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言いたい事なんてこれっぽっちもありゃしない

197262◆550MyoMo:2004/10/16(土) 15:56
http://ch.kitaguni.tv/u/310/0000111414.html
東京kittyアンテナ(@w荒
ゴメンで済めば米軍はいらねーんだよ(@w荒

----中略---------

今回の場合、酒鬼薔薇には「精神的疾患」もあったので二重に
刑法上「優遇」されているわけだが、それについても考えてみよう。

1.平等主義という観点から

 刑法学上、狂人や重度精神疾患者は、責任能力、すなわち「善悪の弁別能力およびその弁別に従う行為の制御能力」がないとされている。
 つまり、彼らには「人格的行為能力はない」と言っている。
 近代的法理念の中核が「人格の尊厳の尊重」ということから考えると、狂人や重度精神疾患者は「人格」を認められていないということになる。これは「差別」である(@wぷ
 彼らは自らの意思に基づく行為を「知性がないので人格的行為ではない」と国家によって決めつけられ、人以下の存在として扱われているわけだ(@wぷ
 「刑罰はその人間にとって不利になるのだから、このように差別的扱いをしてもそれによって彼らに有利になるのだから問題ない」というマヌケな反論がすぐ出てくるだろうが、ヲレは簡単にこれを論破できる(@wぷ
 まず「刑罰には教育的・矯正的側面もあり、刑罰を受けることで本人の再犯を防ぐ措置を講じることが可能で、それは本人にも有利になることがある」ということだ。
 次に、「本人にとって有利になるからわざと差別し低く扱う」ということは単なる詭弁で、平等原則に反する(@wぷ
 
2.刑法が陥っている意志に関する知性主義的誤り

 害既知たちは知性において劣っているために「善悪を弁別できず」
「行動を制御できない」ので「責任能力」がないと言う議論は、「意志」を極めて狭く扱っている。
 善悪は倫理によって判断するが、知性というより感覚で身についているものだ。何をしてもいい、何をしたら悪いということは、人間はむしろ「善悪の感覚」で判断している。知性において劣っていたからといって、感覚において善悪を識別できれば「弁別能力がない」とはいえない。
 また、「行動を制御できない」というのは要するに犯罪者はみな「行動を制御できない」ので犯罪を犯すわけで、単なるトートロジー(同語反復)(@wぷ

 ここにおいて近代刑法理論は完全に論破したと考える(@wぷ

Posted by 東京kitty at 2004年09月05日 18:38


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