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おひるねごろにゃんとうコメント欄21
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さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。
海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、
飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。
ところが海の中ほどまで来たとき、
突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。
そのとき皇子につき従っておられた妾があり名は弟橘媛という。
穂積氏の忍山宿禰の女である。
皇子に申されるのに、
「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。
これはきっと海神のしわざです。
賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。
そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりになった。
暴風はすぐに止んだ。船は無事岸につけられた。
時の人は、その海を名づけて、馳水といった。
こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。
そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦を廻り玉浦を横切って蝦夷の支配地に入られた[2]。
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