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英国(第二次世界大戦勃発直前)がファンタジー世界召喚されますた。

1名無し:2008/03/08(土) 09:25:39 ID:DguCBHyc0
もし第二次世界大戦勃発直前の英国がファンタジー世界に召喚されたらどうなるでしょう。なお、当時の英国の植民地も一緒に召喚されたという設定です。

71HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:03:15 ID:xcPdu0fk0
それでは予定通り投下を開始します

72HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:07:08 ID:xcPdu0fk0
6 エドワード・ブッシュ

またあの夢だった。
炎に包まれた我が家の居間、現実なら炎と煙で一分ももたない状態のその場所に立つ自分。そしてその目の前には見慣れた父の背中。
これが夢であり、そしてこの状況自体が己の想像の産物であるとわかっている。ドイツ軍の爆撃で父が命を落としたあの日、自分がいたのはスコットランドの自分の家ではなく、北アフリカの砂漠の只中だったのだ。
だがこの想像の産物は父の訃報を受け取ったあの日から何度も自分の精神を痛めつけてきた。

「………………!」

声を限りに叫んだはずなのに声にならない、踏み出そうとしても足が動かない。
そして天井が崩れ落ち――――



「……殿……ください! 軍曹殿!」

反射的に体が動いた。
毛布をはねのけて飛び起き、周囲を見回す。その一方で武器を求めて手が動いた。汗ばんだ手が冷たい金属とザラザラした木に触れる。トンプソンSMG、アメリカから援助物資として送られてきた様々な兵器の一つであり、今の自分の得物だ。
そして暗闇に浮かぶおぼろげな人影、その影が言葉を発する。

「大丈夫ですか?」

影がゆっくりと手を伸ばし、自分の肩に手を置いた。温かい節くれだった手、聞き慣れた声、ウールトンだ。
大きく息をつき、頷く。
夕食前の水浴びで汗も埃も洗い流した体は冷たい汗にまみれ、濡れた下着が体に張り付いて不快感をもたらす。それを無視して声を出そうとした時、テントの中に光が満ちた。反射的に光源の方を見る。
眩しい光に一瞬目がくらむが程なくして目が光に慣れると、そこには遮蔽した懐中電灯を手にしたブラウンがいた。テントの入口からこちらを覗き込んでいるその顔は緊張で張り詰め、鋭い視線が狭いテントの中を探りまわっている。

73HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:10:28 ID:xcPdu0fk0
「大丈夫、悪い夢を見ただけだよ」

その一言にふう、と息を吐くブラウン。その体から力が抜ける。

「てっきり蛇か何かにやられたのかと思いましたよ。あいつらは日が沈むと動き出しますからね」
「大丈夫、私はこの通り五体満足だ」

そう言いながらブラウンに向き直るブッシュ。その側のウールトンは急拵えのテントの隅に積み上げられた装備の山からあるものを取り上げ、ブッシュに渡す。
茶色のフェルトに包まれた平たく四角い水筒、フェルトの上にはカーキ色の厚手綿で出来たベルトが十字に掛けられ、細い飲み口にはコルク栓が嵌まっている。パターン37装備を構成する様々な物品の一つだ。
礼を言い、一口飲む。
ねばつく口の中に潤いが戻り、生温い水が乾いた喉を滑り落ちる。続けてもう一口、さらにもう一口。大きくため息をつく。

「こいつもどうぞ。相当疲れてるようですね、ひどい汗だ」

再びウールトンの声。突き出されたタオルを受け取り、冷たい汗を拭う。

「ところで、私の当直まであとどれくらいだ?」
「ざっと……12、3分というところですね。どうします?」
「もうそんな時間か……よし」

自分の質問に対するブラウンの返答を聞き、身支度を始めるウールトン。
野戦服の上着を何度も振ってから袖を通し、ブーツも同様に振ってから履く。脱いだ衣類や履物の中に入り込む蠍を追い出すための行為、北アフリカの砂漠で戦う兵士なら必ず身につけてなければいけない習慣の一つだ。
程なくして身支度を終え、自分の武器と装備を手に狭いテントの入口をくぐった後で振り向き、まだ体を拭いてるブッシュに声をかける。

74HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:13:53 ID:xcPdu0fk0
「軍曹殿は休んでいてください。疲労は正常な判断の大敵ですよ」
「……ああ、ありがとう」

二人分の足音が遠ざかり、テントの中に再び静寂と暗闇が満ちた。
ふう、と息をつく。
彼はまず間違いなく自分の叫んだ言葉を聞いている。だが何も言わなかった。
彼なりに年下の上官を思いやったのだろうか。いや、彼がこういったことを目にするのはこれが初めてではないのだろう。そしてそんなウールトンに何も言わないブラウン。彼もまた、こういったことを一度ならず目にしているのか。

「二人とも俺には過ぎた男だな……」

そう独りごち、再び横になる。
父の死を知ってから何処かがおかしくなってしまった自分。そんな自分を心配してくれたG偵察隊の戦友たちと指揮官のスチュアート大尉。だが自分はそんな彼らの信頼に応えられなかった。
そんな自分に下されたあの命令。自分はそれに従い、R偵察隊の一員となり、そして今、ここにいる。二人の部下と共にこの未知の土地で生き残り仲間たちと合流すべく、無い知恵を絞りながら足掻いている。
そしてあの二人はそんな自分を支えてくれている。この壊れかけの男、他所からやって来たこの自分を。

「疲労は正常な判断の大敵か……ああ、そうだな。その通りだ」

乱れた心をなんとか落ち着け、強張った体を寛げる。
彼が再び眠りに落ちるまで、少々時間がかかった。



煙で煤けたベンガジ・ストーブの中で木がはぜ、オレンジ色の炎が揺れた。
それを挟んで座るウールトンとブラウン。どちらも夜の冷え込みから身を守るため、野戦服の上から防寒用のトロパル・コートを羽織っている。だがその態度は対照的だ。
無言で炎を見つめるウールトンに声をかけるブラウン、平素の彼とは別人のように落ち着きがない。

「大丈夫なのでしょうか」
「心配なのか?」
「もちろんですとも」

75HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:16:58 ID:xcPdu0fk0
ウールトンの問い掛けに大きく頷くブラウン、自分の命を預けている相手が夜中に大声を上げて飛び起きたんです。そりゃ心配にもなりますよ、と続け、最後に大きくため息をつく。
普段の彼からは想像もつかない言動、そんな彼を落ち着かせるべくウールトンは慎重に言葉を選びつつ、年下の上官を弁護する。

「指揮官を務めるってことはそれだけ大変なのさ。ましてやこの状況だ、そりゃ気疲れもするだろう。うなされて飛び起きるのも仕方がないことだよ」
「ええ、わかります。ですが……」

言葉を切り首を振るブラウン、大きく息をつき、再び話し出す。

「あんな様子を見た後にそう言われてはい分かりましたと納得するなんて、この状況じゃ無理ですよ。そうじゃありませんか、ハンク?」

同郷の気安さからかウールトンを愛称で呼ぶブラウン。自分の上官に対して遠慮がないのはこの場に本人が居ないせいなのか、それとも気心の知れた相手を前に溜め込んでいたものを吐き出すつもりなのか。
しばしの沈黙、それを破ったのは大きなくしゃみだった。
ぶるりと震え、コートの前を合わせるブラウン。再び口を開く。

「付け加えるなら彼は本来G偵察隊の人間で、うちに来てからまだ2週間しか経ってない。こんな言い方は良くないのかもしれませんが、私にとって彼はまだ『よそもの』なんです」

76HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:20:07 ID:xcPdu0fk0
踊るオレンジ色の炎を眺めつつブラウンの発言を反芻するウールトン。次いでブッシュがこの偵察隊に来てからのことを思い起こす。
R偵察隊で一ヶ月前に起こった事故、破損した車両の修理中に起こったそれにより生じた欠員を埋め合わせるため、補給物資と共にやってきた補充要員が彼だった。
若者と呼ぶにはいささか年を食ってはいるが、さりとてベテランと呼ぶには少々経験不足な英国男。自己紹介の時にスコットランド生まれであると言い、野営の時は自分たちの故郷であるニュージーランドについてあれこれと質問する一方で、故郷の野山のことを良く話していた好奇心旺盛な人物。だが彼はこの隊においてある意味イレギュラーな存在だった。
LRDGの主戦力である6つの偵察隊、前身であるLRP(長距離偵察隊)の頃から存在するR、T、W偵察隊とLRDGとなってから新編されたS、G、Y偵察隊。前者に所属する隊員はそのほとんどがニュージーランド人、一方後者のうちS偵察隊はアフリカ南部の英連邦系国家であるローデシアの出身者を、そしてGとY偵察隊は英本土出身者を主力としている。
このような編成でありながらR偵察隊の欠員を埋め合わせるために同じニュージーランド人部隊であるT、W偵察隊の人員を使わずに英国人部隊であるG偵察隊の人員を用いたことに最初は隊の誰もが首を傾げたものだ。
英連邦と一口に言っても出身地ごとに様々な差異や格差、場合によっては軋轢もあるのだから。

「なるほどな、うん。そうか……」

ブラウンの言葉に相槌を打ちながら考えを巡らせるウールトン。
これまで経験したことのない異常事態、そんな状況でまだ掴みきれてない相手を指揮官として仰がなければならないという現実。それが目の前の若者の精神の安定を乱し、普段はまず吐かないような言葉を口走らせたということなのだろうか。

77HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:23:26 ID:xcPdu0fk0
「確かにあの人はうちにまだ馴染んじゃいない。だがあの人が前いたG偵察隊はフェザーン遠征に参加してた。あの遠征のことは知ってるな?」
「そりゃ知ってますよ。うちであの大遠征のことを知らない奴なんていない」

フェザーン遠征、今年の始めにLRDGのT偵察隊とG偵察隊により行われたイタリア領リビア南西地域、いわゆるフェザーン地方への長距離遠征だ。
カイロを出発しエジプトの半ば、そしてリビアのおよそ3分の2を横断し、はるばるチャドからやってきた自由フランス軍と合流、その後リビア南部のイタリア軍拠点を攻撃、可能ならば占領するという一大作戦。LRDGのような『敵の後方で戦う』部隊ならではの作戦だ。
もっともその成果ははかばかしいものではない。ルクレール大佐率いる自由フランス軍との合流には成功したがフェザーン地方の重要拠点であるムルズクの占領は果たせず、さらにT偵察隊がイタリア軍の待ち伏せにより大損害を受け、指揮官のクレイトン少佐が捕虜となってしまう。
もっとも、合流した自由フランス軍の活躍によりキレナイカ地方(リビア東部地域)南部のオアシス都市、クーフラの占領に成功し、占領出来なかったムルズクでも飛行場などの重要施設を破壊しているので全く無意味な遠征だったわけではない。何より帰還した兵士たち、特に編成されてから間もないG偵察隊はこの遠征で実戦を経験し、指揮官や隊員たちは大きな成長を遂げていた。

78HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:26:10 ID:xcPdu0fk0
「あの遠征に参加して帰ってきたんだ。LRPの頃からいる俺たちには及ばんが経験をしっかりと積んでいるし、実戦だってくぐっている。それでも信じ切れないのか?」
「そこじゃないんです。私が見るにあの人は何かを隠している、あるいは己を取り繕ってる。己をさらけ出してくれない相手に命を預けられますか?」
「……ああ、なるほどな。そのことか」

ブラウンの反論に我が意を得たりと頷くウールトン。そうしながら脳内に蓄えられた情報、それも非公式なカテゴリーのものを手繰る。これは古参の兵や下士官たちが軍隊内に構築した独自の情報網、言うなれば戦友同士の横の繋がりから得られたものだ。

「そのことについては噂がある、それもかなり確度が高いやつだ」
「?」
「家族を空襲で亡くしたそうだ」

ストーブの上に身を乗り出すブラウン。オレンジ色の炎に照らされたその顔に短く告げる。
暗闇の中で彼の髭だらけの顔が歪んだ。

「空襲で家族を……そいつは、きついでしょうね」
「ああ、英本土は今も空襲を受けている。峠は越したが終わったわけじゃない」

いわゆる『英国の戦い』が英国の勝利に終わってからもドイツ空軍は英本土に対して爆撃を行っており、イングランドやスコットランド、ウェールズの各都市では空襲による罹災者や犠牲者が増え続けていた。
夜間飛来するドイツ爆撃機の投下した通常爆弾や焼夷弾で工場や家屋が破壊され、多くの民間人が傷つき、あるいは死ぬ。
ドイツ軍の英本土上陸という最悪の事態こそ回避できたものの、英国人の日常は未だ安寧とは程遠い状態だった。

79HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:28:48 ID:xcPdu0fk0
「俺たちは家族のことを心配しなくてもいいがGとY偵察隊の連中はそうじゃない。故郷からの便りで家族の死を知らされるかも知れないんだ」
「確かに……そうですね」

二人の故郷であるニュージーランドは未だ戦火とは無縁の土地だった。物資の欠乏や灯火管制はなく、爆撃や砲撃に怯えることもない平穏な生活。一方ブッシュの故郷である英本土では今も多くの人々がドイツ空軍による爆撃の恐怖とUボートの跳梁がもたらした物資の欠乏に苦しみながら、怯むことなく枢軸国との戦いを続けている。

「そしてあの人はそんな目にあってしまった。だがそれを押し殺して戦ってきた、今もそうだ」
「だからと言って一人で抱え込むなんて、どう考えてもおかしいですよ」

納得できない、そう言って首を振り、次いで拳で膝を打つブラウン。その顔には怒りの色が見える。
大きなため息、再び口を開く。

「子供の頃母親からこんなことを言われたことがあります。『喜びは分かち合えば倍に、悲しみは分かち合えば半分になる』ってね。なのにああやって一人で抱え込んでちゃ、そのうち抱え込んだものの重みで潰れちまいますよ」
「……不器用な人なんだろう」

その一言に反応し、更に言い募ろうとするブラウンを身振りで制するウールトン。
穏やかな声でゆっくりと、噛んで含めるような口調で説得を試みる。

「言いたいことはまあわかったから、今日はもう寝ろ。その件については俺がなんとかする、だから忘れろ。いいな?」
「…………」
「お前は運転手だろう、そんな調子でハンドルを握った日には車をひっくり返しかねん。だから明日はそういうことは忘れて運転に集中するんだ。わかったな?」
「……わかりました」

80HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:30:54 ID:xcPdu0fk0
そう言うと大きく息をつき、不承不承立ち上がるブラウン。側に置かれていた自分の装備と武器を手に取り、歩きだす。その後ろ姿がテントをくぐるまで見送り、次いで装備に手を伸ばすウールトン。
弾薬入れからウィスキーの小瓶を引っ張り出すとそれをしばらく眺めていたが、首を振ってしまい込む。代わりに胸ポケットから煙草の箱を取り出し、一本抜き出した。
冷たく澄んだ夜気を一筋の煙が汚す。

「まったく、兵隊がやることじゃないな……まあ、他に出来る奴がいない以上、俺がやるしかないんだが」

独り言、あるいは愚痴。だが聞く者は彼以外いない。

「まったく、悪いカードを引いちまったもんだ。そうじゃないか、ヘンリー?」

自問、口元が緩み、ため息が漏れる。その口元でオレンジ色のホタルが光り、続いてため息とともに紫煙が吐き出された。
長い夜はまだ続いており、そして夜明けは遠かった。

81HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/10/20(木) 21:33:47 ID:xcPdu0fk0
投下終了
次回投下は来月下旬の予定です

次回から話が動き出す予定
しかしこれまでの展開、いささか冗長に過ぎたかも
創作って本当に難しい…

82名無し三等陸士@F世界:2016/10/22(土) 23:19:36 ID:UwAC6Dp60
投下乙でした

83HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/26(土) 20:03:26 ID:hWFIE.hw0
予定通り明日午後9時より投下を開始します
あとこれに先駆けて、以前こういったものも投下したいと言いつつさっぱりだった(本当にすいません)資料的なものも投下します

LRDGの歴代指揮官たち

ガイ・レノックス・プレンダーガスト(Guy Lenox Prendergast)
英国陸軍軍人、1905生、1986没。LRDG二代目指揮官。
バグノルドと共にLRDGを設立した初期メンバーの一人。
バグノルドの昇進後二代目指揮官として1941年11月から1943年10月まで隊を指揮した。
LRDG指揮官の座を退いたあとはSAS副司令官、自由フランスSAS(現フランス陸軍第1海兵歩兵落下傘連隊)司令官などを務めている。
かつてバグノルドが行ったサハラ砂漠の探検にも参加していた。

ジョン・リチャード・イーサンスミス(John Richard Easonsmith)
英国陸軍軍人、1909生、1943没。LRDG三代目指揮官。
愛称は『ジェイク』。戦前はワイン醸造企業の社員であったが第二次大戦勃発後陸軍に志願、砲兵隊、戦車部隊勤務を経てLRDGに志願。
R1偵察隊、B戦隊の指揮官を務めたあと1943年9月に中佐に昇進し、三代目のLRDG指揮官となる。
1943年11月15日、エーゲ海のドデカニサ諸島を巡る戦いの最中、レロス島において戦死。
LRDG歴代指揮官の中で唯一戦死した人物である。

デヴィッド・ラニヨン・ロイド・オーウェン(David Lanyon Lloyd Owen)
英国陸軍軍人、1917生、2001没。LRDG四代目指揮官。
LRDG四代目にして最後の指揮官。陸軍士官学校卒業後クイーンズ連隊に配属され、パレスチナで勤務。その後LRDGに志願する。
LRDGではY1、Y2偵察隊を指揮、その後前任者であるイーサンスミス中佐の戦死を受けて1943年11月にLRDG指揮官となり、解隊まで隊を率いた。
LRDGを率いた四人の指揮官の中で唯一の士官学校出身者である。

84HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/26(土) 20:06:25 ID:hWFIE.hw0
これまでに名前が出たLRDGの人物たち

ドナルド・ギャヴィン・スティール(Donald Gavin Steele)
ニュージーランド陸軍軍人、1912生、没年不詳。男性。
『5、夕食、そして推測』で名前が出た人物。
第2ニュージーランド遠征軍(第2ニュージーランド師団)第27機関銃大隊出身。
1940年8月にLRDGの前身であるLRPに志願、R偵察隊の指揮官となる。
LRPがLRDGに改組された後もR偵察隊の指揮をとり、さらにその後A戦隊の指揮官に着任。複数の偵察隊を指揮した。
1943年12月、他のニュージーランド軍からの志願者たちと共にLRDGを去り、ニュージーランド軍に復帰。
これは同年秋に英軍が行ったエーゲ海のドデカニサ諸島攻略作戦の失敗を見たニュージーランド政府からの要請をイギリス側が受け入れたことによるものである。

ミカエル・ダンカン・デヴィッド・クライトン=スチュアート(Michael Duncan David Crichton-Stuart)
英国陸軍軍人、1915生、1981没。男性。
『6 エドワード・ブッシュ』で名前が出た人物。
近衛旅団第2スコッツ・ガーズ大隊出身。1940年12月にLRDGに加わり、近衛旅団からの志願者で編成されたG偵察隊を率いた。
スコットランドのビュート島に大邸宅『マウント・スチュアート・ハウス』を建てたビュート侯爵ジョンを祖父に持つ人物。
父ニニアンも近衛旅団に所属していた陸軍軍人であり、第一次世界大戦で戦死している。

パトリック・アンドリュー・クレイトン(Patrick Andrew Clayton)
英国陸軍軍人、1896生、1962没。男性。
『6 エドワード・ブッシュ』で名前が出た人物。
戦前は測量技師として主に北アフリカの砂漠地帯の調査と地図作成に従事していた。
第二次大戦勃発後はバグノルドの招きに応じて軍に入り、情報軍団を経て1940年7月にLRPに参加、T偵察隊の指揮官となる。
1941年1月31日、リビア東部キレナイカ地方のジェベル・シェリフにおいてイタリア軍の待ち伏せを受けて負傷し捕虜となる。その後ヨーロッパへと送られ、ドイツが降伏するまで捕虜生活を続けた。
マイケル・オンダーチェの小説『英国人の患者』とこれを映画化した『イングリッシュ・ペイシェント』に登場する、主人公の友人マドックスのモデルとなった人物でもある。

85HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/26(土) 20:09:28 ID:hWFIE.hw0
投下終了です
頑張って資料集めて読んで整理してるけど、ひょっとしたらあちこち間違えてるかも…もしそうだったら本当にすいません

86HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:00:43 ID:hWFIE.hw0
それでは投下開始します

87HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:04:39 ID:hWFIE.hw0
7 妖精

長い夜が明けた。
陽光が夜の闇を追い払うが大気はいまだ冷たく、地面や草木は夜露でしっとりと濡れている。その光景は三人がそれぞれの故郷で見てきた朝の風景とさして変わるものではない。ただ鳥や獣の鳴き声は一切聞こえず、耳に入る音は時折吹く風が草木を揺らす時に起こるざわめきのみだ。
その静寂の中三人は出発の準備を黙々と進めていた。
ブラウンが朝露で濡れたトラックの各部を点検する傍らで対戦車ライフルや軽機関銃などの火器をチェックし、再びトラックに搭載するウールトン。一方ブッシュは荷下ろしした物資に被せてある防水布を剥ぎ、今日必要となるであろう物資を選定していた。
その作業が終わると今度は全員で物資の積載作業に取り掛かる。

「赤チョークの印が今日積む物資だ、作業は慎重にな」
「了解しました。ブラウン、俺はこっちをやる。お前は荷台だ」
「わかりました」

燃料に弾薬、補修用部品と工具、食料と水、朝露で濡れた木箱が荷台に載せられ念入りに固定される。砂漠地帯、特に砂丘という極めて足場の不安定な地形を走行する際に必要な措置、訓練と実戦が彼らの体に叩き込んだ習慣だ。
続いて残りの物資の箱がしっかりと釘付けされているかを確認し、場合によっては釘付けし直す。そしてそれらを種類ごとに幾つかの山にまとめた後それぞれを防水布でしっかりと覆い、作業を終える。
こうして出発の準備が終わると今度は料理と食事の時間、ブラウンが中心になって朝食を作り、それを夕食の時と同様三人でストーブを囲んで食べる。
だが会話はほとんどせずに黙々と料理を口に運ぶ三人。皿に盛られた料理とマグカップの中身がハイペースで消えてゆく。
当然だろう、長い夜を過ごした疲れに加えてあのようなことがあったのだ、無理もない。ウールトンは心中でそう独りごちた。
もっとも、会話が盛り上がらなかった理由はそれだけではない。

ブラウンの手による朝食、その内容はLRDGのみならず英軍兵士、いや英国人の朝食としては一般的なポリッジ(オートミールを水、もしくは牛乳で煮た粥)、スライスベーコン、そして熱いミルクティーだ。
だがその味はお世辞にも美味とはいえない。出来たてのポリッジは熱くはあるがベタベタした口当たりで、水で煮たせいで味に至ってはあって無いようなもの。栄養があるとは言えこれでは食欲が湧くはずもない。
さらに付け合せの缶詰のスライスベーコンは火を通してないため冷たく、唯一の救いであるはずの熱いミルクティーも貴重な砂糖を節約したせいで甘さが足りなかった。
そんな料理を腹に収めた後は諸々の後始末。使った食器が洗われ、テントが撤去される。地面に掘られた穴にストーブの中身が投げ込まれ、綺麗に埋め直された。野営に使用した様々な道具が木箱に詰め込まれ、その木箱がトラックに積み込まれる。最後に個人の装備と武器がトラックの定位置に収められ、念入りに固定された。
きれいに片付いた野営地を眺める三人、ブッシュが口を開く。

「それでは出発するか」

その一言を切っ掛けに歩き出す三人。トラックに乗り込むとそれぞれの定位置に腰を落ち着ける。

「荷物、荒らされやしませんかね」
「大丈夫、昨夜は何も現れなかったし、それにこの土地は見通しがいい。何者かがここに近づいてきたらすぐに分かるさ」

運転席から防水布が被せられた物資の山を見るブラウンにブッシュが応える。それを荷台から眺めるウールトン。
その時、一陣の風が吹いた。
巨木の枝がざわめき、物資に被せられた防水布がバタつく。吹き付ける風と土埃から身を守るため、三人は被ったシュマグを抑えつつ顔を伏せた。
程なくして収まる風。そして声が響く、柔らかな女性の声。

88HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:08:42 ID:hWFIE.hw0


「―――――――――――」
お待ち下さい、迷い人たちよ


奇妙な感触、鼓膜と脳に異なる言語で呼びかけられる、とでも言うべきだろうか。
不可思議な現象に戸惑い、一瞬硬直する三人。その硬直から最初に脱したのはウールトンだった。
素早く周囲を見回し、声の主を見つけると行動を起こす。

「動くな! 手を上げろ!」

鋭い声、続いて金属音。対戦車ライフルの薬室に弾丸が送り込まれたのだ。
ほぼ同時に振り向き、荷台の彼を見上げるブッシュとブラウン。背中を向け、対戦車ライフルを後方に向けているためその表情は見て取れない。

「エンジン回せ、出すのはまだだ!」

そう叫ぶと助手席を飛び出し、助手席の傍らにある銃架から取ったトンプソンを構えつつ走り出すブッシュ。直後にエンジンに火が入り、トラックの巨体が震えだす。
初弾を薬室に装填しつつ車体に沿って走る彼の視界にウールトンが銃口を向けている相手が入る。

「何者だ、――――、!」

前もって用意していた投降してきた敵兵や不審人物に対する誰何は途中で立ち消え、変わって出たのは驚愕の喘ぎ。
彼の目の前にいたのは見慣れぬ身なりの若い女性だった。

トラック後方、テールゲートからおよそ10ヤード(約9.1メートル)離れた場所に立つ彼女。その背丈はおよそ5フィート程、頭には何もかぶっておらず、長く伸ばした黒髪を首の後ろで束ねている。肌の色は濃い目だが顔立ちはヨーロッパ系のそれであり、緩やかにカーブした細い眉の下からは緑色の瞳がこちらを見つめていた。顔立ちから見るに、年齢は二十代の半ばというところか。
肉の付いてない、ほっそりとした体。その華奢な体に草色をした丈の短い袖なしワンピースのような衣類をゆったりと羽織り、腰のあたりを濃紺色の帯で締めている。その下には暗い茶色の布地で作られた長袖とズボンを身に着け、素足にチャプリーズ――中東ではよく見かける革製サンダルでLRDGでも使用されている――に似たサンダルを履いていた。

