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幻の桜コメント33
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あらちゃん先生、又この度も面白い夢の話を有り難う。いつも夢の話は尽きず、興味も尽きない。
しかし、それにしてもあらちゃん先生、この話の題名が墓で何故か話の内容が夢なのには特別な理由があるのでしょうか?
思うに、夢も死も眠る事には違いない。それは現実とはただ自分が目覚める場所が違うだけなのだ。
子供の頃には、墓は特に夜が怖かった。
墓は絶えず幽霊の居る場所であった。自分が死んだ事が許せぬ生を謳歌する者が恨めしい者達がそこには居て、勝ち誇る生者を殺す為に時に沢山集い、そこでかくれんぼをして遊んでいる礼儀知らずの不届きな子供が転べば、その生命は地獄に引き摺り込まれ無いと思っていた。
だが、そんな墓でも猫達には日向ぼっこの場所で有り、夜は集会所に成り、恋の場所にも成っていた。
「お墓はね、夜には小さく揺れて、墓に御参りに来た人にお喋りをするんだよ。」
墓が揺れて何の話が出来るのかは知らないが、昔、そんな話を聞いた。
きっと猫ならこの話が本当かどうか分かるだろうな。
さて、次ですが、夢についての質問をあらちゃん先生に致します。
先生のお話だと、自分が夢で目の前に見ている人が、赤の他人の見た世界に映るその周りの世の中への只の印象世界での全く存在しない幻想の人ならば、自分がその人と会話したりするのは、実際には夢を見てる他人と会話している事に為るのか、自分が世界で作り上げた内面での幻想の人と会話をしているのか、一体どっち何だろう?そしてもしその夢の彼方から、今迄会った事すら無い死者や精霊達が会いに来るならば、果たしてその彼等は本人達なのであろうか?
ところで、家系図というファミリーツリーでもある生命の樹から分かれた枝の一つである自分は、この生命の枝の身体の中からずっと世界を観ている。
勿論、今迄出た事は無い。もしかしたらこの樹を出た先は知覚すら出来ない世界で、もし生命の樹から切り離されたら、その人は水から出た魚のように魂は弱り、その存在は消えるのかも知れない。
夢とはファミリーツリーの中にしか無く、夢とは時に自分自身だろうか?
もし夢を観れない人が居るなら、その人は猫と居ると良い。
彼等の美しい夢見る瞳の中にそれは有り、あなたはそれを何時までもずっと覗き込んで、きっとその星を何時までも見飽きる事は無いだろう。
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