したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

魔境避難所

1644泥中の蓮・後日譚─貪婪─ ◆lRIlmLogGo:2015/02/02(月) 20:57:52
頭の中はぽっかりと空虚なのに、手と足が勝手に動いて乗り換えのために体を移動させ、電車の到着
を待とうと列に並ぶ。駅前で客待ち中のタクシーに乗り込み、口がひとりでに目的地を告げる。
────────どうして、ここへ戻って来てしまったのか。
ひと月余りを過ごした小さな隠れ家の前で、暫し立ち尽くす。手の中の合鍵が、体温で生温くなって
ゆく。握った手の外側は、冷たい空気に晒されて痛さすら感じるのに。
帰れと言っただろ、なんで戻って来た。そう詰られるのが怖い。
何度も生唾を飲み込んで、そろそろと玄関ドアの鍵穴に鍵を挿す。チェーンが掛かっていたら、拒ま
れた証拠。諦めて実家に帰ろう。
恐る恐るドアノブを回して引く。チェーンによる抵抗はなかった。詰めていた息を吐き出すと、強張
っていた体が少し弛緩した。
部屋の中から声がしない。口も利きたくないのか。少なくとも、ヒカルに歓迎されてはいないと思う
と、アキラの胸に詰まった重い石の塊が圧迫感を増す。
「……………………」
布団は敷かれっぱなしではあったが、空だった。手洗いだろうか。いや、気配がない。
リュックが消えているのに気付き、漸く思い出す。
(そう、だった……今日は外出するって)
昨日の昼前、確かそう言っていた。どこへとは教えて貰えなかった。
外出していたならチェーンは掛かっていなくて当然だ。外から掛けたくとも掛けられないのだから。
ヒカルにアキラを締め出す意志があったとしても、先に帰宅出来なければ無理な話。
ただそれだけ。
ヒカルが帰る前に、ここを出なければ。くたくたの体が、これ以上動くのを拒否する。
歓迎などされるはずがないのだ、だから早く出て行かなくては。そう心と体に鞭を打つが、逆らう脚
ががくりと膝から落ちて、へたり込んでしまう。
「……。あ」
ローテーブルの上に、見慣れぬものが置いてある。
その文庫本はカバーが擦れて印刷がところどころ剥げ、角も潰れている。古いというよりは扱いが悪
い印象を受けた。これだけボロボロなのに、手垢がついていない。
タイトルと著者に覚えがあった。中学時代、国語の便覧に載っていたのを暗記させられた。近代文学
の著名な作品と作家だ。内容までは知らない。文学史の流れを学習するのに名前を覚えただけだ。
ヒカルがこんなジャンルの小説を好んで読むようには思えない。どこに読む理由があるのか、アキラ
は少しだけ興味を持った。
カバー折り返しの概要によれば、明治から昭和にかけた女性の三代記らしい。ますます、ヒカルが手
を出しそうな物語ではない。
ぱらぱらと斜め読みしていくうちに、とあるページでアキラの手が止まった。
「これ……は……」
ページ内の、ある単語に赤線が引いてある。それはアキラにとって、忘れたくても忘れられない文字
列だった。
「貪、婪…………」


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板