彼女が両手を上げたまま再び口を開く。同時に脳内に響く言葉。
耳から入ってくる聞きなれない言葉をあえて無視し、脳内に響く言葉に集中する。

「私の名は、ファウナ。この『妖精の国』を治めるものです」

己の名と地位を名乗る彼女、数呼吸おいて再び口を開く。

「私はあなた方がこの地にやってきてから、今まで様子を見ていました」

さらりと重大なことを明らかにする、その驚きがおさまる前に次の言葉が来る。

「古くからこの国にはあなた方のような人々が度々迷い込んできました。そんな方々をこの地では『迷い人』と呼びます」

さらに重大な情報、自分たちのような連中が他にもいたのだ。

「私たちはそのような人々が現れるたび、彼らを元いた所へと帰してきました」

最も重大な情報、彼女は自分たちを元いた所に帰すことができる。

「四日後、時が満ちます。その時あなた方が最初に降り立った場所へ行きましょう。私がそこで儀式を行えば、あなた方は元いた場所へと帰れます」

89HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:12:03 ID:hWFIE.hw0
彼女の存在、そして彼女が次から次へと明らかにした情報、それは三人を心底から驚愕させていた。
だが彼女の言葉を聞いた一行の反応はそれぞれ違う。
彼女の言葉に驚愕しつつ、それを顔や態度に出すまいと必死になるブッシュ。その努力の甲斐あって表情こそ平静を保てたがトンプソンを握る両手は力を入れ過ぎたあまり強張り、血の気が失せて白くなっている。
彼女は自分を指導者であると言った、だが果たしてそれは本当か。偽りならば何故偽るのか、目的は何だ。
真実ならば我々の前に何故単独で姿を現したのか。我々を信用している、という意思表示なのか。それとも油断を誘うつもりか。
元いた場所に帰すと言っているが、それは果たして真実か。そもそも本当に帰れるのか。
そして何より彼女はどこから現れたのだ、まさか一晩中あの巨木の上にいたとでもいうのか。
いや、昨夜ウールトンが何かがいると言っていたな。これは当たっているかもしれない。

荷台のウールトンもブッシュ同様驚いていた。だが彼の思考はブッシュとは少々ベクトルが違う。
対戦車ライフルの銃床に肩を預け、照星越しに彼女を注視しつつ思考を巡らす。
何かがいるとは思っていたが、それがこのような人物とは正直予想外だな。おまけにこの国の支配者とは、嘘か本当かは分からんが大きく出たものだ。
だがあの場所からここまでの道中も監視されていたことに気づかなかったとはしくじった。
しかしどうやって監視していたんだ、部下にでも見張らせていたとでも言うのか。ならそいつらは何処にいて、どうやってこちらを監視していたのだ。
四日後に帰れるというが、なぜ四日後なんだ。今じゃ駄目なのか、その理由は何だ。

そして運転席のブラウン、彼は三人の中で唯一彼女の姿を見ておらず、また彼女からも見られていない。
目の前でアイドリングするエンジンがたてる騒音の中、彼女の言葉が意味するものを落ち着いて考える。
妖精の国を治める女性、つまりは妖精の女王ということか。だがそう自称してるだけで正体は違うのかも。
自分たちを監視していたことを明らかにしたのはこちらの行動はすべてお見通しだという脅しか、それともハッタリなのか。
俺たちみたいな連中に何度も会ってるとか言ってるが、いきなり姿を現すとは少々考えが足りないのか、それとも俺たちなどどうにでも出来るという自信の表れか。
四日後には元いた所に帰すと言ってるが、これはそれまで大人しくしていろということか。それとも何かをするための時間稼ぎか。

誰も言葉を発さず、緊張の中時間だけが流れてゆく。
その場を支配するのはトラックのエンジンが出すアイドリング音のみ。その騒音をついてブッシュの言葉が響く。

「ブラウン、エンジンを止めろ。…………で、それを信じろと言うのか?」

エンジン音が消え、その場に静寂が戻った。再び彼女が口を開く。

「これまで話したことに嘘偽りはありません。この地を統べるものの名において約束します」

平静を保ちつつそう答える彼女、だが返ってきたのは疑いの視線と不明瞭な唸り声だけ。
当然だろう、いきなり姿を現して次から次へと突拍子もない事を言うような人物の言葉を信じることなどまず不可能。もし信じる奴がいたら、そいつはとんでもなくおめでたい奴だ。それが彼女の一連の発言を聞いた三人の偽らざる思いだった。

90HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:15:08 ID:hWFIE.hw0
「信じてもらいたいのならこのような形で現れるべきではありませんでしたし、話す内容も慎重に吟味すべきでしたな」

そう言ったのはウールトン。彼が構える対戦車ライフルの長大な銃身は彼女に向けられており、引き金には未だに指が掛かっていた。
その後方にひょっこりと頭が現れる、ブラウンだ。

「迷い込んできた相手の行動を覗き見してから不意打ちするだなんて、身分の高い女性がやることじゃないですね。そう思いませんか?」

皮肉げな口調でそう言いつつ運転席から荷台へとよじ登るブラウン、その手には彼のエンフィールド小銃。定位置である運転席側の銃架に収まってたものだ。
苦もなく荷台に登るとウールトンのそばに立ち、肩にかけていたエンフィールドを構えると落ち着いた視線で周囲を一瞥する。

「何か見えたか」「いいえ」
「しっかり見張れよ、ここは奴らの土地だからな」

荷台上でなされる小声でのやり取り、彼女が囮でないかと疑っているのだ。
囮を用いて注意を引きつけ、敵がそれに気を取られて周囲への警戒をおろそかにした所で別方向から襲いかかる。それは彼らが北アフリカの戦場で幾度となく行ってきたことだった。
目前の彼女(と、おそらくいるであろう仲間)はそれを実行しようとしているのか。それともこれは自分たちの疑心が産んだ幻想なのか。
心中に渦巻く疑念と逡巡を覗かせまいと沈黙と無表情を保ち続ける三人。ファウナが再び口を開く。

「そのことについては謝罪いたします。ただこれまで現れた迷い人の中にはこちらに危害を加えようとした者もいました」

話し続けるファウナ、彼女の整った顔には不躾な言葉に対する怒りの色はない。

「私がここにこうして姿を現したのは、あなた方が信ずるに足る人たちであると考えたからです」
「ふむ……」

彼女の挙動を監視しつつ思考を巡らせるブッシュ。手に持ったトンプソンの銃口は未だ彼女に向けられている。
得体の知れない相手に直接接触する前に情報収集を行い、その情報を検討することで方針を決定する。それ自体は至極真っ当な行為だ。
だが初対面でそれを言うとは思慮が浅いのだろうか、それともこういったことに慣れていないのか。そもそも彼女の部下は何故彼女を止めなかったのか。
ひょっとして彼女には信頼できる部下がいないのか、それとも能力は無いのにやる気と権力はあるという困った人物なのか。
考えれば考えるほど余計にわからなくなる。

ええい、クソッ

大きく息を吐き、トンプソンの銃口を下げる。
その行動に反応してこちらを見た彼女に背を向けて歩きだすブッシュ。早足で歩きながら助手席に飛び乗り、そこから一気に荷台へよじ登ると二人のそばに立った。
相変わらず対戦車ライフルを構えているウールトン。使い込まれたシュマグを被った彼の頭に顔を寄せ、耳元で囁く。

「白状するが、この事態は私一人の知恵だけではどうにも出来そうにもないよ、伍長」
「私もそうですよ、軍曹殿」
「…………」

ため息とともに吐き出された言葉とそれに対する返答、そして無言で行われた首肯。誰もがこの異常事態を扱いかねていた。
だが目の前の部下の存在がブッシュに己が指揮官であるということを改めて自覚させる。
未知の土地で生き残り、何とか元いた所に帰還すべく行動していた自分たちにいきなりもたらされた貴重な、しかし突拍子もない情報。
だがここには自分が頼れる存在は何もない。自分たちだけでこの情報を分析し、今後の行動方針を立てねばならないのだ。
今は特殊部隊の一員ではあるが数年前までは一介の民間人だった自分たちにとって、これはかなりの重荷である。さらに付け加えるなら軍隊ではこういったことは基本的に将校の仕事であり、下士官と兵卒だけで行うものではない。
だがやるしかない。ここには自分たちしかいないのだから。

91HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:18:42 ID:hWFIE.hw0
「まず聞きたい。彼女は信用できる人物か?」
「違いますね」「私も同感です」

小声で二人に問いかけるブッシュ。まずウールトンが、続いてブラウンが発言する。
その返答にわかっている、と言って頷き、再び口を開く。

「だが彼女は貴重な情報源でもある。そうだな?」

二人が小さく頷くのを見届けると身を乗り出し、顔を寄せる。

「だから出発をひとまず延期して彼女を尋問してみようと思う。勿論騙されないように皆で思い付く限りの手を打つ。正直この手のことは得意じゃないが、こうなった以上やるしかない。今ここにいるのは自分たちだけ、そうだろう?」

言葉を切って息を吐き、視線を転じるブッシュ。その先にはファウナの姿。細い両腕を軽く広げ、両手を肩の高さほどに上げている。
ただしその目はしっかりとこちらを見据え、自分たちの様子をうかがっているように見えた。

「…………確かに、そうですね。やるしかない」

深い溜め息、続いて同意の言葉。ブラウンだ、続いてウールトン。

「今こそ我らの知恵を合わせる時、というわけですか」

こちらは緊張をほぐそうとしたのだろうかあえて軽い口調で話す、だが視線は彼女から外さない。
その言葉に反応するブラウン、昨日自分が上官相手に言った言葉を思い出したのだ。

「つい昨日のことなんですよね。あれから一週間も経ったような気分だ」
「色々なことがあったからな、そしてこれからもまだまだ起こるぞ。――――ウールトン、銃を下げろ」

その声に構えを解き、対戦車ライフルの銃口を下げるウールトン。それを見て両腕を下ろすファウナ。
緊張を解いた彼女に再び話しかける。

「詳しく聞かせてもらいたい。先程話したことについて、そしてあなた自身やこの土地のこと、その他諸々のことについても」

そこで一旦言葉を切り、息をついたあと再び口を開く。

「もしよろしければ、あなたの部下からも話を聞かせてもらいたいのだが?」

放たれたその言葉に彼女の表情が変わる。無表情という名の水面が波立ち、その下にあったものが一瞬だけ姿を見せた。
驚き、混乱、そして狼狽、不意を突かれた人間が浮かべるもの。だがそれはすぐさま覆い隠される。

「わかりました。私が知ることなら幾らでも。ですが部下についてはこちらの事情もありますのでまたの機会に」

早口の返答、その声には幾ばくかの動揺の色がある。やはり何かを隠しているのか。ただ彼女が尋問に対する訓練を積んでいないことだけは確かなようだ。いや、実はこれは演技なのかも知れない。
そんな考えを巡らせるブッシュの腕に触れるものがある。ウールトンの節くれだった手だ。

「決まった以上は早く始めたほうがいいですよ。そうしないと相手に立ち直る時間を与えてしまいますからね」
「……そうだな、ありがとう」

年上の部下の貴重な助言に礼を言うと、改めて指示を出す。

「まず最初に私が尋問してみる、その間伍長は彼女の様子を観察してくれ。ブラウンは周囲の警戒だ」
「わかりました」「了解しました、っとそうだ、こいつをどうぞ」

動き出す三人。まずブッシュが荷台から降り、それにウールトンが続く。ブラウンはウールトンのエンフィールドと装備を彼に手渡したあと、車上で自身のエンフィールドを手に周囲を警戒する。
巨木の下で尋問が始まった。

「長くなりますからどうぞ楽にしてください。さて、ではまずあなたについて聞かせて欲しい。先程あなたは――――」

勧めに応じて巨木の根方に腰を下ろし、幹に背を預けるファウナ。それを見たブッシュは彼女の目の前にしゃがみ込み、視線を合わせる。一方ウールトンは二人から少し離れて立ち、彼女を監視していた。
質問に答えが返され、その答えに対してまた質問が行われる。その光景は武器を手にしたむくつけき男たちが一人の若い女を質問責めにするという何も知らぬ者から見れば犯罪じみた行為にしか見えないものだが、当人たちはこの上もなく真剣だった。
信頼性には不安があるが貴重な情報源である相手からなんとか正確な情報を引き出そうとするブッシュたち。一方尋問される側であるファウナもまた、彼女なりの思惑に基づいて行動していた。

『彼らはこのようなことに長けているようですね。ですがこの国の現実は何としても秘さねばなりません。この国が危機にあることを知られたら、昔聞かされたようなことがまた起こるのかもしれないのですから』

お互いの思惑を胸に秘め、言葉を交わす男女。
その光景を物言わぬ巨木が見下ろしていた。

92HF/DF ◆e1YVADEXuk:2016/11/27(日) 21:20:56 ID:hWFIE.hw0
投下終了
次回投下は来年一月上旬の予定です

…やっと彼女を出せた

93名無し三等陸士@F世界:2016/11/29(火) 17:30:21 ID:6BJWsHgE0
乙でした
話が動いてきましたね

94HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/08(日) 21:45:16 ID:hWFIE.hw0
予定通り明日午後9時より投下を開始します

相変わらず書いては消し書いては消しの繰り返し、創作って本当に大変なんだなあ…

95HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:02:16 ID:hWFIE.hw0
それでは投下開始します

96HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:04:26 ID:hWFIE.hw0
8、リップ・ヴァン・ウィンクル

南の空にある太陽が高度を少しずつ下げ、短くなっていた影が時間の経過とともに伸びてゆく。だが陽光は相変わらず強く、大地とその上に存在するあらゆるものを熱し続けていた。
その熱せられた大地のそこここにある丘の一つ、不毛の大地にぽつんと立つ緑の巨木からざっと20マイル(32.1キロメートル)ほど北に離れた所にあるそれの麓に一行のトラックはあった。
そしてその側で動き回る人影。部下二人を偵察に出し、自身はトラックの番をしつつ昼食の準備をしているブッシュだ。
もっとも、準備といっても大掛かりなものではない。箱にしまい込まれていた皿やマグカップなどの食器を取り出し、それに箱や缶から取り出した食料を盛り付けるだけの簡単なものだ。
四角いビスケットとピンク色のコンビーフの塊をブリキの皿に盛り付け、それが終わると重い飲料水の缶からマグカップに水をなみなみと注ぐ。どれも北アフリカの砂漠でもう何度となく行ってきた作業だ。
ただしその最中も武器を体から離すことはなく、時折作業の手を止めて周囲を見回すことも忘れない。頼りになる部下二人が帰ってくるまでこのトラックと物資、そして己の背中を自らの手で守らなければならないのだから。
そのせいで普段ならすぐ終わるはずの食事の準備に手間と時間がかかってしまったのだが、今のブッシュはそれを不満に思うことはない。
少なからぬ時間をかけてファウナを尋問し、この土地、彼女の言うところの『妖精の国』についての情報をいささかなりとも得られたとはいえ、自分たちにとってこの土地はまだ未知の世界なのだから。

昼食の準備を終えるとトラックの助手席に立ち、ぐるりと周囲を見回す。
その視界に動くもの。白茶けた丘の斜面をを降りてくる二つの人影。その姿は着用しているカーキ色の野戦服のせいで意外と目立たない。ブッシュが大きく手を振るとその片割れが手を振り返す、おそらくウールトンだろう。
両手を口に当て、メガホンを作って叫ぶ。

「飯が出来てるぞ、今日は水も飲み放題だ!」

その声に足を止め、一瞬顔を見合わせると再び歩きだす二人。流石に子供のように駆け出すことはしない。
坂を駆け下るという行為は見た目以上に危険であり、その上足元は固くごつごつとした石塊が散らばる荒れ地。砂丘のように一歩踏み出すごとに足を取られるようなことはないが、鼻歌を歌いながら歩けるような場所ではない。
ゆっくりと、だがしっかりとした足取りで近づく二人。そんな彼らから視線を転じ、再び周囲を見回すブッシュ。生命の痕跡などどこにも見えない不毛の大地。その地平線にぽつんと存在するのはあの巨木だ。
その巨木を眺めつつ、ファウナに出会ってからこれまでのことを思い起こす。

97HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:06:54 ID:hWFIE.hw0
情報収集のため巨木の下の野営地を出発しようとしていた一行の前に突如現れたファウナ。この地を統治する存在であると名乗った彼女に対して行われた尋問、それは一行に様々な情報をもたらした。
だが、尋問そのものがスムーズに行われたわけではない。
慣れないながらも自分たちの持っている知識を総動員し、貴重な情報源であるファウナの機嫌を損ねないように尋問を進めるブッシュとウールトン。だが彼女は思いの外面倒な相手だった。
無難な質問には素直に答えるのだが突っ込んだ質問には「あなた方には理解できない、難解なものです」などと言い放ち、場合によってはきっぱりと回答を拒絶する。もちろんその程度で尋問の手を緩める二人ではなかったが彼女の頑固さはかなりのもので、一旦回答を拒否した話題に関してはいくら食い下がっても頑として答えなかった。
これが手練れの情報将校なら言葉巧みに彼女を誘導し、持っている情報を最後の一欠片まで吐き出させるのだろう。だが特殊部隊の所属とはいえ、職業軍人でもなく尋問官としての訓練も受けていない二人にはそのような芸当は不可能だった。

さらに彼女は自分たちが尋問をひとまず打ち切り、当初の計画通り周囲を偵察するために出発しようとすると顔をしかめて「辺境とはいえここは我が領地、そこを武器を携えてうろつくのはやめてもらいたいのです」とまで言った。
もっともこれについては自分たちが彼女の立場でもやはり同じことを言っただろう。同盟国ではない他国の軍人が武装して自国の国内をうろつくことに嫌悪感や警戒心を覚えるのは、人として至極当然のことなのだから。
そんな彼女の反対を押し切って出発し、ざっと一時間半の時間を費やしてたどり着いたこの丘の麓。あちこちにある窪地を避けつつ移動したため、到着するまでに予想以上に時間がかかってしまったこの場所でブッシュは今、50分近くに渡って孤独な時間を過ごしていた。
到着後偵察の準備におおよそ10分を費やし、偵察に出た二人を見送ってから過ぎた時間は30分と少々。
そして今、偵察を終えた二人が丘の斜面を下り終えようとしている。

「メニューは何ですかぁ?」

知らず知らずのうちに物思いにふけっていたブッシュ、そんな彼をブラウンの大声が現実に引き戻す。
頭を振って思考を切り替え、次いで応える。

「見てのお楽しみだ!」

その声に一瞬足を止める二人、ややあって微かに聞こえてくる笑い声。応えたブッシュも笑みを浮かべつつ助手席から降りる。
遅い昼食の時間が始まろうとしていた。

98HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:09:14 ID:hWFIE.hw0
「で、そのお楽しみがこの『ウエハース』というわけですか。……つっ、相変わらず固いや」

少々おどけた口調にため息を交えつつブリキの皿からビスケットをつまみ上げ、一口かじってその固さに顔をしかめるブラウン。
ちなみにこの物体、一応ビスケットと呼ばれてはいるが子供がおやつに食べるようなものではない。海軍の連中が『ハードタック』と呼び、他にも『アンザック・ウエハース』、『シート・アイアン』などの名で呼ばれるこれは保存が利くように非常に固く焼かれた、いわゆる堅パンなのだ。
味については到底期待できず、歯ごたえに至っては最悪を通り越して危険なこの物体。だが今自分たちの手元にある食料の中で最も多い主食である以上、食べない訳にはいかない。

恐ろしく固いビスケットをかじるのを止め、マグカップに突っ込むブラウン。ビスケットに水を吸わせ、柔らかくしてから食べるつもりなのだ。その隣りに座るウールトンの行動は違う。
すべてのビスケットを砕くと皿に盛り、そこに水を少量注いだあとさらにフォークで砕きつつこね回す。粉々になったビスケットが水を吸ってペースト状になるとコンビーフと共に口に運び、咀嚼する。
南米産の牛肉で作られたコンビーフと北米産の小麦で作られた堅パンが一塊になって彼の喉を落ちてゆく。その様子を眺めながらブッシュもまた自らの食事に手を付けた。
砕いたビスケットを口に放り込み、マグカップに口をつける。口中の堅パンが水を吸って柔らかくなると噛み砕き、飲みこむ。
小さな欠片が喉に引っかかるがマグカップの水で押し流し、息をついた。
そんな彼に声をかけるウールトン。その手には『FRAY BENTOS』の文字が描かれたコンビーフの空き缶、ブッシュが中身を盛り付けたあと片付けずにそのまま置いていたものだ。

「昨日の昼は『リビーズ』で、今日は『フライ・ベントス』ですか」
「『ウィルソンズ』と『アーマー』もあるぞ」
「選り取り見取りですな。とはいえどれもコンビーフ……新鮮な肉や野菜が恋しいですよ」

苦笑を浮かべつつ節くれだった指で空き缶を弾くウールトン。空になったブリキ缶が虚ろな音をたてる。
新鮮な食材で作られた温かい料理は最前線で戦う兵士たちに力を与え、士気を取り戻させる。その効能は政治家や将軍たちが行う激励の演説などとは比べ物にならない。だが砂漠地帯、それも敵の戦線後方で戦うLRDGにとって新鮮な食材など望むべくもない。
作戦行動中に隊員たちが口にするものは保存性の良い堅パンや缶詰、瓶詰めの食品、あるいはそれを用いた料理がほとんど。もちろん隊員たちはそういったことを承知してはいるのだが、彼らも人の子、時にはご馳走が食べたくなることもある。

99HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:11:24 ID:hWFIE.hw0
「そいつにありつくためにも早いとここの土地からおさらばしなきゃな。ところでこのメモにある『枯れた巨木』とはどんなものなんだ?」

話題を転じつつポケットから折りたたんだメモを取り出し、広げるブッシュ。偵察から帰ってきた二人がブッシュに手渡したものだ。
ちなみにこの流れは当初の予定とは違う。本来は偵察で得られた情報を検討したあと食事、その後次の目的地へ向かう予定だったのだ。しかしファウナとの出会いや彼女に対する尋問、そして予想以上に移動に時間がかかったことで、食事を取りつつ情報を検討するという変則的な流れとなってしまっている。

「方位はほぼ真北、距離はおよそ10マイル、高さは例の巨木とほぼ同じか。他に気づいた点は?」
「根方には何もなかったですね。草も池も、何もかも。あとは枯れ木を囲むように窪地が幾つかあったくらいですか」
「窪地は池の跡だろうな。ブラウン、お前はどうだ?」
「うーん……それ以外に気づいたことはありませんでした。申し訳ありません」

薄汚れ、折り目がついたメモを囲み、昼食を口にしつつ話し合う三人。皿に盛られた料理(堅パンとコンビーフだけだが)がゆっくりと減り、メモの余白が書き加えられた文字で埋まってゆく。
もっとも偵察で得られた情報が少なかったためかそういった作業は程なく終わり、話題はいつしかファウナのこと、そして彼女が話したことに移っていった。

「あの女王陛下の発言を解釈するならここは地球とは違う惑星ということになるんでしょうか」
「『人間の世界とは異なる世界に存在する』とか言ってたな。その手のことには詳しくないが、おそらくそうだろう。正直今でも実感が湧かないが」
「砂嵐が止んだら別の星にいたなんて信じられませんよ、まったく。ただこうなると帰還には彼女の行う儀式とやらに頼るしかないですな」

ブラウンの問いかけに記憶をたぐりつつ答えるブッシュ、一方ウールトンは自分たちの置かれた状況に触れると最後にため息をつく。
重たくなる空気。この土地からの自力での脱出は不可能であり、頼みの綱は今一つ信用できない人物が行う謎めいた儀式のみ。その事実を改めて突きつけられたのだ。
そんな沈んだ雰囲気の中やおら立ち上がるブラウン。自分が発した言葉が招いてしまったそれを振り払おうとするように周囲をぐるりと見回した後、口を開く。

「何にせよあの女王様の儀式が触れ込み通りなのを祈るしかありませんね。まあこれまで何度も成功しているみたいですから、『リップ・ヴァン・ウィンクル』みたいな目に遭うことは流石にないでしょうけど」
「リップ・ヴァン・ウィンクル?」
「アメリカの昔話の登場人物ですよ」

100HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:13:36 ID:hWFIE.hw0
子供の頃爺さんから聞いた話なんで大まかにしか覚えてませんが、と前置きしてブラウンは語り始める。

アメリカの田舎に住む木こり、リップ・ヴァン・ウィンクル。
彼はある日山で不思議な老人に出会い、その老人に誘われるまま後をついて行く。
行った先では老人の仲間たちが宴会を開いており、勧められた酒をたらふく飲んだ彼は酔いつぶれて寝てしまう。
やがて彼が目を覚ますと老人たちは消えており、さらに山を降りた彼が住んでいた村へ戻ると村の様子も一変していた。
そして村の住人たちと話した彼は、自分が寝ているうちに二十年もの歳月が流れていたということを知るのだった。

不幸にしてそうなったら私ら三人の顔写真がでかでかと新聞に載るのは確実でしょうね、と言って話を締めくくるブラウン。

「彼女が儀式をしくじったらそんな目に遭う可能性もあるわけか。勝手が分からない社会での新生活、知ってることは時代遅れの知識ばかり……もしそうなったらたまらんな」
「新聞に載ったら世界中に私らや家族、友人のこと一切、それに加えて知られたくない細々としたことまでが否応なしに知れ渡るでしょうな。やれやれ」

沈んでいた雰囲気がますます沈み込む。
ため息をつき、暗い表情を浮かべる二人。そんな彼らを前に立ち尽くし、きまり悪そうに頭を掻くブラウン。

「その……すみません。余計なことを言っちまって」

髭だらけの顔に心底申し訳無さそうな表情を浮かべるとがっくりと座り込み、二人に向けて深々と頭を下げる。
そんな彼の肩を叩き、励ましの言葉をかける二人。
やがてウールトンが話題を転ずるべく口を切る。沈滞した空気を振り払おうとしてるのだろうか、その声は大きく口調も不自然に明るい。

