葉を使って表現されていたように思います。親方の方言も効いていると思います。私だったらついでに野卑な感じも入れたかもしれないなあ。漁師や女房たちの猥雑さは、後に登場するトミを引き立てることにもなるし、生活感ももっと出るような気がするからです。
さて、中盤までしっかり作品の世界にはまっていたんで、トミとどういう風に再会するんだろうか、とワクワクして読み進めたのですが、やっぱ枚数的に限度だったのかなあ、物足りなさを感じました。垢抜けてもっと美しくなったというからには、きっと今はどこぞの金持ちのお妾さんになっているのだろうと想像します。誠吾にたいして申し訳ないという想いでいっぱいでありながら、心中の間際で生きることを選んだしぶとさ、正直さ、そんな過去を背負い今も体を売りながら(?)汚らしくならない不思議さ(心根の美しさ、かもしれんなあ、と思いつつ)、という点で、トミを洋装の美人で再登場させて正解だと思うのですが、それだけに終わり方がなんとも弱いような……もっと長編でじっくり読みたいと思いました。もしトミが悔恨にまみれた浮浪者みたいな格好で現れたら、収まりはいいかもしれませんが、魅力は半減しますかねえ? 
 
●にゃんこさん『人工島の猫』
実は伶人さんとセタンタさんの感想は昨日のうちに書きまして、続いてにゃんこさんの作品の感想を書こうとして筆がそのまま止まってしまいました。何をどう書いていいのか……共感しました、だから良かったです。でも、それだけでいいのか? と自問すると、いや、それではアカンのではないかと思えてなりません。
まず、題材として読み手にイメージさせやすい舞台を選んだのはメリットがあると思います。拙作もそのつもりですし、私にとってはセタンタさんの題材もそうでした。うっすらとではあってもあらかじめ読み手にあるイメージを壊さないような、ある程度の文章力をもってすれば、舞台装置は半ば出来あがってきます。共感もさせやすい。で、ここで問題だと思うのは、容易に共感させられるということは、誰でも書ける、ということです。この作品にはにゃんこさんならではの描写や観点が乏しいような気がします。白足袋の猫がにゃんこさんの独自性を担っているのですが、それにしては弱いような。
主人公の男は人工島が郷里なわけですが、もしこれが気まぐれにここを訪れた無縁の男であっても、それほど違わない感慨をもって島を去るのではないかと想像します。何度も何度も読んで、いろいろ想像はしました。ワンカップとちくわで、わりとつましい人柄を思い浮かべましたし、父親の絵や牛乳ビンのエピソードで、父親を越す年齢になって、いわゆる勝ち組の生活をしながらも、男として、また人間として父親を尊敬し恋しく思う心情、とかも感じました。しかし、まだ男がうまくイメージできないなあ。まとまっているし文句をつけるところもないのですが、う〜ん……男を主人公にするなら、もうちっとなにか足せないものか……
もし、ですね、猫を主人公にしてしまったらどうでしょう? 三十年以上生きぬいてきた猫の目で男を見たら? 男はグランドで逆立ちするかもしれない。居住区でオイオイ泣き出すかもしれない。ちくわをしみったれでちょっとしか分けてくれないかもしれない。ワイシャツの襟は汚れてるかもしれない。身の上の詳細は分からなくとも、男がどんな人間なのか、何を思ってここに来たのか、かえって鮮明になるのではないかなあ。
自分に出来ないことを要求するのが読み手であります(苦笑)。書いていて本当に恥ずかしいです、私は。失礼いたしましたあ。


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