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夏コミ関連スレ(暫定)

521鈴鈴マーク2:2013/05/15(水) 01:27:11
「八重の桜」は見ておりません。
けど歴史小説は好きなので、この大河をきっかけとして、
新島八重の略歴を見たりしています。
八重もかなりの人物ですが、お兄さんの山本覚馬という人も相当の人物ですね。
恥かしながら、ドラマが放送されるまでこの人のことは知りませんでした。
どうしても、幕末の会津というと白虎隊ばかりがクローズアップされますから、
多分、このドラマがなかったら知る人ぞ知る人物の域を出なかったかもしれません。
例え未視聴でも、色々なきっかけを与えてくれるのが大河ドラマですね。感謝感謝です。見てないけど(^^;

鉄道オタクの立場から会津をちょっと語らせていただくと、
30年ほど前まで、あそこは陸の孤島と言ってよい場所だったのです。
今は東武と線路続きになりましたけど、観光地の割に、本当に鉄道では行きづらかったのです。
邪推ですが、明治維新の際会津藩が、反官軍の頭目のような立ち位置だったので
その影響がずっと続いていたせいだろうと愚考しています。
こんな所にも歴史の傷跡が…などという感傷に自分で勝手に浸っていたものです。
そんな側面から、会津がひどく虐げられていたことは知っているつもりでしたが、
それでも会津よりの視点から語られる明治維新は、左幕派贔屓すぎないか、と思うことしばしばでした。
確かに官軍側は、小栗上野介とか河井継之助などの事例にあるように、
傍若無人なふるまいをあちこちでやっていました。野盗のように嫌われていたとか。
本当は明治新政府を理解していても、佐幕派に加担せねばならなかった藩も沢山あったでしょう。
だから官軍側を悪の権化のように書くのは理解します。
でも、その野盗の親玉にあたる西郷や大久保…大村益次郎も加えていいかもしれませんが…達が
ああいう末路を辿ったことも忘れるべきではないと思うのです。この両者はミックスして考えるべきではないでしょうか。
あの時代、歴史の渦が狂乱の熱を帯びて荒れ狂っていたのだとしたら、
その渦に巻きこまれたのは、なにも、敗者の側だけではなかったのだと、私は思っています。

…ああ、なんだか取りとめのないことをつらつらと書いてしまった…。
済みません、一度落ち着きます。


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