「まあ辛気臭い話は脇へどけましょうや。それより気になることがあるんですよ」
「?」

仕草で続きを促すブッシュ。俯いていたブラウンも顔を上げ、視線を送る。

「その『迷い人』でしたか? 彼女の話じゃ私らと似たような連中がこれまで何度も現れて、その度に彼女やそのご先祖様たちがそいつらを送り返してきたとか。でもそんなことがあったなら記録の一つも残ってそうなものですけどね」
「当事者が語らぬままこの世を去ったのかな。それとも隠蔽されたのか……ふむ」
「公の場で『私は妖精の国に行ったことがある』などと言った日には大騒動になるのは確実でしょうね。良くて嘘つき、下手すれば狂人扱いされそうだ」

重たい空気を振り払うかのように会話を続ける一行。
いつしかブリキの皿は空になり、空になったマグカップには再び水が注がれた。だが話が途切れることはない。
話題は二転三転し、今度はファウナ自身についての話題になる。

101HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:15:46 ID:hWFIE.hw0
「しかしまあ、尋問中のあの態度! いくら高貴な身分の方だからといってあの態度はないでしょう」

ファウナの言動を思い出し、髭だらけの顔をしかめるブラウン。彼にとって尋問の際の彼女の言動はいささか癇に障るものであったようだ。
彼のファウナに対する嫌悪感はそれだけに留まらない。

「おまけに軍曹殿の質問にもろくすっぽ答えてくれないときた。そりゃおいそれと話せないことだってあるんでしょうが、それならそれで言い方というものがあるでしょうに。あんな人物に仕えなきゃならないとは、部下が気の毒だ」

一息にそう言い終えると鼻を荒く鳴らし、腕組みをする。
そんな部下を前に彼女を弁護するウールトン。その口調は彼を落ち着かせようというのか、穏やかでかつゆっくりとしたものだ。

「彼女の身分と我々の立場からすればあのような態度も仕方ないだろうさ。あちらは妖精の国の女王、こっちは厄介事に巻き込まれた身だが、向こうさんから見れば招かざる客だ。おまけに武装してるとくれば警戒するだろうし、口調もきつくなるだろうよ」

その声にブラウンの態度が幾分柔らぐ。
そんな部下の顔を見ながら残り少ないマグカップの水を飲み干し、再び口を開くウールトン。

「そんな連中に自分自身や国のことを聞かれるままに話すなんてこと、よほどの馬鹿でなけりゃやらんさ。お前、彼女がそう見えるか?」

問いかけに無言で首が振られ、その反応にウールトンの表情が緩む。
それを見て今度はブッシュが口を開く。

「まあブラウンの言う通り、確かに彼女のあの態度はいただけないな。まあいただけないのはそれだけじゃないが」
「?」
「単独で姿を現したこと、ですね。尋問の際に護衛がいるとは言ってましたが……ブラウン、どうだった?」

彼の言葉に無言で片方の眉を上げるブラウン。一方ウールトンは上官の言わんとする事を素早く察し、部下に問いかける。
だが返ってきたのは否定的な回答だった。

「影も形も見えず、ですよ。よほどうまく隠れているのか、我々の考えるような『護衛』ではないのか。はたまた護衛などはなから存在しないのか」
「最後の可能性は流石にないだろう。幾らなんでも非常識が過ぎる」
「おとぎ話に出てくる妖精のように魔法で姿を隠せるのかもしれませんな。ただそうだとしてもやはり疑問が残りますが」
「……最後まで姿を現さなかったこと、ですね」

102HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:17:58 ID:hWFIE.hw0
自分が漏らした疑問に応えるブラウンの一言に我が意を得たりと頷くウールトン。一拍遅れてブッシュもまた頷く。
護衛というものはその存在を秘匿するような性質のものではない。むしろ存在を誇示することで攻撃側に襲撃を手控えさせ、或いは断念させるものだ。だが彼女の護衛はこれまで一度も姿を現していない。護衛が果たすべき役割の一部を放棄してしまっているのだ。
もちろん何事にも例外はある。例えば潜伏している襲撃者を罠にかけるために敢えて護衛の存在を秘匿するという手法だ。だがこれはあの状況にはどう見ても当てはまらない。

「こっちを安心させるためにそうした可能性もあるが。やはり腑に落ちんな」
「腑に落ちないことはそれだけじゃありませんよ。出発する時の彼女の態度もです」

年上の部下の指摘に記憶を手繰るブッシュ。一行を引き留めようとトラックの前に立ち、眉を寄せつつ否定的な言葉を並べ立てるファウナの顔が脳裏に浮かんだ。

「あの反応はごく当たり前のことだと思うが、そうではないと?」
「彼女が引き連れているはずの護衛に止めさせるなり、護衛の一人を監視役に付けるなり、他にやりようがあったはずです。なのにああして反対しただけ、妙だと思いませんか?」
「ふむ……」
「実は彼女に泳がされてる可能性も……いや、それならああして引き止めたりはしないですね。うーん」

ウールトンの指摘に考え込むブッシュ、その隣でブラウンも唸り声を上げる。
腑に落ちない行動、増えた謎。
確かに彼女との出会いは一行に様々な情報をもたらし、それは彼らが抱いていた疑念や抱えていた問題の幾つかを解決する手助けとなった。だが彼女の言動はそれ以上の問題と謎をもたらしている。
そして何より、自分たちはそんな彼女の助けがなければ元いた所に帰ることすら不可能なのだ。

期せずして三人の口から同時にため息が漏れた。
その奇妙な符合に一息置いて顔を見合わせ、苦笑する一同。重たく淀んでいた空気が少しだけ軽くなる。
そんな中まずウールトンが、続いてブラウンが口を開く。苦笑で幾分ほぐれたとはいえその表情は相変わらず固い。

「参りましたな、辛気臭い話を脇にどけてもまた似たような話が出てくるとは」
「現状は解けた謎は少なく、浮かび上がってきた謎は数知れず、といった具合ですからね」
「まったくだな……ああ、こりゃいかん!」「?」「もうこんな時間でしたか、お喋りが過ぎましたな」

103HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:20:06 ID:hWFIE.hw0
困り顔の部下の顔を交互に見てから視線を落とした先には腕時計。その長針は食事を始めた時とはほぼ正反対の方向を指していた。
慌てて立ち上がるブッシュ、二人も続いて立ち上がる。
放り出されていた空の食器に飲料水の缶から水を注ぎ、手で擦りながら汚れを落とす。その食器が箱にしまわれ、空き缶はゴミ箱代わりの空き箱に放り込まれる。
幾つもの木箱がトラックの荷台に載せられ、再び固定される。ライフルとSMGは定位置である運転台そばの銃架に戻された。
出発の準備を終える三人。身なりを整えてトラックに乗り込むと定位置に腰を落ち着ける。
ブラウンがスターターを回すとエンジンが息を吹き返した。

「あの三つ並んだ丘が見えるか? あれを目指して進む」

ハンドルに手を置き、ブッシュの指差す先を見て頷くブラウン。いつものようにシュマグを被り、その上からゴーグルをしっかりと掛けている。

「それじゃ、しっかり掴まっててくださいよ」

ブラウンがアクセルを踏み込むとエンジンの唸りが大きくなり、クラッチを繋げるとトラックの巨体がゆっくりと動き出す。
乾いた台地の上を揺れながら加速するトラック。その上で吹き付ける風から両目を守るべくブッシュとウールトンはゴーグルを掛けた。

「伍長、次の留守番は君だ。偵察は私とブラウンが行く」
「了解しました。今度は何かしらいい情報が手に入るといいですね」

振り向いて荷台を見上げ、そう告げるブッシュ。その声は吹き付ける風とエンジン音にかき消されないよう、普段より大きめだ。
負けじと声を張り上げ、応えるウールトン。

「いい情報、か。是非ともそう願いたいものだな」

姿勢を戻し、つぶやくブッシュ。その表情は浮かない。その隣でため息をつくブラウンの表情もまた沈んでいた。
不毛な大地の上を揺れながら走るトラック、その車上で周囲を監視する三人の男たち。そんな彼らに晴れわたった空から眩しい日差しが降り注ぐ。しかし彼らの心中は溜め込んでいたものを言葉にして吐き出したにも関わらず、そんな空模様とは正反対に暗く淀んだままだった。
思わぬ形で帰還の目処が付いた、だがそれは信用ならぬ人物に生殺与奪の権を握られてしまったこととある意味同じ。そんな状況で未来に光明を見いだせるはずもない。一行、特に指揮官であるブッシュの心には未だに暗雲が垂れこめていた。
そんな三人を予想外の事態、今現在抱いている悩みや不安を吹き飛ばしてしまうほどの一大事が待ち構えているのだが、予言の力も未来を見る目も持たぬ彼らは、そのようなことなど知る由もなかった。

104HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/01/09(月) 21:22:20 ID:hWFIE.hw0
投下終了
次の投下は来月中旬の予定です

次回はいよいよ戦闘回
上手く書けるかなあ……

105HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/18(土) 21:21:21 ID:hWFIE.hw0
予定通り明日午後9時より投下を開始します

106名無し三等陸士@F世界:2017/02/19(日) 19:05:59 ID:XiyVDv5E0
35:54

10:40
ttps://www.youtube.com/watch?v=WTdY7h129Mk

ttps://www.youtube.com/watch?v=8R0luOy8ce8

107HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:01:09 ID:hWFIE.hw0
それでは投下開始します

108HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:03:38 ID:hWFIE.hw0
9、望まざる出会い

荒れ果てた大地の奥底でそれは再び目覚めた。
不快な刺激によるものではない。それにとっての好物が放つエネルギー――嗅覚や聴覚では捉えられない、特殊な波動――を久方ぶりに捉えたからだ。
ゆっくりと覚醒する意識。狭い巣穴の中で丸めていた体を細かく動かしつつ、今の己の状態を確かめる。体調はお世辞にも良い状態とは呼べない。獣ならば胃にも腸にも何も入っておらず、皮下に蓄えた脂肪すら残り少ないという状態だ。

もっともその原因はそれ自身のこれまでの振る舞いにある。
今よりしばらく前、偶然この地に流れ着いたそれは飢えを満たすべく獲物となる存在を手当たり次第に狩って回り、ごく短期間の間にこの地に住む生き物の大部分を餌として貪り喰らった。その結果この地から命あるものがほとんど消え失せ、僅かな生き残りはそれに見つからないように、息を潜めて隠れ暮らすようになる。
かくして豊かであったこの地はいつしか不毛な土地となり、餌を見つけられなくなったそれは再び飢えに苦しむようになったのだが、原始的な生存本能と限られた知能しか有さないそれがそのことに気づくことは今も、そして将来もないだろう。
唯わかるのは今の己が飢えていること、そして飢えを満たせる『餌』、それも自分にとっての好物を久しぶりに見つけたということだけだ。

丸めていた体を伸ばし、壁の穴――それがこの地に流れ着いてから眠りにつくまでに掘った数あるトンネルの一つ――に体をゆっくりと滑り込ませる。目覚めて間もないためその動きはややぎこちない。
掘られてから少なからぬ時が過ぎたためあちこちが崩れ、埋まっているトンネルの中を、目覚めたときに感じたエネルギーを頼りにひたすら前進、やがてトンネルが行き止まりとなると今度は己の力で地下を掘り進む。
乾いた土をかなりの速さで掘り進むそれ。やがて好物の存在を感知した感覚が新たな餌の存在を嗅ぎつける。かつてこの世界のあちこちに存在していた巨大な植物、この世界に満ちるエネルギーを集め、その体に蓄えるという力を持った存在だ。
これも餌の一つであるのだが、好物と言う程のものではない。付け加えるなら見つけたそれは過去に喰らった同種のものとは比べ物にならぬほど貧相で、仮に喰らったとしても腹の足しになるかどうかも怪しいものだった。
ただそれは経験から知っていた。
己の好物はその植物の周りによくいるということ、たとえ見当たらなくても植物を喰らおうとするとたいてい現れること。そして何より、連中がどれほどいようが抵抗しようが、自分には傷一つ負わせられないということを。

109HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:05:21 ID:hWFIE.hw0
荒れた大地の上をガタガタと揺れながらトラックが走る。
丸みを帯びたボンネットの中のエンジンは力強く回転し、酷使されたサスペンションやタイヤといった足回りにも、修理痕だらけのシャーシやボディーにも今のところ異常は見られない。その頭上に輝く太陽は居場所を南から西の空へと移していたがまだ赤みを帯びておらず、日中の暑さもまだ健在だった。
だがトラック上の三人にとって暑さは関係ない。
現在ダッシュボード上の速度計の針は時速25マイル(約40キロ)のあたり、吹き付ける向かい風が三人の被っているシュマグをなびかせ、カーキ色の上着の襟をばたつかせている。この風のお陰で二度の偵察で汗ばんでいた体も服も今はすっかり乾ききっており、新たににじみ出る汗も瞬く間に蒸発し、体から熱を奪っていく。

強い風に吹かれつつトラック上の定位置に腰を据え、間断なく周囲に視線を向ける三人。だがその表情は暗く、会話も少ない。今日の偵察ではかばかしい成果が得られなかったためだ。
昼食前の偵察行で見つけたものは枯れた巨木とオアシスの跡だけ、そして午後の偵察行で見つけたものは皆無。貴重な時間とガソリンを消費しつつ走り回り、決して楽な仕事ではない二度の丘登りで得られたものがこの程度では気分が落ち込むのも無理のないことであろう。
そんな男たちを乗せてトラックはひたすら走り続ける。目指すはオアシスの野営地、この地で初めての夜を過ごした場所であり今日の偵察行の出発点、そして今朝、ファウナと初めて出会った場所だ。
その位置を示す巨木が彼らの視界の中で一層大きくなる。目的地が近づいた証だ。

「このペースなら到着まであと10分というところかな」
「おそらくは。彼女、まだいますかね」
「さあな、まあ着けばわかるさ」

運転席と助手席の間で交わされた他愛もない会話もすぐに途切れ、一行の間に再び重い沈黙が降りた。ただエンジンだけが相変わらず唸りを上げ、トラックを推し進めている。
走り過ぎた後に轍と土煙、そして排気ガスの臭いを残し、目印である巨木目指してひたすら走り続けるトラック。たまに障害物を避けるために蛇行するが、その進路は基本的に一直線だ。その障害物が再び姿を現す。
ほぼすり鉢状の窪地、直径は全長およそ17フィート(約5.2メートル)少々のこのトラックが楽々と収まるほど大きく、深さは中央でざっと10フィート(約3メートル)かそれ以上。縁から底までの傾斜は中央に近くなるほど急になっている。
その大きさゆえに直ぐに目につくため、嵌まり込む事はまずないであろう。だが万が一そうなった場合は脱出に相当な時間とかなりの苦労を強いられることはほぼ確実、そんな存在だった。
ブッシュが重い口を開き、この日何度も口にした言葉を発した。隣りに座るブラウンもまた何度も口にした言葉で応じる。

110HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:07:10 ID:hWFIE.hw0

「注意しろ」「わかってます」

ブッシュの指示に応えハンドルを切るブラウン。速度をなるべく落とさないように心がけてはいるが、それでも吹き付ける風がやや弱まった。
サスペンションを軋ませつつ窪地を迂回、進路を戻すとアクセルを踏み込み再び加速する。
固い背もたれの感触を背中で感じつつ正面に視線を戻すブッシュ。防塵ゴーグルの傷だらけのガラスの向こうに見えるオアシスは今や視界の大半を占め、外縁に生い茂る灌木の形も大まかではあるが見て取れる。その緑の中にちらりと白いものが動いた。やがてそれは見たことのある女性の姿を形どる。ファウナだ、他に人影はない。

「相変わらず一人きりのようですね」

背後からの声、振り向くとウールトンが荷台からこちらを見ていた。両目を隠す防塵ゴーグルと伸び放題の髭のせいでその表情はよくわからない。そのようだな、と一言答え、再び前を向くとオアシスの外縁一帯に目を凝らす。誰も、何も見当たらない。鼻を一つ鳴らすと硬い背もたれに再び背を預ける。
オアシスの手前、何もない荒れ果てた大地に異変が生じたのはその時だった。
乾いた大地が急速に落ち窪み、大きな窪地ができる。それは彼らがここまでの道中で何度も目にしていたそれと似通っていた。その窪地の中央から吹き上がる土埃。窪地そのものを覆い隠すほど舞い上がったそれがゆっくりとおさまった時、そこにあったのは一行の誰もがこれまで見たことのない、異様なものだった。

「何だありゃ……」「……太った、芋虫だな」「でかいぞ……こいつよりでかい」

窪地の中央に空いた穴から這い出しつつあるその姿形はブッシュの言葉通り、野山や畑で草や野菜の葉を食い荒らす芋虫と似通っている。ただ体色は葉に紛れるような緑でもなければ赤や黄色、橙色といった毒々しい警戒色でもなく、大地とほぼ同じ白っぽい茶色。そしてその大きさはウールトンのつぶやき通り、遠目に見てもかなりのものだった。おそらく一行の乗るトラックとほぼ同じ、もしくはそれ以上の大きさだろうか。
その巨体が動き出す。太長い体の前端、芋虫ならば頭がある部分をぐるりと回し、オアシスの方を向く。続いてその体をミミズのように波打たせ、乾いた大地の上をゆっくりと進み始めた。

111HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:08:59 ID:hWFIE.hw0

「化け物め……」

魅入られたように怪物を見つめるブッシュの耳に届いた罵り声。それは妙にはっきりと聞こえたが、エンジンの出す騒音のせいで誰がその言葉を発したかまではわからない
吐き捨てたのは荷台のウールトンか、それとも隣りに座るブラウンか。
怪物はそんな彼らをことさら無視するかのようにゆっくりと進み続ける、その巨大な後ろ姿を魅入られたように見つめる一行。それは訓練を積み実戦をくぐった特殊部隊の兵士にあるまじき振る舞いだった。
だがこのことで彼らを責めるのはいささか酷と言うものだろう。見たことも聞いたこともない異様な存在が突如地中から現れるという、あまりにも異常な場面を目の当たりにしても平静を保ち、冷静な思考に基づいた判断を下せる者などそうは居ないのだから。

そんな状況でも彼らを乗せたトラックだけは荒れた大地の上を進み続ける。彼女は感情を持たず思考もしない機械であるがゆえにこの場の混乱とは無縁だった。その前輪がやや大きめの石を踏み、トラックが跳ねる。
その揺れがブッシュを正気に戻らせた。とっさに左を向きブラウンの横顔を見る。青い両目は防塵ゴーグルに隠れて見えないが伸ばし放題の髭の中に見える口は半開き、明らかに呆然としていた。
その弛緩した横顔目掛けて叩きつけるように命じる。

「ブラウン、停車だ! しっかりしろ!」
「りょ、了解!」

上ずった声での返答、踏み込まれるブレーキ。
4つのタイヤが土煙を上げ、トラックがつんのめるようにして停まる。一方怪物は窪地の縁を完全に乗り越え、オアシス目指してその巨体を進めていた。その速度は一行がかつて見た歩兵戦車――敵であるドイツやイタリアの戦車より重装甲だが極めて鈍足――よりもさらに遅い。そして進路上にはファウナの姿、怪物の巨体を目の当たりにしても怯んだ様子はなく、オアシスを背にすっくと立っている。
巨大な怪物を前にしても逃げ出さない彼女。勇敢なのか無謀なのか、それとも驚愕のあまり体が強張って動けないのか。車上の一行には判断が付きかねた。
現在両者の距離は目測でおよそ60ヤード(約54.8メートル)というところ。一方怪物とトラックとの距離はざっと200ヤード(約182.8メートル)ほど、さらに距離はゆっくりと開きつつある。
じりじりとファウナに迫る怪物。その時彼女の両腕が振り上げられ、一呼吸おいて振り下ろされた。

112HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:10:47 ID:hWFIE.hw0

「!」

反射的に目を閉じる一行、彼女の両手の間で生まれた小さな白い光が怪物めがけて飛び、体表で閃光となったのだ。だが怪物に怯んだ様子はなく、その歩みが止まることもない。
再び腕が振られ、その都度カメラのフラッシュを思わせる閃光が瞬く。三度、四度、五度、だが怪物は何の反応も反撃もせず、ただゆっくりと進み続ける。
じりじりと、だが確実に縮まる両者の距離。とうとう彼女は攻撃を止めて身を翻し、背後の灌木と丈の長い草のカーテンの向こうへと逃げ込んだ。その行動にこれまでの一部始終を魅入られたように眺めていた一行が我に返る。
最初に声を発したのはブッシュだった。

「あの化物をやっつけるぞ! 戦闘準備! ブラウン、距離を取りつつあいつの左側へ回れ。俺が命令したら止めろ!」
「了解、出します!」

アクセルが深く踏み込まれ、クラッチが繋がれる。混合気を大量に吸い込んだ直列6気筒エンジンがボンネットの中で吠え、後輪が土煙を上げた。静止していたトラックが揺れながら急発進する。

「伍長、この状況では君の対戦車ライフルが頼りだ、頼むぞ!」
「了解!」

後ろを振り向き、フル回転するエンジンの轟音に負けじと大声で叫ぶブッシュ。同じく大声で応えたウールトンは荷台の床にかがみ込み、荷台にある木箱の一つを開けていた。向き直るとブッシュもまた戦闘準備に取り掛かる。
助手席から放り出されないように両足を踏ん張り、左手で座席の背もたれを掴む。空いた右手を助手席とトンプソンが収納されてる銃架の間の空間に突っ込むと収めておいたものをわしづかみにし、その重さを物ともせずに引きずり出すと座席の上に放り出す。
放り出されたもの、それは一本の布ベルトで繋がれた二つの円盤型のポーチ、本来はルイス軽機関銃の円盤型弾倉を携行するためのものだ。カーキ色の綿布地で作られたそれの片方の蓋を右手だけで器用に開け、二個一組で収められている弾倉をいつでも引っ張り出せるようにする。
続いて助手席の前、フロントピラーの跡に設置された銃架の上で揺れるルイス軽機関銃に取り付き、機関部の上にある円盤型弾倉がしっかりとはめ込まれているかを確認すると折りたたみ式の照門を起こす。装填ハンドルはまだ引かない。
これが停車中なら装填ハンドルを引いて遊底を後退させ、最後に安全装置を掛けて射撃準備を完了させるのだが、この状況でそれはいささか危険すぎる行為だ。
何しろこの銃は20年以上前に生産され、最初の世界大戦で使用されたあとは予備兵器として倉庫で長い間眠っていた骨董品。現役復帰の際にオーバーホールを受け、その後も頻繁に手入れをしているが何かの弾みで暴発事故を起こす可能性は十分有り得るのだ。

113HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:12:30 ID:hWFIE.hw0
一方荷台ではウールトンが木箱の中から緑に塗られたスチールケースを引っ張り出していた。中身は対戦車ライフル用の予備弾倉。留め金を外して蓋を開けると巨大な.55口径徹甲弾を5発納めた箱型弾倉が8個、しまい込んだ時と同様にきれいに整列していた。
それを足元に横たえると今度は銃架に据え付けられたボーイズ対戦車ライフルに取り付く。巨大な機関部の右側に突き出したボルトハンドルを力を込めて起こし、引き、押し戻して倒す。巨大な遊底が前後し機関部上部に突き出た巨大な弾倉から薬室へ初弾が装填された。仕上げに安全装置を掛けて射撃準備を完了する。
あとはトラックの停車を待つのみだ。

戦闘準備を終えた一行を乗せ、トラックは怪物の左側面へと回り込む。その車上でブッシュが叫ぶ、視線はオアシスにジリジリと迫る怪物と進行方向に交互に向けられていた。

「ブラウン、もっと右に寄せろ! 伍長、停車したら先に撃て!」「了解!」

上官の命令に怒鳴るように応えるウールトン。こちらの視線は怪物をしっかりと捉え続けている。一方ブラウンは怪物の方を一顧だにせず、無言で運転に集中していた。

「いいぞ、止めろ!」

ハンドルを右に切ってトラックの向きを変え、直後にフットブレーキを踏み込むブラウン。車体を軋ませ土埃を巻き上げながらトラックは急激に速度を落とし、揺れる車上では三人が銃やハンドルにしがみつき、両足を踏ん張って急減速に伴う衝撃をやり過ごす。
派手に土煙を巻き上げて停止するトラック、その車体は怪物に正対せず、斜に構えて右側面を晒している。荷台に設置された対戦車ライフルの強烈な銃口爆風を運転席と助手席に直撃させず、車体右側に設置された軽機関銃に射界を与えるためだ。、
その軽機関銃と対戦車ライフルが旋回し、銃口が怪物の方を向いた。だがまだ撃たない、急ブレーキの際の車体の揺れのせいで照準がまだ定まってないのだ。
その揺れが収まり、車体が安定すると一行の攻撃が始まった。

第一撃は荷台のウールトン、安全装置を解除した対戦車ライフルを構え、照準越しに狙いを定めながら右肩を肩当てにしっかりと密着させる。銃自体に緩衝装置が組み込まれているとはいえ、対戦車ライフルの発砲時の反動は小銃のそれとは比べ物にならないくらい強烈であり、場合によっては射手の肩の骨を折ることすらあるからだ。
引き金を引く、発砲。銃口から銃弾が飛び出し、銃身先端に取り付けられた制退機のスリットから轟音と爆風が周囲に撒き散らされる。無煙火薬の独特の臭気がまわりに漂った。轟音が鼓膜を、強烈な反動が右肩を痛めつける。
それを無視して次弾を装填し、照準をつけ直す。

114HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:14:26 ID:hWFIE.hw0
一方助手席では中断していた射撃準備を完了させたブッシュが照準越しに怪物を注視していた。怪物の足は止まらず、その巨体のどこにも弾丸が命中した様子はない。
現在の彼我の距離はおよそ110ヤード(約100.5メートル)。射撃の名手であっても初弾から命中させるのは容易なことではないと分かってはいるが、この距離であの巨体相手に外すとは。思わず唇を噛む。

「外れた!照準遠いぞ!」

怪物を見据えながら部下を叱咤するブッシュ、その一方で怪物が何の反応も示さないのは対戦車ライフルの発砲音など気にもかけないほど興奮しているのか、それとも聴覚自体が元々無いからなのだろうか、などと頭の何処かで考える。
再度発砲するウールトン、今度は手前の地面で小さく土煙が上がった。
怪物の足はまだ止まらない。

「近い!」

再び轟音と爆風、今度は怪物の白茶けた巨体のほぼ中央で小さく土埃があがり、ゆっくりと前進していた怪物の足が止まる。
どうやら触覚はあるようだ、だが有効打を与えたようには見えない。

