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文章鍛錬企画【同一プロット競作】5/15〜

6海描:2004/05/21(金) 20:03
 ――コキュートスの住人――

 店内に鳴り響いたベルの音に、私はビクリと反応してしまった。慌てて視線を入口に移すと、そこに立っていたのは若い男女のカップルだった。まさか、あれが? ……いや、いくら何でも違うだろう。そう思っていると案の定、そのカップルは私には目もくれず、さっさと窓際の席に座ってしまった。
 腕時計で時間を確認する。午後一時半。約束の時間を三十分も過ぎている。しかしその当の本人は姿を現わさない。これは一体どういう事なんだ? 奴が午後一時にこの喫茶店を指定した以上、忘れるなんて事は……。
 その瞬間、私はぞっとするような想像に囚われた。まさか、私が間違えてしまったのだろうか。本当は午後一時ではなくて午前一時だとか、或いは別の喫茶店だったとか……!
 だが、その想像をすぐ否定する。いや、そんなはずがない。この辺りには他に喫茶店なんてないし、待ち合わせ場所に喫茶店を指定しておいて、午前一時なんて時間を選ぶのはおかしい。午後一時に、この喫茶店。それは間違いない。……じゃあ何故、奴は来ないんだ?
 私はとにかく心を落ち着けようと、パンナの入ったグラスに手を延ばした。
「お待たせしました」
 グラスに口を付ける直前、唐突にそう声を掛けられた。はっと顔を上げると、席の横に背広姿の青年が一人立っていた。誰だ? いつの間に? こいつ、何処から現われた?
「き――君は……?」
「失礼します」
 男は私の言葉など聞き流し、さっさと――しかし丁寧な物腰で、私の向かいの席に着いた。そしてぴしりと姿勢を正し、まるで面接に来た新社会人のようにまっすぐ私を見つめた。
「……約束通り、ちゃんと一番奥の席に座ってくれたようですね」
 その言葉に、私はぎくりとした。間違いない。こいつが――娘を誘拐した男なのだ。
「娘は」声が震えた。「娘は無事なんだろうな」
「冷静に」男は表情一つ変えず、「冷静に、です」囁いた。
 私はぐっと歯を食い縛った。だが、そう……落ち着け。冷静になれ。冷静に、だ。知られぬよう深呼吸し、脳裏に娘の笑顔を思い浮かべた。今年で三歳になる、かつての妻そっくりの笑顔。二年前に死んだ妻の遺した、愛すべき忘れ形見。
「何故、時間に遅れた」
 私はまず、会話の取っ掛かりを探った。
「正確には、遅れていません」男はやはり静かに答える。「貴方が来る前から、私はずっとこの店内にいましたよ。そして、貴方の様子を窺わせてもらいました。そこの席でね」と、男はコーヒーカップと伝票の置かれた空席を指し示した。「どうやら、警察には連絡されなかったようで」
「当然だ」私は吐き捨てるように答えてやった。「それがお前のような人間の、望む形だろう」
「ええ、もちろん。お互いにとって、それは賢明です」そこで初めて、男は笑みのようなものを浮かべた。「ではもう一つ、僕の望みを叶えてもらいましょうか」
「なに?」
「現金で六千万」グラスの中の氷が、澄んだ音を立てた。「御用意できますね?」
「ろ」言葉に詰まる。「ろく、せんまん、だと?」また、声が震えた。
「無理――とは言ってもらいたくありません。何より、心当たりのある数字でしょう?」
 心当たり? こいつ、何を。いや、そんな。有り得ない。
「無理だ」私は言った。動揺するな。それこそ相手の思う壺だ。「一介のサラリーマンである私に、六千万なんて大金を用意しろだなんて。いくら娘の為とは言え、不可能な事を要求されても……!」
「おや、それは酷い。この期に及んで隠すんですか? 知ってるんですよ。二年前に奥さんが交通事故で亡くなった時、六千万円の保険金が貴方の手元に入った事は」
 ――――! まさか……何で……知っている?


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