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文章鍛錬企画【同一プロット競作】5/15〜

14セタンタ:2004/05/22(土) 01:28
 居間にはフレンチドアが付いていて、すぐに庭に出れた。雅治が先に立ち、その後を理緒が歩いていく。照明灯も何もないが、月明かりが煌々と輝き、それだけで充分だった。夜の中、ぼうぼうに伸びた草が白っぽく浮かび、白樺や桜の枝は干からびた腕のように空(くう)を突いていた。煉瓦を敷き詰めた舗道を行くと、向こうの草地がキラキラと銀色の光を反射していた。そこでは枯れ樹や砕けた鉢、鉄の柱がそのままに放置されていた。
 雅治は立ち止まり、じっとその光景を見ていた。やがて、ぽつりぽつり、語りだした。
「あそこには、温室が、ありましてね。硝子で覆われていて、熱帯の樹々や花を、育てていたのです。温室の、中は、花の甘い香りでむせかえってまして、眩い光の中で、酔うように、わたしは満たされた、ものです」雅治が振り返って、寂しげに微笑した。
「昭和二十年、七月十五日に、空襲があって、製油所が爆撃を受けました。その爆風がここまできて、あっという間に、温室の硝子は、粉々に砕け散りました。あすこで、光っているのは、その硝子の破片です。足元に気をつけてください。さあ、まいりましょう」
 雅治は杖をつきながら、ゆっくりと温室の跡地に向かって歩きだした。理緒もその後を行った。扉のあったらしい、錆びた鉄の枠を超えて中に入ると、硝子の破片がジャリジャリと音を立てて、靴の下で砕けていった。厚底のエナメルの靴は滑りやすく、理緒はバランスを崩しながら歩いた。雅治はゆっくりとした歩みではあったが、途中で立ち止まらずに、真っ直ぐに温室の中央に向かう。理緒は足元の銀の波のような欠片を見ながら歩いていくうちに、ふっと、辺りの空気が濃く、とろりと変わったような気がした。微かに眩暈がし、足元がおぼつかない。手も足も自分のものでないような、酩酊しているような感覚だった。膝が崩れそうになった瞬間、雅治の手が理緒の手を掴んだ。老人の手とは思えないようなその強さ、骨ばった感触に、理緒は一瞬怯みそうになったが、振り払う事はできなかった。雅治は理緒の手を握ったまま、中央に向かった。
 そこは円形に石が積み重なっていて、小高くなっていた。朽ちた籐のロッキングチェアが置かれ、座面にはぼろぼろのクッションが載っていた。チェアの両脇には苔むした石の水盤があり、ちょろちょろと水が滴り落ちていた。理緒は雅治にいざなわれるまま、チェアに座った。甘く濃厚な香りが体の芯から溶け出し、指の先、髪の先、爪先へと満ちていく。考える気力も何もなく、ただこのままここに座っていたかった。硝子の天井から陽の光が降りそそぎ、眩い暖かさが溢れていた。水盤からは涼やかな水がほとばしる。色とりどりの美しい花々が咲き乱れ、緑濃い、艶やかな葉が生い茂っていた。光の向こうで、雅治が微笑しているのが見えた。視界がゆっくりと閉じられていく。
「理緒っ!」
 理緒は、ハッと目を開けた。月光の下、翔太が突進してくるのが見えた。雅治が振り向きざまに、鈍く光る物を懐から取り出す。理緒は悲鳴を上げた。翔太が大きく跳躍し、黒い杖で雅治の額を打った。バシッ、という音がして、雅治はゆっくりと仰向けに倒れた。
 翔太は急いで理緒の側に駆け寄り、チェアから引き上げた。理緒は泣きじゃくりながら翔太にしがみついた。膝ががくがくとして、一人で立っていられなかった。翔太は何か独り言を言うと、理緒を引ったてるようにその場から離れていった。
 屋敷の正面に置かれていた車の後ろには、坂西が横になって眠っていた。理緒は助手席に座らされた。翔太は手に持っていた黒い杖、ではなく、パラソルの残骸を放り投げると、シートベルトを手早く締めた。すぐに運転席に回り、エンジンをかけ、猛スピードで屋敷から走り去った。

 あとでわかった事だが、二階堂雅治は三日前に特養ホームの自室で亡くなっていた。屋敷や土地は半年も前に人手に渡っており、ずっと無人であった。理緒が聞いても翔太は納得のいく説明をしてくれなかった。夢を見ていたんだ、とその一点張りだった。坂西に至っては、理緒と一緒に出かけた事までは覚えていたが、どこに行ったかはわからなかった。
 でも、理緒はあの夜、確かに、月光に照らされた廃園を、雅治と共に硝子を踏み砕きながら歩いたのだ。原色の美しい花々が咲き乱れ、緑濃い、艶やかな葉が生い茂っているのが見え、甘くとろりとした香りが全身に満ちた感覚を覚えている。そして、翔太が少年に向かって、ミズキ、と呼び、何か話していた事も。
    <了>


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