「命中! そのまま撃ち続けろ!」

返答の代わりに轟音と爆風、怪物の体に再び弾丸が命中する。今度は中央からやや前だ。
怪物が前半身をひねり、こちら側に頭と思しき部分を向ける。だがまだ動かない。フラフラと頭部――いや、前端部と呼ぶべきであろうか――を動かしているのはどこから攻撃を受けているのかを見極めようとしているのだろうか。
どうやらモグラのように視覚は退化しているようだ、あるいは視覚を持っていないのか。

5度目の発砲、そして命中弾。今度は後ろの方。怪物がゆっくりと向きを変え始める。どうやらこちらに気づいたようだ。その直後にゴトン、と鈍い音。空っぽになった対戦車ライフルの弾倉が荷台の床に落ちる音だ。
その音を聞き、引き金を絞り込むブッシュ。リズミカルな作動音とともに軽機関銃が銃弾を吐き出し始める。通常弾に混ぜられた曳光弾が光の尾を引いて飛んでゆき、怪物に命中するも跳ね返された。ミミズのような蠕動運動で進んでいるにもかかわらず体表はどうやら戦車や装甲車の装甲板並に硬いようだ。一体どういう体をしているのか、そんな疑問がちらりと浮かぶ。
だが撃ち続ける。たとえ手傷を負わせられずとも、銃弾を浴びせ続けることで相手の注意を最初の目標であるオアシスとファウナからこちらへと向けさせられるはず。そう信じて彼は射撃を続けた。

115HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:16:02 ID:hWFIE.hw0
彼が引き金を絞り込むと銃の内部で遊底が前後し、それと連動して機関部上部に取り付けられた円盤型弾倉が時計回りに回転、装填された.303ブリティッシュ弾を次々と銃内部へ送り込む。その弾倉の下、機関部右側面に空いた排莢口からは真鍮色の空薬莢が、そして銃口からは銃弾が次々と空中へ飛び出していった。
照準に怪物の巨体を収めつつ教本通りに間を空けて短い連射を繰り返すブッシュ。無駄弾を出さず、銃を過熱させないためだ。それでも47発入りの弾倉は瞬く間に空になり、空になった薬室を撃針が打つ。
だが弾倉一本分のライフル弾を浴びてなお、怪物は歩みを止めない。対戦車ライフル用徹甲弾の直撃にも耐えられる相手であれば当然と言えよう。

「やはり駄目か」「撃ちます!」

ブッシュのつぶやきとウールトンの声が重なる、続いて轟音と爆風。弾倉交換を終えたウールトンの射撃だ。だがブッシュがそれに気を取られることはない。
空になった弾倉を外し、新たな弾倉を手早くセットする。

「命中!」

ブラウンの声。ブッシュが弾倉交換作業に集中している間、彼が怪物の動向を監視しているのだ。その声を背中で聞きつつ作業を続行する。
弾倉がしっかりと固定されているかを確認し、装填ハンドルを引いて遊底を後退させる。訓練で何度も繰り返し、そして実戦でも行っただけあってその動きは無駄がない。
再び発砲音、そして命中を知らせるブラウンの声。再び射撃姿勢を取り、銃口を怪物へと向ける。
照準越しに見える怪物の巨体、まっすぐこちらを向き、ジリジリとこちらに近づいてきている。現在の彼我の距離はおよそ85、いや、80ヤード(約73.1メートル)というところか。その凸凹した砂色の巨体には未だに傷のようなものは見て取れない。
自分たちの武器では手傷を負わせられないということなのか。それとも手傷を負わせてはいるが、ここからではわからないということなのか。
また対戦車ライフルが発砲した。命中。

「うむ?」

思わず妙な声を出すブッシュ。再び対戦車ライフルの銃撃を受けた怪物がこれまでとは違った振る舞いをしたせいだ。
それまでの鈍重な、だが何事にも動じない動きとは一転、何かに突き当たったかのように足を止め、弾丸が命中した前端部を何度も振っている。そこに銃弾がまた命中し、怪物の動きが激しくなる。今度は体の前半部をのたうたせ、土埃を派手に巻き上げた。
距離が詰まったことで打撃が与えられるようになったのだ。そしてこいつには痛覚がある。おそらく、殺すことも出来るだろう。

116HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:17:41 ID:hWFIE.hw0

「効いてるぞ、もっと食らわせろ!」

荷台の部下を言葉で督戦するブッシュ。その声にウールトンは発砲で応じた。対戦車用の徹甲弾が暴れる怪物の巨体に叩き込まれ、それに機関銃の長い連射が続く。怪物の暴れ方が一層激しくなった。

「一気に畳み掛けるぞ!」

連続射撃であっという間に空になった弾倉を手にブッシュが叫ぶと同時に対戦車ライフルが発砲する。その時、暴れる怪物は奇妙な行動を取った。
太長い体の後部を持ち上げ、先端を地面に突き立てる。その直後、のたうつ巨体が後ろの方から地中へと潜り込み始めた。その勢いはこれまでの遅々とした歩みとは比べ物にならぬほど早い。こちらを手強いと見て逃げるつもりか。

「逃がすか、くたばれ!」

ウールトンの罵声、12度目の発砲、そして10発目の命中弾、だがそこまでだった。
怪物はついに地下へと逃れ、あとに残ったのは暴れた時に巻き上げられた土埃と深い穴、そして無煙火薬の強い臭いだけ。
その光景を前にブラウンが口を開く。

「逃げられた……」

緊張の解けた顔でポツリと一言、続いて大きく息をつき、両肩を落とすと背もたれに背中を預ける。一方ウールトンは悔しさを隠そうともしない。

「醜いクソッタレの化物芋虫め、ここにあるのがこいつじゃなく37ミリだったなら今頃は……うっ」

口汚く罵ってる途中で反動で痛めつけられた右肩を抑え、顔をしかめる。もっともそんな状態でも対戦車ライフルに安全装置をきちんと掛け、銃身を上に向けるあたり流石は古参隊員と言えよう。ブッシュもまた射撃姿勢を解き、軽機関銃に安全装置をかけた。

「一体あれは何だったんだろうな」
「さあ? ただあれが何であれ、良からぬ物であることは確実でしょうよ」
「それを知ってそうな人がいい具合にあそこにいますよ、ほら」

大きく溜息をつくと地面にポッカリと空いた穴を眺め、独りごちるブッシュ。
その言葉を耳にして口にするのも忌まわしい、といった口調で吐き捨てるウールトン。一方ブラウンはそう言うとオアシス外縁のある一点を指し示す。その口調はどことなく皮肉げだ。
そこにはいつの間にかファウナがいた。苦労しながら丈の長い草をかき分け、灌木を回り込みつつこちらへと歩を進めている。

「では、聞いてみるとするか。ブラウン」

ブラウンが無言でトラックを発進させる。荒れた地面の上をゆっくりと進み、オアシスの外縁まで来ると停車、エンジンを停止させる。
そこにはファウナの姿。相変わらず一人きりで衣服も変わってない。ただ服は裂けてこそいないが、あちこちにちぎれた草の切れ端がいくつも張り付き、薄汚れている。
その姿を前にした一行の脳裏に先程のファウナの行動、そして昼食時にブラウンが発した言葉がよぎった。

117HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:19:23 ID:hWFIE.hw0

 はたまた護衛など、はなから存在しないのか

防塵ゴーグルを額の上に押し上げ、助手席そばの銃架からトンプソンを手に取ると立ち上がるブッシュ。その鋭さを増した視線の先にはファウナの姿。灌木を背に立つ彼女の態度からは今朝見せた頑なさや隔意といった感情は発せられておらず、その表情はどこかしら怯えているようにさえ見える。
当然だろう、車上から彼女を見下ろす三人の男たち、彼らは巨大な怪物を撃退するほどの強者なのだ。彼女はその一部始終を目の当たりにしている。そしてその態度は現状、お世辞にも友好的とは呼べないものだ。
両手でトンプソンを持ち、ボンネット越しにファウナを見下ろす。その表情は厳しい。

「まずはご無事で何よりです、が」

そこで咳払いを一つし、再び口を開く。

「あれは一体何なのですかな? この土地にあのような怪物がいるのにも関わらず、あなたはそのことについて自分から話すことはなかった」

そこで一呼吸置き、彼女の目を注視する。だが彼女は答えない。

「私たちがこの土地について色々と聞いた時も『分かるわけがない』『知る必要がない』の一点張り。それに出発する時もあれこれと言いましたが、結局私たちの好きにさせている」

そこで大きく鼻を鳴らし、口調を切り替える。

「危険なよそ者である我々をあの怪物に始末させる、そういう筋書きだったということですかな。それとも我々が知らない事情があると?」

きつい口調、トンプソンの銃口が彼女にゆっくりと向けられる。カチリという小さな音。
安全装置が解除されたのだ。

「他にも色々と聞きたいことがありますが、まずはこれから答えてもらいましょうか。拒否権は認めませんよ」

がくりと肩を落とし、俯く彼女。かろうじて平静を装っていた表情が崩れる。涙が一筋頬をつたって流れ落ちた。だが一行の表情は動かず、視線が彼女からそれることもない。
しばしの沈黙の後彼女は顔を上げ、口を開く。涙に濡れてはいるが覚悟を決めた眼差しが三人を捉える。
一行の聴覚と脳内に彼女の言葉が響いた。

「……わかりました、すべてをお話しましょう」

118HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/02/19(日) 21:21:02 ID:hWFIE.hw0
投下終了
次回投下は来月下旬の予定です

119名無し三等陸士@F世界:2017/02/24(金) 20:43:29 ID:w4g9B8jo0
投下乙です
彼女はほんとにすべてを話してくれるのかな?

120HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/30(木) 21:26:39 ID:3pTbBygo0
予定通り明日午後9時より投下を行います

121HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:00:33 ID:3pTbBygo0
それでは投下開始します

122HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:03:48 ID:3pTbBygo0
10、語られたもの、語り合うもの

オアシスの目の前で起こった巨大な怪物との戦いからざっと1時間と10分少々、太陽の位置はやや低くなったが照りつける陽光は未だ赤みを帯びていない。
戦闘中は発砲音や怒鳴り声が飛び交っていた一帯も今は静まり返り、耳につく音といえば時々吹く風がオアシスの草をそよがせ、巨木の枝葉を揺らす時に出るざわざわとした音程度。
その巨木の下にはファウナの姿、椅子代わりの木箱に腰掛け、項垂れている。そんな彼女の周囲には銃を携え、硬い、だが疲労の滲んだ表情で彼女を取り囲む三人の姿があった。
あの戦闘の後三人はトラックを巨木の下に停め、戦闘時の荒っぽい運転で酷使されたトラックや使用した銃器の整備を後回しにして尋問を開始した。
以前話したことは本当か、あの怪物は何か、この世界のこと、彼女自身のこと…………。ファウナはそんな質問に一つ一つ丁寧に回答し、時には聞かれていないことまで自発的に喋った。態度も頑固で反抗的だった朝の時とはガラリと変わり、終始おとなしく従順。回答を疑われた時には懇願するような態度さえ示すほど。
三人はそんな彼女を囲み、内心に渦巻く苛立ちや驚き、疑念や困惑といった様々な感情を抑えつつ可能な限り事務的、かつ冷静な態度をなんとか保ちつつ尋問を続けた。
だがそんなことをいつまでも行えるわけもない。尋問によりファウナは精神的に消耗してきており、彼らもまたこの世界で初めての戦闘と不慣れな尋問により限界を迎えつつあった。

「もうこんな時間か……皆疲れている、ひとまず休憩とするか」

何度目かの生欠伸を噛み殺したあと腕時計にちらりと目を落とし、続いて二人の部下とファウナの様子を確かめると休憩を宣言するブッシュ。
その言葉に反応したファウナが顔を上げると、乱れ放題の長い黒髪が疲労をにじませた顔にかかった。だがそれを直そうともせずにいるあたり、かなり消耗しているようだ。
そして両隣から聞こえる安堵のため息、それを両耳で聞きながら無言で彼女と視線を合わせ、頷くと彼女の両肩から力が抜けた。その様子をしばらく見てから背を向け、歩きだす。
二人の部下が小走りに近づく足音を背中で聞きつつ、目的地であるトラックの陰目指して歩を進める。その車体は移動時と戦闘時に巻き上げた土埃で薄汚れていた。ただ汚れ自体ははもとから施されていた砂色の塗装のお陰でさほど目立たない。
背後に二人の気配を感じつつ、ゆっくりとした歩調でトラックに接近、丸みを帯びたボンネットを回り込む。荷台の陰に入る前に元いた方向を一瞥すると木箱に腰掛けたまま両足を投げ出し、ぼんやり宙を見る彼女の姿が見えた。そのまま後輪の側まで進み、振り返る。
エンフィールドを左肩に引っ掛け、疲れた顔で歩くウールトンの姿が視界に入った。その後ろには似たような表情のブラウン、両者とも足取りはいささか重い。左肩のトンプソンを下ろし、しゃがみ込むと背中を後輪に預ける。左隣にいる二人も同様の姿勢を取った。
誰からともなく尻をつき、鈍い痛みを訴える両足を伸ばして寛げる。ただし靴は脱がない。万が一の事態に備えるためだ。

123HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:06:33 ID:3pTbBygo0
「タイミングを掴めなかったとはいえ、少々頑張りすぎましたね」

そう言って冷たい草の上に火照った両足を投げ出し、大きく息をつくブラウン。隣ではウールトンが胸ポケットを探り、ひしゃげた配給煙草の箱を取り出していた。表面に黄色の『V』の字が大きく印刷されたそれの蓋を開き、程度の良いものを選んで抜き出すとしまい込む。ブッシュとブラウンも彼に倣った。
ブラウンがマッチを擦り、三本のタバコの先端に火を点す。

「しかしまあ、あれもこれもにわかには信じがたい内容ですな」

ふう、と紫煙を吐き出し、呆れたような口調でぼやくウールトン。
一時間ほどかけて行われた尋問の最中に彼女が喋ったこと、それは一行の中で最も経験豊かな(といっても、他の二人とそう差があるわけではない)彼をしてそう言わしめる程のことだった。
その言葉にブラウンが反応する。

「あの女王様の年齢がゆうに百を超えていて、おまけにこの国の歴史が人間の歴史よりも古いなんて正直信じられませんね」

顔をしかめ、少々大きめの声でそう吐き捨てたあと慌てて声を低め、証拠もなしにそんなこと信じろだなんて、ふざけてると続けたあと煙草を荒っぽくふかす。紫の煙が彼の口元から沸き起こり、拡散しながら立ち昇っていった。
それを眺めつつブッシュが口を開く。右手には火の点いた煙草。白い紙で巻かれ、吸い口に小さく『V』の字が印刷されたそれは少し曲がり、薄汚れている。

「確かにそんなことを言われてハイそうですかと素直に信じる奴はいないな。だが嘘としては明らかな失敗作だ、あの状況でこちらを騙すつもりであんなことを口にするものか?」

まあ信じがたいことばかりなのは確かだが、と続け、右手の煙草を再びくわえるブッシュ。煙草の先端がオレンジ色に光り、続いて口元から煙が立ち昇る。

ファウナ曰く、この世界に住む妖精、すなわち彼女とその同胞たちは人間に似通った外見をしているが非常に長命であり、そんな彼らが建てたこの国の歴史もまた、人間のそれよりも長く、古い。
そんな彼らのもとにしばらく前――といっても妖精たちの基準だが――から異なる世界の文物や人々がどこからともなく現れるようになる。幸いにして現れた文物に危険な物や理解の及ばない物は無く、そのため彼らがそれらを恐れ、忌避することはなかった。
そして、人々。
天変地異、大抵の場合は砂嵐により『世界』の境目を偶然超え、その異常な事態に混乱し怯え戸惑う彼らに対して妖精たちは親切だった。
渇きに苦しむ者には水を、飢えに苦しむものには粥を振る舞う。病人や怪我人がいた場合は病や怪我に詳しい者、癒やしの技を身に着けている者が呼び集められ、苦しむ彼らの傷を治し、癒やした。
そして故郷への帰還を願う彼らのために少なからぬ時間をかけ、現れたものを元の場所へと送り返す儀式を完成させることまでした。
このような扱いに最初は怯え、戸惑っていた人々も徐々に心を開き、妖精たちが完成させた儀式によりこの地を去る時には感謝の言葉を述べた。人によっては元の場所へと帰らずにこの世界で妖精たちと共に生きることを選んだほどだ。
こうして誕生した人と妖精、似通ってはいるが異なる存在が共に暮す平和な社会。だが、ある時やって来た人間たちがそれを覆す。妖精の国の豊かさを目の当たりにした彼らは良からぬ考え――この国を支配し、すべてを我が物とする――を抱き、それを実現すべく行動を起こしたのだ。

124HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:09:49 ID:3pTbBygo0
最初に妖精たちやこの地に暮らす人間たちからこの国のことをさり気なく、しかし事細かに聞き出す。その一方で前からこの地にいた人間たちを言葉巧みに誑かし、一人、また一人と仲間に引き込み始める。こうして手に入れた情報と戦力をもとに周到な計画を練り上げた彼らは好機をうかがい、そして事を起こした。
大混乱に陥る妖精の国。不届き者たちとそれに同調する人間たちの手により少なからぬ妖精たちと人間たちが命を落とした。幸い彼らが仲間に引きこめた人間は少なく、この良からぬ者たちは最終的には皆討伐される。だがこの一件が妖精の国に与えた傷は大きく、深かった。
そして何より、それまで共に暮らしていた妖精たちと人間たちの間には埋めようもない深く、大きな溝が出来てしまっていたのだ。
やがてこの事件を生き延びた妖精たちはある決断を下し、それに従って行動を起こす。自分たちとこの世界の安寧を守るため幾つかの掟を定め、それを実行に移したのだ。

『人間と妖精は本来異なる世界の住人、すなわち交わってはならぬもの。各々異なる世界を住処とすべし』
『これまでに現れた文物は全て破壊せよ、それらを元に作られたものも同じくせよ』
『新たに来た異邦人や文物は速やかに送り返すべし。今妖精の国にいる人間は速やかにこの地を去るべし』
『去った者は妖精の国については口外せぬこと。新たに来た異邦人にもこの国のこと、自分たちのことを可能な限り秘せ』

かくして人間はこの地を去り、妖精の国はかつての『妖精だけが住む国』という姿を取り戻す。
そこには平和があった。しかし以前のような賑わいや異なる者同士の交流、協力といったものはもはや存在しなかった。

「彼女の語ったことの真偽はさておき、こんな事件があったならああいった態度をとるのも致し方のないことだな」

悪意を抱いた外来者の悪行によりそれまで外来者を受け入れ、共存してきた社会が崩壊する。そして新たに誕生した社会は排他的な性格のもの。そんな社会の頂点に立つファウナがああいった態度を取るのはそれほど驚くべきことではないだろう。
紫煙とともに吐き出されたブッシュの言葉、それに真っ先に反応したのはやはりブラウン。眉間に皺を寄せ、吐き捨てるような口調で話し出す。

「それが本当のことだとしてもですよ、この状況でもその掟を後生大事に守り続けてるなんて石頭にもほどがある」
「ああ見えても百を超えてるからな、年寄りってのはどこの土地でも頑固だろう? そういうことだろうさ」

ウールトンの一言、場の空気を和らげるつもりかその口調は軽い。一方ブラウンは咳を一つして言葉を切ると再び口を開く。

「だいたいその話が本当だという証拠すらない。初対面の時に隠し事をしたくせに今になって『本当です、信じてください』ときた。それでよく妖精たちの女王とやらが務まるもんだ」
「おいおい、声が大きいぞ」

125HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:13:07 ID:3pTbBygo0
怒りに任せて話すうちに声が大きくなっていたブラウンを低い声でたしなめるウールトン。そのまま腹ばいになり、トラックの下を覗き込む。トラックの車体と緑の芝草に挟まれた狭い空間の向こうに木箱に腰掛け、うつむいているファウナの姿を見つけ、小さく安堵のため息を漏らす。
ゆっくりと体を起こすとこちらを見つめる4つの目があった。無言で頷く。ブラウンが、続いてブッシュの口から安堵のため息が漏れた。それを聞きながら姿勢を戻す。

「まあ一度嘘をついた相手が信用出来んのは当然だな。とはいえ、わけもなくそうしたわけじゃない。情状酌量の余地はあるだろうさ」

トラックの車体に背中を預け直し、少々頭に血が上り気味の部下をなだめるウールトン。
右手の煙草を弾いて灰を落とし、再び口を開く。

「それに彼女は自分たちが手も足も出なかった怪物を我々が撃退する所を目の当たりにした。ついでに我々が彼女の不義理に腹を立ててるのもわかってる。そんな状況で今更嘘をつくような真似はせんだろうさ」
「まあそうですが……」

不承不承矛を収めるブラウン、彼が黙るのを見て今度はブッシュが口を開いた。

「それより問題なのはあの怪物だ」
「彼女の話ではそのゴタゴタの後、しばらくして現れたそうですな」

話題を転じた上官の言葉に反応するウールトン、ブラウンも表情を引き締める。

新たに定められた掟により混乱からひとまず立ち直り、一応の平和を取り戻した妖精の国。その平和を再び破ったのがあの怪物だった。
これまで妖精の国に現れた文物や人々同様、何処とも知れぬ地より現れたそれは現れた時から妖精たちに対して敵対的であり、意思を疎通させようにも知性と呼べるものは全く見い出せない存在だった。
その凸凹した体表は極めて堅固であり、力自慢の戦士たちが振るう剣や槍、弓矢はことごとく跳ね返された。それどころか投石機や弩のような大型の武器でさえ全く通用しない。さらに悪いことに、この怪物には妖精たちが持つ魔法による攻撃までもが通用しなかったのだ。
人間には備わっていない超常の力であるこれは堅牢な鎧や分厚い盾ですら破壊し、打ち砕く。人間たちの中の良からぬ者どもが起こした忌まわしい事件、それが妖精とまともな人間たちの勝利という形で決着したのもこの力があったからこそ。
その妖精たちの切り札とでも言うべき魔法の力が全く通用しないという事実は、妖精たちにとって敗北、いや滅亡を宣告されたに等しかった。

126HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:16:22 ID:3pTbBygo0
もちろん、諦めない者たちもいた。
生半なことでは折れない心とどんな逆境でも諦めない精神を持つ彼らは怪物に対して怯むことなく戦いを挑み続けた。
知恵を絞って策を練り、それを実行する一方でより強力な武器や魔法を作り出すべく日夜努力を続ける。だがそんな勇者たちも怪物との絶え間ない戦いにより一人、また一人と倒れ、結局生き残ったのは戦いには向かないか弱き者たちのみ。そして敵がいなくなった怪物は、そういった者たちを次々に襲い、喰らい、生命を啜った。
もはや怪物の前に為す術もない妖精たち、そんな現実を前にした彼女は最後に残った王の血筋にあるものとして決断を下す。生き残りたちの前で一所に身を寄せ合って暮らすことを止め、この広い土地に散らばり、身を隠すことを命じたのだ。

『今ここにいる皆が力を合わせてもあの怪物には勝てない。ならば数人ずつで組になり、この地に広く散って身を隠そう』
『散らばって暮らしていれば、ある一組が襲われても喰われるのは彼らだけ。他の者たちは生き延びることができる』

非常の、そして非情の決断。
この命令に反発する者は当然いた、それどころか彼女に詰め寄り、この決断を声高に詰る者すらいた。だが彼女の説得と突きつけられた現実に生き残った者たちはこれを最後には受け入れ、二人、三人と連れ立ってこの妖精の国の各地へと散って行った。
そして孤独になった彼女の前で妖精の国は荒れ果ててゆく。鳥に獣に草木、魚に虫、命あるものが次々に姿を消し、大地から緑が消える。かくして命溢れる地であったこの国は現在のような不毛の地となった。そして怪物もある時を境にぱったりと姿を消す。
ファウナ自身は餌を漁れなくなったため息絶えたか、それとも異なる世界に去ったのかと考えていたのだが――――

「だが、そうじゃなかった、ということだな」

そう言って話を締めくくり、いつの間にか燃え尽きていた煙草を地面に押し付けるブッシュ。そんな上官にウールトンが新しい煙草を差し出した。礼を言って受け取り、マッチを取り出して火を付ける。ふわり、と立ち昇る紫煙。
視線を上げてその行方を眺める上官に意見をぶつけたのはやはりブラウン。その口調は先ほどよりは落ち着いてはいるが、相変わらず皮肉げだ。

「でもその話だってどこまで信用できるのものやら」

そう言い終えると手にした煙草をくわえ、インド産の安煙草を再び煙へと変える。
落ち着いたとはいえ彼女への不信感を一向に解かないブラウン。昨日の彼とはまるで別人のようだ。昨夜の一件に今朝のファウナとの出会い、成果が得られなかった偵察行、そして怪物との戦闘とファウナの告白。そういった諸々の出来事が彼の精神の平衡を崩し、以前の快活な彼とは別人のような言動をとらせているのか。
だがそれは軍人、それも一兵卒が下士官の前で示すようなものではない。いや、そもそも大の大人が示すようなものではない。流石に見かねたウールトンが口を開こうとする。
だが彼より早く年下の上官が動いた。ゆっくりと体を起こし、ブラウンの方に身を乗り出しながら語りかける。

127HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:19:00 ID:3pTbBygo0
「彼女を信用出来ないのはわかる」

ゆっくりとした、感情を抑制した口調、不躾な部下の言動に腹を立てているようには見えない態度。己に降り掛かった悲劇すらもを押し殺せる自制心の成せる技なのか。それともそう見えないだけで自分の上官もまた、彼女に腹を立てているのか。
目の前の人物について思考を巡らせるウールトン。そんな彼の目の前で上官は再び口を開く。

「だがこれまでにわかったことと彼女が話したことには一致する部分が少なからずある」

例えば、怪物に魔法が通用しない事とかな、と続け、一旦言葉を切って相手の顔を見つめる。
部下の青い両目をまっすぐに見つめるブッシュ。その横顔をじっとウールトンは見つめた。
砂塵で汚れた金色の髭に覆われた顔からは感情の乱れは読み取れない。一方ブラウンは眉を寄せ、右手を煙草を持ったまま顎に当てて宙を見る。これまでの記憶を手繰っているのか。そんな彼にさらなる言葉がかけられる。

