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魔境避難所

1658泥中の蓮・後日譚拾遺─変節─ ◆lRIlmLogGo:2015/04/30(木) 03:03:07
「そうですね……多分、あるんじゃないかと思います」
躊躇いながら正直に答える。行洋は小さく息を吐いて、間を置いてからまた口を開いた。
「私にはね、かつてずっと待っていた人物がいたのだよ」
誰だと問うまでもなかった。だが『居た』と過去形なのが引っかかった。
「夜ごと、家人が寝静まった後で。碁盤の前で、上座を空けてね」
「今はもう、待っていないんですか」
「この世に存在せぬ者を待っても詮無き事だと、ある碁打ちと話すうち悟った」
膝の上で固く握りしめた手の中が、じっとりと汗で濡れる。冬間近だというのに。
「誰……ですか」
「キミもよく知っている中国の楊海君だ」
「楊海さん、なんて言ってたんですか」
「ネットにしか現れぬのは、ネットにしか棲めぬ故。ネットにしか棲めぬのは、実体が無い故」
「そんなヨタ話を、先生は信じたんですか」
声が震える。
「完全に鵜呑みにした訳ではないがね。ただ、それを聞いて後、私は待つのをやめた」
頭がぐらぐらする。しっかりしろ。これしきで揺らぐな。
「秀策を研究するのはいい。大いに学びなさい。しかし、完全な模倣を試みるのは」
「オレには意味があるんです。ただのコピーで終わらない……でもまだ、コピーにすら至ってない」
「……………………」
「待つのをやめたなんて……言わないでください」
「キミ自身の碁を殺してまでも、価値のある事だろうか」
目頭からじわりと滲み出そうになるものを堪える。
「キミが再現した『もの』と、私は対局したいとは思わないよ」
ただ首を振るしか気持ちを伝えられない。
火照る肌に雨を受け、叩きつける水滴に感じて喘ぎながら受けた天啓。
誰にも理解などして貰う気はない。
自己満足でしかないのも承知している。
だが実際に、目の前で『紛い物に価値はない』と言い放たれるのはきつかった。
「もういないから、キミが蘇らせようとしているのだろう?」
「それも……楊海さんが」
「いや。秀策没後、一世紀以上も経ってから現れたのは何故か、と疑問を抱いてはいたが」
「じゃあなんで、もういないって」
「一昨年の北斗杯以降の、キミの秀策に対する病的なまでの耽溺。開催直前、既に秀策を巡って一悶
着あったのも倉田君経由で知っている」
「…………ぁ」
「後から思い返せば、あの苦汁を嘗めた北斗杯はキミにとって弔いの戦だったのか……とね」
「そんな、つもりは」
「ならばどうして、キミは泣いているんだね」
堪えたはずのものが、溢れて頬を伝っているのに無自覚だった。
「何者かと問う気はもうない。今はもうこの世に存在しない、ネットの中にも棲んでいない…………
そうだね?」
この身を、目の前の大人の男に投げ出したかった。
何もかもを白状し、大声で泣きながら脳髄がぐちゃぐちゃになるまで抱かれ貫かれたかった。
こんな時にさえ、自分の体は浅ましく穢らわしい。
「『至るに足らず、求むに満たず。道は道に非ずして、此れ則ち迷図の如くなり』」
「え」
「即興だがね、キミの現状だよ。碁打ちに広く当てはまる事でもある。揮毫の参考にでもするといい」
見境がなく底無しの罪深い淫欲に重ねても合っている気がした。
漢文調で書けば、何となく有り難い含蓄があるかに見えそうだった。


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