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夏コミ関連スレ(暫定)

923プリ屋巽:2015/06/09(火) 00:03:34
世の中の王者と呼ばれる人間には、意外と勝ち負けへの執着が激しくて、
自分が勝つためには、倫理的に「え〜〜?」と疑問符がつくようなことでも
平気でやる、むしろ息をするようにやる、という人がそこそこいるように思われます。

例:ミハエル・シューマッハ、徳川家康

こういったタイプの王者は、追い込まれると意外とすぐに情けなさを露呈する
面白いタイプではあるのですが・・・

シューマッハ(とくに若い頃)は、チャンピオンを争っているライバルのマシンに
ぶつけたり、スピンした自車でコースを塞ぎ、レースを中断させたり、
先行するポチ(バリチェロ)に順位を譲らせたり、それをルールで禁止されると、
目に見えない力でポチ車をリタイアさせたり・・・

家康で言うと、ピンチになるとすぐ「自害する!」と言い出しては
(優秀な)家臣に止められるという・・・
豊臣政権を差し置いて征夷大将軍になってみたり、いいがかりをつけて
豊臣氏を滅ぼすための戦端を開き、講和では約束を守らず、大阪城の外堀だけでなく
内堀も埋めたりする・・・

(もしかしたら同族嫌悪で)こういう勝つためにはなりふり構わず汚い手を使う輩を嫌う一方で
主君の恩義に報いようとする不器用かつ一本気な奴が好きだったりします。
要は(日本人に多いと聞く)判官贔屓なだけかもしれませんが・・・

というわけで前置きが長くなりましたが、石田三成、上杉景勝、前田慶次、直江兼続は
大好物だったりします。

それから私は、私腹を肥やさないタイプの政治家が好きなようで、
私の中では石田三成は、諸葛亮と同じ、そういうタイプの政治家に分類されていたり。

この中で一番「賢いな」と思う人はやはり上杉景勝で、
謙信が後継者を決めずに逝ってしまった後の跡目争い「御館の乱」を制したのも
彼ですし、領国を平定するやいなや、勢いを増した信長に領国の四方から攻め立てられ、
絶体絶命のピンチを迎えますが、なんとこのピンチは「本能寺の変」という一大イベントにより
回避されます。
これらの流れにより、謙信時代に権勢を極めた上杉氏は内乱などで衰退します。
ですが、秀吉に上手いこと取り入り、協力を得て再び越後を平定します。
そしてご存知のように豊臣家五大老の一人、小早川隆景(黒田官兵衛が評するに「賢人」)が家督を小早川秀秋に譲ると、
その空いた五大老に就任し、越後、佐渡、信濃川中島(四郡)、出羽庄内(三郡)、合わせて90万石から、
会津と庄内120万石に加増移封されるわけです。
ここが景勝のピークで、関ヶ原では西軍に与し、敗れ、米沢30万石へ減移封されるわけですが、
私的には改易されずに済んで凄くない?と。


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