「それに先程伍長も言った通りこの状況で我々を騙しても彼女に得るものはない、むしろ損ばかりだ。だから、ひとまず彼女の言葉を信じてみるべきじゃないか?」

無論、手放しで信じるつもりはないが。と言い添え、口を閉じるとその姿勢のまま部下の顔を見つめ続ける。自分が発した言葉が相手に染み通るのを待っているのか。

「そして何より我々の物資は有限だ」

その言葉にブラウンの眉がピクリと動く、昨日の夕方、夕陽を浴びながらあれこれと話し合った時のことを思い起こしているのか。
そんな彼を前にしてブッシュは淡々と話し続ける。
この状況でも彼女を一切信用せず、自分たち単独で『帰る』方法を探すという選択肢を選ぶ事もできるだろう。しかし今日の偵察行のような労多くして実り少ないことが続けば、早晩手持ちの燃料は底をつく。そうなったら万事休すだ。
それよりは彼女をひとまず信用し、その協力を得て『帰る』ことを試みるべきじゃないか。
話し終えると口を閉じ、再び目の前の部下の顔を見つめる。ややあって、ブラウンの肩から力が抜けた。

「わかりましたよ……まったく、軍曹殿にはかないませんね」

ため息混じりに応えるブラウンとそんな部下に笑みを返すブッシュ。そのまま横を向くと今度はウールトンに向けて頷き、これでいいな、と確認の言葉を発する。
無言で頷きを返すウールトン、だが彼の心中は複雑だった。

不平を漏らす部下を頭ごなしに叱らず、言葉を尽くして説得する。結構なことだ。いや、指導者の鑑と言ってもいい。
だがあれは演技、実際は相当無理して己を取り繕ってるな
以前から家族絡みのことであれこれと溜め込んでいるにも関わらず平気なふりをしてきたようだが、この調子で『演技』を続けていると無理がたたって潰れる可能性も…………なんとかならんもんか。
ひとまず方針が決まったとはいえ、このままでは…………

話題を転じ、まずは当面の障害であるあの怪物を倒すにはどうすればいいかを議論し始める二人。それを横から眺めるウールトンの心中は晴れなかった。だがそんな彼も気づいていない。
この一部始終がファウナに筒抜けであるということを。

128HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:22:47 ID:3pTbBygo0
「………………ふぅ……」

精神集中をひとまず終わらせ、これまで使っていた魔法を解くと大きく息をつき、強張っていた体をほぐす。
今まで使っていたのは離れた所にあるものを感じとる魔法。彼女自身が身につけている数少ない魔法の一つであるこれは、熟練した使い手なら遥か彼方の出来事を細大漏らさず見聞きできる上、そこにいる者の思考まで読み取ることが可能なものだ。
幸か不幸か彼女はこの魔法がさほど得意ではなかったが、彼女を尋問したブッシュたち一行がこのことを知ったなら衝撃を受けただろう。
彼女がその気になれば自分たちを常に監視下に置き、場合によってはその思考までも読み取ることができる。そう判断してもおかしくないほどこの魔法は強力なものなのだ(ただし肉体と精神に対する負担が大きいので乱用は厳禁なのだが)。
だが幸いにして彼らは魔法という超常の力について無知であり、結果尋問の際も魔法についての質問は自然と隙が多いものとなった。
そんな質問を彼女はなんとか誤魔化し、己が身に着けた魔法のほとんどを秘密にすることに成功する。そのおかげもあって彼女は今、トラックの陰で行われている三人の会話を手に取るように把握していた。

「………………はぁ」

大きくため息をつき、これまでの彼らに対する自身の言動を後悔し、さらに今自分が行っている行為の不道徳さに自己嫌悪に駆られる。
傲慢な発言、真実の隠蔽、そして今度は盗み聞き、私は一体何をやっているのか。長い間孤独な生活を続けてきたせいで、他者とまともに接することすらできなくなってしまったのか。

ブラウン、一行の中で最も若い彼は未だに私を信用していない。
だがそれは彼が無知なためではない。私の行い、初めて出会った時に警戒心のあまりあのような振る舞いをしてしまったことが招いた結果なのだ。
彼が言葉と共に撒き散らす真っ直ぐな怒り、善良な者が良からぬことに対して示す率直な怒りを感じ取る度に、私の心を後悔の念が突き刺す。
あの時彼らに対して落ち着いて、そして誠実に接していたならこんなことにはならなかっただろう。でも私は古い『掟』に縛られたまま、真実を求める彼らの耳目を塞ぐような真似をしてしまった。
生半なことでは解けそうにもない彼の怒りと疑いを解くことは果たして私にできるのだろうか。いや、今もこうして盗み聞きをしている私にそんなことを望む資格はない。あるわけがない。
再び膨れ上がる罪悪感と自己嫌悪に押し潰されそうになりながら、なんとか思考を切り替える。

そんなブラウンを所々でたしなめ、落ち着かせるウールトン、一行で最も年かさであるという彼は万事において控えめであろうと心がけているようだが、その観察力と洞察力は的確だ。
昨夜彼らの様子を窺っていた時彼が、ここには何かがいる、と言い出した時には驚きで思わず息が止まったほど。生きてきた歳月は私とは比べ物にならぬほど短いにも関わらず、その落ち着きと知恵の深さは相当なものだ。
その短い歳月の間にどれほどのことを見聞きしてきたのだろうか。この地で長い歳月をゆったりと生きてきた私たち妖精より、遥かに短いその人生で。
だがそんな彼が一行のまとめ役ではないと聞いた時は、内心で首をひねったものだ。
多くを知る者こそがより良く皆を導けるというのに。

129HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:24:51 ID:3pTbBygo0
そして、ブッシュ。
指揮官であると名乗った彼は一行を率いる立場にふさわしい人物であろうと心がけ、思考し、行動し、発言していた。だがそれは彼自身が己に課したもの。本来の彼は心に深い傷を負い、その苦しみは未だに彼を苦しめている。
それを隠すべく仮面をかぶり、本心を偽る。
大丈夫だ、心配するな
周囲の者たちに向けてそう振る舞い、そして自分にもそう言い聞かせている。まるでこの私、怪物に国を蹂躙され、父も母も兄をも失っても、怪物に立ち向かいもせず嘆いていた弱い女とは正反対の人物。同胞たちに戦うことを諦め、逃げ隠れせよとまで命じた臆病者の対極にある存在。
あの時私が彼のように振る舞えたなら、この妖精の国はここまで荒れ果てることなどなかったのでは。そして今、彼はそんな私を信じ、未だ私を疑っている部下を説き伏せてくれた。さらに部下たちを率いてあの怪物と戦おうとしている。
あの怪物から私を助け、私が行う儀式で彼らの故郷に帰るために。
彼らが手にする驚くべき威力の武器。我が妖精の国の勇者たちが敵わなかったあの怪物を痛めつけ、ついには遁走させたあの武器ならば、おそらくあの怪物を倒す事が可能だろう。ならばこの私の為すべきことは…………

そこまで考えた所で気を取り直し、再び精神を集中する。先程使っていた魔法を再度発動し、意識を彼らの乗り物――トラックとかシヴォレーとか呼ばれていた――の影へと向けると、三人の男たちが交わす会話に混じって彼らの抱く思いが途切れ途切れに伝わってきた。


「……強力な打撃を一気に与えないと駄目ですね」
(……ガントラック……37ミリ……)

「ああ、手持ちのものををやりくりしてあれこれと拵えなきゃならん、今夜は忙しくなるぞ」
(……信管……ゼリグナイト……)

「あの女王様が何か強力な武器の在り処でも知ってれば御の字なんですが。確か人だけじゃなく物も『やってきていた』んでしょう?」
(……聞いても無駄……あの女)

「とっくの昔に処分してしまったようだが、あとで聞いてみることにしよう。それより……」

彼女には理解できない専門的な単語が混じった会話が暫く続く。やがて話題は彼女自身についてのものへと変わっていった。


「勝てない相手から逃げるという判断はわかりますが、それだけというのはいささか知恵がないですな」
「多分戦う意志を失ってしまってたんだろう。まあ戦える連中が皆返り討ちにされ、国中をこう好き放題に荒らされちゃ大の男だってへこたれる」
(……逃げ続けられるわけもない……耐え続けられるわけもない……)


「初対面の時の彼女は我々を儀式で元の所に帰すつもりだったようですが、それからどうするつもりだったのでしょう?」
「あの時は怪物がまた現れるなんて思ってもいなかったようだし、またここで一人暮らしでもするつもりだったんだろう」
(……食事や睡眠……どうしているんだ?……)
「あるいはあちこちに隠れ住んでいるはずの同胞を探すつもりだったのかもな」
(……孤独……)

130HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:26:56 ID:3pTbBygo0
魔法の継続使用で消耗しつつある精神を集中させ、一行の会話を聞き続けるファウナ。孤独な生活を長きに渡って続けてきた彼女にとって、これほど長く他人の会話を聞くのは久しぶりだった。
いつしか彼らの会話にのめり込み、発言の一つ一つに対して喜怒哀楽を露わにし始める彼女。自分に対する辛辣な評価にへそを曲げ、理解できない言い回しに首をひねり、些細な冗談に笑みを浮かべる。
そんな彼女の耳にだしぬけにあるやり取りが飛び込んできた。

「そういえば彼女の様子はどうだ?」
(時間……)
「どれ……ああ、相変わらず大人しいものですな、よほど疲れていたと見える」
「でももうこんな時間ですよ。そろそろ再開しませんか?」
「ふむ……そうだな」

慌てて精神の集中を解き、魔法を終わらせる。さらに軽く体を動かしてまたぞろ強張っていた体を解し、乱れていた頭髪をまとめ直すと衣服の乱れがないか確かめる。最後に木箱に座り直して乗り物の方を見ると、三人がその陰から姿を現すのが目に入った。
先頭はブラウン、続いてブッシュ、最後尾はウールトン。草を踏んで足早に近づく彼らは相変わらず武器を身に着けてはいるがその手は空いたまま。そして顔には感情は見て取れない。
そんな彼らは彼女の前まで来ると別れ、先程と同様に彼女を囲むような位置に立った。その動きがかすかな風を起こし、彼女の鼻に奇妙な匂いを届ける。
煙臭さに知らない匂いが加わった、これまで嗅いだことのない匂い。先程彼らが喫っていたタバコというものの匂いだろうか。思わず眉をひそめる。

「具合はいかがですか?」
「大丈夫です」

こちらを気遣うようなブッシュの言葉に疲れを見せぬよう、あえて短く応える。
本当は魔法を使ったせいで疲れているのだが、それを気取られる訳にはいかないからだ。

「結構、それではまた色々と聞かせてもらいたい。まずは先程――――」

再び尋問が始まった。
質問に回答が返され、その回答に対してさらに質問が行われる。
緑の葉を生い茂らせた巨木の下、三人の男と一人の女はそれぞれの思いを内に秘め、言葉を交わしながら知識と情報を得ていく。
それとともに縮まる四人の間の距離、とりわけファウナと他の三人の距離は初めて出会った時よりも格段に縮まっていた。
だがこのことが彼らが望む協力と団結へと繋がるのか、それとも不幸にも反発と決裂という結果を招いてしまうのか、それは神ならぬ身である四人にはまだ、分からない。

131HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/03/31(金) 21:30:11 ID:3pTbBygo0
投下終了
次回投下は5月上旬の予定です

改めて思う
創作って大変なんだなあ…

132HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/09(火) 20:02:21 ID:3pTbBygo0
予定通り明日午後9時から投下を開始します

133HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:00:18 ID:3pTbBygo0
それでは投下を開始します

134HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:02:21 ID:3pTbBygo0
11、武器

天空の太陽は高度を下げ、その黄金色の日光は徐々に熱を失い始めていた。
その陽光を浴びる巨木の下の木箱と袋の山、一行がここを出発する前に置いていった様々な物資の山が崩され始める。
最初に防水布の覆いが取り払われ、続いて積み上げられていた幾つもの木箱が三人の男たちの手によって草の上に次々と並べられてゆく。
大きさ、形、色、全てが千差万別な箱、だがそれらにはある共通点がある。中身が戦うための道具、即ち銃に弾薬、爆薬に手榴弾の類であるということだ。
三人はそれを一つ一つ開け、自分たちの目で中身の状態を確認してゆく。

「…………これで全部です」

膝立ちの姿勢で覗き込んでいた目の前の木箱から顔を上げ、そう報告するウールトン、その隣にはブラウンもいる。二人共、そして報告を受けたブッシュも厚手綿の上着を脱ぎ捨て、カーキ色の半ズボンとアンダーシャツ姿になっている。
そのあちこちに滲む汗、重い木箱を持ち上げ、運び、並べ、そして蓋を開けては中身を確認するという行為を何度も繰り返したためだ。
部下の報告に無言で頷くブッシュ。続いて口を開き、短く命じる。

「ブラウン、彼女を連れてきてくれ」

その言葉に短く応えて立ち上がり、小走りで走りだすブラウン。その先には木箱に座り、こちらの様子をじっと見つめるファウナの姿、興味津々といった体でこちらを注視している。
そんな彼女に駆け寄ると声をかけるブラウン、その後ろ姿を見ながらウールトンが問いを発する。
その表情にも声音にも懸念の色が強い。

「本当によろしいのですか」
「こちらの力を示しつつ一応は信用している、という意志表示をする、そういうことだよ」

心配顔の部下とは対照的に落ち着いた表情のブッシュ。この人の思惑通りに運ぶのか、あるいは裏目に出てしまうのか。はたまた予想外のことになるのだろうか。そうウールトンは内心で自問するが、答えは出ない。
その時ひょい、とブッシュがこちらを見る。視線が合った。

「やっぱり心配か?」
「……はい」

断片的な言葉のやり取り、互いに何について思考し、案じているのか理解している故のものだ。

「わかっているよ伍長。だがこちらを信用させるには手の内を晒すことも必要だろう?」

問いかけ半分、確認半分の口調。それを聞いても沈黙したままの部下の顔を眺め、再び口を開く。

完全に信用できない相手にこちらの情報を与えるのが問題なのは私も理解している。だが我々はこれから彼女と共同戦線を張るんだ。この状況で以前の彼女のような秘密主義一点張りという方針は明らかに取るべきじゃない。そうじゃないか?

最後にまあ先程の戦闘で我々の力の一部を見ている以上、こうして手の内を晒しても彼女が妙な気を起こす確率はかなり低いだろうさ。と言い添え、つい、と視線を転じるブッシュ。ウールトンもまた彼に倣う。その先には歩いてくるブラウンとファウナの姿。先に立って歩く彼女の足取りはどことなく軽く見える。
ひとまず自分を信じてもらえたことで得られたであろう心理的な解放感がそうさせているのか、それとも知性あるものなら誰でも持っている未知なるものへの興味が影響しているのか。ウールトンにははかりかねた。
そんな二人の目の前で足を止める彼女、一瞬何か言いかけたがそれをやめ、無言でブッシュの顔に視線を向ける。自分の立場というものを彼女なりに理解しているということなのか。
ブッシュがおもむろに口を開く。

「これが我々の武器です」
「これが、全て武器なのですか?」
「ええ、そうですよ」

135HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:04:47 ID:3pTbBygo0
ブッシュの発言におずおずと問いかけるファウナ、そんな彼女の質問に短く答えると再び口をつぐむブッシュ。その横顔からは何の感情も読み取れない。ただ視線はファウナに向けられており、彼女の反応を探っている。
ブッシュの隣に立つウールトンも、彼女の背後に立つブラウンもまた同様に彼女に視線を注いでいた。それに気付いたファウナが居心地悪そうに身じろぎする。
当然だろう、尋問が終わるとともにブッシュたちから持ちかけられた提案を承諾したことで彼女と三人の関係はこれまでとは違うものとなっているが、これまでにあったことが全て無かったことになったわけではないのだから。

休憩の後に再開された尋問はごく短い時間で終わった。これには幾つかの要因、例えば休憩前の尋問で彼女から必要とする情報のほとんどを引き出せたこと、手負いとなった怪物がいつまた現れるか不明なこと、そして明るいうちに戦闘準備をに関する複雑な作業を終えなければならないこと、などが影響している。
今や日没までの時間は残り少なく、その一方でやらなければならないことはまだまだ多い。この状況でブッシュが尋問を早めに打ち切ることを決断し、二人の部下もこれに賛同したのは当然の流れであった。
かくして休憩後に再開された尋問を手早く終わらせたブッシュは未だ落ち着かない様子の彼女の前で自分たちの考えを示す。

我々はあの怪物と戦い、倒すつもりだ。
あなたが話したようにあの怪物があなたがたを獲物として捕食してきたのなら、あなたが私たちを元いた所に帰す儀式を行っている最中に現れる可能性は非常に高い。
もしそうなったら儀式が失敗に終わる可能性も、あなたが死ぬ可能性も非常に高いと我々は考えている。そのような結果は我々としては受け入れられない。よってあの怪物を倒すことで儀式の安全を確保したい。
ただ我々だけでは不安がある、あの怪物についてはあなたから様々な情報を得たが、それで十分だとは私は考えない。よってあなたにも協力してもらう。
無論完全に信用したわけではないので色々と制約を設けさせてもらう。

よろしいか?

その言葉を聞き、じっと考え込む彼女の前で再びブッシュは問いかける。

我々にはあの怪物と戦う意志がある、あなたにはそれがあるか?

彼女から帰ってきたのは肯定の返答と「私は何をすれば良いのですか?」という質問だった。
そんな彼女にブッシュは返答する。

まずは我々について知ってもらいます、より正確には、我々の力を。

そして今、彼女の目の前にはブッシュたちの持つ『力』、すなわち手持ちの武器弾薬を収めた幾つもの木箱が並んでいた。

しばしの気まずい沈黙の後、再び口を開くブッシュ。場を落ち着かせることを意識しているせいか、その声は低く、口調はゆっくりとしている。

「さて、何からご覧になりますか?」
「それでは先程の戦いで怪物に痛手を与えていた、あの長い武器を」

その言葉に反応したのはブラウン。おもむろに歩き出すと目当てのもの――トラック荷台の銃架から取り外され、弾薬箱に立てかけられているボーイズ対戦車ライフル――に近づく。かさばる上に重たいそれを苦もなく抱え上げ、彼女の前へと戻るとよく見えるようにそれを地面の上に垂直に立てる。すぐさまファウナが歩み寄り、身を乗り出した。
顔を寄せ、両目を大きく見開いて先細りになった太く長大な銃身や複雑な構造の機関部、奇妙な角度で取り付けられた2つのグリップといったものを仔細に観察するファウナ、ただし手を出して触れることはしない。
己の立場をわきまえた上での行動なのか、それとも未知の武器に対する恐怖心からなのか。間近から彼女を見下ろすブラウンは心中でそう自問するが、答が出ることはなかった。そんな彼女の背後から聞こえる話し声、ブッシュとウールトンのものだ。

「やっぱりこいつだけじゃ不十分ですよね。弾薬はまだたっぷりあるんですが」
「いい武器だがな。まあ時代遅れの武器である以上、多くを期待するのは酷だろうさ」
「これで時代遅れなのですか……」

136HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:06:50 ID:3pTbBygo0
愛用の武器を眺めつつぼやくウールトン。そんな彼の言葉に落ち着いた態度で応じるブッシュと驚いて振り向くファウナ。
彼女から見ればあの怪物に痛手を与えた武器が『時代遅れ』のものであるとは信じ難いようだ。だが彼女の住む世界とは異なる世界で繰り広げられてきた人間同士の戦争は、そんな彼女の思考など軽く超越するレベルのものだった。
もっとも、ブッシュを始めとする3人は彼女にその手のことをわざわざ話すつもりはない。一応協力関係を結んだとはいえ完全に信用したわけではない相手に無闇矢鱈と情報を与えるつもりはなかったし、そもそもそんなことをしている時間の余裕もなかった。

先の戦闘では怪物に有効打を与え続け、ついには逃走にまで追い込んださせたボーイズ対戦車ライフル、しかし対戦車火器としては明らかに時代遅れの存在だった。実際LRDGでもこの武器は本来の用途である対戦車戦闘用ではなく、トラックのような非装甲車両や機関銃座に代表される敵火点に対する武器として使用されている。
加えて言うなら射手に対する肉体的な負担という問題もある。緩衝装置が組み込まれているとはいえ.55口径という大口径弾を発射する時の反動は一歩間違えば射手の肩の骨にヒビを入れるくらい強烈なのだ。

「あの時ガントラックがいれば話は違ったんでしょうが」
「無い物ねだりをしても始まらん、ある物で何とかするさ」

ため息混じりにぼやくブラウンをたしなめるブッシュ。
ガントラック、LRDGの各偵察隊に1両づつ配備されている火力支援車輌のことだ。
物自体はトラックの荷台にボフォースの37ミリ対戦車砲かイタリア軍から鹵獲したブレダ機関砲を据え付けただけのものだが、主な車載火器が機関銃と対戦車ライフルであるLRDGの偵察隊にとっては頼りになる存在だ。
だが、彼らはここにはいない。

「となると、こいつの出番というわけですな」

そう言って木箱の一つに歩み寄り、立てかけられていた奇妙な形をしたエンフィールド小銃と中に収められていた小銃擲弾を手に取るウールトン。そのまま仲間たちのところまで戻り、手にしたものを差し出す。

「EYライフルはともかく、こいつを渡された時は正直良い気分はしませんでしたよ」
「威力はさておき、命中率が悪い上に射程が短いとあってはな。だが今となってはこの擲弾も貴重な戦力だ、そうじゃないか?」

空いた手でウールトンから円筒形の弾頭部が目立つ辛子色の擲弾を受け取りつつ、かつて抱いていた感情を口にするブラウン。その隣でブッシュは改造されたエンフィールド小銃を構える。
そんな二人を交互に見るファウナ、視線は二人の手にする武器に一心に注がれ、離れることはない。それに気づいたウールトンの眉間に僅かに皺が寄るが、彼はあえて沈黙を守った。
彼女の表情は今朝方の険を含んだ硬いものではなく、その眼差しは幼い子供が珍しい昆虫を見るような、好奇心に満ち溢れたものだったからだ。

EYライフル、英陸軍や英連邦諸国で使用されている歩兵用小銃であるエンフィールド小銃を改造し、擲弾発射用にしたものだ。
通常のエンフィールド小銃との目につく相違点は擲弾をセットするためのEYカップと呼ばれる脱着可能な金属製カップが銃口に取り付けられていることと、銃弾よりも遥かに重い擲弾を発射した時の反動で銃が破損しないように、銃身周りが太い銅線で念入りに巻き締められている点だ。
これから発射されるものは主として擲弾用アダプター(ガスチェックという奇妙な名称が与えられている)を取り付けたミルズ手榴弾(ただし現用の4秒信管では空中で爆発してしまうため、旧式の7秒信管を用いる)であり、これを空砲を用いて発射。風向きにもよるが最大で約200ヤード(約182メートル)遠くまで飛ばすことが可能である。
ただしその性格上、狙った場所に擲弾を正確に落とすような真似はまず不可能。もっとも、これは擲弾発射機という武器全てに共通することなので仕方がないことといえる。
一方ブラウンが手にしている物体は№68対戦車擲弾、旧式化した対戦車ライフルに代わる携行対戦車兵器の一つとして生産、配備が進められている武器だ。
EYライフルから発射可能なように設計されたこの擲弾は成形炸薬弾頭を備えており、その威力は旧式化した対戦車ライフル以上。事実条件さえ整えば厚さ2インチ(50.8ミリ)の装甲板をどのような距離においても貫徹することが可能だ。
徹甲弾を用いても100ヤードで18ミリの装甲板を貫徹する程度の威力しかないボーイズ対戦車ライフルとは比べ物にならない存在である。

137HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:09:05 ID:3pTbBygo0
「とはいえ、こんなものを頼りにしなきゃならんというのも……」

そう言って首を振り、ため息を漏らすウールトン。
EYライフルは本来空砲を用いて手榴弾を撃ち出す武器なのだが、その飛翔速度は銃弾のそれとは比べ物にならないほど遅く、弾道もまた不安定だ。
特に手榴弾よりかさばる上、空気抵抗が大きな形状をしている対戦車擲弾にはこの傾向が強く、事実この擲弾の有効射程はおよそ100ヤード程度でしかない。もし強い風が吹いていた場合はさらに短くなるだろう。
当たれば強烈な一撃を与えられるが、当てるのは至難の業。もし当てたければ危険を犯して目標――砲と機関銃を備え、巨大な車体を装甲で覆った戦車という人工の怪物――に接近しなければならない。それがこの新兵器の現実の姿なのだ。ウールトンの太い眉が曇るのも致し方のないことだろう。
そんな彼を見かねたファウナが問いかける。

「これでは駄目なのですか? いや、それよりこれは何という武器なのですか?」
「いや、駄目というわけじゃありませんよ。ええと、その――――」

ファウナ相手に噛み砕いた表現で説明を始めるウールトン、そんな彼を見てもの問いたげに自分たちの指揮官を見るブラウン。だが返ってきたのは苦笑だけだった。
だが一呼吸後、その苦笑が引っ込むと代わりに質問が投げかけられる。

「こいつの射撃についてはどうだ?」
「いえ……」

小さく首を振るブラウン。同時に訓練の時の射撃で明後日の方向に手榴弾を飛ばしてしまった時の記憶がよみがえる。
そんな内心を知ってか知らずか話し続けるブッシュ。

「わかった、こいつは俺が持とう。お前はこれまで通り運転に専念してくれ」

無言で頷くブラウン、そんな彼にブッシュも頷きを返すと次いで視線をそらし、説明に大汗をかいている部下の方を見て声をかける。

「それくらいにしてやってもらえませんか。それに見てもらうものはまだまだありますよ」
「……失礼しました、つい……」

ブッシュのその一言に慌てて振り向き、恥じ入った表情を見せるファウナ、今朝の時とはまるで別人のような振る舞いにブラウンの両目が大きく見開かれた。
そんな彼の目に彼女の背後でおどけた表情で肩をすくめるウールトンの姿が映る。

(こりゃまた驚いた、というわけですか。私も同感ですよ)

大げさにため息をつく仕草をして見せることでそんな内心を表現するブラウン。もっともその元凶は二人のそんなやり取りに気付いた様子はない。

「次はどんな武器を見せてくださるのですか?」
「え、ええ、ではこちらへどうぞ」

好奇心剥き出しの態度で問いかけるファウナ。そんな彼女に気圧されたブッシュが歩き出すと、すぐさまその後ろに続いて歩きだす彼女。残る二人もため息をつきながら後を追った。途中で手にしている武器を元の場所に戻すことも忘れない。
やがて一行の足が止まる。その目の前にあるのは小さな木箱。ただしその周囲は大きくスペースが開けられていた。
その箱に歩み寄り、蓋を開けて中身を慎重な手つきで取り出すウールトン。立ち上がるとことさらゆっくりとした歩調で戻り、手にしたものをブッシュへと手渡した。
その『もの』に視線が集中する。

