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夏コミ関連スレ(暫定)

490鈴鈴マーク2:2012/12/03(月) 02:35:53
つづき。

・日本芸術学部に「金を払わない裏口入学」で入学。
 今はないが当時はそういう裏口入学の方法があったのだそうだ。
 「てめえらネットに書くなよ!(笑」
・日大は赤坂に迎賓館を有しており(監督在学当時の話。今はもう無い筈、と仰っていた)
 ある年、ケネディの弟がやってきて、その迎賓館で日大の学長と会談した。
 学ランを着込んだ多くの学生たちが、迎賓館前にズラリと並んで出迎え。
 監督もその中の一人として居たそう。
 しかし翌日、どの新聞を見てみても、その会談のことが一言も報じられていなかった。
 その事実に監督は「ああ、これが高貴な人たちの世界というものなのか」と実感したそうだ。
 「このことが、後のギレンの演説に繋がっているのかも」
※注)あの日、直接この話を聞いていたわけですが、どうしてこの話がギレンの演説に繋がるのか、
 正直、ピンときませんでした。分かったような分からないような…。
 きっと、他の参加者の人たちも煮たようなものだったのではないか…と思います。(もしかして自分だけか?)
 ですが間違いなく、監督はこの話がギレンの演説の元だと仰っていました。
・ちょっと学生運動に参加していた。本当にちょっとだけだったので、すぐに戻った。
・監督27〜8歳の頃。虫プロを辞めた後、しばらくの間CM制作をする映像会社に所属していた。
 CMのコンペがあったのだが、全然取り上げられず、絶望した。 
・そのCM制作会社では、撮影の為に肉体労働をしなければならないのだが、
 他人の3分の1くらいしか物を持ち運びできなかった。セル画ばかり運んでいたせいだ。
 中型トラックの後ろの荷台の板を上げ下げするだけの作業でさえ、自分には重労働だった。
 とうとう「お前はもう来なくていいよ」と言われ、アニメ界に逃げ帰った。
 そういう経緯でアニメ制作を再びやり始めたので、必死だった。
 「これが、僕の社会人経験です」
・自分の働ける場所はアニメ業界だけしかないと絶望し、クビにならないよう、恐怖に駆られながら必死に働いた。
 「だから、ガンダムみたいなアニメを作ってやろうなんて考え、寸毫もありませんでした」
・子供の頃にロケット好きだったのが、ガンダムを作るに当たって役に立った。
 SF考証などをわざわざ考えなくてもよかった。
 ある日、脚本家の一人が「ムサイがミノフスキー粒子の霧に包まれて…」と書いたことがあった。
 「こいつは一体何を書いているんだろうって、意味がわかんなかった」

つづく。


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