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ニュースのスレ7

730名無しさん:2019/05/22(水) 02:54:57
東京都板橋区出身。川村中学校、川村高等学校卒業。1979年、川村短期大学(現在の川村学園女子大学)に入学。物真似を披露したことで学校中に名前が知られるようになる。落語家を目指して早稲田大学の寄席演芸研究会へ入部し、「可愛家マッハ」の芸名で活動する。当時は5代目三遊亭圓楽の熱烈なファンで、通っていた短大の真裏には5代目柳家小さんの邸宅があった。しかし落語家に向いていないと悟り、漫談家への転向を決意。同芸名のまま漫談に才能を発揮した。

高校1年生の頃に西城秀樹の物真似で『TVジョッキー』(日本テレビ)に出演したのを手始めに、『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ)や『ひるのプレゼント』(NHK総合テレビ)に出演。『タモリの突撃ナマ放送』(東京12チャンネル、現:テレビ東京)では5週勝ち抜きするなど、数多くの素人参加番組に出演[3]。素人時代はとんねるずとともに素人参加番組の常連として有名な存在だった[4]。

『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)火曜日のツービートが担当した人気コーナー「ブスコンテスト」に応募し、オーディションで目を付けられ、素人勝ち抜きコーナー「お笑い君こそスターだ!」に出場。ここで中学以来の持ちネタであるバスガイドのネタ[5]を披露しチャンピオンになった。プロとなって太田プロダクションに所属。1981年にバスガイドネタの『邦子のかわい子ぶりっ子(バスガイド篇)』でレコードデビューし、「右手をご覧ください、一番高いのが中指でございます」などのギャグで人気を博す。1981年の流行語「ぶりっ子」は、山田がギャグに使ったことから一般的な流行語になったとされる[6][7][8]。

会社員である父は芸能界に入ることに反対しており、芸能界に入る際には関口宏が懸命に父を説得したという逸話がある。なお、芸能界デビュー前に関口が司会の『クイズ100人に聞きました』(TBS)に家族で挑戦し、予選で敗退。後に、関口とは『野々村病院物語』(TBS)などで共演している。

いわゆる漫才ブームに付随する形で巻き起こったお笑いブームの潮流に乗り、若手有望株として大きな注目を集め始めた。



wikiよりhttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/山田邦子




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