「対戦車擲弾が第一の矢であるなら、こいつはさしずめ第二の矢ということですね」
「あのデカブツを対戦車ライフルとたった2ダースの擲弾で仕留めきれる保証はないからな。まずは手傷を負わせ、動きを止める」
「そこでこの『ゼリー』の出番というわけですな」
「…………あの、これは一体……?」

138HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:11:43 ID:3pTbBygo0
口々に話し合う三人と不審げな顔で問いを発するファウナ。視線の先にあるのは薄茶色の紙で包装された円筒形の小さな包み、その表面には次のような文字が大きく印刷されている。

NOBEL'S EXPLOSIVE
    No. 808

そしてその下にはこの物体を開発、製造した企業のエンブレム。円形をしたそれの外周には社名である『NOBEL'S EXPLOSIVES COMPANY LIMITED』の文字があり、さらにそれを左右から挟むように創業差の氏名である『Alfred Nobel』の文字が筆記体で印刷されている。
あのダイナマイトを考案した男が作り出した新型爆薬ゼリグナイト、それをベースにして開発されたこの軍用爆薬、通称ノーベル808爆薬は後の世で言うところのプラスチック爆薬だ。
素人にはこの重さ僅か4オンス(約113グラム)のこのちっぽけな紙包みが凶悪な破壊力を秘めているということなど想像もつかないだろう。だがブッシュたち3人にとってこれほど恐ろしく、そして頼りになるものはない。
もっとも何も知らないファウナには、この物体を前にした三人の反応はさっぱり理解できなかったようだ。

「これが我々の『切り札』ですよ。うまく行けばあの怪物を文字通り『木っ端微塵』にできる」

ブッシュの手から爆薬の包みをつまみ上げながらそう言い放ったのはブラウン、その口元にはいささか人の悪い笑みが浮かんでいる。そして両目にはいたずらっぽい光。どうやら彼女を怖がらせようとしているようだ。
その言葉に当惑していたファウナの顔が緊張する。ブラウンが口にした穏やかならぬ表現を聞き、あの怪物の巨体が粉々になる場面を想像したのだ。
そして目の前のちっぽけな物体がそれを可能とするということに思い至った時、表情を強張らせ、一歩後ずさる。

「こんな小さなものであの怪物を……」

愕然とした顔でそう口走る。その後とても信じられません、と続けると口を閉じ、その華奢な体を震わせた。
そんな彼女を前に再び口を開くブラウン。その態度も口調も彼女のそれとは対照的だ。

「ただ問題は量でしてね、この包みがたった2ダースだけしかない」

落ち着いた口調、余裕のある態度。だがそれとは正反対に語られた内容はかなり深刻なものだった。
LRDGの作戦行動において爆薬の使用はごく当たり前のことではある。敵の施設や兵器を破壊し、物資集積所を焼き払う。敵兵に対する罠――仕掛け爆弾――や急造の対戦車兵器である梱包爆薬の制作、どれも爆薬なしでは出来ないことだ。
だがトラックに搭載可能な貨物は限られており、その大半はLRDGの主たる任務――未踏地である砂漠地帯を走破することで敵の警戒網を掻い潜り、敵の後方に潜入して情報収集や破壊活動を行う――のために必要不可欠な車両用のガソリンが占めている。これ以外にも車両用の補修部品や日々の食料、個人装備などを積み込めばどうしても武器弾薬に割けるスペースは少なくならざるを得ない。
LRDGではこの問題に対処するために例えば砂漠の各所に秘密の物資集積所を設置したり、任務に応じて携行する装備や弾薬を変更するといった手を打ってはいるが、今回はそれが裏目に出てしまったのだ。

「手持ちを全部合わせてもたった6ポンド(約2.72キログラム)か。あと雷管は確か1ケースだったか?」
「ええ、まあこの場合はそれだけあれば足りるでしょう。あとセフティ・ヒューズもこの通り、十分あります」

ブッシュの発言にそう答えつつ再び木箱の所に行き、今度は黒い円筒形の缶を取り出してくるウールトン。手にした缶の蓋に貼られた円形のラベルには『48 FEET OF SAFETY FUSE No.11』の黒く太い文字。缶の中身は英軍で使用されているセフティ・ヒューズ、いわゆる導火線だ。
黒色火薬を編んだ黄麻の繊維で二重に覆い、タールで防水したこれは約90秒で1ヤード(約91.4センチメートル)、つまり1センチ燃えるのにおおよそ1秒かかる。ただし燃焼速度は温度や湿度に影響を受けるため、必ずしも一定ではない。
この導火線やゼリグナイト、雷管といったものの扱い方は兵士として、軍人としてのイロハである軍服の着方や敬礼の仕方、銃の撃ち方とは違いLRDGに加わってから――ウールトンやブラウンにとってはおよそ8ヶ月前、ブッシュにとってはなんと4ヶ月前――学んだものではあるが、現在の三人にとってはもはや血肉の一部となっていた。

139HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:14:26 ID:3pTbBygo0
「これは紐ではないのですか……」

気を取り直してウールトンが手にする缶の中を覗き込むも、不審げな表情を浮かべつつ首をひねるファウナ。
実際このセフティ・ヒューズの外見は被覆である黄麻の繊維と塗られたタールのせいで、素人目には黒っぽい太めの紐にしか見えない。だがその内部にはれっきとした爆発物である黒色火薬が端から端までぎっしりと詰め込まれている。

「燃えるところをお見せしましょうか」
「本当ですか?」

ブッシュのその一言に驚いて顔を上げるファウナ、その顔はまるでお菓子を貰えると知った子供のように無邪気な笑みと好奇心に満ち溢れていた。一方同時にこちらを見たウールトンとブラウンの表情は固く、特にウールトンの眉間には明らかにしわが寄っていた。
そんな二人の部下を前にしてブッシュは再度口を開く。

「気候の違いのせいで燃焼時間が変わっているかも知れないからな、一度燃焼テストをしておきたいんだ」
「ああ、そうですね」「なるほど……」「?」

その一言に三者三様の反応、いや、腑に落ちた表情を浮かべる二人と再び不審顔の一人。誰がどのような表情をしているかはいまさら言うまでもないだろう。
一呼吸の後、三人の男たちが動き出す。
ズボンのポケットから折りたたみ式のポケットナイフを取り出し、ヒューズを4インチ(約10センチ)の長さで切るウールトン。一方ブラウンはマッチを取り出し、ブッシュは腕時計を覗き込んで具合を確かめる。
そして自分の作業を終えると互いの様子を確認、続いて連れだって歩き出すと爆薬の入った木箱から距離を取る三人、ファウナも慌てて後に続く。
分厚い木で作られた弾薬箱の蓋が草の上に置かれ、その上にヒューズの切れ端が置かれた、ブラウンがマッチを擦る。

「点けます」「いいぞ」

オレンジ色の炎がヒューズの一端に接するとシュッ、という軽い音が上がり、同時にオレンジ色の炎と白い煙がそこから吹き出す。内部の黒色火薬がゆっくりと燃え始めたのだ。だが黄麻とタールで出来た外被は燃えることなくそのままの姿を保っている。
そのまま2秒、3秒と時間が過ぎる。

「…………」

合わせて8つの目が軽い音を立てて燃焼し続けるヒューズを注視する。示し合わせたわけでもないのに誰ひとりとして声を出さない。
やがてヒューズの反対側の端から軽い音とともにオレンジ色の炎が一瞬吹き出し、消えたところでヒューズの燃焼は終わった。白い硝煙とその独特の臭いが大気中にゆっくりと拡散してゆく。
溜めていた息をほぼ同時に吐き出す4人。トーンの異なった4つのため息が一つに重なり、思いの外大きなものとなる。

「11秒ちょい、というところかな」
「普段より2秒近く遅くなってますね、こりゃ面倒だ」

最初に発言したのはブッシュ、その視線は顔の前に上げた腕時計の文字盤に注がれていた。それに応えたウールトンの視線は燃え尽きたヒューズにいまだ向けられている。
暑く乾燥した砂漠地帯と荒れ果ててはいるが温暖で湿度も程々にあるこの土地とではヒューズの燃焼速度に差が出ることはある程度予想していたとはいえ、この差は無視できない。戦場ではわずか一秒、いや半秒の差が明暗を分けることがごく当たり前にあるのだから。
思わず眉を寄せる三人。そんな彼らに未だに事情を把握できていない一人が声をかける。

「どういうことでしょうか? 何かまずいことでも……」

ファウナのその一言に反応し、一斉に彼女を見る三人。次いでそのうち二人の視線が残りの一人へと向けられる。

「…………わかりました」

向けられた視線に気付き、それに込められたものを読み取るとため息混じりにそう言うブラウン。きょとんとした表情のファウナに歩み寄り、セフティヒューズのことについてあれこれと説明を始めた。
一方彼に面倒事を押し付けた二人の男は顔を寄せ、小声で話し始める。

140HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:17:07 ID:3pTbBygo0
「ところで伍長、6ポンドのゼリグナイトであの怪物に止めを刺せると思うか?」
「出来ればもう一手欲しいですね。想像したくはありませんが、仕留め切れなかったり失敗する可能性はゼロじゃありませんし」

上官の質問に喜べない事態が起こりうる可能性を指摘するウールトン。それを聞いたブッシュは一つ頷くと考えを巡らせる。

「そうだな……となるとあと使えそうなのは手榴弾か」
「ガソリンとオイルで焼夷弾をこしらえるという手もあります。ただあの怪物に火攻めが効く、というのが前提ですが」
「それについては彼女に聞けばわかるだろう」

そう言うとブラウンの説明に聞き入っているファウナをちらりと見るブッシュ。当の彼女はブラウンの話を聞き終えるとしきりと頷いていた。
どうやら彼の説明――漏れ聞こえてきた内容からするとかなり苦労していたようだ――に納得したらしい。

「ブラウン、どうだ?」
「ご覧の通り、納得して頂けましたよ」
「そうか、では次へ行くとするか」

投げかけられた言葉に返答するブラウン、その態度にも口調にも明らかに皮肉めいたものがあった。
問答無用で説明役を押し付けられたことに対する不満の表明。もっとも押し付けた側はそれをあっさりと受け流し、移動を促すと歩きだした、ウールトンも無言で彼に続く。その背中をまずファウナが足取り軽く、続いてブラウンがため息をつきつつ追う。
ブッシュを先頭に縦一列となって歩く一行、だがその足取りは程なくして止まる。その前には4つの細長い木箱が積み重ねられていた。
薄汚れ、あちこちに文字がステンシルされたそれの蓋が開けられると三つに仕切られた内部が顕になる。左右の空間には鈍い光沢を放つ鋳鉄製の手榴弾が6個ずつ収められており、そして中央の空間には円筒形のブリキ缶が一個。蓋に貼られた丸いラベルに印刷された文字の中には『12 DETONATORS, No.36M GRENADES,』という表記が見て取れる。
その中身は雷管や遅延信管といった部品を一纏めにした手榴弾用の起爆装置。安全のため、運搬時にはこのような形で保管されているのだ。

「これは何でしょう? 投石機用の石弾にしては奇妙な形ですが」
「これは手榴弾という武器ですよ、まあ敵に投げつけるという点では石弾と似たようなものですが」

最初に口を開いたのはファウナ、その顔にはこれまで何度も示した未知の武器に対する興味がありありと表れている。
それに応じたのはブッシュ、今度は彼が説明役を務めるつもりなのだ。

ミルズ手榴弾、前の大戦の時に開発され、現在も製造が続けられている対人手榴弾だ。
最初の世界大戦で大量に生産、使用され、その後も改良型が英陸軍及び英連邦各国の軍隊で使用され続けているこの手榴弾は、縱橫に溝が刻まれた鋳鉄製の丸みを帯びた外殻の中にコイルばねを用いた点火装置と遅延信管、雷管、そしておよそ2.5オンス(約70グラム)の炸薬を収めた構造になっている。
使用する際は手榴弾本体を丸みを帯びた弾体に沿って湾曲している安全レバーごとしっかりと握り、レバーを留めている安全ピンを引き抜いてから敵目掛けて投擲、その後爆発時に飛び散る破片から身を守るため、地面に伏せるか手近な遮蔽物に身を隠す。
彼ら3人にとってはLRDGの一員となる前から何度も手にし、使用してきた馴染みの武器だった。

「そんな武器が一箱あたり12個、4箱で合計48個というわけですか、これだけあれば」
「ただ数は多いんですが威力に問題があるんですよ。こいつでも80ヤードまで詰めないと効果がないくらい頑丈な相手です。こいつじゃとてもとても……」

手榴弾についての簡単な説明を聞き、勢いづくファウナ。そんな彼女の横顔を一瞥した後、幾つもの木箱に混じって置かれている対戦車ライフルを眺めながらそう漏らし、最後に視線を再び彼女の顔に戻すとため息をつくウールトン。
戦車並みに頑丈な相手に対人用兵器である手榴弾が通用するわけがないというごく当たり前の現実に3人の男の表情が僅かに暗くなり、釣られるようにファウナもまた暗い表情を浮かべた。
そんな中、気を取り直したブラウンが提案をする。

141HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:19:20 ID:3pTbBygo0
「こいつを束にして投げつけるというのは駄目ですかね? ほら、ジェリー(ドイツ兵)共がやってるみたいに」

そう言った後でいやこいつは無理があるか、と言い、頭をかく。残る二人の反応も芳しくない。

「うーむ……」
「確かに無理があるな……威力に重量に破片、問題だらけだ」

一時顔をしかめて唸り、次いで首を振るブッシュ、その側のウールトンも彼の提案を否定する。
そんな3人の顔を交互に見るファウナ、内容が理解できてないせいかその表情はもの問いたげだ。

ドイツ軍はポーランドやフランス、バルカン半島や北アフリカの戦場において、戦車やトーチカのような堅固な目標に対して通常の手榴弾を束ねたいわゆる集束手榴弾を使用し、一定の成果を挙げている。
ただしドイツ軍の柄付き手榴弾――その形状から『ジャガイモ潰し』などとも呼ばれる――の炸薬量はミルズ手榴弾のそれの倍以上あるため、ミルズ手榴弾で似たようなものを作ったとしても威力の面ではドイツ軍のそれには遠く及ばない。もし威力の面で同等のものを作ろうとするのなら、今度は重すぎて投擲不可能な、手榴弾とは到底呼べない爆発物が出来上がるだろう。
とどめにミルズ手榴弾は炸裂時に広範囲に破片が飛び散る破片手榴弾。この遮蔽物が少ない土地でこれを実際に使用するならば、爆発時に大量に飛び散った破片が投擲した者を負傷させることはほぼ確実だ。
もっともそうなる前に、投擲可能な距離まで接近しようとして怪物の攻撃を受け、戦死する可能性のほうが圧倒的に高いだろうが。

「重さについてはトラックで一撃離脱戦法でもすれば――」
「いや、そいつは止めた方がいい。今の我々にとってトラックは唯一無二の貴重な存在だ、万が一トラックが破壊された日には我々はおしまいだぞ」

一見悪くないように見えるトラックに乗車して接近、車上から投擲して離脱するという戦術。だがこれも怪物にかなり近くまで接近するというリスクを冒すことになり、当然反撃される可能性も高い。
ファウナを尋問して得られた情報から、怪物は離れた所からの弓矢や投石機による攻撃に対しては無力ではあったが、接近戦においては剣や手槍の間合いの外から一方的に攻撃できるという事が明らかになっている。そんな相手にわざわざ接近するというのはあまりにも危険すぎた。
最悪の場合、怪物の反撃でトラックが停止してしまった所で投擲した収束手榴弾が爆発、ばら撒かれた破片でトラックが損傷、もしくは破壊されてしまう可能性すらある。そうなれば万事休すだ。
トラックという機動力を失った自分たちにはもうこの地の何処かにある筈の怪物の巣を探すことも、見つけた怪物を追い詰めることも、そして何より、目の前にいる怪物から逃げることすらできないだろう。

「やっぱりこのままじゃ駄目ですよね……だったら中身をほじくり出して空き缶にでもまとめれば。そうすれば軽くなる。あと手榴弾の信管を使わず、雷管と長めのタイムヒューズを使えば上手くいくかも」
「製作作業は手間がかかるだろうな。とはいえそれが現状では最善手か、どうなのか……うーむ」

問題点を指摘されてもめげることなく提案を続けるブラウン。彼の新たな提案を聞き、腕組みをして考え込むウールトン。

「昔あった『ジャム缶手榴弾』みたいなものを拵えるわけか。ふむ……。危険ではあるが…………」

ウールトン同様考え込むブッシュ、彼がふと漏らしたその単語にファウナが反応する。ただしその表情は何とも言えない奇妙なものだ。

142HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:21:32 ID:3pTbBygo0
「ジャム、ですか? 一体どういうことでしょうか? この手榴弾とジャムに何の関係があるのでしょうか?」
「ああ、いや、それはですね……」

突拍子もない発言に一瞬戸惑うも気を取り直し、苦笑交じりに説明を始めるブラウン。それまでの彼女に対する隔意のある態度が影を潜め、彼本来の陽気さが覗いた。

ジャム缶手榴弾、前の世界大戦で急造された手榴弾の一つだ。
その名の通りジャムの空き缶(実際はジャム缶だけが使用されたわけではないが)に爆薬を詰め、雷管と導火線を取り付けたものをより大きな缶に収め、隙間に鉄片やボールベアリングを詰め込んで蓋をしたものだ。
急造品故に扱いやすさや信頼性の面で問題があったため使用された期間ははごく短く、最終的には一行が現在使用しているミルズ手榴弾にその地位を譲っている。
実物を使用した経験こそないもののそういったものが存在していたことは知識として身につけている3人、だが流石にファウナは違った。
まあ生い立ちも住む世界も異なる彼女が先の大戦のあれこれについて知らないのも当然なのだが。
大汗をかきながらファウナ相手にあれこれと説明を続けるブラウン、そんな部下の姿を横目で見ながらブッシュはウールトンと言葉を交わす。

「最初はどうかと思ったがこうなってみると悪くないアイデアだな。実際の作業については注意してやればまあ大丈夫だろう。問題は時間だ。3人で48個全ての中身をほじくり出すのにどれくらいかかると思う?」
「日没までには到底終わりませんな。それにその作業ばかりやってるわけにもいかない」

顔を寄せ合い小声で会話する二人、一方ファウナはそんな二人には目もくれずにブラウン相手にあれこれと質問をぶつけている。

「つまり食べ物の空容器ですら武器にしていたと」
「まあそんな所です。幸い私はその戦争に出征せずに済みましたが、私の故郷でも多くの人々が戦争に駆り出され、二度と帰らなかったんですよ」
「あなた方はそんな戦争を今も……」

愕然とするファウナ、そんな彼女に声をかけたのはブッシュだった。

「ある意味ではあなたのご先祖様の判断は正しかったのかもしれませんね。もし私たちとの関わりを絶っていなかったら、この地は戦争に巻き込まれていたかも知れない。もしそうなったらあの怪物がもたらした以上の災厄がこの地を襲っていたのかもしれません」
「…………」

唇を噛み、黙り込むファウナ。内心では様々な思いが行き交っていた。
この人たちの言うところでは、自分たちが戦っている戦争ははあの怪物による災厄を遥かに上回るという。そんな人物相手に今朝のような振る舞いをしてしまうとは、我ながら何と愚かなことをしたものか。一歩間違えば彼らがこちらにあの武器を向けることだってあり得ただろうに。
だが過去に人間がこの地に災厄をもたらしたのもまた事実。でもこの人たちはその時の人間とは違い、悪しき企みを抱いてはいないことはわかっている。でも持っている力はあの怪物以上。
そんな彼らに私はどう接すれば良かったのだろう…………

そんな彼女をしばし見つめたあと、ブッシュは話題を転じる。

「ところでファウナさん、あの怪物に火は通用しますか?」
「戦士たちが放つ魔法の炎は通用しませんでした。あと油と薪を使って火攻めを行ったこともあったそうですが、はかばかしい効果はなかったと聞いております」
「ふむ…………」

離れた所に並べられた『フリムジー』の方をちらりと見た後ファウナに質問するブッシュ。だが気を取り直した彼女からの返答はあまり景気の良いものではなかった。

「使える時間も少ないことですし、止めておきますか?」
「いや、一つ作っておこう。手数は多い方がいい。擲弾や爆薬で出来た傷にぶつけてやれば効果があるかも知れん」
「またやることが増えましたか。これはボヤボヤしてられませんな」

自分の指揮官の決断に腕組みをして眉を寄せるウールトン。
その表情には今すぐにでもこの面倒な仕事を終わらせて、武器の整備と梱包爆薬の作成に取り掛かりたい、という内心が現れている。
ブラウンもそんな彼をちらりと見たあと、ブッシュに同様の感情がこもった視線を向けた。
そんな二人の無言の意思表示に応えるべくブッシュが口を開きかけた時、それを遮るように声が上がる。

143HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:23:42 ID:3pTbBygo0
「私にも手伝わせてもらえないでしょうか?」

6つの目が同時に発言者、すなわちファウナに向けられる。その視線には様々な感情が込められていた。
驚き、興味、戸惑い、不審感。ただその割合は人により異なってはいる。

「……しばしお待ちを」

短い静寂を破って発言したのはやはりブッシュであった。そのまま二人の部下を連れて歩き出し、彼女と距離を取る。程よく離れたところで足を止め、振り返ると二人の部下の髭に覆われた顔が思いの外近くにあった。その向こうにはこちらを注視するファウナの姿が見える。

「断るべきです、彼女はまだ信用できません」

真っ先に発言したのはやはりブラウン、その内容はこれまで同様彼女に対する不信感を下敷きにしたものだった。
ただし口調にこれまであった刺々しさが無いあたり、彼女を相手にあれこれと会話をしたことが彼の心理に一定の影響を与えたことは間違いないだろう。

「そうは言ってもな、今の我々には時間も人手も足りないのは確かだ。使えるものは使いたい」

年若い部下の相変わらずの態度に内心で辟易しつつもそう現状を指摘するブッシュ。ウールトンもまた彼を援護する。

「向こうから言い出してきたんです、ここは応じるべきですよ。目の届く所で簡単な作業をさせるくらいなら大丈夫でしょう。それに向こうから言い出したことを断ることで、好転しかけた関係がまたぞろ冷え込む可能性もある」

自分の指揮官の意見に賛同しつつ、彼女の提案を拒否することで起こる問題についても指摘する年上の部下。三人のうちで一番年かさな彼の一言で場の流れはファウナの提案を受け入れる方へと動きつつあった。
だがブラウンはまだ食い下がる。

「ですがまだまだ信用できない素人に銃や爆薬をいじらせるなど論外です」
「では食事でも作ってもらうか?」
「うーん……」「それはそれでまずいのでは?」

ブッシュの提案に揃って難色を示すウールトンとブラウン。
銃器や爆薬をいじることよりは危険が少ない作業ではあるが、食事を作ることもまた重要な作業だ。それに担当した人物の適性、能力の有無がはっきりと現れる分野でもある。

「単純でかつ重要性が少ない作業か……土嚢でも作ってもらいますかな」
「少々酷ですが、荷物運びをやってもらうのはどうでしょう」
「ふむ…………」

あれこれと思案しつつ彼女にさせられる作業を挙げてゆく三人。ある程度意見がまとまった所でブッシュは会話を打ち切り、部下とともに彼女のもとへと戻る。立ち去った時と同じ場所に立ったまま、黙ってこちらを注視していたファウナの前で彼女の提案が受け入れられたことを知らせると、目に見えて緊張していた彼女の表情がぱっとほころんだ。

「本当ですか! ……ああ、良かった」

彼女のあまりの喜びように眉をひそめる三人。だが内心の思いを口に出すことはない。
そんな彼女の前でことさらしかつめらしい表情を作り、ブッシュは命じた。
「では、これから作業に取り掛かる。まずブラウンは車両の点検を、伍長は銃器の手入れを頼む。ファウナさん、あなたは私についてきて下さい」

ブッシュの命令をきっかけに動き出す4人。日没までの残された時間をフル活用すべくその歩みは早足だ。
並べられていた弾薬箱の多くが片付けられ、トラックが点検され、そして使用済みの銃器の分解掃除が終わると怪物との決戦に用いられる梱包爆薬や手製手榴弾の製作が開始される。
小さな銀色の雷管に慎重にタイムヒューズが取り付けられ、その雷管がまとめられたゼリグナイトの小さな包みに針金でしっかりと固縛される一方で、幾つもの手榴弾を解体し、充填された爆薬を手作業で取り出すという神経を使う作業が開始される。
ブッシュ、ウールトン、ブラウン、そしてファウナ。生まれも育ちも違う4人の男女は今、共通の敵である怪物を打倒すべく力を合わせていた。
だが、4人のこの努力が勝利という形で報われるのか、それとも敗北と死という結末にたどり着くのか、それはまだ、分からない。

144HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/05/10(水) 21:27:42 ID:3pTbBygo0
投下終了
次回投下は来月中旬の予定です

書いても書いても終わらない、何故だ、と思って字数を確かめてみたらえらいことになっていた
1万6千文字オーバーとは…
あと文字化けしている文字は記号の『ナンバー』です

145名無し三等陸士@F世界:2017/05/11(木) 00:36:18 ID:fvyoHNpY0
英国スレに投稿があることに今更気づいた
うぽつage

146名無し三等陸士@F世界:2017/05/14(日) 20:02:39 ID:uyohS25I0
A9は!A9巡航戦車は出ないんですか!?

ttps://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=62899571

147HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/17(土) 20:52:36 ID:3pTbBygo0
予定通り明日午後9時より投下を開始します

