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文章鍛錬企画【同一プロット競作】5/15〜

7海描:2004/05/21(金) 20:03
「い、いや、そりゃあその金はある。だが、一度に六千万も引き落とせば銀行だって不審に思うだろう。それに、いきなりは無理だ。それなりに時間が掛かる」
「分かってますよ、そんな事くらい。……何を慌てているんです? 汗、凄いですよ?」
 言われ、初めて私は自分の額に浮かんだ汗の珠に気付いた。手の震えを抑えつつ、おしぼりを額に当てる。
「三年前の事は、御愁傷様です。奥さん、不運な事故だったとか」
 男は言った。こいつ、いきなり何を?
「何でも、運転を誤って崖から車ごと転落してしまったとか。ブレーキの跡も無く、それに大量にお酒を呑まれた様子もあったそうで、警察も事故としてあっさり処理してしまったらしいですね」
「…………。何が、言いたい?」
「おかしいと思われませんでした? 奥さん、お酒は呑まれなかったんですよ」
 な? に!
「そんな馬鹿な! あいつは……!」
「ええ、お酒の大好きな方でしたね。でも、それは娘さんが生まれる前の事。生まれてからは健康の事も考えて、一滴も口にされませんでした。僕がどんなに勧めても、ね。……あれ。ひょっとして、御存知なかった?」
 眩暈がした。頭の中が、おかしくなりそうだった。店内に流れるジャズのリズムが酷く耳障りに思えた。こめかみの辺りで、煮え滾った血がどくどくと脈打っているのが分かる。とうとう、全身が震えた。血に混じり、ニトロが駆け巡っているような錯覚。感情、が、爆発、してしまう!
 ――瞬間、男がグラスを掴み、その中身を氷ごと私の頭に零した。
「冷静に」グラスから零れた最後の一滴が、私の頭を敲く。「冷静に、です」
 男は空のグラスを私の目の前に置くと、懐から携帯電話を取り出し、その中に落とした。
「これはプリペイドケータイです。今後、これに指示を送ります。今日はこの辺で」
 そう言うと、男は立ち上がった。
「待て」私の口からは、自分でも意外と思えるほど冷静な声が出た。「お前は、何者なんだ?」
「犯人が自ら、素性を語るはずがないでしょう」せせら笑うように男は言う。「しかし、そう……一つだけ。僕は、貴方の娘さんの、実の父親です。――そう言えば、自ずと分かりますかね?」
「…………。…………。私の娘に、傷一つつけてみろ。絶対に許さんぞ」
「奥さんのように、ですか? 心配しなくても、お返ししますよ。傷一つ無く、以前の姿のままで。僕が欲しいのはお金であって、貴方の娘さんじゃありません。それでは、失礼」
 男はそう言うと、自分の会計を済ませ、もう振り返りもせずに店から出て行った。私はそれからようやく、おしぼりで顔を拭った。
 絶対に、娘は取り返す。決心する。自分の娘じゃない事は、血液型から気付いていた。だが、悪いのは別の男と通じていた妻だ。あの子には罪は無い。そうだ。だから、絶対に娘は取り戻す。あの子の笑顔は、私のものだ。私だけのものだ。誰にも渡しはしない。そして、取り戻してから――。
 あの男を、殺してやる。方法は……そう、妻と同じで良いだろう。
 私はプリペイドケータイを懐に仕舞い、足早に店を出た。行動は冷静に、且つ冷酷に。

 自宅に着いた僕は、自分が空腹である事に気が付いた。冷凍庫を開け、中から冷凍食品を取り出す。金が入ったら、もっとまともな物を食べるのも良いだろう。何せ六千万だ。老後まで蓄えておくのも馬鹿らしいし、地獄にまで持って行ける訳じゃない。
 それからふと気が付き、娘の様子を確かめた。うん。約束通り、傷一つ無い。
「寒いかい? けど、もう少しの辛抱さ。君のお父さんが約束を守ってくれたら、すぐに出してあげるよ。それまで、おやすみ」
 僕は娘にそう囁き、ゆっくりと冷凍庫のドアを閉めた。
 傷一つ無く、か。
 心配しなくても、返して差し上げますよ。傷一つ無く、以前と同じ姿のままでね。
 僕は内心独りごち、鼻歌混じりで電子レンジに向かった。

 ――了――


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