したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

文章鍛錬企画【同一プロット競作】5/15〜

27小山田:2004/06/04(金) 00:08
『嘆き島』

 私が生まれ育ったこの小さな島ほど美しい島は、世界中を探しても多くはないだろう。島全体がたった今泡から生まれたビーナスの胸に似たたおやかな曲線の丘陵で、深い藍の海に無垢な孤児のように浮かんでいる。その肌はエニシダと、まどろみの木陰を作るオリーブ、つややかで瑞々しい実をたわわにつけるオレンジの木に覆われていて、所々につつましく清潔な白壁の民家が小さな集落を作っている。海に滑り込む裾野は輝くような白い砂浜で、それはまるで島を縁取るレース飾りのようだ。一箇所だけレースが途切れる場所があり、そこは石灰岩が剥き出しになった入り江で、ささやかな漁をするための小舟が数艘波間に漂う。光に満ちた清楚なこの島には陰鬱な名がつけられている。嘆き島。入り江の岸壁に、間口は大人が背を屈めてやっと通れるほどなのだが底知れずの深い洞窟があって、そこから絶えずテノールの嘆き悲しむ声が聞こえるのである。洞窟に入り込む風の具合なのか、海底を伝う地球の息吹を反響しているせいなのか、それは知る由もない。諦め、うめき、しぼり出すような嘆きの声は島のどこにいても聞こえた。夜になると、寄せ返す波音と和して切れ切れに月明かりの静寂を細かに震わし、島全体を薄絹のベールで包むのであった。政治的な、あるいはまったく個人的な理由で血生臭い悲劇を演じ、ここに流されてきた我々先祖の嘆きの声だという人もあったし、この島に逃れて甘美な死を選んだいがみ合う村の恋人たちの亡霊だという人もあった。
 人は二つの種類に分けられるのかもしれない。悲しみを受け入れる人と目を背ける人。若者の多くは嫌悪してこの島を去っていった。私も若い頃はこの陰鬱な声が嫌でならなかったのだが、ある日打ちひしがれた私がこれと全く同じ声で嘆いてい、どちらが私自身の嘆き声なのかさだかではなくなった時から、忌み嫌う気持ちは薄れていった。島民は嘆き声を聞きながら簡素で静かな生活を営んでいた。ある者はオリーブを育て、ある者は漁をし、私は皿や壷を焼く。
 ある夏の日、一人の紳士が三日に一便入り江に入港する連絡船を降り立った。私の幼友達で、彼もまた二十数年前にこの島を出ていった一人だった。仕立ての良い涼しげなスーツを身にまとい、野心と希望に輝く笑顔を浮かべた友人は、ある財閥の観光開発のプロジェクトを任されていた。この島の優雅な美しさは完璧だ、あの嘆き声さえなければ、と彼は出迎えた私の手を握って言った。ありきたりな風景に飽き飽きし、次なるリゾート地を求める洗練された人々を満足させるために、まず洞窟を静かにさせなければならない。そんなことができるだろうか、と私は血色の良い友人の顔をしげしげと見つめながら問うた。彼は笑った。まあ、見ていてくれよ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板