>>146
支援イラスト、ありがとうございます。なんか怪獣映画みたいだ…
あとA9ですか…もし登場する車両がシヴォレーじゃなくA9だったなら現れた怪物をその場でノックアウトしていたでしょうね
(その前に故障とガス欠で行動不能になってるって? ごもっとも)
あと良い機会ですので参考にしたサイトを幾つか挙げておきます

ttp://www.iwm.org.uk
帝国戦争博物館
戦争関連の資料がドッサリ、ただ見てるだけでも飽きない(お陰で執筆がそっちのけに…)

ttp://www.lrdg.org
LRDG Preservation Society(LRDG保存協会)のサイト
他のサイトへのリンクも多数あるため、重宝しました

ttp://www.millsgrenades.co.uk
WW1、WW2の手榴弾をコレクションしている方のサイト
その名の通りミルズ手榴弾がメインですが、他の手榴弾や雷管、時限装置などの画像もあります

いやあ、博物館のサイトって見てて飽きませんよね
見てると時間があっという間に過ぎてしまいますけど…

148HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:00:26 ID:3pTbBygo0
それでは予定通り投下を開始します

149HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:02:47 ID:3pTbBygo0
12、前夜

冷え切った深い闇をオレンジ色の炎が照らし出していた。
日没直後は明るかった空も今は夜闇の支配する場となり、聞こえる音はたまに吹く風が起こす草木のざわめきとストーブの中の木片が爆ぜる時に出す破裂音のみ。あとは底知れぬ深い沈黙が野営地を取り巻いていた。
その静寂の中武器を手にただ一人で闇に目を凝らし、風の音に耳をそばだてるブッシュ。既に二人の部下とファウナはテントの中で眠りについている。今の時間帯は彼が当直なのだ。
そんな彼にひたひたと忍び寄る冷気。そのきつさはブッシュたちがかつて飽きるほど体験したサハラ砂漠のそれには及ばないが、それでも指先や鼻先、耳たぶといった身体の露出した箇所を執拗に攻撃してくる。
その冷え込みを追い払うべく彼は目の前に積まれた木片を一つ手に取り、目の前のベンガジ・ストーブの中へと放り込む。鈍い音、ストーブの中のオレンジ色の炎が火の粉を散らす。揺れる炎の中で投げ込まれた木片――かつて木箱の蓋だったもの――がゆっくりと焦げ、炭へと変わっていく。オレンジ色の炎が僅かに火勢を強め、周囲へ熱を振りまいた。
だが熱せられた空気はごく当たり前な物理法則に従って上昇、その場所には冷たい夜気が周囲から流れ込む。結果ブッシュを取り巻く空気は相変わらず冷えたままであり、炎が投げかける輻射熱だけが彼の体を温めていた。

火を盛んに焚いても一向に去らず、執拗に這い寄ってくる冷気。そんな現状に業を煮やしたかのようにブッシュはいきなり立ち上がった。袖に腕を通さず、マントのように羽織っていただけのトロパル・コートが滑り落ち、その下にあったものが露わになる。
いつも纏っているカーキ色の厚手綿で仕立てられた熱帯野戦服、そしてその上に着用するのは使い込まれたパターン37装備。深夜の冷え込みから身を守ろうとするにはいささか妙な格好だ。
無論、わけもなくこんな身なりをしているわけではない。
その分厚さ故に着用時には動きを束縛するコートの上からさらに装備を装着してしまうとコートと装備が二重に体を束縛し、素早い動きを阻害するからだ。そんな状態で怪物の奇襲を受けた場合、迅速な行動はできないだろう。そう考えたからこそブッシュは敢えてこういう身なりをし、忍び寄る冷気に耐えているのだ。
とは言え、いつ現れるともわからない怪物相手に神経を尖らせつつひたすら冷え込みに耐え続けるというのも楽なものではない。そう思ったブッシュが冷え込みを追い払うべく始めたのは軽い体操だった。
立ったまま両腕両足を屈伸させ、胴を左右にひねり、体を曲げては伸ばす。体を動かすたびに装備のベルトに取り付けられた弾薬入れや水筒がブラブラと振れ回った。
もちろんそうやって手足を動かしている最中も警戒は怠らない。時折体を動かすことを止めて周囲の様子を窺い、耳を澄ます。また手持ちの武器であるEYライフルは体から絶対離さない。
地中から奇襲をかけられる怪物相手には、いくら警戒しても警戒し過ぎるということはないであろうから。

150HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:05:04 ID:3pTbBygo0
そんな体操の時間も程なくして終わる。
締めくくりに何度も深呼吸を繰り返し、肺に、そして血液に酸素を送り込む。冷たい夜気を深く吸い込み、吐き出すという行為を繰り返しつつ足元に落ちているコートを拾い上げ、再度羽織りつつ周囲をゆっくり見回す。ストーブの中の炎が投げかける弱々しい光が野営地の様々なものを闇から浮かび上がらせていた。
必要性の低い車載装備を撤去されたトラックとその側に設置された大小2つのテント、それぞれが防水布で覆われた幾つかの木箱の山、規則正しく並べられた『フリムジー』……何も変わった様子はない、今のところは。
大きくため息をつき、腰を下ろす前に背後に置かれたもの――防水布が被せられた小さな木箱――の状態を確認する。
片手だけで木箱に被せられていた防水布をめくり、その表面を撫でる。普段なら乾いてささくれている表面は夜露のせいか冷たく、しっとりとしていた。ブッシュの眉が寄り、眉間に皺が出来る。夜露が箱の中身に悪影響を及ぼす可能性について懸念しているのだ。

箱の中身、それは3つの梱包爆薬。あの怪物を確実に殺すため、ウールトンが手持ちの808爆薬全てを用いて作り上げた必殺の武器だ。ひと目見ただけでは片手で放り投げられる程度の大きさをした薄汚い布包みだが、威力は製作者の折り紙付きである。
その中身は包装紙を剥がし、3つの塊に纏め直された2ダースの808爆薬。型崩れしないようにありあわせの紙で幾重にも包み直された後防水布でしっかりと包まれ、最後にセフティ・ヒューズを取り付けた雷管を埋め込まれている。
この梱包爆薬、本来であれば可能な限り威力を高めるべく24個全てを一塊にするところではあったのだが、それでは取り回しに差し支えるほど嵩張り、重くなってしまうためこのような形となっている。
6ポンドという重量はブッシュやウールトン、ブラウンといった訓練を受け、実戦をくぐった兵士にとってただ持ち運ぶには苦ではない。しかし、いくら手のひらに乗せられる程度の大きさの物体でも2ダースも集まれば結構な大きさになる。そんなものを戦闘中にあれこれするのはいささか面倒なことなのだ。
そういった意味ではこの梱包爆薬は理想と現実の間にある、妥協の産物であるとも言えた。

「本当は24個全てを一纏めにした上で雷管を二個にして、確実に起爆させるような構造にしたかったんですが」

自身が完成させた武器を前にしながら申し訳なさそうな調子でウールトンはそう話したものだ。

防水布を元通りに被せ、腰を下ろすブッシュ。目の前のストーブに再び木片を放り込むと、今度は防水布を被せられた小さな木箱の山――様々な弾薬箱の山――へと視線を転じる。
そこにはウールトンが梱包爆薬を製作していた頃に彼が作っていたもう一つの手製爆弾、言うなれば『ジャム缶手榴弾もどき』が収められた木箱があった。

151HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:07:17 ID:3pTbBygo0
年上の部下が野営地から離れた場所で爆薬と雷管を相手にするという神経を使う作業に没頭していた頃、ブッシュもまた他の場所で神経をすり減らす作業に集中していた。
相手にしているのは木箱に入った手榴弾が4ダース、これを手作業で解体し、中にある高性能爆薬を取り出すのだ。ただし取り出さなければならない爆薬は製造の際、鋳鉄製の弾殻の中に直接流し込まれているため取り出す作業は一筋縄ではいかない。
この難題に直面したブッシュが最初にとった行動は道具を作ることだった。
トラック備え付けの手斧で運搬用の木箱を解体、さらに細かく割ったあと銃剣やポケットナイフを使って削り、木のヘラを数本製作。これを用いて爆薬をほじくり出す。無論、その手つきは極めて慎重、かつ細心であり、作業を行う彼の表情には内心の緊張がはっきりと表れていた。
何しろ起爆装置を取り外されているため爆発の危険はほぼないとはいえ、爆薬を相手にするのだ。もしこれで平然としていられる者がいたとすれば、その人物は並外れた強靭な精神の持ち主か、あるいは桁外れの愚か者だろう。
慎重な手つきで単調な作業を繰り返すブッシュ。彼の目の前に置かれた空き缶には掻き出されたバラトール爆薬が時間の経過とともに増えていく。ただし作業に慎重を期しているがゆえに、その増えるペースは非常に遅々としたものだ。
幸い一足先に自分の作業を終わらせたウールトンが途中から応援に加わったが、それでも結局全体の半数、つまり24個の中身を取り出し、手持ちの空き缶の中で一番大きなものに詰め直したところで作業は終了となる。
その量ざっと2ポンド半(約1.1キログラム)、ただし作業の安全のため、雷管の取り付けは明日、明るくなってからとなった。
日没前の暗がりの中、戦闘と作業によって心身ともに疲労した状態で爆薬への雷管の取り付けという危険度の高い作業を行うことを指揮官であるブッシュが止めさせたためである。

「皆今日は色々なことがあって疲れている。残された時間は少なくやることは多いが、だからこそ無理は避けたいのだ」

夕焼けで赤く染まる西の空を背にしてブッシュはそう言い、この状況でも作業の続行を主張する二人の部下を制した。

その出来かけの『ジャム缶手榴弾もどき』は湿気を防ぐために防水布に包まれ、空っぽになった手榴弾運搬用木箱の一つに納められた状態で他の弾薬と一纏めにされている。
何事もなく夜が明けたなら、ブッシュ自身の手によってセフティ・ヒューズを取り付けた雷管が取り付けられることになるだろう。

152HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:09:46 ID:3pTbBygo0
知らず知らずのうちにふけっていた物思いを打ち切り、再びストーブに向き直るブッシュ。その火勢が未だ衰えていないことを確かめると、再度野営地を見回す。
トラック、木箱の山、テントといった様々なものが炎が投げかける弱いオレンジ色の光によって闇の中にぼんやりと浮かび上がっているが、それらのどれにも未だ異常はない。その視線がある一点で止まった。
トラックからも燃料や弾薬といった物資の山からも離れた場所、そこにぽつんと置かれているのは何の変哲もないエンジンオイルの缶。だが、その中身はオイルではなく手製の焼夷剤だ。
もっとも焼夷剤と言っても本格的なものではない。車両用のガソリンにオイルとグリスを混ぜて粘り気を出したところに乾いた土を加えただけのもの。その外見はひどい匂いのする汚らしくドロリとした物体であり、トラックの車載装備を撤去する傍らで製作を監督したブラウンの言葉を借りるなら『油臭い泥』とでも呼ぶべきものだ。ただしその製作を実際に行ったのはブラウンではない。

ファウナ、彼女はブラウンの監督を受けながら作業用の手袋をはめた手でバケツ代わりの『フリムジー』にガソリンとオイル、そしてグリスを流し込むと、気化したガソリンのひどい匂いに顔をしかめながら乾いた土を投げ込んではかき混ぜるという単調な作業を弱音を吐くことなくやり遂げ、さらに出来上がった汚らしいものを漏斗を用いてオイル缶に詰める所までを自らの手でやり遂げていた。
流石に起爆用の手榴弾を針金でくくりつけるという作業はブラウンが行ったが、作業内容から見てもこの焼夷弾を製作したのはファウナである、と言っていいだろう。
また彼女はこれ以外にもハンマーやタガネ、金切り鋏などをおっかなびっくり扱いつつ、空っぽになった『フリムジー』を解体して空容器を作ったり、借り物のスコップで土を掘り、土嚢を作るといった作業もやってのけていた。
然るべき訓練を受けたわけではないためその出来栄えについては完璧ではなかったが、作業における積極的な態度や労苦を惜しまないその姿勢は彼女に対して辛辣な評価をすることが多かったブラウンでさえ認めざるをえないものだった。
実際彼自身も作業中のファウナが投げかける質問に対して最初はそっけない態度で返答していたのだが、彼女の態度を見るうちに次第に親身になって答えるようになり、最後には自分が受け持つ作業――トラックの機動力を高めるため、様々な車載装備を撤去する――を中断し、彼女のそばでその手をとって教えるほどの熱意を示している。
こうして一同が力を合わせて必要なものを何とか完成させ、その後一連の作業の後始末を終えた時にはあたりはすっかり暗くなっていた。
その暗がりの中、一同はベンガジ・ストーブに再び火をおこし、やや遅い夕食の支度に取り掛かることになる。

153HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:11:55 ID:3pTbBygo0
もっとも夕食と言っても昨夜のそれとは違い、調理に割く時間も手間もなかったため内容は昼とほぼ同じ、つまり相変わらずのビスケットとコンビーフ中心のものだ。ただ火を使う余裕があったため、ぬるい飲料水に代わって熱い紅茶を用意できたこと、そして配給酒が出たことが昼のそれとの数少ない違いだった。
傷と凹みだらけの四角いビスケット缶からこれまた四角いビスケットを幾つも取り出すと人数分の皿に載せ、その隣に缶から取り出したコンビーフを盛り付ける。その一方でストーブの炎で湯を沸かし、お茶を淹れる。
仕上げにラム酒の水割りと貴重な砂糖を入れたライムジュース(これはファウナ用だった)を作ると、一同は煤けたベンガジ・ストーブを囲み食事に取り掛かった。
相変わらず歯が欠けそうなほど固いビスケットをナイフやフォークで細かく砕き、ストーブの火で軽く炙ったコンビーフの塊に混ぜ込む。
溶けて透明になった牛脂を吸い込んで多少柔らかくなったビスケットの細かいかけらと筋張ってパサパサした雄牛の肉をフォークでかき混ぜ、口に運びこむ。お世辞にも美味いとはいえない口当たりと味、外見に至っては議論することすら無駄だろう。
そんな他国の連中――とりわけイタリアやフランスの連中――から見れば料理とすら呼べない食物で粘つく口内に熱い砂糖抜きの紅茶を流し込み、飲み下すと粉末ライムジュースで味付けした配給酒で口直しをする。
決戦前夜の前の晩さんとしては正直、あまりにお瑣末なものだった。

そんな夕食の場に彩りを添えたのはファウナの存在だった。
髭だらけのむさい男たちの中の花一輪。それだけでも彩りとなることは確実なのだが、彼女の存在はそれだけに留まらなかった。
コンビーフに代表される缶詰の食料についての質問に始まり、出された料理の外見や味についての論評、さらには彼女のこれまでの食生活のことにまで話題は及んだ。

この世界に缶詰は存在しないが保存処理をした食料を瓶や樽に詰めて保存することはある。
妖精というものは基本的に菜食であるが肉を受け付けないわけではない。
コンビーフは変わった味だがなんとか食べられる、などといった他愛もない話が繰り返され、話題が変わるたびに4人の男女は笑い、驚き、あるいは頷きあう。
言うなれば戦いとは無縁の会話。それはしばらく前まで戦うための準備に没頭していた一同の緊張を期せずしてほぐすことになった。
そんな会話の中、三人の男たちは目の前の食事に悪戦苦闘するファウナに対してあれこれと世話を焼いた。
固いビスケットの砕き方のお手本を見せるブッシュとウールトン。彼女のコンビーフの味についての発言を聞いてわざわざ手持ちの食料品を漁り、以前エジプトで仕入れた干しナツメヤシを一皿用意するブラウン。
もともと彼女に好意的でなかった彼のこの行動にブッシュとウールトンは内心驚いたが、それを表に出すことはなかった。
そしてそのナツメヤシを喜んで食べるファウナ。どうやら彼女もまた人間の女性と同様に甘いものを好むらしい。だが干しナツメヤシをつまみながら彼女が発した何気ない言葉に男たちは揃って首をひねることになる。
妖精は人間と違い、食事を取らなくともしばらくは大丈夫だというのだ。
この彼女の言に男たちは口々に質問と疑問を述べ立てる。

154HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:13:33 ID:3pTbBygo0
曰く、空腹感で辛い思いをすることはないのか
曰く、美食を楽しむという文化はあるのか
曰く、空腹と不味い食事とではどちらがマシなのか

その他にも様々な質問があった。時には女性相手にするにはいささか躊躇われるようなものもあったが、彼女は嫌な顔一つすることなくそれに答えていった。

妖精は人間と違い、草木のように水と風、そして陽の光で命をつなぐこともできる
ただしその時は獣が冬眠するような状態になるため、安全な隠れ家が必要になる

妖精にも空腹感はあるしそれで辛い思いをすることもある

もちろん、美味しいものは大好きだ

食べられるのならば味の善し悪しに文句を言ってはいけない、作ってくれた相手に対して失礼になるから。私はそう教えられた

三人にとって興味深い話をあれこれとするファウナ。そんな彼女が興味を示したのが配給の水割りラム酒だった。
彼女によるとこの地にも酒は存在するがその全てが果実などを醸して作る醸造酒であり、含まれる酒精分もさしたるものではなく、よほどの量を飲みでもしない限りしたたかに酔うことなどないという。
そんな酒しか知らない彼女はウールトンの手によってラム酒配給用の陶製の1ガロン瓶から生のラム酒がマグカップに注がれるところを興味深く観察し、その豊かな香りにラム酒という未知の酒に対する興味をかき立てられていたが、その後で彼女に出された飲み物を味わい、それが粉末ライム(本来配給酒の味付けに用いるためのものだ)と砂糖を用いたジュースであることを知ると明らかに残念そうな表情を浮かべていた。
そんな彼女を見るに見かねた一同は食事の締めくくりとしてラム酒を振る舞うことにしたのだが、蒸留酒という未知の酒についての好奇心を抑えきれない彼女は男たちによる注意をろくに聞かないまま、マグカップに注がれたラム酒を一息で飲み干すという無謀な行為に及んでしまう。
当然の帰結としてその直後、男たちの前でひとしきりむせ返って男たちを慌てさせた後、その顔を瞬く間に赤く染め、ろれつの回らない口調で初めて味わったラム酒に対する感想をひとしきり述べたあと、そのまま草の上に倒れ込んで大きないびきをかき出してしまう。
そんな彼女をブッシュたちは三人がかりで新しく設えた彼女専用のテントに運び込み、手持ちの毛布の中で一番いいものを掛けてやったあとで半ば呆れ、半ば苦笑しつつ顔を見合わせたものだった。

かくしてつかの間の平和な時間は幕を下ろし、男たちは明日の決戦に備えて英気を養うべく床に就く。もちろん、いざという時の備えは怠らない。昨夜同様交代で不寝番に立ち、あの怪物による夜襲に備えるのだ。
ちなみにこの件については尋問の際にファウナが「怪物が夜襲を仕掛けてきたことは私の知る限り無かった」と証言してはいるのだが、その真偽がどうであれ、その言葉を鵜呑みにして備えを疎かにするようなブッシュたちではなかった。
その不寝番は現在二番手のブッシュの番であり、最初に不寝番に立ったブラウンとこれから不寝番に立つウールトンはテントの中で眠りについている。ただその眠りは浅いようで、しきりに寝返りをうっているのがストーブのそばからでも分かるほどだ。
その隣に新たに設えられた小ぶりのテントの中にはファウナ。こちらも毛布にくるまり、相変わらず安らかな寝息を立てていた。
ただブッシュが当直についてからしばらくして彼女は時折寝言と思しき声を発するようになったが、妖精の言葉についての知識のない彼には彼女が幸せな夢を見ているのか、それとも悪夢にうなされているのかを判別することはできなかった。

155HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:15:15 ID:3pTbBygo0
再びストーブに視線を戻し、いつの間にか開いていたコートの前を合わせるブッシュ。
ストーブの中で揺れる炎に視線をやりつつ、神経を触覚、具体的には尻と両足、そして地面に置いた左手に集中する。地中から襲撃してくるであろう怪物が土を掘り進む時に出すであろう振動を捉えようというのだ。
自分たちがつい数時間前に撃退した怪物はあの巨体にも関わらず地下を縱橫に掘り進み、いきなり地上に現れては妖精たちの不意をついていたことを彼はファウナを尋問した時に得られたの情報で知った。
そんな戦い方をする相手に対しては視覚はさして役に立たない。
海中に聞き耳を立て、深く静かに潜航する潜水艦を探し、狩り立てる駆逐艦よろしく大地の動きに意識を集中させ、僅かな振動を感じ取る。そういったやり方をしなければ、自分たちもまた、地中からの奇襲で叩き潰された妖精の戦士たちと同じ末路を迎えるだろう。
もちろん、怪物が現れた時の備えにも怠りはない。
ブッシュの手元にあるのは昨夜手にしていたトンプソンではなくEYライフル、そして羽織ったコートの下に着用したパターン37装備の弾薬入れには.45口径弾が詰まった弾倉ではなく対戦車擲弾が、また胸ポケットには擲弾発射用の空砲カートリッジが詰め込まれている。
さらにテントの前には太い銃身覆いと円盤弾倉が目立つルイス軽機関銃ではなく、長大なボーイズ対戦車ライフルとその予備弾倉ケースが並んで置かれていた。
昨晩彼らが手にしていたエンフィールド小銃やトンプソン短機関銃はトラックに設えられたいつもの格納スペースに収まったままだ。もっとも、対戦車ライフルの.55口径徹甲弾ですら接近しなければ通用しなかった相手に小銃や軽機関銃、短機関銃を持ち出したところで何の役にも立たないのが確実な以上、この判断は当然のことと言える。

ストーブのオレンジ色の炎の前でライフルを手に瞑想するかのように目を閉じ、ひたすら沈黙を続けるブッシュ。
そんな彼の聴覚が草を踏む足音を捉える。ただし地面に意識を集中していたせいで気付くタイミングは普段よりやや遅い。慌てて顔を上げ、音の方向を見る。
ストーブの揺れる炎に照らされているのはファウナだった。睡眠中に何度か寝返りをうったせいか纏った服のあちこちにはしわが寄り、髪も少々乱れていた。
その乱れた髪を整えながら歩み寄り、ストーブの向こう側に腰を下ろすと揺れる炎の向こうからブッシュに声をかける。

「少し前に目が覚めてしまって……眠ろうとしても眠れないのです」

炎に照らされたその顔に困惑の色が浮かぶがブッシュはすぐには返答せず、黙って揺れる炎に目を落としている。
だが沈黙とは裏腹に脳内ではあれこれと思考を巡らしていた。

あの寝言について聞いてみるべきだろうか、止めておくべきだろうか。
そしてこのタイミングで目覚めたのは一同のうちで一番早く床に就いたせいなのか、単にあのような所で寝るということに慣れていないのか。

156HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:16:46 ID:3pTbBygo0
そこまで考えてあることに思い当たる。
ラム酒、彼女にとっては初めての強い酒のせいなのか。
実際彼自身もウィスキーやジンといった強い酒を飲んだ後、喉の渇きで目が覚めるということがしばしばあった。どうやら妖精もそこら辺は人間と変わらないということか。
そのブッシュの推測を裏付けるような言葉を彼女が発する。

「あの、水を頂けませんか? 喉が渇いてたまらないのです」

その一言に羽織ったコートを再び脱ぎ捨てて立ち上がるブッシュ。装備のベルトからぶら下がっている水筒に手を伸ばし、手探りで取り外す。やや重い。
外した水筒を耳の側で降ると水音がはっきりと聞こえた。満杯ではない、だが十分入っている。それを無言で差し出すと彼女は一言礼を言って受け取り、喉を鳴らして飲み始めた。平べったい形をした1クォート(約1.1リットル)入り水筒の中身が瞬く間に減り、やがて空になる。
水筒の水をすべて飲み干すと同時に大きく息をつき、顔をこちらに向ける彼女。ストーブの炎に照らされたその顔には満足げな表情が浮かんでいた。

「足りましたか」
「ええ、ありがとうございます」

感謝の言葉とともに返された水筒を受け取ると元いた場所に戻り、脱ぎ捨てたコートを元のように羽織って座り込む。
ストーブの側、そして軽い体操で体を温めた後ではあったが、冷たい夜気に体を晒したせいで彼の手足の皮膚には微かに鳥肌が立っていた。一方ファウナはいつもの格好のまま、寒がるような素振りも見せない。
こういう所はやはり人間と違うのだな。だからこその荒れ果てた土地で、ただ一人で生きてこられたのだろう。
夕食時に彼女が語ったあれこれを思い出し、心中でそう結論付ける。
そんな彼の心中を知らぬまま彼女はまた口を開く。どことなく落ち着かなげな様子だ。ブッシュ自身が纏っている警戒心を抱いた人間特有の張り詰めた雰囲気を感じ取ったせいだろうか。

「その、よろしければ話をしませんか? 今のままでは寝付けそうにないのです」
「……私でよろしければ、どうぞ」

短く答えるブッシュ。ただしその間も警戒は怠らない。
しばしの沈黙の後、彼女は話し始めた。

「私はこれまで自分から進んで戦場に立ったことがないのです。今日のあの時も無我夢中で、自分自身でも何をしているのかすらわかりませんでした」

そう言うと両の手を目の前まで持ち上げて握り、そして開く。弱いオレンジ色の光に照らされたその指はブッシュのそれとは違い細く、そして華奢だ。
確かに彼女の言う通り、彼女は進んで戦った経験はなさそうだな。昼の怪物との戦いを思い起こしつつ、ブッシュは警戒を続ける。

「そんな私が戦場に立つ。心配でなりません。しかも相手はあの怪物です」

今度は両手で顔を覆い、深いため息をつく。

「夕食の時にどのような戦いをするのかについては聞きましたが、わたしたちは果たして勝てるのでしょうか?」

彼女が手を下ろすと再び顔が露わになる。その表情には不安感がありありと表れていた。

157HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:18:08 ID:3pTbBygo0
「怖いのですね」
「ええ、怖いのです。とてつもなく」

ブッシュの短い、だが直截的な質問にはっきりと言い切るファウナ。その表情には己が臆病者であることを恥じる色よりも怯えの色が強い。
自分たち人間より遥かに長く生きているはずの彼女だが、そういった部分は人間とさほど変わりないのか。それとも彼女が特別なのか。相変わらず警戒を続けるブッシュの思考の片隅にそんな思いが浮かび、そして消えていった。
そんな彼の考えをよそに彼女は話し続ける。

「明日、数多の戦士たちが戦いを挑むも一度も勝てなかったあの怪物に、私たちはたった四人で挑む」

たった四人、という部分を強調するファウナ。

「あなた方は強力な武器を数多く携え、戦う技を身に着け、幾度となく戦いをくぐってきていますが」

そこまで言って言葉を切り、今度は自分の手に胸をやる。

「この私は戦う術など全く知らず、戦場に立ったこともない」

そう言ったあと大きなため息をつき、再び口を開く。

「同胞たちの中でも選りすぐりの勇者たちが立ち向かい、それでも勝てなかったあの怪物に勝てるのでしょうか」

そこまで言い終わるとすがるような視線をストーブの炎越しに向けるファウナ。相対するブッシュは彼女が話し終わっても相変わらず瞑想でもしているかのように身じろぎもしない。
ただし、その頭脳は違った。

戦いの前は誰だって怖くなる、そういう部分も人間とは変わらないか。
しかし人(いや、妖精だな)の上に立つ存在だった人物なのにこの調子とは、彼女の教育者は一体何を教えていたのだろうか。それとも教育自体がなおざりだったのか。
おまけにそのことを差し向かいとは言え、出会ってから一日二日程度しか経っていない相手に話すとは。
余程信頼されているのか、それとも思慮が浅いのか。
まあこの状況では我々しか頼る相手がいない以上、このような振る舞いをするのも致し方のないことなのかもしれない。だがこの調子でろくに眠れず、明日の戦いに差し障りが出るというのは流石にまずい。
ここは自分たちがついているから大丈夫だと励ますべきか。それとも恐怖心は誰もが抱くものであり、それは人としてまともな感情の動きだ、とでも言うべきか。

相変わらず無言のままあれこれと考えを巡らせるブッシュ。一方ファウナは黙ったままのブッシュに不安げな視線を向けつつ、この状況に落ち着かないのか小さく身じろぎを繰り返していた。

158HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:19:39 ID:3pTbBygo0
やがて彼女はこの状況にたまりかねたのか口を開く。だがその口から言葉は発せらることはない。沈黙を続けていたブッシュがついに両目を開き、話しだしたのだ。
ただしその両目はファウナに向けられているが、ここにない何かを見ているかのように焦点が微妙にずれている。

「妖精についてはわかりませんが、人間というものは皆そうです。たとえ戦いの技を身に着け、何度も死線を潜っていても、恐怖心というものから逃れることは出来ません」
「それは、あなたもですか?」

ある意味不躾な質問を投げかけるファウナ。だがブッシュはそれに答えず、話題を転じる。
ただ再度口を開くまでにごく短い沈黙が、そして顔には僅かな動揺があったのだが、それは夜の闇のせいもあって気付かれることはなかった。

「ある人のことについて話をしましょう」

そのまま流れるように話し出す。ただその口調はわずかに早く、声も幾分大きい。
一方ファウナは質問に応えることなく不意に話題を転じたことについて一瞬何か言いかけたが、ブッシュの途切れることのない語り口に口を閉じ、次第に聞き入るようになる。
ただし、目の前の男の微妙な変化については未だに気付いていない。

「彼は強者でもなければ勇者でもない。むしろひ弱な人物だった」

そこで小さく咳払いし、言葉を継ぐ。

「並外れて忍耐強いとか人格者というわけでもない。むしろ小心者と呼ぶべき存在だった」

相変わらず焦点が微妙にずれた視線、それが上向き、何もない暗闇を向く。

「そんな自分が好きになれなかった彼。それでも自分の背負ったもののため、必死に努力し、研鑽を積んで己を変えようとしてきた。彼の家族もまた、苦しむ彼を励まし、助けた」

たとえそうでなくとも、そうであるように振る舞うことは出来るんだ。
そう、役者や俳優が演じる役になりきるように。
そして何時でも何処でも、どんな時でもそうやって振る舞えるのなら、それは『そうである』ことと同じこと。
そう思わないかい?

