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文章鍛錬企画【同一プロット競作】5/15〜

21セタンタ:2004/06/02(水) 21:53
       海食

 誠吾は櫓を漕いだ。ヤン衆たちのヨイサッヨイサッという掛け声が響く。上半身を前に倒し後ろに引き、誠吾は皆と一体となって繰り返した。
 明治になって、この漁場はニシン漁でわいた。三月から五月にかけて春ニシンが到来し、お祭り騒ぎのようだった。東北から雇いの漁夫が大勢渡ってきて、彼らはヤン衆と呼ばれ、番屋に泊まりこみ不眠不休で働いた。沖に張ってあった建網(たてあみ)にニシンの群れがかれば、一斉に網を起こし、汲み船で浜へ運ぶ。浜にも多くのヤン衆達が待ち構え、綱を引く。大量のニシンが後から後から積み重ねられ、干し場ではニシンの加工が行われた。熱気と怒号とニシンの匂いで、辺りはむせ返り、息つく間もなかった。

 赤銅色に日焼けした誠吾の胸に汗が粉を噴き、その上を新たな汗が流れ落ちる。ねじり鉢巻からはみ出た髪を潮風がなぶる。口の中がからからに乾き、潮の匂いでふさがれた。波飛沫が飛び散る。ゆるやかにうねる波に船は上下し、浜に向かって進んでいった。海岸線に沿って、そびえ立つ巨岩が見えてきた。追いかけるようにして他の船団も後ろから近づいて来る。誠吾は声を張り上げた。空は抜けるように青く、ゴメが白い翼を広げてのんびりと舞っていた。
 右向こうに、弁天岩と松の緑がくっきりと見えた。弁天岩と呼ばれているが、実際は岩ではなく崖だ。崖の突端は空に突き出、赤茶のだんだら模様の地表面が続く。海に近い部分は浸食されて深くえぐれ、白い波が砕け散っていた。

 誠吾は弁天岩から顔をそむけた。父の正造が心中を図った場所だからだ。その時、誠吾は数えで十一歳になったばかりだったが、周りの大人たちの話している事はおぼろげに理解できた。嘉助の女房だったトミと心中しようと、正造は海に身投げしたが、トミは飛び降りなかった。直前になって怖じ気づき、一人生き残ったのだ。
 トミは駐在所で取調べを受けた後、箱館に送られた。網目笠で顔をすっぽりと覆い隠され、両手に縄を括られたトミは、巡査に引っ立てられて歩いていた。誠吾は、遠巻きに見ている村人をかき分け前に出ると、石を投げた。石はトミの体に当たった。足を止め、小さく開いた穴の奥からトミが誠吾を見た。誠吾はもう一度石を投げた。巡査はトミの縄を強く引っ張り、トミは転びそうになった。着物の裾が割れ、緋色の布が鮮やかに翻った。剥きだしになった白い足や泥で汚れた足首を、誠吾は子供心に嫌悪した。トミは引っ立てられながらも、何度も何度も振り返り、やがて村から消えていった。その後、トミには姦通罪が課せられ、監獄に送られたと、噂に聞いた。
 誠吾は母を早くに亡くしていた。敬虔なキリスト教徒であり尋常小学校の教員だった正造との、父子二人の生活は貧しくても静穏なものであった。
 誠吾の名は、己の内なる神に誠実であれ、そして他者にも誠実であれ、そんな願いをこめて名付けたと正造は繰り返し語って聞かせた。だが、誠実でない父親がつけた名は、何と皮肉な響きを持つ事か。
 どういういきさつで父が亡くなったのか、それがわかった時に、誠吾の心にあったものが深くえぐり取られてしまった。弁天岩の裾のえぐれた形は、そのまま誠吾の心の形であった。荒々しい波に打ちつけられ、不安定に立つ姿は、いつかは崩壊し、消えていくやもしれなかった。
 優しく高潔だった父を狂わせたトミが憎かった。子である自分よりも女の艶かしさを選んだ父を許せなかった。爾来、トミと父への憎しみだけを糧に、誠吾は生き延びたのだ。


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