したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

今年10月スタートNHK朝ドラのスレッド

23名無しさんは見た?:2003/04/22(火) 00:23
―姉妹スケーターと言えばクワンや浅田姉妹なども浮かびますが、お互いいい刺激になり
ましたか?妹たちは姉の目からみて、どういうタイプのスケーターだったのですか?
岡本:私達の場合はそんな事はなかったですねー。2番目のすぐ下の妹(いしだあゆみ)
はもう小学6年生ぐらいで芸能界に入ったので一緒にスケートをやっていた時代というの
は4年間ぐらいだったので・・・。3番目の妹(三女、美恵子さん)は中学生からスケー
トを初めて当時は3級ぐらいでも国体に出場できて、その程度だったからあんまり刺激を
受けたということはないです。3番目はどうというレベルのスケーターではなかったです
けど、2番目(いしだあゆみ)は器用でなんでもすぐ出来ましたね。私はどちらかと言う
と不器用で何回もしないと出来ないほうだったのですが・・・。ただ2番目は朝早く起きる
のがすごく苦手だったみたい。朝はなかなか起きてこないのよー。(笑)そのせいで「あ
んまりスケートは好きと違う」と言ってますが・・・。だから体質的にもスケートはあま
り合わなかったかもしれないですね。
―妹のいしだあゆみさんが関西ジュニア選手権で優勝されたが出場年齢に達していなかっ
たのでオープン参加で賞をもらえなかったという話が小説に載っていますがー
岡本:あれはみなさんに言っておかなくてはいけないと思うのですがあの話は本当にあっ
たことですが、だからと言ってそれが原因で妹はスケートを辞めたわけではないです。あ
の当時、全日本は7級さえとれば誰でも出場できましたが、ジュニアは年齢制限があって妹
はまだその年齢に達してなかったのでオープン参加でした。その試合では点数が出たので
自分が何番くらいにいるかということはわかって、妹もまだ小学4年生ぐらいだったので
「なんで私がもらえないの」と泣いていたのは覚えています。しかしそれは一時のことで
あってそれを承知で出場していたわけですからそれが原因でスケートを辞めたわけではな
いです。その後たまたま芸能界に入るということが決まったので辞めることになったわけ
です。
―スケートのどこが好きだったのでしょうか?
岡本:うーん。選手の頃はあまり好きじゃなかったですねー。自分で自覚を持って練習を
始めたときも「苦しかった」ですね。「苦しかった」というのは「辞めたいな」という苦
しさではなくてとりあえず「一生懸命練習しよう」という苦しさで・・・。ですが、でき
たら「逃げたいな」とは思っていましたねー。大学2年の頃からしんどいなりに楽しさを
見つけた気はします。練習はきつかったけど海外試合に出たりしてそういう楽しさも覚え
て10のうち8苦しくても2は楽しいというような感じで癒されたと思います。教えてか
らの方が「充実感」みたいなのはありましたね。選手の時にやり足らなかったような事を
やってみたいというのがあって、自分の夢を託すというのがあり、夢に向けて一生懸命突
っ走ったという感じですね。
―お母さんの五輪への思いがともかく強かったようですが、実際にそうだったのですか?
岡本:それはやっぱりねー。どのスポーツしても目指すところはまず「オリンピック」と
言いますよね。それは本当の最終目標であって、「オリンピック」と言う言葉は口に出さ
なかったけど小学生の頃の私に対する母のプレッシャーはすごかったですよね。今のソフ
トなお母さんという感じはなくて当時の厳しいお母さんという感じでずーっと練習を見張
っていました。それは私達だけではなく当時のトップ選手の親御さんたちはみんなそうで
した。久美子ちゃん(佐藤有香さんの母親、佐藤久美子コーチ)のお父さんもチチローも
顔負けぐらいすごかったし・・・。スケートというのは親も熱心でないとできないスポー
ツで今の親御さん達も熱心ですよね。そうではあるのだけれどもあのときの時代背景とい
うことでさらに強烈でしたね。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板