「ある時、ありのままの自分が好きになれず、自己嫌悪に苦しんでいたその人物に対して親が掛けた言葉です」

己を偽ることを良しとするその内容に驚くファウナ。ある意味嘘を肯定するようなその考えは彼女には到底受け入れがたいものだった。知らず知らずのうちに形の良い眉が寄り、眉間に縦皺が幾つも刻まれる。
だが彼女の驚愕と嫌悪感をよそにブッシュは喋り続けた。その両目は相変わらず彼女ではなく、何もない虚空を見ている。
そしてその声は、本人も知らぬ間にかなりの大きさとなっていた。

159HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:21:12 ID:3pTbBygo0
「だが、その家族はもういない。彼が戦場で戦っている時に、故郷を襲った戦火により命を落としたのです」

家族の死、それを聞いて嫌悪感を微かに滲ませていたファウナの表情が緩み、今度は死者を悼む者特有の沈鬱さを湛える。
ただその中には嫌悪感も未だ残っており、彼女の心が二つの感情の間で揺れ動いていることが見て取れた。

「だけど家族の言葉は彼の心のなかに息づいており、彼の心の支えになっています」

その一言を最後に口を閉じ、沈黙するブッシュ。開いていた両目も閉じられ、その顔にはあの瞑想するような表情が再び浮かんでいた。
自分のことが好きになれず、かといって望むものにもなれず苦しんでた男。そんな彼に『己を偽る』という、ある意味間違った行いを勧めた家族。だがそれは苦しんでいた男にとっての救いとなり、彼は何とか立ち直った。
苦しむ人を救ったことを良しとすべきなのか、間違った手段を取ったことを責めるべきなのか。ファウナには判断がつきかねた。
行きつ戻りつするファウナの思考、そのせいで先程まで彼女に取り付いていた怯えはいつの間にか消えている。
だがその思考が突如、別の方向に旋回した。

「その人とは一体誰なのですか? どうやらあなたはその人物のことをよく知っているようですが」
「それは話せません」

返ってきたのは短い、だがきっぱりとした言葉。一瞬なぜ、と問い返しそうになるも、慌てて思い直す。
誰がどう見ても自慢話とは正反対の内容。まともな者ならばそのことが他人のことであったとしても、余程のことがない限り話そうとはしないだろう。むしろ、そんな話しづらい事を敢えて口にしてくれた彼に感謝すべきではないのか。
そんな彼女の思考をブッシュの声が遮った、その声音はやや固い。

「あれこれと考えていらっしゃるようですが、続きはあちらでなさったほうがいいのでは? 冷え込みは体に毒ですよ」
「…………ええ」

言葉をかけ、同時に腕を上げてテントの方角を指し示すブッシュ。しばらくのためらいの後、ファウナは立ち上がる。
闇の中草を踏む足音が遠ざかっていき、やがて途切れる。一方ブッシュは相変わらず無言のままライフルを手に座り込んでいた。彼が羽織っていたコートの前はいつの間にか開き、そこから冷気が流れ込んでいた。
冷たい夜気により冷えてゆく彼の体、だが今の彼の精神はそんなことを気にするような状態ではない。
心のなかで口を極めて己を罵る。

他人の事だと誤魔化しつつやってしまった自分語り。もっと上手い切り返し方もあったろうに、お前は一体何をやっているんだ、エドワード。
ここでは自分が指揮官で、指揮官とはいかなる時でも動揺せず、諦めない存在だ。
その指揮官自身が『自分は本来弱い人間ですが、それを偽って生きてきたのです』などと白状してどうする。それとも己の弱さを告白することで彼女に同情してもらいたかったのか、この弱虫め。
あんなことを言った日には彼女は余計に動揺するのは確実。こんな有り様で、明日の戦いはどうする。
もし彼女が何かしくじったら、それはお前のせいだぞ、この大馬鹿者め。

乱れる感情を押さえ込むべく、周囲への警戒を一層強めるブッシュ。ひたすら神経を研ぎ澄まし、足元の地面へと意識を集中する。
だが彼は知らなかった、テントの中のファウナが自分の想像とは違ったことを考えていることを。

160HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:22:39 ID:3pTbBygo0
テントの中、冷えた毛布にくるまったままで彼女は考える。
話しづらいことをあえて話してくれた、それは内心を打ち明けた私に対する返礼なのかも。だとすると、ある人物とはやはり彼自身なのか。
でも決戦を明日に控えているのに、なぜ今になって己の弱みを晒すような真似を?
いや、これも彼なりの意思表示なのかもしれない。

あなたは私たちに初めて会った時、真実を告げませんでしたね。もちろん今ではそれが考えあってのことだと分かっています。でもその判断が間違っていたのはわかるでしょう。
だから、私は真実を告げます。たとえそれが己にとって不都合なことだとしても。
互いに隠し事をしていたままでは、心を一つにして戦えないじゃありませんか。

「ええ、本当にそうですね……本当に」

体温で温まってきた毛布を被り、小声でつぶやくファウナ。
彼女は当のブッシュにはそんな考えなどなかったのでは、などということは微塵も考えず、彼の言葉をどこまでも肯定的に捉え、解釈していた。
その結果彼女が出した結論は明らかに間違ってはいたが、結果として明日に控えた怪物との戦いに不安を抱く彼女の心を落ち着けることとなる。
やがて彼女のテントからは安らかな寝息が聞こえだす。一方隣のテントではいつの間にか目を覚ましていた二人の男がじっと身動きもせず、ただひたすらに耳を澄ましていた。
盗み聞きという不道徳な行為、それも自分たちの指揮官という敬意を表すべき人物が行った告白を陰からこっそりと聞くという恥ずべき行為に手を染めた二人は、その行為に対する罪悪感、他人の秘密を聞くという行為に対するいささか歪んだ高揚感、そして共犯者という連帯感を胸に抱きつつ沈黙を続けていた。
その沈黙を若い声が破る。

「ハンク?」
「……いいから寝ろ、寝とかないと明日はきついぞ」
「はい……」

再び静まり返るテントの中。
夜の闇は相変わらず深く、そして沈黙は重かった。だが四人の男女はそれぞれの思いを胸に夜明けを待つ。
その先に待つ苦難を打ち破り、未来を掴むために。
ただ彼らにとって最大の敵は、他でもない己の心だった。
そして彼らが内なる敵と眼前の敵を打ち破り、未来を手に入れられるかどうかは、未だわからない。

161HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/06/18(日) 21:24:18 ID:3pTbBygo0
投下終了
次回投下は来月下旬の予定です

次回、再びの戦闘回
上手く書けるかなあ…

162HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/30(日) 19:06:59 ID:SOvPWnV60
予定通り明日午後8時から投下を開始します

163名無し三等陸士@F世界:2017/07/30(日) 23:24:00 ID:xkLnz4nk0
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

164HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:00:28 ID:SOvPWnV60
それでは投下開始します

165HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:02:42 ID:SOvPWnV60
13、決戦

どこまでも続く不毛な大地と晴れ渡った空、太陽は今や東の空を離れ、南東の空高くにあった。
その金色に輝く太陽から降り注ぐ激しい陽光、今もじりじりと大地を熱している。そして熱せられた大地は大気を暖め、風を起こす。今もまた一陣の風が吹き、乾ききった大地から土を巻き上げた。
やがて風は弱まり、巻き上げられた土は大地へと還る。だが幾分かは異なる場所へと落ちた。乾いた台地の上にぽつんと停車しているトラックの上だ。
降りかかる細かな土埃、汚れ放題の車体がまた汚れる。さらに土埃はトラックの周囲にいる四人の男女にも降りかかり、彼らの衣服を汚し服の下にまで入り込んだ。
だが誰一人身じろぎせず、声すらも発さない。
左前輪側のブラウン、右前輪側のブッシュ、左後輪側のウールトン、そして右後輪側のファウナ。ある者は乾いた地面に座り込み、またある者はしゃがみ込んだまま、それぞれの『持ち場』で目の前に置かれた急拵えの金属容器の中をじっと覗き込んでいた。
金属の地肌があらわになったギザギザの縁が目立つ容器。その表面には横半分に切られた帆立貝のエンブレムや逆さになった『SHELL』の文字、車両用ガソリンであることを示す『MT BENZINE』の文字とその下に記された上向き矢印――官給品であることを示す『ブロードアロー』印――が描かれている。ブッシュたちにとっては見慣れた容器、ガソリン用の『フリムジー』を半分に切断したものだ。
ただし入っているのはガソリンではなくただの水、オアシスにある池から汲み上げられた何の変哲もない真水だ。だが今は『フリムジー』に残っていたガソリンが混じってしまっているためもう飲むことは出来ない。
そのガソリンの油膜のせいで虹色にぎらつく水面が小さく波立つ。
起こった波、それは砂粒の類が落ちた時に出来る同心円状の波ではなく風が起こす風蓮状のものでもない、『フリムジー』自体の振動が作り出す、周囲から中央へ向けて広がる波だ。
それが時間の経過とともに徐々に大きくなる。

「来ました!」

『フリムジー』から顔を上げ、叫んだのはウールトン、残る三人が弾かれたように立ち上がる。声を発したウールトンもまた同様に動いた。
ブラウンとブッシュがほぼ同時に運転台へと駆け上り、ウールトンは後輪に足をかけ、荷台へとよじ登る。そしてファウナは魔法の力を発動させ、文字通り荷台へと飛び乗った。そのまま荷台を走り、荷台の前端右側へと陣取る。
一息遅れてウールトンがその反対側に腰を下ろすと揃って足を踏ん張り、荷台の囲いを掴んで急発進に備える。一方運転台ではブラウンがエンジンを始動させようと躍起になっていた。スターターが唸るがエンジンはまだ掛からない。暫くの間停車していたせいでエンジンが冷えてしまっているのだ。

166HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:05:18 ID:SOvPWnV60
「よし掛かった!」

三度目でようやく息を吹き返すエンジン。聞きなれた、しかしどことなく不安定な唸りが響く。だが暖機運転をする余裕などない。
そのままクラッチを繋ぎ、アクセルを踏み込んで一気に発進。ハンドルを切って方向転換しつつギアを手早く入れ替えて加速、エンジンが時折妙な音を立てた時はいつもよりアクセルを多めに踏み込むことで誤魔化す。

シャーシとサスペンションを軋ませつつ土埃を蹴立てて加速するトラック。そのすぐ後ろで昨日と同様に大地が丸く窪み始める。
加速するトラックを追いかけるかのように瞬く間に広がる窪み、その拡大が止まると今度は中央が深く落ち込んだ。そしてそこから土砂が盛大に吹き上がる。
白茶けた土煙が瞬く間に窪みを覆い尽くす。だがその土煙も風のせいで少しずつ薄れ、拡散してゆく。ただし次から次へと土砂が舞い上がるせいでその薄れる速度はさほど早くはない。
そんな恐ろしげな光景から逃げ出すかのようにトラックはひたすら加速を続ける。だが車上の一行の視線は一人を除いて薄れつつある砂煙に釘付けになっていた。
その頭上に細かな小石が降りかかる。耳に聞こえるカン、カンという断続的な音。小石がトラックの車体に当たる時に出す音だ。
ちなみに小石は車体のみならず一行の被っているシュマグやヘルメット、衣類にも当たっているのだが、この状況でそれを気にかける者は一人もいない。
何としても倒さなければならぬ敵がすぐそこにいる。その事に比べれば降りかかる小石など瑣末なことなのだ。
もっとも、小石といってもトラックの所まで飛んで来るものはごく小さな軽いものばかり。もし手や顔のような露出した部分に当たったとしても怪我どころか痛みを感じることすら無いだろう。

激しい揺れに弄ばれ、埃塗れになりながらも土煙を凝視し続ける3人の男女。その目の前で土煙がようやく薄れ始める。
窪地の縁がはっきりと見えるようになり、そして薄れつつある薄茶色のカーテンの向こうに巨大な、見覚えのあるシルエットが浮かぶ。そしてひときわ強く吹いた風が大気中の土埃を払った時、そこには彼らが倒さなければならない敵の姿があった。
昨日見た時と変わらぬ巨体を蠢かせ、穴からゆっくりと這い出してゆく怪物。凸凹した砂色の表面には見て取れるような傷はなく、動きにも負傷したもの特有のぎこちなさはない。
やがて怪物は穴から完全に抜け出ると、トラックの方角目指してゆっくりと進みだす。その動きには昨日攻撃を受けた時の戸惑い、迷うような様子はなかった。

167HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:07:44 ID:SOvPWnV60
「おいでなすったな、化物め!」

フル回転するエンジンの轟音と吹き付ける風を貫いて響く怒声。荷台のウールトンが叫んだのだ。彼の叫びは嫌悪感の現れか、それとも己と仲間を鼓舞するためのものか。
怒りをたたえた彼の横顔、その伸び放題の赤茶けた髭の中に覗く歯はどことなく肉食獣の牙を連想させる。その隣のファウナは無言のまま、思いの外速い速度でトラックを追いかけてくる怪物を鋭い視線でただひたすら見据えていた。だが強く引き結ばれた唇が彼女の内心にある強い決意と闘志を明確に示している。
そして、ブッシュ。
助手席の上に後ろ向きに膝立ちになり、荷台の囲みを両手でしっかりと掴んでいる彼の表情には怒りや闘志といった感情に由来する成分は見て取れない。ただその青い両目は大きく見開かれ、土煙を蹴立てて進む怪物をじっと観察していた。そして頭脳はただひたすら理知的に相手を値踏みし、その行動から相手の状態を推し量ろうとしている。
しばらく前まで彼の内心にわだかまっていた不安感も今だけは影を潜め、訓練により培われた軍人として、兵士としての部分が彼を突き動かしていた。

そんなブッシュの目の前でファウナが振り向く。
思いの外近い距離にある顔。彼女の形の良い眉毛の毛一本一本ですら見分けられる距離。吹き付ける風が彼女の長い髪をなびかせている。
だが彼女は何を言うわけでもなく、ただ黙ってブッシュを見つめていた。

「大丈夫ですよ、朝話し合い、その後で練習した時の手順通りにやれば大丈夫です」

心の奥底に押し込めた感情が蠢くが、それを押し殺して彼女に笑みを作り、吹きすさぶ風に負けないよう大声で話しかける。ファウナもまた黙って頷いた。
それに頷き返すと、起床から出撃前までに行ったあれこれを脳内でもう一度反芻し、為すべきことを再確認する。

決戦の日の朝、起床した一行は昨夜見聞きしたことをひとまず腹の奥底に収め、まずは目前の作業へと意識を集中した。
もちろん、各々が見聞きしたことを『なかったこと』として心の奥底に封印してしまったわけではない。それよりも大事なことが目の前にあるからこその行動だ。
使った毛布とテントを畳み、冷たい水で顔を洗って眠気を吹き飛ばし、手持ちの食料を用いて朝食を作る。主食は昨日の朝と同じ熱いオートミールの粥。ただし今日のそれは塩多め、そして量自体も少々多め。付け合せにはベーコンと缶詰野菜の炒め物。仕上げはミルクをたっぷり入れた紅茶。これから行う戦いが長引いた時のことを考え、しっかりと栄養を補給するためだ。
勿論内蔵に負担がかかるような量ではない。栄養補給は大事だが、腹がもたれるほど食べることは兵士としては論外の行為なのだ。
車座になって座り、出来たての朝食を口に運びつつ一同は今日行われる決戦についての計画を検討する。

168HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:10:02 ID:SOvPWnV60
「機動力こそが我々の身を守る盾だ」

湯気を上げるオートミール粥を前にそう言い放ったのはブッシュ、その言葉にブラウンとウールトンがすかさず頷く。自分たちの乗るトラックが元々軍用車ではなく、エジプトで民間向けに販売されていたものを軍が購入、然るべき改造を加えたものであることを知っているからこそ出た言葉だ。
お世辞にも堅牢とは呼べないシャーシとむき出しの運転台、そして装甲が一切施されていない車体を持つ自分たちのシヴォレーがあの巨体による体当たり、もしくは巨体の内部に隠し持っているという太長い鞭のような器官(ファウナは舌ではないかと話していた)の強烈な一撃を受けた日にはひとたまりもないだろう。
ならば機動力、つまり足の速さを頼りに距離を取ることで自分たちの身の安全を確保するしかない。

「だからまず可能な限り開けた場所を探し、そこを戦場とする。あいつをおびき出すんだ」

そう言ってファウナの方を見るブッシュ。二人の部下もまた彼に倣う。

「……分かっています。それが私の役目なのですね」
「やってもらうことはまだまだありますよ」

ブッシュの言葉と仕草から込められた意味――自分の役目は怪物をおびき出すための餌――を読み取るファウナ。
覚悟はしています、そう言い添えると表情を引き締める。
そんなファウナに声をかけるブッシュ。彼女の緊張を和らげようとしているのか、その口調はやや軽めだ。
続いてブラウンが口を開く。ただし内容はファウナに関するものではない。

「ですがあいつは地下を動き回るんですよ。近づいてきたことをどうやって知るんです? 海軍の連中を真似て地中の音でも聞くんですか?」
「それについては手は打ってある。例の半分に切った『フリムジー』だ」
「昨日ファウナさんに作ってもらったあれですか、あれで音を増幅するとか?」
「いいや、だがまあ近くはある」

そう言って説明を始めるブッシュ。
あの怪物が地中を掘って動き回るのなら、必ず振動が起こるはず。それを捉えるため、あの『フリムジー』に水を張って地面に置く。
あいつが近づいてくれば振動で波が立つだろう。

「なにしろあの巨体で地下を掘り進むんだ、振動が相当遠くまで伝わるのは確実だよ。ただこっちもエンジンを止めて待たなきゃならんがな」

思案顔の一同を前にそう説明を締めくくると、今度はウールトンが口を開いた。

「近づいてきたら攻撃準備、そして現れた所にありったけの攻撃を叩き込むと?」
「いや、まずは乗車して距離を取る。トラックの真下に大穴を開けられた日にはそれこそおしまいだからな」

169HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:12:17 ID:SOvPWnV60
その後離れた所で停車、射撃準備を整え、接近してきた怪物に対して対戦車ライフルと擲弾による一斉射撃を行う。そのままギリギリまで攻撃を続け、その後乗車してまた距離を取る。
これを数度繰り返し、怪物を弱らせた所で梱包爆薬を使用、それでも仕留め切れなければ『ジャム缶手榴弾』と焼夷弾も使用する。
これがブッシュの立てた作戦だった。

「正直大雑把だし穴もある。だが我々の手にある武器は少なく、時間はもっと少ない」
「なあに、こういうのは大雑把な方がいいんですよ」
「ええ、お偉方の考える『緻密な作戦』の正反対をやればまず大丈夫、そうじゃありませんかね」

昨夜の当直の間に立てた作戦を披露し終えると言い訳がましい言葉で最後を締めくくるブッシュ。そんな上官が披露した作戦を二人の部下は概ね好意的に受け入れた。
戦場という何もかもが流動的、かつ不透明な場所においては緻密さや正確さよりも速さと果断さが大事であることを経験として知っているからこそ出た言葉である。
そんな一座の中で手を上げ、質問を発した者がいた。

「あの、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」

ファウナのその声に頷き、先を促すブッシュ。彼も、そして後の二人もその整った顔を凝視する。図らずして一座の注目を一心に集める事になった彼女。だが気後れした様子もなく話し出す。

「移動中に怪物が現れた場合はどうするのでしょうか」
「その場合は開けた所まで移動して下車、そのまま怪物を迎え撃つことになりますね」

「接近してきた怪物がなかなか地上に出てこない場合は?」
「その場合は同じ場所を周回したり、敢えて低速で走行するなどして誘い出します」

「地上に出た怪物がこちらを警戒して近付いてこなかった場合は?」
「あなたを目の当たりにしてなお躊躇う可能性は極めて低いでしょうが、その場合はこちらから接近することになりますね」
「となると、荷台で擲弾を撃つということになりますな。こりゃ少々厄介だ」
「ああ、正直やりたくはないが、他に手がないのならやむを得ない」

ファウナの矢継ぎ早の質問に落ち着いた様子で答えてゆくブッシュ。そのやりとりに所々で口を挟み、細部について確認するウールトンとブラウン。
彼らが手にしている皿に盛られた熱い料理がゆっくりと冷めてゆくが、誰もそれを気にすることはない。それほどまでに彼らは会話にのめり込んでいた。
だがその流れが奇妙な形で断ち切られる。

170HF/DF ◆e1YVADEXuk:2017/07/31(月) 20:14:09 ID:SOvPWnV60
「あとは……いえ、もう結構です。ありがとうございました」
「?」

恐らく十数度目になるであろう質問を口にするも、自らそれを取り消すファウナ。怪訝そうな男たちの視線を避けるかのように顔を下げ、冷めかけの料理に視線を落とす。
なんとも言えぬ奇妙な空気が流れかけるが、ブラウンの一言がそれを吹き飛ばす。

「朝飯、冷めちまってますね」「ん? ああ、こりゃいかんな」
「すみません、私が質問したせいで折角の料理が……」

そう言って自分たちも朝食を平らげにかかるブラウン、ウールトンもまた彼に倣った。ブッシュもまた部下に倣い、手にした皿に盛られたものを口へと運ぶ。
そんな男たちに謝罪の言葉を述べると、ファウナもまた料理を口に運び始める。
そして皿の上のものが全て一行の腹の中に収まる頃には、男たちは彼女が何かを言い掛け、それを引っ込めたということをすっかり忘れていた。
ただ彼女の胸中には発することのできなかった問いがわだかまる。

もしこの戦いに勝てなかったのなら、皆さんどうするおつもりなのですか

(大丈夫、戦いの準備は万全で、手元にある武器は強力。これなら勝てるわ)

ふとしたことから抱いた迷いと不安を周囲に気取られぬよう注意しつつ、彼女は自分自身に心のなかでそう言い聞かせた。

かくして食事を終え、必要な装備を身に着けると様々な武器、弾薬を携えてトラックに乗り込む一行。そのトラックは昨日ブラウンの手により可能な限りの整備を受け、さらに軽量化のために不必要な車載装備を撤去されている。
サンドチャネル(もっともらしい名が付けられているが、要は道板だ)やスコップといった砂漠でスタックした時に使用する機材、荷台側面に後付けされた幾つもの物入れ、運転席そばの架台にはめ込まれている予備のタイヤと助手席前のルイス軽機関銃、そういったものを撤去されたトラックは以前の軍用車両らしいごたついた姿とは全く違う、本来のすっきりとしたシルエットを幾ばくなりとも取り戻していた。
もっとも、その姿はどちらかというと頼もしさより頼りなげな雰囲気を漂わせていたのだが、それを口にする者は誰一人としていない。
そして乗車した状態から降車し、射撃準備を整えるまでの手順を確認。最後に簡単な訓練を数回行って仕上げとする。
ちなみに最後の訓練は実質的にファウナのためだけに行ったものであるが、この時彼女は魔法の助けを得て軽々とトラックを乗り降りして見せ、彼女のことを心配していた一同を驚かせている。


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